前回の続き
前回、印象的なフィクションを読んだり観たりすると、数日以内にその影響を受けた夢を見ることがある、と書きました。起きた時に、「あー、『〇〇〇(作品名)』の影響だな」と思うのですが、その日の昼頃には、思い返して「『〇〇〇』と全然関係ない夢じゃん」と呆れるくらい無関係な内容です。しかし夢を見た直後にそう思ったからそうなんだろう、と思っています。
そのようにして見る夢は、だいたい鮮明で印象的です(グロいことが多いけど)。なので、そこからインスピレーションを得られることもあります。たとえば『伊藤計劃トリビュート』所収の「にんげんのくに」は、中学生の時に読んだ中井紀夫氏の「見果てぬ風」からでした。少女が「声」に導かれて密林の奥へと向かうと、古代の機械文明の遺跡があって、機械と一体化した「神」がいる、という。
どこが「見果てぬ風」やねん、という内容ですが、起きた直後にそう思ったんだから、そうなのです。「にんげんのくに」では主人公を少女から少年に変更しましたが、これは新たな部族に遭遇するたびにレイプの危機を回避する過程を書くのがめんどくさかったからです。少女だったとしても、超人的な身体能力を持っている設定なので、襲ってくる「蛮族」をことごとく返り討ちにすれば危機は回避できますが、そのルーティンを書くのがめんどくさかった。
「機械と一体化した神」のほうは、『グアルディア』に取り入れています。
『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』所収の「はじまりと終わりの世界樹」も、高校生の時に読んだスタージョンの『人間以上』の影響で見た夢から生まれています。「にんげんのくに」以上に、どこが?な無関係さですが、起きた直後にそう思ったんだから、そうなのです。
頭のおかしい父親が、双子の姉弟の姉だけ連れ去り、姉弟が成長して再会した時には姉は破壊的な力(具体的にどんなものだったかは憶えていない)を得ていて、世界に禍をもたらす……という内容でしたが、どうも「頭のおかしい父親とその娘」が、『人間以上』第1章の父娘(娘は二人だけど)から来ているっぽい。
フィクションではなく、現実の陰惨なニュースに接すると、そのショックで同じパターンの夢を見ることもありました。内容は毎回、具体的で映画仕立てで、私は私ではなく、その世界の別の誰かになっている(性別・年齢・人種まで違うこともある)。しかし決まって、自らのモラルを試される内容で、決まって強い後悔と罪悪感と自己嫌悪に責め苛まれて目覚め、2、3日は尾を引くという、たいへん疲弊する悪夢です。
幾つかの作品に、キャラクターがそういう状況に立たされる場面があるのは、そういうわけです。いや、意図して入れているわけではないので、そのキャラクターたちが私の分身とか、そういうことはありませんよ。そう思われるのは気持ち悪いので、絶対にそう思わないでくださいね。
意図して入れたわけではなく、話の流れでそういう場面が入っただけですが、何回もやってたら、もう件の夢を見ることはなくなりました。あれは本当にしんどい悪夢なので、ありがたい効果でしたね。
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