丸山 2013年12月7日(土)
鳴門市の「ばんどうの鐘」がある丸山(120m)に登りました。

道の駅付近から頂上の「ばんどうの鐘」を見上げます。

まず、「鳴門市ドイツ館」に寄ります。
「板東俘虜収容所」で、俘虜となったドイツ兵と地元住民がが築いた親交・友情を記念して造られた施設です。

当時、松江所長の人道的管理方針のもと、音楽やスポーツ、演劇など様々な文化活動が活発に行われ、地元民との温かい交流が生まれました。

1918年6月に、ここで日本で初めて第九全楽章が演奏されたこと、先進的ドイツの技術や文化にふれ友好が深まっていたことなどを詳しく知ることができます。

ベートーベンの像の左側の階段を登ります。野生のニホンザルがたくさん集まっています。

頂上まで全て石段で整備されています。

頂上の「ばんどうの鐘」です。
日独友好と恒久平和を願って、1983年に都市計画事業により建設されました。
塔の高さは13m程で、中にある鐘はドイツで鋳造されたものです。

頂上からの徳島市方面の眺めです。

反対側に下ります。こちらは緩やかなスロープです。

四阿を3つほど過ぎると、高速バス停の分岐に出ます。折角ですので、高速バス停を経由してドイツ村公園へ寄り道します。

高速バス停付近からドイツ村公園を眺めます。

歩道を下ると「坂東俘虜収容所跡」に出ました。
映画「バルトの楽園」で有名になりましたが、第一次世界大戦期、ドイツの租借地であった青島で、日本軍の捕虜となったドイツ兵約1000名が、1917年から1920年までここに収容されました。
板東俘虜収容所跡地の内、東側の約1/3が「ドイツ村公園」となっており、当時の収容所の基礎(煉瓦製)や給水塔跡、敷地内にあった二つの池や慰霊碑が残されています。

広場にある石橋は、ドイツ兵士が造った当時のドイツ橋を模したものです。

第一次世界大戦(1914~18年)中、日本各地の収容所で死亡した85名のドイツ兵士の慰霊碑(1976年序幕)です。 歿した兵士の名前が刻まれています。

園内の紅葉も見頃です。

分岐まで引き返して坂を下ると、こども広場に出ました。

最後に、「鳴門市賀川豊彦記念館」を見学します。
賀川豊彦(1888-1960)は、明治21年に神戸で生まれましたが、幼くして両親を亡くし、4歳から16歳までを父の故郷の鳴門市大麻町で育ちました。

孤独、家の破産、病苦など、多くの苦難を乗り越え、21歳のときに神戸のスラム街に移り住んで社会的弱者の救済活動に身を投じ、日本の社会運動の草分け的存在となりました。
世界的な平和運動家でもあった賀川は、世界連邦運動をはじめ、ガンジーやアインシュタインらとともに徴兵制廃止などを提唱し、正にノーベル平和賞の候補に相応しい真の実践家だったことが覗えます。
「友愛・互助・平和」を説いた賀川豊彦の活動は、比類なく多くの教訓を今もなお強く与えています。
(参考タイム)
ドイツ館横の登山口13:00発 → 頂上(ばんどうの鐘)13:15着 → 高速バス停分岐13:30着 → ドイツ村公園(板東俘虜収容所跡地)13:45着 → 高速バス停分岐14:20着 → 子ども広場14:30着

道の駅付近から頂上の「ばんどうの鐘」を見上げます。

まず、「鳴門市ドイツ館」に寄ります。
「板東俘虜収容所」で、俘虜となったドイツ兵と地元住民がが築いた親交・友情を記念して造られた施設です。

当時、松江所長の人道的管理方針のもと、音楽やスポーツ、演劇など様々な文化活動が活発に行われ、地元民との温かい交流が生まれました。

1918年6月に、ここで日本で初めて第九全楽章が演奏されたこと、先進的ドイツの技術や文化にふれ友好が深まっていたことなどを詳しく知ることができます。

ベートーベンの像の左側の階段を登ります。野生のニホンザルがたくさん集まっています。

頂上まで全て石段で整備されています。

頂上の「ばんどうの鐘」です。
日独友好と恒久平和を願って、1983年に都市計画事業により建設されました。
塔の高さは13m程で、中にある鐘はドイツで鋳造されたものです。

頂上からの徳島市方面の眺めです。

反対側に下ります。こちらは緩やかなスロープです。

四阿を3つほど過ぎると、高速バス停の分岐に出ます。折角ですので、高速バス停を経由してドイツ村公園へ寄り道します。

高速バス停付近からドイツ村公園を眺めます。

歩道を下ると「坂東俘虜収容所跡」に出ました。
映画「バルトの楽園」で有名になりましたが、第一次世界大戦期、ドイツの租借地であった青島で、日本軍の捕虜となったドイツ兵約1000名が、1917年から1920年までここに収容されました。
板東俘虜収容所跡地の内、東側の約1/3が「ドイツ村公園」となっており、当時の収容所の基礎(煉瓦製)や給水塔跡、敷地内にあった二つの池や慰霊碑が残されています。

広場にある石橋は、ドイツ兵士が造った当時のドイツ橋を模したものです。

第一次世界大戦(1914~18年)中、日本各地の収容所で死亡した85名のドイツ兵士の慰霊碑(1976年序幕)です。 歿した兵士の名前が刻まれています。

園内の紅葉も見頃です。

分岐まで引き返して坂を下ると、こども広場に出ました。

最後に、「鳴門市賀川豊彦記念館」を見学します。
賀川豊彦(1888-1960)は、明治21年に神戸で生まれましたが、幼くして両親を亡くし、4歳から16歳までを父の故郷の鳴門市大麻町で育ちました。

孤独、家の破産、病苦など、多くの苦難を乗り越え、21歳のときに神戸のスラム街に移り住んで社会的弱者の救済活動に身を投じ、日本の社会運動の草分け的存在となりました。
世界的な平和運動家でもあった賀川は、世界連邦運動をはじめ、ガンジーやアインシュタインらとともに徴兵制廃止などを提唱し、正にノーベル平和賞の候補に相応しい真の実践家だったことが覗えます。
「友愛・互助・平和」を説いた賀川豊彦の活動は、比類なく多くの教訓を今もなお強く与えています。
(参考タイム)
ドイツ館横の登山口13:00発 → 頂上(ばんどうの鐘)13:15着 → 高速バス停分岐13:30着 → ドイツ村公園(板東俘虜収容所跡地)13:45着 → 高速バス停分岐14:20着 → 子ども広場14:30着

