デヴィッド・リーン監督作。第一次大戦中、アイルランドのど田舎の娘が、外の世界への憧れを村の唯一のインテリである小学校教師に投影し、恋だと勘違いして結婚するのだが、待っていたのは相変わらずの村の平凡な日常なので、大いに幻滅する。やがて、新たに幻想を投影する相手が見つかるのだが、それが村に駐留する英国軍の将校だったため、たいへんに面倒なことになる。
デヴィッド・リーンだけに、たかが不倫ものを複雑な政治情勢と巧く絡めて壮大な叙事詩にしているというか、デヴィッド・リーンだけに、たかが不倫ものでも壮大な叙事詩にならざるを得ないというか。
アイルランドの雄大な自然(南アフリカ・ロケも一部交じっているそうだが)も、登場人物たちの心理や時代背景を象徴的に表現するのに効果的に使われ、作品のスケールを大きくするのに一役買っている。
ただし、ヒロインと英国将校の情事の場面、1970年当時の規制で直接描写を避ける必要もあったんだろうけど、寄り添うように風にそよぐ二本の蜘蛛の糸、寄り添うように風にそよぐ二本のタンポポの綿帽子と来て、最後にダメ押しのように、寄り添うように風にそよぐ二本の早蕨と来た時にはさすがに、もうええがな、とツッコミを入れてしまった。
これに先立つ初夜の場面の身も蓋もなさは、むしろ当時としては斬新な表現ではなかったかと。
私は暗い画面(心理的にではなく、物理的な明度の問題)を長時間観ていると気が滅入ってしまうので、ビデオ時代は古い映画を観るのがしんどかった。DVDになって、古いフィルムの傷を修正するついでに色調も明るく補正してくれるのは、たいへんありがたいことである。が、悲しいことに、いい加減な仕事がかなり多い。
この『ライアンの娘』は、それが特にひどかった。ナイトシーンを明るくしすぎているのはよくあることだが、それに加えて、場面によっては人物が背景から浮き上がって見える。海や空の青、木々の緑などが鮮やかすぎて、安っぽくすら見えるのも、色補正の失敗だろう。
きっと作品への思い入れも何もない、やっつけ仕事なんだろうな(思い入れがあってこの出来だったら、それはそれで悲しいが)。