翻訳の一人称 - 奇岩城(4)編
なんとなく思いついたので調べてみた。かなりいい加減。もちろん一人称の主はルパン。
テキスト | 会話 | 文章 |
---|---|---|
ハヤカワ文庫 | わたし、おれ、ぼく | わたし |
岩波少年文庫 | わたし、ぼく、おれ | 小生 |
偕成社全集 | わたし、おれ、ぼく、わたくし、わがはい、おれさま | 小生 |
創元推理文庫 | わたし、おれ、私、わが輩 | 小生 |
集英社文庫 | わたし、おれ、わが輩 | わたし |
新潮文庫 | わし | 余 |
青い鳥文庫 | ぼく、おれ、わたし | わたし、わたくし |
ポプラ社文庫 | ぼく、わがはい、おれ | わがはい |
青空文庫 | 俺、我輩、僕 | - |
新学社文庫 | 我輩、俺、僕、私 | 余 |
※青い鳥文庫とポプラ社文庫、青空文庫は抄訳・リライト版
※「奇岩城(4)」の最初の翻訳である「大宝窟王」の主な一人称は「我輩」(読書時の記憶+手元の断片的なコピーによる)。
なんとなく傾向が見えるように並べてみたのだけどどうだろう。古くは「我輩」、今は「わたし」、児童書は「ぼく」といったところか。やはり一人称が違うと印象もかなり違う。しかし、ルパン=「我輩」のイメージは根強いと思われる。私が追いかけているのは「わたし」のほうだけど。
殆どの翻訳では複数の一人称を使い分けていて、「奇岩城(4)」では他人に脅しをかけるなど柄の悪さを発揮するので「おれ」との使い分けが多い。多彩なのは偕成社全集だけど、「わたし」「おれ」以外はそれぞれ1、2例しかない。さすがに「おれさま」は…と思ったら偕成社文庫の「続813」でも「おれさま」があった。でも心中での話だから、それはありかな。
それに対してシンプルなのは新潮文庫。ダメな人もいるのかもしれないけれど、私自身は「わし」はアリ。これはこれで壮年の溌剌とした感じがする。普段は「わし」なのに、貴婦人の前では「ぼく」だったりするあたり、かなりの猫かぶり(「ルパンの告白」や「八点鐘」)。
表には見えないが、ハヤカワ文庫の一人称使用量は目立って少ない。厳密にカウントしたわけではないけれど、他の翻訳の半分くらい。(たとえば、ハヤカワ文庫の「わたし」と岩波少年文庫の「ぼく」の使用量がほぼ同数で、岩波少年文庫では「わたし」がそれより多い)。それが読みやすさを生んでいる一方で、ルパンの自己顕示の強さが薄れているとも思う。
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