黙祷を捧げました
今朝5時46分テレビの式典に合わせて黙祷を捧げました。
今から13年前阪神・淡路大震災がありました。
当時私たち家族は大阪・高槻市に住んでいました。
朝突然の揺れに目覚め、ガスの元栓を閉め一箇所の布団の中に居ました。
その後ジェットコースターのように上下左右に揺られました。
それだけで気分が悪くなる位の揺れでした。
こんなことは経験したことが無いので、テレビを見ていたのですが名古屋の方の震度しか最初出ず状況が全くわからなかった。
余震が治まった頃当時住んでいた社宅の外に出ると、知人が外に出ていて無事を確かめ合いました。
東海道線は普通となり通勤をあきらめその日は家で過ごしました。
時間が経つにつれテレビにはだんだん震度が出てきて淡路で震度7と出たのはかなり遅くなってからだった。
神戸長田で火災が起こったという最初の報道からどんどん火の手が広がり夜には長田の街全体が燃えさかるという状況になった。
兵庫県に住んでいた同僚や友人の多くが住む家が壊れたり半壊したりした。
長い間通勤路が切断されていたので船を使って一日がかりで明石から大阪まで通勤した人も居た。
当時神戸の顧客が居たのでそこまで行こうとしてJRで行ける所まで行き、途中からバスに乗り継いだが途中でバスを降ろされ倒壊した阪神高速道路を見ながら歩いて三宮まで行った事もある。
三宮の駅の近くや西宮の駅の近くはかなり長い間ビルが傾いたままで、そこを通るとこちらが揺らいでいるような錯覚に陥るほどだった。
神戸市役所の2階部分が全くつぶれてしまって同じように立っているのも不思議な光景でした。
地震で直接知人が無くなったということは無かったが間接的に知人が3人無くなった。
一人は知人の父親で、地震の後住処を転々としている間に風邪をこじらせてなくなってしまった。
二人目は知人の娘さんで、家が全壊しで焼け出された後私たちの住んでいた所に急遽引っ越してきたあと、事情はわからないが自殺で亡くなった。
三人目は友人で地震のあと精神に異常をきたしある日突然亡くなった。事情はわからないが自殺と思われます。
(2人で話したときに地震以来眠れないと言っていたので私に何かできなかったという忸怩たる思いがあります)
3人とも地震の犠牲者の統計には入っていないのかもしれません。
地震は来るものだという前提での備えが必要だと思います。
黙祷のあとテレビで淡路の人たちが歌う「千の風に乗って」を聞いていました。
妻は朝食の準備をしながら一緒に歌っていました。
「今日は神戸の地震の日だって~」と次女は起きて来ました。
3人で地震の日の話をしながらトーストを食べコーヒーを飲みいつものように一緒に仕事に向かいました。
今日は静かに追悼したいと思います。
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中国友の会 さん
コメントありがとうございました。
私などよりも大変な体験をされたのですね。
私も毎年も黙祷をし記事を書きたいと思います。
オーマイニュースに本記事を出しましたが実に嬉しいコメントが付きました。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: 大津留公彦 | 2008年1月27日 (日) 00時38分
私も毎年欠かさず黙祷しています。(以前は神戸・諏訪山公園の早朝登山に参加していましたが、最近は自宅で黙祷です)
13年経とうが50年経とうが私にとっては絶対忘れることのできないことです。
当時(現在もですが)病院勤務(事務です)で当日夕刻出勤しましたが、1階外来ロビーは血の海、1階も含め全館に負傷者+ご遺体が収容されていました。あのときの光景は絶対忘れません。
投稿: 中国友の会 | 2008年1月26日 (土) 15時27分