fc2ブログ
2010年05月 / 04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月
2010.05.21(Fri)

美しい風景はなぜ失われるのか 

みなさん、お久しぶりです。

私事の方が忙しく、更新ができませんでした。まだまだ放置状態が続きそうですが、どうしてもお伝えしたい話があったので、一本上げておきます。

なお、コメント欄は承認制にしています。ブログで見知らぬ他人と議論をする必要性を全く感じないためです。コメント欄は、ご感想やご質問のための通信手段としてご利用下さい。

鞆事業 住民協議 結論 知事どう導く
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20100516-OYT8T00043.htm

 福山市鞆町の港湾埋め立て・架橋事業を巡り、推進、反対両派に分かれている住民が、湯崎知事の提案で、初めて合意形成に向けた協議会のテーブルに着いた15日夜、会場は比較的穏やかな雰囲気に包まれた。しかし、双方の主張の隔たりを縮めることは容易ではなく、今後、どういう方針で協議会を進め、結論を導き出すのか、湯崎知事には難しい判断が迫られる。次回は7月3日に開かれる。

 午後5時過ぎ、「鞆地区地域振興住民協議会」の会場となった、同市鞆町の市役所鞆支所に、牛島信、大澤恒夫両弁護士が相次いで到着。2人は中立的な立場で協議会を進める仲介者で、記者の問いかけに無言のまま控室に入った。湯崎知事は同20分頃、にこやかな笑みを浮かべて会場入りした。

 会場の座席配置は、湯崎知事や仲介者らと、住民側が向かい合う形で、学校の教室のようだ。県によると、住民双方が向き合って座ることで心理的な対立をあおることを避け、本音で意見を交わしやすくする配慮。公共事業で対立する住民間の合意形成に詳しい専門家の意見を参考にしたという。

 住民側の席は、誰がどこに座るかを事前に指定していなかったが、自然と知事側に反対派、仲介者側に推進派が分かれる形で座った。

 協議会は同6時に始まった。湯崎知事のあいさつに続き、大澤弁護士が「認識の共有化を図るため、意見がどう食い違い、その理由は何なのか、掘り下げることが大事。その手伝いをさせていただく」などと進め方を説明。その後、報道陣は会場から閉め出された。

 出席者によると、住民が1人5分間ずつ、自己紹介し、鞆町が抱える課題について意見を述べたという。

 終了後、湯崎知事は記者会見し、「鞆が抱える課題や、鞆を愛する気持ちが共通していることを確認できた」と初会合を振り返り、「住民の意向をくんで、県としての提案につなげられれば望ましい。最大限努力したい」と今後の協議について改めて意欲を示した。

 住民からは、合意形成に向けた第一歩を評価しつつも、湯崎知事にリーダーシップの発揮を望む声も上がった。

 推進派の住民団体「鞆町内会連絡協議会」の大浜憲司会長は「今回出された互いの意見の相違点を、今後、どう整理していくかを見守りたい。知事は早期に決断してほしい」と話し、反対派で事業を巡る住民訴訟の原告団の大井幹雄団長は「鞆を愛する気持ちは同じだと分かり、歩み寄る余地があると前向きに感じた」と述べた。



これは以前から注目していた話なので、簡単にまとめておきます。

広島県東部にある鞆の浦(とものうら)は、古代より、瀬戸内海の潮待ち港として栄えてきました。瀬戸内海は物資に乏しい西日本の各地域が相互補完するための大動脈だっただけでなく、近畿から中国・朝鮮に至る貿易ルートを形成していました。我々に近い感覚でいうと、神戸や横浜のような位置づけにあった場所だったわけです。

近代に入り、物流の中心が鉄道に移ると、山陽本線沿いにない鞆の浦は「発展」から取り残される形になりました。今では、どこにでもある、さびれた港町の一つだといってもよいでしょう。

そんな鞆の浦に、県道バイパス建設計画が持ち上がったのが1983年の話でした。

鞆の浦周辺の道路は、江戸時代のものをそのまま利用しています。そのため、道幅が狭い場所が多いのです。これが、鞆町(当時。今は福山市の一部)市街地の交通渋滞につながっていました。

この計画は、鞆の浦の海岸を埋め立て、湾の上に橋を通すというものです。要するに、お台場のレインボーブリッジや横浜ベイブリッジみたいな状態になるということです。

しかし、鞆の浦の港の景観は大変美しいとして知られています。2007年に「美しい日本の歴史的風土100選」に選定され、スタジオ・ジブリの宮崎駿がこの地で「崖の上のポニョ」の構想を練り上げたほどなのです。

当然、地元ではこの景観を保つために反対運動が起きました。

県は2年前に湾の埋め立ての認可を国に申請したのですが、住民側も差止請求を行いました。広島地裁がこれを認めたことで、話が一気にこじれてきました。

今私は「住民」と書きましたが、実は鞆の浦周辺の住民の中には、道路建設を推進している人たちも相当数います。引用記事の、

>推進派の住民団体「鞆町内会連絡協議会」

という人びとがそれに当たります。

表向きの賛成の理由は、生活の利便性向上だということですが、当然公共事業を当てにしている人たちも賛成派に含まれています。

ここで重要なのは、この問題を単なる「景観保護vs利便性」だとか、「公共事業は利権政治の温床だ」などという、マスコミ経由で頭に流れ込んでくる図式に当てはめてしまってはいけないということです。

かりに、鞆の浦の景観が救われたとしても、この国では今後も第二、第三の鞆の浦が現れます。そして、その大半が公共事業を優先し、不可逆的な自然環境の破壊をもたらすことになります。


なぜなら、それが「近代経済システム」の宿命だからです。


我々の生活の原則は、カネで他人の財やサービスを買うということです。もっとも、これは鞆の浦が栄えていた古代や近世でも、ある程度は見られた特徴ではありました。

しかし、それらの時代と今が違うのは、今の社会では、


・生存のための物的条件のほぼ全てをカネで入手する必要がある
・カネを蓄蔵し、貸付や投資という形で利殖することが認められてる



ということです。

たとえば、広島県が鞆の浦の景観をぶっ壊してまで公共事業をやらなければいけないのは、建設業者を食わせるためでです。

建設業者が景観をぶっ壊してまで道路を造らなければならないのは、そうしなければ仕事がなくなり、会社が倒産してしまうからです。

今の企業は、「前年比プラス」でなければ生き残れません。なぜなら、ほぼ全ての企業が金融機関からの借り入れで活動しており、そのための金利を負担しているからです。今の日本、というか世界では、金融機関の利子はほぼ100%複利です。年数パーセントであっても、利息を支払わずに放っておくと元本に組み入れられていきます。結果として、借金はどんどんふくらんでいくようになっているわけです。

会社が倒産しそうになり、首を括って生命保険で借金を払った社長の話を聞くことがあります。かわいそうだとは言っても、なぜ借金が社長を殺したのかということに目を向けない人が多いのではないでしょうか。ぶっちゃけた話、その社長は金利に殺されたのです。

では、そもそもなぜ金利が存在するのかというと、カネを貯め込んでいる人たち(銀行や投資家、ときには国家。要するにカネ持ち)にとってそうすることが一番楽に金儲けできるからです。

この仕組みが、全てのガンなのです。

裏を返せば、近代経済システムというのは、カネ持ちがより効率よく金儲けするために作られたものだといえます。

株式会社は、配当という形でカネ持ちが企業の活動力を吸い上げるためのものです。金利との違いは、株式が会社の所有権なので、経営によりダイレクトに介入できることです(たとえば、役員の選任)。

近代国家が国債を発行しているのは、カネ持ちが国にカネを貸すためです。「国民から余剰資金を集める」などという言葉に惑わされてはいけません。そして、その時の利払い原資は、我々の税金です。

この仕組みのもとでは、とにかく規模を拡大し、全体として上がりを増加させなければ、いずれ金利が払えなくなり、その経済主体は破綻することになります。

そして、今のようにカネで物的条件を手に入れるしかない状況では、カネの入る仕事がなくなることは、死を意味します。

だから、自分が首をくくって死ぬか、他人に死んでもらう(競争において勝利したり、収奪したりという形で)か、自然や景観に死んでもらうか、どれかしかないのです。極端な話を思われるかもしれませんが、究極的にはそうなるしかありません。なぜなら、人間社会も自然界も、全ての資源が有限であり、無限の成長を前提とする近代経済システムはそもそも存続ができないようになっているからです。

環境か雇用か、そういうところに話を単純化してはいけません。その二者択一にならざるを得ない状況を作り出しているのは、「貯めておける(=減価しない)カネ」です。その仕組みに目を付けずに抗ったとしても、結局はシステムの側に丸め込まれます。

そして、訳も分からず不況になり、不況ムードの中で首を切られ、メディアによって作られた敵に目を向け、破滅への道を突き進むことになるかもしれません。戦前の日本もそうやって大陸に進出し、中国と敵対し、最後は米英(カネ持ちの代理人)にハシゴを外された。300万人の命が失われ、国土は灰燼に帰し、占領軍の政策によって独自の精神文化が失われました。

そして、このブログで繰り返し強調しているように、次は中国がその後を追うことになるでしょう。もし、このまま「成長」をやめなければ、ですが。

このような一部の人間の利益のために、人も自然も犠牲にする仕組みを乗り越えるには、たった一つしかない。それは、


「減価しないカネを経由せずに生活する」


ことです。

そのための興味深い試みが、あのトヨタのお膝元で始まりました。

世界初!愛知県豊田市で誕生したコメ兌換通貨の凄味~「腐るおカネ化」で流通の加速を目指す
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100514-00000001-diamond-bus_all
 愛知県豊田市でコメと交換できる地域通貨が誕生し、今年の5月1日から一部の地域で流通が始まった。その名も“おむすび通貨”だ。

 発行元は弁理士で代表を務める吉田大氏や、大学准教授の村田尚生氏などが中心となって立ち上げた「物々交換局」という共同事業組合。吉田氏によれば、コメで価値が担保された地域通貨というのは世界で初めてだという。

通貨単位は“むすび”といい、1むすびは無農薬・有機栽培・天日乾燥の玄米0.5合(おにぎり1個分)と交換できる。この通貨を幅広く流通させることで、荒廃した農山村の振興を図ろうというのが目的だ。

 さらに、コメとの交換以外でも、飲食店や雑貨屋など20店舗以上ある協力店舗で代金を支払う際にも利用できる。通常の通貨との交換レートが決まっていないため、販売者と消費者が商品やサービスの価値がいかほどなのか互いに決める形だ。



コメを担保にしているということは、いずれ腐ってなくなるということです。そうなると、カネを貯めるより、さっさと回す方が合理的な行動になっていきます。一生かかっても使い切れないほどのカネをため込み、それを投資して世界の大企業を支配するという、ユダヤ人のカネ持ちがやっているような真似はやりたくてもできません。

コメだけでは何なので、自然エネルギー(炭やバイオエタノール)や野菜、木材などの一次産品とのバスケットにして担保をする方がいいとは思います。もっとも、その辺は、これからいくらでも改善できます。

この仕組みが、弁理士や大学教授のような、近代経済システムでは「勝ち組」(=カネ持ちの使用人や応援団)に属する人びとの側から、かなり周到に準備されて発案されたこと、そして、その仕組みに参加した米農家が相当数いたことが重要です。このことは、この国で近代経済システムに代わる仕組みを作り出していこうという意欲のある人びとが少なくないということを意味しているのではないでしょうか。

豊田市の「むすび」のような地域通貨を作り、それを成り立たせるための物的条件(主に一次産品の生産力)を調えること、そして、そのためにみんなが協力し合って生きていくこと。

カネ持ちや政府と戦うには、爆弾テロや革命なんかよりも、その方がはるかに効果的です。

政治ニュースを見たり、各党のマニフェストを(メディアの受け売りにしたがって)読んだり、そういうことが世の中をよくするための手段だと思っている人は、考え方を改めるべきでしょう。「減価しないカネ」を我々が信仰し続ける限り、金利や配当という形でカネ持ちがタネ銭を増やし続け、その一方で我々国民の側が経済力をすり減らしていく、そういう仕組みを認識し、脱却する道を探ることだけが、この世の中の問題を解決する可能性を秘めています。

いずれ豊田市のような仕組みが関東、たとえば神奈川の小田原などでも作られることになると思います。減価通貨を標榜している政治団体は、日本各地に存在します。豊田市の「むすび」は、財務省や日銀といった悪の組織に潰されるかも知れません(次期衆院選の後あたりに、決済手段を日本円や政令で定める有価証券に限るという法律を財務省が作らせると予想する)が、やり方はいくらでもあります。魂は必ずや受け継がれていくでしょう。

借金を払うために自殺し、仕事を続けるために鬱になり、金を稼ぐために自然を破壊し、対外摩擦を引き起こして戦争をし、最後は結局カネ持ちだけが高笑いをする今の仕組みは最悪の欠陥システムです。できるだけ早く撤去するに越したことはありません。

我々が、カネの奴隷ではなく、人間として生きていくために。

★人気blogランキングへ←クリックして応援よろしくお願いします。


EDIT  |  09:09 |  経済とグローバリゼーション  | CM(5) | Top↑
 | BLOGTOP |