「奇岩城」探求(その2) レギーユの発見
※以下の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※
エトルタのレギーユを発見するシーンは、分かりにくいというか一見拍子抜けのようにも思える。「エギーユ」という言葉が唐突に出てくるように見えるからだ。でも再読するうちに気づいた。
彼の真正面の沖合いに、ほとんど断崖の高さと同じ高さで、八十メートル以上もある巨大な岩がそびえていた。
というところから始まる文章はエギーユを描写してるんだ!と言うこと。そんまんまなので情けないけど、自分の中であまり引っかかるものがなくて流し読みをしていたのかも知れない。あるいはエギーユ=尖った岩だと分かっていても、どこかエギーユ・針というのがボートルレの(あるいは作者の)勝手な命名だと思っていたのかもしれない。でも違う。これが目指す「エギーユ」だと知っていて描写をしたわけです。
巨大な岩、オベリスク、巨大なきば…これらはすべてエギーユそのもの。そうして描写することで一つの言葉を浮かび上がらせようとしている。それでありながらなかなかエギーユという言葉を出そうとしないのは、エギーユだと言ってしまうと、ここまで来て逃げていってしまうようなそんな感覚なのでは。だから中が空洞(クルーズ)と言うことを発見して初めてエギーユという言葉を出すことが出来た。私はここで発見の喜びとどこか息苦しい感じが伝わってきた。
私の考えていることが正解とは限らない。でもボートルレというのは読者の視線(視界の元となる人物)でいながらどこか分かりにくい人物だったりする。それがこの箇所で少し同調できた気がして、この作品についてもっと調べてみたいと思えた。
もう一つここで重要なのは羊飼いに尋ねた後、行き先に迷っていないこと。まっすぐエギーユに向かっている。と言うことはエトルタのエギーユをボートルレが知っていた。そうでなくては成立しない。知っていたから、ルパンの一味に見つからないよう身を潜めないといけなかった。エトルタは1895年にはパリ方面からの鉄道も整備され、海水浴場もあるリゾート地だった。ルパンシリーズ「八点鐘」中の短編でもレニーヌ公爵がエトルタでゴルフに興じている。山田登世子氏に拠れば、旅行ガイドや、鉄道ポスターなどでエトルタのレギーユの姿を見ていたのではとある。そうかもしれない。そもそもこの地には観光のためにやってきたのだし、候補地にエトルタも入っていただろう。ある町のその国での知名度というのは外国人には分かりにくいところで、しかも100年前のことだから尚更分かりにくい。だからボートルレがエトルタのエギーユを名勝として知っていたと考えても今ひとつピンとこない。でも今のところ辻褄は合うと思っている。
だから、ボートルレはエトルタの名前を告げられたときに、一気に理解できたのだ。
令嬢とは! あの紙片で、たったふたつだけわかっている言葉のうちのひとつではないか!
狂気の風がボートルレを足もとからゆすった。その風は彼のまわりでふくれ上がり、陸地のほうから、沖のほうから、四方八方から、はげしい突風のように吹きつけてきて、真相というむちでボートルレをはげしくたたきつけた……今こそ、彼は理解した! 彼にはあの紙片がその真実の意味をもって見えてきたのだ! 令嬢の部屋……エトルタ……(岩波P299)
暗号文で判明済みの2つの単語のうち残り1つ(※)、エトルタ、これもエギーユという言葉を浮かび上がらせる言葉になる。
※グーテンベルグのサイトにある英訳や講談社文庫青い鳥文庫では2つの単語の箇所が3つになっている。ここはクルーズは未確定としてドモワゼルとエギーユの2つと考えないと成立しない。
□参考文献
山田登世子『リゾート世紀末』筑摩書房
山田登世子「メディアのアイドル『怪盗ルパン』」現代思想1995年2月号
前→「奇岩城」探求(その1) ≪針≫と針
次→「奇岩城」探求(その3) サヴォワ地方
※以上の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※
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