あって当たり前
選挙に行ってきました。
その後、雨が降ってきたので、年少の者を
駅まで送るために車を出した。
彼は「なんで急に雨なんて降るんだ」と
プンプン怒っていた。
最近思うのだが、『怒り』の気持ちはあっては
ならないものとして抑圧していた気がする。
思う通りにいかなくて、イライラしたり、怒ったり
する気持ちはあって当たり前なのだ。
その時の言動には気をつけたほうがいいけれど、
感情は否定してもなくならない。
抑圧したら、たまって変な方向に爆発する。
重大事件を起こすのはそんな人が多いのではないか。
『怒り』は感じて当たり前。どんな感情もあって当たり前。
いい人ぶる癖
僧帽筋
ポーの一族ショート『満月の夜』感想
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毎月の楽しみがあると、心が潤います。
さて、フラワーズ12月号を買ってきたので、感想を↓
アフタヌーン12月号(第178回)感想
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アフタヌーン12月号を買ってきました。
早速感想を↓
両立する
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雲一つない真っ青な空。
股関節の調子が少し良くなってきたので、
軽いジョギングができるようになった。
その代わりというわけではないだろうが、
両肩(上腕部)が痛い。
サーノ博士の本を読んでいて、抑圧した怒りから
注意をそらすために脳が自律神経を使って
痛みを生み出すという理論に納得するようになった。
そうなりやすい人の性格特性が自分そのものだし。
自分が感じている怒りは両親(母親だけじゃなく)に
対するものだとかなり前から自覚している。
でも自覚している怒りと抑圧された怒りは違うのだろう。
本当はもっともっと猛烈な怒りをためこんできたのかもしれない。
「よくも私を傷つけ続けたな!!」という激しい怒り。
それは恐ろしい感情だし、人前に出したら恥ずかしい感情だと
思うから、押さえこんできたのではないか。
でもよく考えたら、感情にいいも悪いもない。
両親には幸せな老後を送ってほしいという気持ちと、
自分がためこんできた怒りは、両立すると気づいた。
人に対する感情は0か100かではないのだ。
最近楽になったこと
難しい
寒いぐらい
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良い天気。でも急に寒くなった。
今シーズン初めてファンヒーターを入れた。
涼しくなったせいか、昨日は風邪気味だったけど、
一日薬を飲んだだけで治った。
この季節は油断ならない。
秋はあまり得意な季節ではないのだが、
多少調子が悪くても、「ギックリ腰じゃないんだし」は
まだ効いている。それだけで幸せを感じてしまう。
今、サーノ博士の『心はなぜ腰痛を選ぶのか』を読んでいる。
本と言えば、急に思い立って、もう読まないと決めた本を
古本屋に売る手続きをした。
段ボールに入れて、ネットで集配を頼むだけ。
前、店にもっていったら、本はほとんどお金にならなかった。
ネットの古本屋はいくらで買ってくれるか、楽しみだ。
願わない
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今日も秋晴れ。
最近『願うこと』をやめた。
数年前に神社やお寺はお願いをするところではない
と聞いて、お礼や決意だけを心の中でつぶやくことにした。
それとは違う話だけど、寝る前とか車に乗る時とかに、
安全を願うお祈りをしていた。
でもある時、意味ないことしてるなと思ったのね。
何が起こるかわからない人生、余計な心配するより
大事なことがあるのではないかと。
車を乗る時は、心を落ち着けて、注意を払って運転すればよい。
寝る前は『おやすみなさい』だけで、すぐに寝る方がいい。
怖がりですぐ何かに頼ろうとしてしまう癖がある。
自分がしっかりすればよいだけだ。
よけいなことはどんどん捨てていく。
『向日葵の咲かない夏』感想
昨日はよい天気
久しぶりの卓球とか鬼滅の刃とか
今日は久しぶりの卓球をした。
腰の具合が心配だったので、短めの時間で。
まあ普通にできた。
ネットインのボールは追わないことにした。
急な動きは危険な気がする。
10日からの鬼滅の刃の新シリーズが楽しみだ。
第1シリーズと劇場版は録画したのを観終わった。
何度観てもおもしろい。
何度観ても冨岡義勇がいいv(声も)
動ける幸せ
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ギックリ腰がやっと9割がた治った。
3週間かかってしまった。
今日はプールへ行って、ゆっくりだけど泳げた。
プールのスタッフたちは利用者が少しでもしゃべると、
「話さないでください」と言う。
厳しいなと感じるけど、油断しないでということなんだろう。
以前、サーノ博士の腰痛改善本を読んだが、
その日本版のような『腰痛は怒りである』という本も読んだ。
一言で言えば、ほとんどの腰痛は怒りを抑圧することが
原因になって起こるということ。
日々気をつけることをメモして、読み返している。
物心ついたころから、『怒り』はなかったものとして
扱ってきたような気がする。
この癖を簡単に変えることは難しいと思うが、
意識することはできるかもしれない。
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