Entries
勇気があるから訴えたわけではない
少し自分のことを書いてみたいと思う。
自分のことを書くのはかなりエネルギーがいるので、とりとめのない文章や誤字脱字があるかもしれないけれど、勢いにまかせて書きたいことを書く。
私は警察→犯人逮捕→起訴→裁判、となったわけで、
殆どの人が警察に行けない、行ったとしても門前払いされたり、うそつき呼ばわりされて屈辱と憤り、重い悲しみを抱えて引き下がるしかなかったり、被害届を受け付けてもらえなかったり、告訴するなと圧力かけられたり、などなどで、みんな大変な思いをしているわけです。
で、なんとかふんばっても、結局は不起訴になることが多いわけです。
あまりの過酷さに被害者が途中で断念して示談するしかなくなったりもします。
最近は警察が被害者の情報を加害者に教えるのは問題外、みたいにニュースにまでなったりするけど、私が被害にあったときは、むしろ警察が積極的に示談のために弁護士とか加害者とか加害者の親族とかに被害者の情報を教えるの普通でした。
弁護士が示談を強要した、ということで被害女性が裁判を起こして勝った事例も最近あり、本当に必要なことだとつくづく思い、裁判を起こしてくれた方に感謝の気持ちがいっぱいになって、自分の悔しさを思って泣いたこともあった。
刑事裁判すると特定されやすいということもあって、なかなか発言するのが難しかったりします。
訴えなければもっといろんな形で話せるのに、と歯がゆく思ったりもします。
正直、訴えなければよかったと何度も思いましたし、今もそう思うときもあります。
私が違和感を覚えるのは「訴えて勇気があったね」というような言葉をかけられたとき。
訴えなかったらずっとあのストーカーの日々が続いてまた同じことされるのに?
正直、また犯人の顔を見ることを考えたら耐えられなかった。助けてほしかった。もうずっといつ殺されるかわからないと思っていたから。
ううん、理屈じゃなく、もう恐怖でいっぱいで、あんなやつが私の周囲を今後もうろつくなんて、耐えられなかった。恐怖で、頭で考えてのことじゃなくて、ほんとに理屈じゃなくて、ひどい恐怖でなんとかしてくれと思った。
いろんな小さな幸運(かどうかはわからない、例えば加害者にたくさん前科があったこととか)が重なってなんとか起訴されたわけですが、
保釈申請するだの、加害者の親からは呪い殺すだの、弁護士はアポなし訪問してびびらせて精神的に追いつめて示談に持ち込もうと何度もやってくるし、本当に地獄の日々でした。
加害者を監督する立場の人間に突然呼び出され(こっちの身元を知られてるのがまずものすごく嫌です)、謝りたいという名目で呼び出され、その割に謝罪の言葉は一切なく、
加害者にはほとほと迷惑していたが合法的に?追い出せないので困っていた。示談とかせずに最後まで頑張ってほしいとかわけのわからないことを言われたり。ってかお前らも傷害やら器物破損とかで訴えろよって今なら言うけど、こんなに腐った奴らばかり世の中にいっぱいいるということを知らなかった私。
罰してほしい、と冷静で、相手を許せないと憎んで訴えていたらもっと気持ち的に楽だったかもしれないと思う。闘志があれば。
私の場合はもちろん許せないし激しい憤りから憎悪を感じもしたけれど、それも本当に苦しかったけど、主な動機は恐怖だったから。
ちょっとのむこうの攻撃でダメージを受けた。実際、ダメージ食らったけど。プライバシーなんて壊されたも同然。それでも出てきたら殺される、報復される、という恐怖が新たに加わりあとにひけなくなった。
ふつうに考えたらもう何もしないよ、したら加害者は終わりなんだから、と、何人もの人に言われたけれど、なにしろ加害者は異常すぎて、普通の人の理屈なんて通用しないのだ。それを一番わかってるのは付きまとわれていた間にいろんな暴力行為、破壊行為を目にしてきた私。
恐怖心で、もう私に危害を加えないでほしい、という一心で、助けを求めた結果が警察に行ったことだから、勇気があるとかそういうのじゃなくて、逆だと思う。
勇気があったら、逆に訴えないで、どうやってヤツを弱体化させるか戦略を練ったと思う。頼りにならない司法システムなんか使わないで。そのときはこんなにも警察も検察も裁判もこんなにもダメで、被害者ってこんなにもひどく扱われるものなんだ、という知識がなかったからできたこと。勇気があったなんてとんでもない。全くなかったんじゃないだろうか逆に。
今は少しはましになってはいるけれど、やっぱりだめだ。
証拠がない、だの、信頼性にかける、だの、なんだかんだいって警察は性犯罪に動かない。
全国の警察で、性犯罪課をつくればいいのに。刑事課の頭の悪い刑事たちはもうほんとに嫌だ。殺人事件とかで所轄の刑事は下働きで、本部からやってきたエリート警察官が仕切る、っていうのに反発するのがドラマとか映画とかで描かれてるけど、だって警察って組織、ドラマと違って、あまりにおばかで、頭を使って考える、ってことできなくて、ただ手順どおりに無理やりにでもことをすすめる人たちがやってるんだから、自分たちでものごとを解決するなんてできるわけないだろうと私は思う。悪いけどね。
性犯罪被害者とちがって、殺人事件の遺族は最終的には「警察には感謝している」という結果になるのもさもありなん。私たちとは扱う人たちも重要度も違うのだから。
だからいっそ殺されていればよかったとも何度も思ったし今も思う。
ここまであの大事な時期に人生を破壊されて、なんどがんばってもうまくいかないという思いをさんざんしたあとには。
警察とか検察が勝手に決めた罪名は「強姦罪」だったけど(今なら「致傷」がつくと思う。当時は全然「致傷」なんて付かなかった)
私にとっては殺人未遂以外のなんでもなかった。
殺されると思ったし、加害者に殺意があったかどうかとか、加害者なんて正直に言うわけないんだから、重い刑罰の殺人未遂で訴えろよと思うけど、なんせ有罪率99%を維持するために、勝てる罪名でしか起訴しない。
私がもっと首を絞められ続けて、脳に重度の障害とか負ったりしたら殺人未遂と強姦になっただろう。
脳に重度の障害負って、植物人間になった方がよかったよ私にとっては。あまりに生きていくのはつらかった。
ふつうに見えるけれど重い障害おってるわけで、それで日常生活を、被害に遭っていない人と同じようにこなしていくのはつらすぎたし無理だった。
そもそもPTSDは立派な脳の障害だ。加害者は殺人未遂と同じだけ、もしかしたらそれ以上の傷を負わせたのだ。
自分のことを書くのはかなりエネルギーがいるので、とりとめのない文章や誤字脱字があるかもしれないけれど、勢いにまかせて書きたいことを書く。
私は警察→犯人逮捕→起訴→裁判、となったわけで、
殆どの人が警察に行けない、行ったとしても門前払いされたり、うそつき呼ばわりされて屈辱と憤り、重い悲しみを抱えて引き下がるしかなかったり、被害届を受け付けてもらえなかったり、告訴するなと圧力かけられたり、などなどで、みんな大変な思いをしているわけです。
で、なんとかふんばっても、結局は不起訴になることが多いわけです。
あまりの過酷さに被害者が途中で断念して示談するしかなくなったりもします。
最近は警察が被害者の情報を加害者に教えるのは問題外、みたいにニュースにまでなったりするけど、私が被害にあったときは、むしろ警察が積極的に示談のために弁護士とか加害者とか加害者の親族とかに被害者の情報を教えるの普通でした。
弁護士が示談を強要した、ということで被害女性が裁判を起こして勝った事例も最近あり、本当に必要なことだとつくづく思い、裁判を起こしてくれた方に感謝の気持ちがいっぱいになって、自分の悔しさを思って泣いたこともあった。
刑事裁判すると特定されやすいということもあって、なかなか発言するのが難しかったりします。
訴えなければもっといろんな形で話せるのに、と歯がゆく思ったりもします。
正直、訴えなければよかったと何度も思いましたし、今もそう思うときもあります。
私が違和感を覚えるのは「訴えて勇気があったね」というような言葉をかけられたとき。
訴えなかったらずっとあのストーカーの日々が続いてまた同じことされるのに?
正直、また犯人の顔を見ることを考えたら耐えられなかった。助けてほしかった。もうずっといつ殺されるかわからないと思っていたから。
ううん、理屈じゃなく、もう恐怖でいっぱいで、あんなやつが私の周囲を今後もうろつくなんて、耐えられなかった。恐怖で、頭で考えてのことじゃなくて、ほんとに理屈じゃなくて、ひどい恐怖でなんとかしてくれと思った。
いろんな小さな幸運(かどうかはわからない、例えば加害者にたくさん前科があったこととか)が重なってなんとか起訴されたわけですが、
保釈申請するだの、加害者の親からは呪い殺すだの、弁護士はアポなし訪問してびびらせて精神的に追いつめて示談に持ち込もうと何度もやってくるし、本当に地獄の日々でした。
加害者を監督する立場の人間に突然呼び出され(こっちの身元を知られてるのがまずものすごく嫌です)、謝りたいという名目で呼び出され、その割に謝罪の言葉は一切なく、
加害者にはほとほと迷惑していたが合法的に?追い出せないので困っていた。示談とかせずに最後まで頑張ってほしいとかわけのわからないことを言われたり。ってかお前らも傷害やら器物破損とかで訴えろよって今なら言うけど、こんなに腐った奴らばかり世の中にいっぱいいるということを知らなかった私。
罰してほしい、と冷静で、相手を許せないと憎んで訴えていたらもっと気持ち的に楽だったかもしれないと思う。闘志があれば。
私の場合はもちろん許せないし激しい憤りから憎悪を感じもしたけれど、それも本当に苦しかったけど、主な動機は恐怖だったから。
ちょっとのむこうの攻撃でダメージを受けた。実際、ダメージ食らったけど。プライバシーなんて壊されたも同然。それでも出てきたら殺される、報復される、という恐怖が新たに加わりあとにひけなくなった。
ふつうに考えたらもう何もしないよ、したら加害者は終わりなんだから、と、何人もの人に言われたけれど、なにしろ加害者は異常すぎて、普通の人の理屈なんて通用しないのだ。それを一番わかってるのは付きまとわれていた間にいろんな暴力行為、破壊行為を目にしてきた私。
恐怖心で、もう私に危害を加えないでほしい、という一心で、助けを求めた結果が警察に行ったことだから、勇気があるとかそういうのじゃなくて、逆だと思う。
勇気があったら、逆に訴えないで、どうやってヤツを弱体化させるか戦略を練ったと思う。頼りにならない司法システムなんか使わないで。そのときはこんなにも警察も検察も裁判もこんなにもダメで、被害者ってこんなにもひどく扱われるものなんだ、という知識がなかったからできたこと。勇気があったなんてとんでもない。全くなかったんじゃないだろうか逆に。
今は少しはましになってはいるけれど、やっぱりだめだ。
証拠がない、だの、信頼性にかける、だの、なんだかんだいって警察は性犯罪に動かない。
全国の警察で、性犯罪課をつくればいいのに。刑事課の頭の悪い刑事たちはもうほんとに嫌だ。殺人事件とかで所轄の刑事は下働きで、本部からやってきたエリート警察官が仕切る、っていうのに反発するのがドラマとか映画とかで描かれてるけど、だって警察って組織、ドラマと違って、あまりにおばかで、頭を使って考える、ってことできなくて、ただ手順どおりに無理やりにでもことをすすめる人たちがやってるんだから、自分たちでものごとを解決するなんてできるわけないだろうと私は思う。悪いけどね。
性犯罪被害者とちがって、殺人事件の遺族は最終的には「警察には感謝している」という結果になるのもさもありなん。私たちとは扱う人たちも重要度も違うのだから。
だからいっそ殺されていればよかったとも何度も思ったし今も思う。
ここまであの大事な時期に人生を破壊されて、なんどがんばってもうまくいかないという思いをさんざんしたあとには。
警察とか検察が勝手に決めた罪名は「強姦罪」だったけど(今なら「致傷」がつくと思う。当時は全然「致傷」なんて付かなかった)
私にとっては殺人未遂以外のなんでもなかった。
殺されると思ったし、加害者に殺意があったかどうかとか、加害者なんて正直に言うわけないんだから、重い刑罰の殺人未遂で訴えろよと思うけど、なんせ有罪率99%を維持するために、勝てる罪名でしか起訴しない。
私がもっと首を絞められ続けて、脳に重度の障害とか負ったりしたら殺人未遂と強姦になっただろう。
脳に重度の障害負って、植物人間になった方がよかったよ私にとっては。あまりに生きていくのはつらかった。
ふつうに見えるけれど重い障害おってるわけで、それで日常生活を、被害に遭っていない人と同じようにこなしていくのはつらすぎたし無理だった。
そもそもPTSDは立派な脳の障害だ。加害者は殺人未遂と同じだけ、もしかしたらそれ以上の傷を負わせたのだ。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://manysided.blog85.fc2.com/tb.php/133-29f510a9
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
[C472] 管理人のみ閲覧できます