「奇岩城」探求(その12) 100年前
※以下の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※
100年、それしてそれよりずっと前から存在するものもあれば、100年前にあって今はなくなってしまったものもある。その一つがフレフォセの砦である。
100年前の絵葉書に使われた写真に写っている。
○ETRETAT - Le Fort de Frefosse et la Chambre des Demoiselles, Falaise d'Aval(jpg)
○ETRETAT - L'Aiguille et la porte d'Aval(jpg)
上の写真で奥に写る建物がフレフォセの砦である。手前の二つ瘤の岩が令嬢たちの部屋。レギーユと一緒の写真から見てもかなり大きいと分かる。
写真を掲載していたサイトは見られなくなってしまったが、フレフォセの砦の写真の縮小版はここのトップにある。遠景の写真は「Diaporama」の「Etretat hier」というメニューから。
Etretat(フランス語)
http://www.etretat-info.com/
フレフォセの砦がいつ壊されたのか分からないが、フレフォセの城館と言う建物が今もエトルタの南にあるようだ。2つの建物はかつては同じ人物が所有していたのだろう。
○GeoPortail - Chateau de Frefosse
もう一つ欠かせない存在が「司祭の階段」である。作者に拠ればこの階段はベヌヴィル(エトルタの東にある地名)の司祭によって作られたという“断崖の中に穿たれた階段”なのである。「奇岩城」でボートルレが取材で訊きだした階段であり、「カリオストロ伯爵夫人(13)」では登場人物が下ったり登ったりしている。これも実在していたもので、現在「司祭の谷(Valleuse du Cure)」と呼ばれている場所に、かつては283段からなる階段があったという(「カリオストロ伯爵夫人」では350段と書かれている)。
Universite du havre - la valleuse du cure(フランス語)
http://www.univ-lehavre.fr/cybernat/pages/vallcure.htm
Specifites du parler yportais, par Michele Schortz(フランス語)
http://yport.web.free.fr/parler_yport13.php
モーパッサンの側用人であったFrancois TASSARTという人の1885年8月の日記に、レギーユ(l'Aiguille)や令嬢たちの部屋(la Chambre aux demoiselles)とともに司祭の階段(l'Escalier du cure)の語が見られ、モーパッサンの散歩コースに使われたことや、l'Aiguilleが当時もl'Aiguilleと呼ばれていたことが分かる。
Souvenirs, Chapitre IV(フランス語)
http://maupassant.free.fr/tassart/04.html
Souvenirs sur Guy de Maupassant(フランス語)
http://maupassant.free.fr/tassart/souvenirs.html
→モーパッサンとエトルタ
「司祭の階段」は1883年に作られたが2001年7月に崩落し、現在は立入禁止となっている。「カリオストロ伯爵夫人(13)」(1894年が舞台)の当時はまだ新しい階段だったわけである。写真からでは本当に断崖の中に階段があったのか分からないが、この階段がなくては「奇岩城(4)」が生まれなかったかもしれない。
また、司祭の階段の近くにはEtigue(s)と言う名前のついた地名があり、クラリス・デティグ(d'Etigues)の屋敷もベヌヴィルの近くにあるとされている。その部屋からルパンはアヴァルの門とその傍らにあるレギーユの先端を眺めている。
左にはエトルタ湾とアヴァルの水門、巨大な針岩の切先が見渡せた。(ハヤカワ文庫「カリオストロ伯爵夫人」P14)
a gauche, la baie d'Etretat, la porte d'Aval et la pointe de l'enorme Aiguille.
このことからも「カリオストロ伯爵夫人」は明確に「奇岩城」前史を意図して書かれていることが分かる。アルセーヌ・ルパンがいかにして紳士強盗となったかの物語であると同時に、いかにしてレギーユ・クルーズを発見したかを示す物語でもあるのだ(映画「ルパン」は原作を闇雲に合体させたわけではない)。
一部邦訳でこの部分を“奇巌城”と訳しているが無理がある。“奇巌城”と訳せる言葉ではないという前提を置いておいても、この時のルパンにとってはこれは単なる岩であり、そのまま岩で終わるのかそれとも価値ある存在となるのか、ルパンの未分化な運命を象徴しているからだ。そのうえ「カリオストロ伯爵夫人(13)」に“奇巌城”が出てくる創元推理文庫版、偕成社版では、同じシリーズの「奇岩城(4)」には“奇巌城”が登場しない。偕成社版「カリオストロ伯爵夫人」は「アヴァルの港、あるいはまた巨大な奇岩城の岬」と改訳している(エトルタにあるのは港[port]ではなく門[porte])。ポプラ社のリライト版では「魔女とルパン」にベルヴァルのエギーユ(エトルタのレギーユではない)の代わりとして“奇巌城”が登場するが「奇巌城」には登場しない。
○GeoPortail - Benouville
Benouville(ベヌヴィル)の北西の沖合にAiguille de Belvalがあり、北東にValleuse du Cure、東にla Haye d'Etigueと言った地名が見える。
※以上の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※
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