「空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか」 ジョン・クラカワー著 海津正彦訳 (文春文庫)

1996年5月10日にエヴェレストで、日本人の難波康子さんを含む多数の死者を出した遭難事故が詳しく描かれています。
著者は、雑誌(アウトサイド)の、エヴェレスト「ガイド登山隊」の実態をレポートするため、1996年春のロブ・ホール率いるアドベンチャー・コンサルタンツに、難波康子さんを含む8名の顧客の一人として参加、たまたま遭難事故の当事者となるが奇跡的生還を果たし、確かな筆致によりリアルな遭難記録とエヴェレスト登山事情を記したノンフィクションです。原題は「Into Thin Air」(薄い空気のなかへ)で、広く世界各国に翻訳されたベストセラーです。
技術、体力共に大きな差がある8名の顧客を従え、予定のルート工作がないという中、予想外の渋滞と待機、そして酸素不足と意識混乱、そこに厳しい嵐が襲い、疲労と低体温症が致命傷となっていった様子が見事に描かれています。

この時、小柄な難波康子さんは、登頂を果たして下山中の遭難だったため、田部井さんに次ぐ日本人女性として2人目の七大陸最高峰制覇の栄誉に輝き話題となりました。
著者は、今後の大量遭難防止の、「もっとも単純な方法は、おそらく、緊急医療用を除いて、ボンベに詰めた酸素の使用を禁止することだろう。そうすれば、・・・おびただしい数の力不足のクライマーたちは、自分の体力の限界点で引き返さざるをえなくなり、高く登りすぎて深刻なトラブルを招くことはなくなる。・・・ゴミの量とクライマーの殺到を自ずと減らすことになる。」と述べています。
いずれにしても、登山者のみでは運べない大量の道具やサポートに頼らなければならないヒマラヤ登山の在り方そのものや、あからさまな外貨獲得の国の行為については、もっと幅広く議論しなければならない課題だと思います。
なお、本書で著者は、自分が登頂した後、さっさとサウス・コルのテントに帰ってしまった別の登山隊(マウンテン・マッドネス隊)のロシア人ガイド、アナトリ・ブクレーエフの行動について、「ガイドの勤めを果たしていない」と厳しく批判していますが、後にブクレーエフは、「デス・ゾーン8848M」を執筆し、これに強く反論します。
「デス・ゾーン8848M」 アナトリ ブクレーエフ , G.ウェストン デウォルト共著 鈴木主税訳

上記、ジョン・クラカワーの批判に反論するため、デウォルトの協力を得て書かれたものです。
ブクレーエフは、最後に次のように述べています。
「私はコーチにならなれる。アドバイザーにならなれる。救助隊員になってもいい。しかし、誰に対しても成功や安全を保証してやることはできない。彼らが向かう先は、人の力では太刀打ちできない複雑きわまる自然のなかであり、いやでも肉体を衰弱させる高所である。私自身、死を覚悟して山に入っていくのだ。」
要するに、ロシア人のブクレーエフにとって、山岳ガイドの役割の認識に違いがあったのです。
ブクレーエフは、事故翌年、エヴェレストへ再登頂し、隊長の(スコット・フィッシャーと、別の隊の顧客、難波康子さんの遺体を埋葬し、難波さんの遺品を持ち帰り夫に渡しています。そして、遭難時に、手助けが得られなかったことを詫びています。
彼の人柄が偲ばれます。しかし、残念ながら、彼は翌年、アンナプルナで雪崩によって遭難死します。立派な登山家を失いました。
「○に近い△を生きる」 鎌田 實 著 (ポプラ新書)

著者は現在、長野県の諏訪中央病院の名誉院長ですが、最近、テレビや雑誌でよく見かけるし、「12万部突破!」という本帯が目に付き、第6刷を読みました。
著者は、約4億円の赤字を抱えた諏訪中央病院に赴任し、赤字を黒字にするために、地域で多発する脳卒中患者の救命率を高めるという、医療の「正解」 ではなく、脳卒中の防止や日本初のデイケアという、「別解」に取り組み、地域の信頼を獲得し、黒字病院に転換させました。
「『正解』が○で、それ以外が×と考えるのではなく、○と×の間に△があって、そこに『正解』がある・・・○と×の間にある△を見つけようとすると、いつまでもギブアップがありません」と、明快に述べ、もっともっと寛容になって、「別解」という多様な価値観を見いだそうと、非常に分かりやすく説いています。
大成功者の提言だからこそ説得力があるのですが、考えてみると、人は目指すとおりにはならないものなので、当然、自分なりに折り合いを付ながら生きているのです。したがって、誰しも既に自分なりの△があり、さらに上位の△を探しているわけですが、本書は、ユニークなタイトルとともに、それを分かりやすく解説したところに価値があるのだと思います。
「いい仕事をするためには、・・・打たれ強い、出る杭になること・・・『がんばらない』けど『あきらめない』のが大事。折れないプロの心の持ち主になる」ことだと、述べているのが一番印象的です。
「愛するということ」 エーリッヒ・フロム著 懸田克躬訳 (紀伊國屋書店)

エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム(Erich Seligmann Fromm, 1900-1980年)は、ドイツの著名な社会心理学、精神分析、哲学者です。
2月のNHKの Eテレ「100分de名著」は、フロムの代表作「愛するということ」でしたので、このテキスト(鈴木 晶 著)と併せて、非常に懐かしい1969年の第26刷を引っ張り出して再読しました。
何と執筆からは、60年近く経ったわけですが、全く古さを感じません。人間の深い心理の真相を語っているからです。
いじめやストーカー事件、DVなどが新たな社会問題となり、人間関係が希薄なネットでつながる社会の「今だからこそ読む価値のある本」なのです。フロムには60年先がよく見えていたのかも知れません。

フロムは言います。「愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが簡単に浸れるような感情ではない」のだと、それには愛がいかなるものかを学び、愛するための技術を習得する必要があるのだと。
1969年版では、「愛は受動的な感情ではなく、活動性である。愛は、《それに参加する》ものであり、《おちこむ》のではない。愛の活動的性格は、もっとも一般的ないい方で表せば、愛とはもともと、与えることであり、受けることではないと述べることによって描きだせるであろう」と、分かりにくいものでしたが、新訳版では分かりやすく翻訳されています。
「愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込む」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。」
Newton 4月号 (ニュートンプレス)

魅力ある特別号を購入しました。
「福島原発 1000日ドキュメント」と題して、3.11に福島第一原子力発電所で起きたことと、事故発生から3年、どんなことが行われてきたのか。そして、廃炉に向けた今後の計画、特に高い放射線を放つ放射性廃棄物の処分方法など非常に分かりやすくまとめられています。

現在、廃炉に向けて、少なくとも40年以上かかる行程の内、4号機の使用済み核燃料の約3割が共用プールに運び出されたところですが、タンクの漏水やクレーンの不調などトラブルが続いています。
しかし、問題はこれからです。様々な未解決な難問があまりにも多く、燃料デブリの取り出しについては公募案をこれから検討するなど、先行きが全く不透明なのが真相のようです。
一方、STAP(刺激惹起性多能性獲得細胞)細胞論文の偽装疑惑問題で、連日の報道に沸いていますが、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子研究ユニットリーダーらの研究概要が掲載されています。
やはり、ニッポンの「リケジョ」による「世紀の大発見」であり、あの作曲家とは全く違っていることを期待します。
「修業論」 内田 樹 著 (光文社新書)

「日本辺境論」の著者が、長年、合気道で培ってきた武道的哲学について、論理的に分かりやすく解説しています。
「生き延びるための力」、「集団をひとつにまとめる力」、「敵を作らない」、「無敵の探求」、「自分の資質の開発」、「危機に臨んだとき適切な状況判断を下すことができる技術」や「想定外の事態に遭遇したときに適切な対応ができる」技術など、武道や修業、稽古の目的には素晴らしいキーワードが並びます。
単に相手を威圧したり、護身のための武道ではなかったことが理解できます。
「教室内カースト」 鈴木 翔 著 本田由紀解説 (光文社新書)

東京大学大学院生の著者が、学生や教師を対象としたアンケートやインタビュー等を基に、現代の学校内には「身分制度」があり、それを維持するシステムがあるのだと、鋭く切り込んでいます。
衝撃的なのは、教師が「いじめの培地」である「スクールカースト」の存在を認識しつつ、それをむしろ積極的に利用して学級運営しようとし、「スクールカースト」の維持に加担していると言うのです。
管理する側の都合や論理ではなく、「閉じた空間」で昼間の大部分の時間を過ごさなければならない子供たち、未成熟でアンバランスな思春期の子どもたち、の側の都合をもっと優先させる必要があります。
「いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか」 内藤朝雄著 (講談社現代新書)

いじめは、「人類の歴史上のあらゆる時代、あらゆる地域にあてはまる普遍的な現象」であり、決して、近年の日本の学校だけの問題ではありませんが、本書は、学校のいじめに焦点を当てて、丹念に事例分析を行い、いじめの構造といじめ蔓延するメカニズムを論理的に考察し、その短期的対策や中期的改革案を提示するという優れた内容です。
生徒たちが生きている小世界の秩序、群の勢いによる秩序を、「群生秩序」という概念を使って解説します。そこでは、一般的な市民社会的なマクロ環境から離れた、閉鎖的な集団においてのみ生じる独特の秩序が幅をきかし、そのまま規範の準拠になっているのだと言います。そもそも「正しさ」の基準が完全にずれており、秩序に逆らうことは強烈なタブーであり、遊びであればすべてが許されるのです。
まさに、これは人類の普遍的な難しい問題であるからこそ、常に普遍的な取り組みが欠かせないのだと想います。
「ヒトはなぜヒトをいじめるのか」 正高信男著 (ブルーバックス)

霊長類研究者の著者が、サルの行動と比較しながら、人間社会におけるいじめを生む構造について迫ったものであり、前半は興味深く読みました。
食と性が最大誘因の本能的な同種間の争いは絶えないが、ヒト以外の動物には、自殺や嫉妬、いじめはなく、いじめは加害者と被害者のほかに見て見ぬふりをする傍観者がいてはじめて成り立ち、これはヒト固有の行動だと述べます。
一方、人間は、他の動物と決定的に違うのは、他者が抱えた心の痛みを自分のこととして受け止め、共感できる点にある。しかし、社会的に未成熟な段階でノウハウも身についてない思春期の子どもは、その社会的共感力も十分でないから、多くは傍観者になってしまうのだと言います。
いじめ問題を、人間社会に昔からあるものだと放置するのではなく、核家族化、少子高齢化、ITの普及など社会的変化等に対応した現代の取り組みが求められているのです。
「体罰はなぜなくならないのか」 藤井誠二著 (幻冬舎新書)

学校教育法第十一条は、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と、体罰は明確に禁止されています。
2012年12月、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部顧問の教諭から体罰を受けた同部キャプテンが自殺するという痛ましい事件が起きてから半年、体罰の実態や体罰を取り巻く構造を深く考察した良書です。
その後、2013年9月に天理大学柔道部の部内暴力問題などがありましたが、体罰が教育や指導の一つの手段として容認されてきたという伝統は、法律の禁止規定だけではそう簡単には変わりません。
しかし、世界のスタンダードは、「学校内における体罰は子どもへの虐待と見なされる」こと。そして、「保護者でさえ子どもに対する体罰が禁止される方向にある」という、先進国に私たちがもっと学ばなければなりません。
「ジェノサイド」 高野和明著 (角川文庫)

本作は、第2回山田風太郎賞、第65回日本推理作家協会賞を受賞し、各種のミステリーランキング首位に輝き、文庫の帯には「4冠達成」と書かれていますが、流石に読み応えのある渾身の大作です。累計80万部突破も頷けます。
著者は、「ありえないようなものほどリアルに作らないと子供騙しになってしまう」と語ったそうですが、執筆に際し、薬学、医学、人類学、歴史学、情報工学、政治学など、幅広くあらゆる資料本を参考に、決して荒唐無稽とは思わせない緻密な構成力を発揮しています。
著者の信条が強烈に組み込まれていますが、物語の展開テンポが良く、スケールがとても大きく、文句なく面白い展開の一級のSFミステリーです。
人間が行ってきた過去の不都合な真実に目をそらさず、しっかり学び、しっかりと向き合っていくこと、それこそが、人類の未来を切り開く唯一の道なのです。
「64(ロクヨン」 横山秀夫著 (文藝春秋)

今さらですが、久しぶりに横山ワールドを存分に堪能しました。
本作は、短編「陰の季節」、「動機」、「顔 FACE」の流れに連なる「D県警シリーズ」の作品です。
2005年の「震度0」を刊行以来、何と7年間ぶりという長編は、流石に原稿用紙1451枚と言うだけあって、ずっしりと読み応えがあるのは勿論、なんとも心にじっくり染み入る濃厚なエンターテイメントです。
「このミステリーがすごい! 2013年国内編 1位」、「2013年 週刊文春ミステリーベスト10 1位」、「2013年本屋大賞 2位」という人気のミステリーというのも頷けます。
「64」というのは、たった7日間しかなかった昭和64年に起きた未解決の身代金目的誘拐事件(符丁はロクヨン)にまつわるものだったのです。なるほどタイトルからニクイですね。
無口で不器用でとっつきにくそうな高倉健さんのイメージはそのまま健在で、冷酷な組織の論理と真っ向から闘う人間の苦悩を見事に描いています。この続編も是非期待したいと思います。
「ロスジェネの逆襲」 池井戸 潤 著 (ダイヤモンド社)

本書は、「オレたちバブル入行組」、「オレたち花のバブル組」に続く3部作目のフィクション企業小説ですが、昨年12月に発行部数が100万部を突破したそうです。
TBS系で放送された人気ドラマ「半沢直樹」の放送終了後に部数を伸ばしたということから、テレビ人気との連動性が覗えますが、とにかく展開のテンポが良く、非常に分かりやすく痛快な内容なので、一気に読んでしまいます。
「ロスジェネ」とは、バブル崩壊後の就職氷河期の新卒世代、ロストジェネレーション世代のことです。バブル世代の主人公が、左遷された証券子会社を舞台に、数々の嫌がらせや圧力に屈することなく、自分の信念を貫き通し、ロスジェネ世代の部下に模範を示します。
「死神の浮力」 伊坂幸太郎著 (文藝春秋)

第57回日本推理作家協会賞短編部門を受賞した「死神の精度」の続編です。
サイコパスと呼ばれる、良心のない人間は、25人に1人の割合でいるとし、その1人であると思われる男に娘が殺された。その両親の復習計画に、あの死神が同行するという不思議な長編ファンタジーです。
音楽をなにより愛し、渋滞が最悪だと言う、クールでとぼけた死神。世間や人間観察がますます冴えており、相変わらず少しずれたユーモラスな会話が和ませます。
伊坂ワールドがバージョンアップされたように感じます。
「人は、自分でコントロールできるものは安心だと考える傾向がある。・・・自分のことは自分がコントロールできる、と思っているから」、しかし、「人間がやれるのは、自分をコントロールすることではなく、コントロールできない言い訳を考えることと、目標を変更することだ。」
「ガソリン生活」 伊坂幸太郎著 (朝日出版)

本作は、 2011年11月から翌年12月まで、朝日新聞(夕刊)に連載されたものを大幅に加筆修正された作品です。
著者の住む仙台のある家族を描いたものですが、何と語り手はクルマです。
ミステリー仕立てですが、むしろほのぼのとする家族小説なのです。
家族が所有する緑色のデミオ(ミドデミ)と他の様々なクルマとの会話により、人間をうまく描き出しています。
Low,Drive,Parkingと、クルマのシフトチェンジで各章が進み、登場するクルマたちの性格付けなど、構成や展開の巧さと新鮮さが随所に感じられる楽しい読み物です。
「人間が働くのは金のためだけではない・・・認められたい、役立ちたい、褒められたい、という三大欲求があるらしい。・・・それが満たされなければ、幸福にはなれない」と聞いたと、クルマたちが人間についてさり気なく世間話をします。
「オー!ファーザー」 伊坂幸太郎著 (新潮文庫)

本作は、2006年から2007年に地方新聞に連載されたものを加筆修正された作品です。新聞連載なので、伊坂ワールドをあえて全面には出さずに、各エピソードごとに短くまとめられており、内容も大人から子供まで広く楽しめるように配慮されています。
なんと、四人の全く異なるタイプの父親(?)を持つという高校生の日常と、彼が巻き込まれる事件をうまく描いています。
不思議なファミリー生活で交わされる、味のあるセリフの中に、芯の通った著者のメッセージが分かりやすくちりばめられており、ワクワクしながら楽しく読めます。
あとがきで、シチュエーションが類似した作品として、「イローナの四人の父親」(A・J・クイネル著)が挙げられています。こちらは国籍が異なる4人のスパイの父親とその娘イローナという設定ですが、14歳までは母親が育てて、母親の死後のお話です。