佐藤亜紀明治大学特別講義Ⅲ-2
では国民とは何か。
動員には、それに先立ってある組織化が必要である。一般にフランス革命戦争は、「正しい戦争」とされる。どういう戦争なら正しいかというと、正当防衛である。
しかし革命戦争が始まった時、フランスはまだ侵略されていなかった。つまりは動員のためのプロパガンダだったのである。しかし煽られたからといって、なぜフランス人は立ち上がったのか。ライン川を越える直前の連合軍は3万だった。それに対し、フランス軍は最終的に20万人にまで膨れ上がる。「正当防衛」で済まされる数ではない。
ところで、戦争の一年目は徴兵ではなく募集だけでかなりの人数が集まった。農家の次男坊や三男坊、商家の丁稚といった連中が、乗せられてその気になったのである。しかし二年目からは人が集まらなくなる。そういう連中がすでに払底していただけでなく、「戦争に行くと死ぬ」ということが解ったからである。
そこで葡萄積みの季節に季節労働者を捕まえ、男だけ選り分けて軍隊に放り込む、ということをする。そんなもんだよね。
兵隊だけでは戦争に勝てない。財源の確保も必要である。すなわち、産業の動員である。そうやって産業の動員を徹底しすぎたことが、ナポレオン帝国の解体に繋がってしまうわけだが。
例えば、帝国に組み込まれたドイツやイタリアの商人たちは、当初喜んだ。国が一つになってしまえば、関税が掛からなくなるからである。しかしそうすると、フランスにドイツやイタリアからの関税が入ってこなくなる。フランスに金が流れ込んでくるよう、二重に税金が掛けられた。
産業の動員に加えて、文化的・政治的な動員も行われた。
「我々は兵隊の額の汗を拭うために存在する」――ある上院議員。
「我々にはもはや内輪の静かな生活というものがない」――タレーラン。
フランス軍が勝つと、家々の窓に蝋燭を点させる(イルミネーション)といったイベントが強要される一方、言論も統制される。休暇中の兵士が、居酒屋で戦争の実情を漏らすと、その日のうちに憲兵がドアを叩く。フランスは一個の兵営であった。
徴兵制というものには利点もあって、兵隊になってもらう代わりに、国家は国民の面倒を見てくれるのである。それはつまり、兵士になることが市民権の条件という『スターシップ・トゥルーパーズ』みたいな方向へと容易に展開するわけだが、じゃあ徴兵制がなくなれば国民というだけで無条件に国家が面倒を見てくれるようになる、というより面倒を見る義務を放棄するほうが、確かにありそうな話である。
ナポレオン戦争はフランスに国民を生み出したが、反作用で「ドイツ人」も生み出した。
それまでも「ドイツ人」という意識はあった。例えばメッテルニヒは、ナポレオンの「ロシア戦役で死んだのはドイツ人ばっかりだから屁でもない」という放言に、「私もドイツ人です」と激昂したという。
「イタリアというのは地理的概念に過ぎない」とはメッテルニヒの発言だが、その言い方に従えば、「ドイツというのは文化的な概念にすぎない」ということになる。
ドイツがナポレオンを追い出した戦争を、ドイツでは「解放戦争」と呼ぶ。ドイツが統一されたのは1870年だが、ドイツという国家が始まったのは、この解放戦争からである。
統一には文化が役割を果たした。共通の「ドイツ性」というものが作り上げられたのである。
以来ドイツは一般市民に至るまで非常に高い教養を誇る。それはナチスの台頭まで続く。かくも教養の高い人々が、なぜあんなことができたのか。
なぜあんな恥ずかしい音楽や祭典に耐えられたのか、という問題はさておき、「蛮行」についてならば、なんの不思議もない。文化というものはある集団の統一性を高めるために作用してきたものであるから、排他的なのは当然と言える。
文化というものは、犬に薬を飲ませるための肉団子である。見極めないと、どんな薬を飲ませられるか、わかったものではない。
文化的な統一が為されて初めて、政治的な統一が為される。「歴史」(カギ括弧付き)とは文化の産物である。実体の歴史は、漫然としたもの。共通の歴史認識、最初の例で言えば「フランス革命は啓蒙思想が広まった結果起こった」というような歴史認識とは文化の産物であり、実体の歴史とはなんの関係もない
というのが、今回の結論。
講義中、ヨハネ・パウロ2世に言及が為された。彼は始終各地を訪問してたんだが、行く先々で「御当地聖人」を列聖してたそうだ。
ヨハネ・パウロ2世が1999年にグアダルーペの聖母を「全アメリカ大陸の守護者」とし、2002年にはそのグアダルーペの聖母の目撃者であるフアン・ディエゴを列聖したことについて、『ラ・イストリア』で触れた。これについて調べた資料では、どんな状況でそうなったのか判らなかったんだけど、上の話を聞いてもしかしてと思ってググってみました。
フアン・ディエゴは確かに2002年のメキシコ訪問の際に列聖されてますね。グアダルーペについては判らなかったけど、1999年にメキシコ訪問してるのでやはりこの時でしょう。
講義で言及された、ヨハネ・パウロ2世が列聖したフランスの聖人について調べようとしたけど無理だった。だって1978~2005年の在位期間に482人が列聖、1338人が列福されてるんだもん……
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