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サバイバーの方の手記掲載のお知らせ

8/22に発売された「婦人公論」に 「レイプ加害者は上司だった。弱い私が格闘した涙の軌跡」が4ページにわたり掲載されています。サブタイトルは「会社の“保身”にも傷つけられて」です。
サバイバーの方の手記です。

性的描写はないので、フラッシュバックの可能性はないと思います。淡々と当時の状況を綴られています。ぜひ多くの方に読んでほしいです。
以下、「婦人公論 9/7号 p34~37」より引用します。

被害に遭ったのは就職して2年目の夏、7月に2回、8月に1回、いずれも同一人物の上司。このことを話した人から「なんで逃げなかったの?」「なぜ1回で終わらなかったの?」と聞かれる。これらの疑問は私を追いつめる言葉の暴力以外のなにものでもなく、これが二次被害なのだと思い知った。

「逃げられるわけがない」「一度レイプに遭ったら、二度目はすべての思考回路が停止する」。
これが私の正直な気持ちである。



こちらに書かれている通り、逃げられるわけがない、男性の力に適うわけがありません。こんなにも当たり前のことが理解されていません。
そして、ダメージのあまり、逃げる余裕さえ、判断能力さえ奪われてしまうのが現状です。

長期的で重篤な被害が潜在化するのは、あまりのダメージに、身を守る手立てをとることもできず、誰にも相談できずサポートを受けられるところがなくどうしていいかわからないこと、
必死で大したことではないと思い、被害のことを否認し必死でいつもどおりの生活を続けようとすること(精神医学的な防衛反応です)、
特に顔見知りで同じコミュニティに属していると、周囲に知られたくないために口をつぐまざるをえないこと、その場(学校や職場)を離れるという行動をおこすことを考え実行する余裕さえないほどダメージを受けていること、等があります。
職場のセクハラも、キャンパス・セクハラも深刻です。(セクハラという言葉をここで使うのは不適切かもしれませんが、犯罪行為でしかないものもセクハラ事件とされているのが悲しい現状です)


また加害者に脅されているということも多々あります。地位を利用した脅しだったり、写真や映像をばらまくという脅しだったり。本当にやるせない気持ちです。
何度か顔見知りによる被害が多いが、警察はその実態を把握できていないと書きましたが、そういう事情もあるのです。


私はいわゆる「事件」として相手が逮捕され刑事裁判にかけられた性被害以外にも、性的な被害を受けたことがあります。

例えば。
人気者で中心的な存在だった同級生に、レイプ未遂のようなことをされました。ですが本当のことは言えず、「無理やりキスされた」ということにし、そしてそのことさえも親しい人にさえ打ち明けられませんでした。
何でもなかったんだと必死で思い込もうとしていました。ですがその人とはその後口をきくことはできなかったし、廊下ですれ違うとき等も、苦しかったです。そして、事実を知った人もそのくらい、という認識で、より、辛かったのを憶えています。


また、「事件」に遭った後、何度も被害に遭うことはないと思っていましたが、車にひきずりこまれそうになったりしたこともありました。幸い逃れられましたが、ほんの一瞬の差で、どうなっていたかわかりません。車のナンバーを見る余裕なんてありませんでした。あまりに手慣れた手口に、他に被害に遭った女性がいるのではないかと、このことも、思い出すととても苦しいです。


また、この手記と似た状況だったこともあります。
被害後ろくに働けなかったのですが、なんとか契約社員の口を見つけ、必死で一生懸命働いていたとき。上司にホテルに連れ込まれかけました。情けないことに、私は「えっ」と声を発したきり思考回路がショートし、凍りついたように身体が固まり動けなかったです。
それ以上はされませんでしたが、それまで全く、私のことを女と見ていないという言動をずっとしていたので、そういう対象とされていることさえ、全く思いもよらないことでした。例えば、自分の好みのタイプや、他にも男同士で話すような話題を私にしていたので、私は自分がセクシャルな対象と見られているとは思ってもみませんでした。
翌日、私はさらに上の上司との面談があったため、その件で、忙しい勤務時間中には話せず食事をしながら話した後のことでした。
なんとか無事に帰りつきたいため、驚かれるかも知れませんが私も冗談と受け取っているかのように振る舞いさえしたのです。本当はとても怖かったのですが。

なんでもなかったことにしたいため、たいしたことではなかったと必死に思い込もうとし、それからの仕事でも何事もなかったかのように接していたつもりでした。
それでも、全く今までどおりということはできず、今までのようにたわいのない話をすることもできなくなりました。私の態度が変化したのが気に入らなかったのか、上司は仕事上の嫌がらせを始めました。

私は退職するまでこのことをさらに上の上司に言えませんでした。ホテルに連れ込まれかけた翌日の面談でも話すことは出来ませんでした。必死で冗談とすませようとしていたし、また、そのしばらく前に、同僚の男性(ちなみに婚約者がいた)にもしつこく誘われ困っていることを相談したことがあったからです。
こんなに短い間にそういうことが立て続けにあると、私の方が問題視されると思いました。
同僚の男性の件を相談したとき、女性上司は「あなたがかわいいから」と言い、女性上司から話を聞いた男性上司は「男性だからそういうこともあるかもね」と発言したと聞いていたからです。
そしてこの二人は、社内でも人望があり、私もお世話になっていたため、彼らがおかしいのではなく、自分が悪いのかと責め続けました。
そのことをふとしたきっかけで知り、唯一味方になってくれたと思っていたのが、先述した上司で、あれこれ同僚と二人の仕事がなくなるよう配慮してくれたりなどし、私は信頼していました。ですが今思うと最初から計画的だったのだと思います。見抜けないようにしていたのです。
もしあのとき、更なる性被害を受けていたら、私はどうなっていたかわかりません。
この手記にもありますが、一度被害を受けると絶望しきって、何も考えることも感じることもできなくなります。


また、「事件」として裁かれた件でも、加害者がすぐに自宅を出て行かなかったのがとてもとても辛かったです。
仮にそのまま加害者に居座られ自宅を占拠されたとしたら。
絶望が深すぎて、逃げることも諦めていたでしょう。あまりに怖ろしい異常な人でした。
考えることさえできなくて、自分の感情を感じ取ることさえできなくて、何より恐ろしすぎて、言いなりになっていたでしょう。必死で、たいしたことはないのだと思い込もうとしたり、私のことをそれだけ好きなのだという気持ち悪いことさえ、勝手に思い込もうとしたかもしれません。
こちらの手記にもあるように、力では適わないのですから 「逃げられるわけがない」ですし、「一度レイプに遭ったら、二度目はすべての思考回路が停止する」のです。

たとえば私は事件後、監禁されていたとしても、殴られたり脅されたりして、おそらく食事を作れだの家事をしろだの命令され、言いなりになるしかなかったでしょう。たとえ逃げたとしても完全に逃げることは不可能なのですから。さんざん自分の友人にさえ危害を加えられ、実家も把握され、脅されていたのですから。
例えば食事を作る買い物に行かされたとしても助けを求めることはできないほど深い絶望にいたと思います。こういう監禁もあるのです。
何も感じることができない感情が麻痺した状態になりますし、どうしたらいいか考える力も判断能力も奪われてしまうのです。

サバイバーからの手紙にあるように、重篤で長期的な被害ほど、認められません。本当に、紙一重だと思い、やりきれない気持ちです。


今回、婦人公論に載っている手記には、サバイバーの方の退職を思いとどまるよう説得したのに、加害者を会社にとどまらせる会社の保身体質に対して、カウンセラーの方が介入されたことが書かれています。これは皆さんに広く知ってほしいので、こちらも引用させていただきます。

 ついに管理職をカウンセリングルームに呼んで、「カウンセラー対管理職二人」で直接話し合う場を持つ運びとなったのだ。

 カウンセラーは 「今の彼女の心の状態はこういう状態です」 と、ルーズリーフの紙をクシャクシャに丸めてポイッと投げたそうだ。そう、私の心は、乱暴に丸めて潰された紙のようになっていた。

 「元に戻そうとしてすぐに広げようとすると、破れてしまいます。ゆっくりゆっくり開いていくしかないのです。でも、元に戻ったように見えても、皺が必ず残ります。これが心の傷なのです」

 このカウンセラーの語りで、管理職はやっと私の傷の深さと重さを理解したようだ。(略)
ところが、休職中も心は休まることはなかった。加害者に会わなくても襲われるフラッシュバックや悪夢、うつとの闘いが続いた。これは一生かけて背負っていく問題なのだと覚悟した。



乱暴に丸めて潰された、クシャクシャになった紙のような心。
元に戻そうとすぐに広げようとしたら破れてしまう。
ゆっくりゆっくり開いていくしかない。
元に戻ったように見えても、必ず皺が残ってしまう。

とても、納得のいく、悲しい、そして的確な説明だと思いました。
周囲に理解されにくいことを身を持って体験した身としては、被害に遭われた方の周囲の方にも、ぜひ読んでほしいです。

最後にこう書かれています。

 一番つらかったのは「孤独」だった。事件の記憶が蘇ると死にたくなる。だけど、さらに性犯罪被害者を苦しめるのは、周りの反応やそれに伴う感情の嵐。(略)

 性行為とは何だろう。考えるたびに涙がとまらなくなる。過去につきあっていた彼氏と関係を持ったことはある。同じ行為なのになぜ汚いと思い、思い出すと恐怖を感じ、息苦しくなってパニックに陥るのだろう。今後好きな人ができても、順調に交際が進むとは到底思えず、苦しむに違いない。

 今回投稿した理由は、事件に区切りをつけたかったからである。「忘れる」のではなく整理して、記憶に縛られたり囚われたり引き戻される連鎖を断ち切りたかった。あえて過去の記憶や弱さと対峙するという苦しい作業を行い、回復していくと信じて。

 なぜ私がこういう目に遭ったのか答えを捜していたが、いまだに見つからないし、答えはないのかもしれない。いまは加害者へ思いを伝えればこの気持ちを手放せるかもしれないという期待を胸に、「出さない手紙」をしたためてみたい。自分を取り戻すために。


 「加害者へ ― あなたは職場を裏切り、家族を裏切り、部下である私を裏切りました。つらかったです。初めからすべてが仕組まれていたのではないかという疑念。最初の一年の信頼関係が根こそぎ崩れたこと。これらが私を苦しめます。あなたは、パワーをコントロールして私を心理的に支配しました。でも私はそれに気づかず、むしろ頼っていた部分もありました。それは私自身にも問題があり、自己肯定感が低かったと思います。

 管理職同席のもと、あなたが私に謝罪した日。私は 『人間である限り、今が一番楽しいと思う権利があるはず』 と口にしました。これはカウンセラーが私を励まして言ってくれた言葉。あなたも職が変わってそう言える日が来ることを願っています。だけど周囲を騙し、自分を騙し続けてきたこと、それは命のある限り問い続けてほしい。

 もがき苦しんで、失くしてしまった自分を必死で捜してきました。希望が持てずにろうそくで足下を照らすように暮らし、泣いて泣いて涙が涸れるまで泣きじゃくり続けたあの体験を、いつか人のために役立てたい。性犯罪の予防教育に携わりたい。そう心に誓っています。それが実現したとき、自分と徹底的に向き合う時間ときっかけを与えてくれたことに感謝するのかもしれません」


「人間である限り、今が一番楽しいと思う権利があるはず」、この言葉は胸にズシリときました。

今が一番楽しいと思う権利、それが奪われてしまうのです。
何も感じない、何も楽しくない、自分はゾンビのようだと、この手記にもありますが、生きているという感覚がなくなるのです。自分だけ白黒のようだと思った感覚が私にもありました。
現実感がなく、ひどい鬱状態。恐怖によるパニック。過呼吸など。挙げるときりのない身体症状に苦しみます。
今はこうしていますが、あまりにひどい苦しみです。

加害者に会わなくても襲われるフラッシュバックや悪夢、うつとの闘いが続いた。これは一生かけて背負っていく問題なのだ。

とも書かれています。

私も、傷は薄くはなっても、消えることはないように思っています。
性被害は、心をもこんなにも蝕むものです。


多くの方に読んでいただければと思い、ご紹介させていただきました。ぜひ全文、通して読まれることをおすすめさせていただきます。


手記を書かれた方、掲載のことを教えてくださった方、ありがとうございました。
読ませていただいて、救われたような思いです。多くの方がそう思うと思います。
この場を借りて御礼を申し上げます。


婦人公論 2009年 9/7号 [雑誌]婦人公論 2009年 9/7号 [雑誌]
(2009/08/22)
不明

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同じエントリを別館にも上げましたので、ご意見等はそちらにお願いいたします。

被害に遭われた方、性暴力に理解のある方のみにコメントを限定させていただいています。

“暴力”  “人権” を改めて考える

森田ゆり氏の著作 「エンパワメントと人権」を読んだ。

とってもしっくりくる中身の本だった。多分、どんな人が読んでも、心に響くところはあるのではないかと思った。優しい語り口でとても読みやすい。
CAPプログラムのことを書こうと思って読んだのだけど、全部よかった。とっても(^^)

森田ゆり氏は、CAPプログラムを日本に持ち込んだ方で、虐待、DV、性暴力の専門家である。

フェミニズムとかエンパワメント、という言葉の意味が本来からはずれて、やたらと「自立」を強調することになっているのではないかという危惧(この本は1998年初版発行なのだけど)のところを読むと、自分の違和感の正体がわかった気がした。
フェミニズムは別に男性をおとしめようというものではないのに、なぜかそう捉えられがちなこと、フェミニストはとても怖い存在のように思われていること (とても優しいのに)。
エンパワメントを揶揄するような雰囲気がときおり現れること。パワーすなわち力という考えなのか、どこか勢いが強いもののように受け止めている人がいること。
実際にはじわじわとかみしめながら地に足がついているような感覚で、エンパワメント、有力化されていくことを感じるのだけれどなあ、と、感覚の差を感じていたのだ。

森田氏はこう述べている。

 エンパワメントとは「力をつけること」ではない。ましてや女性だけが力をつけることでもない。それは人と人との関係のあり方だ。人と人との生き生きとした出会いの持ち方なのである。 (略) わたしとあなたが互いの内在する力にどう働きかけあうかということなのだ。力のあるものがないものにそのパワーのおすそ分けをするのでもない、お互いがそれぞれ内に持つ力をいかに発揮しうるかという関係性なのである。 (略)
 当時、日本では女の自立ということがさかんにいわれていた。その自立の思想にエリート意識と強者のにおいを感じとって、「自立」という言葉が好きになれなかったわたしにとって、エンパワメントとはわたしがそれまで考え求めていた生き方、人間関係のあり方、運動の哲学そのものだった。
 エンパワメントを「力をつけること」と理解してしまったら、それはあの「自立」のエリート意識と少しも変わらなくなってしまう。わたしは力をつけたのよ、あなたもがんばって力をつけなさい、私は自立してるわ、あなたも自立しなさい、というがんばれ、がんばれのメッセージ。相変わらず個人の競争意識をあおるだけで、ある者には優越感を、ある者には劣等感を抱かせるだけの掛け声にすぎず、変革思想などとはほど遠いのだ。                   ―p14~15


私が好きになれない、中身を伴わない精神論の「ガンバリズム」にうんざりして、自分は「がんばれない」と諦めて、そういう声を自分の中に取り入れないようにしたとき、なんだか底つき感があったのだ。
でも、そこから私は恢復への道をあゆみはじめたと思っているので、なんだかとっても共感できた。
「がんばってね」という声より「がんばってるね」の声を必要としている人がたくさんいる。
ただ単にあるがまま、ありのまま、だめなところも弱いところも全部ひっくるめて、そのままの自分でいいんだという、とってもとってもシンプルなことから、私たちは遠ざけられてしまっている。

「自立」って、ただ闇雲にがんばって「経済的自立」を手に入れるだけじゃない。
そういう意味での「自立」は、目に見えるもので確かにわかりやすいかもしれないけれど (正直うらやましいなあとは思うけど)、ただ、そのままの自分、ありのままの自分を受け入れることから、精神的自立につながっていくのだと思う。
そもそも、自立=完全に一人で生きていく、っていうことじゃない。
自分なりの距離感や関わり方で、関わって生きていくことなのだろうと思う。ときおり間違ったりしながら。修正しながら。
そういう過程さえも、ちょっとずつ楽になりながらできるとき、なんとなく「自立」に近づいているような気がするのだ。

暴力を受けると、それがとっても難しくなるけれど。
暴力は、私は、「ぷっつりと世界から切り離されてしまうこと。何をしてもダメだ、どうしようもない、という絶望、無力感を感じ、孤独に陥れられること」だ、と思っていて。
いじめも、虐待も、DVも。モラハラも、セクハラも、パワハラも。ストーカーも。そして性暴力も。

中でも、性暴力は、一瞬にしてそれを可能にしてしまうところに怖ろしさがあるのだと思う。
そして、理解されづらいこと。
まるでこちらが悪いかのような扱いを受けてしまうこと。
ジェンダーギャップも激しいこと。
それを指摘することさえ難しいこと。口にしづらいこと。
自分の受けた苦痛が“ポルノ”として受け取られること。
暴力として認識されないこと。
ますます傷は深くなり、より混乱し当惑し、悲しみと怒り、絶望感で、よりいっそう孤立感が増すということ。

たとえば暴力に、指数や加速度、理解されにくい指数というようなものがあるのならば、突出しているのだ。
突出しているということを口にするのも、なんだか他の暴力を軽視しているようで、そのきつさを否定するようで言いづらいのだけど。
上にあげた“暴力”は、たぶんほぼ全て経験している身としては、どれひとつとして軽いとかは言えないのだ。なので、とても言葉が難しいと感じる。
ただ、やはり、性暴力は、とても簡単な(加害者にとっては、だが)手段で、人を簡単に無力化させる、とても破壊的で、あまりに衝撃が大きすぎる暴力だ。

暴力の定義を、上述したように、自分なりに考えるようになったきっかけは、外傷からの恢復へのステップに、「つながりを取り戻す」「世界との再統合」などというものが必ず書かれているからだった。
つまり逆の状態にいること、自分が他者からぷっつり切り離されてしまったということを、自分なりに咀嚼してのみこむまで、つまりとても孤独だということを認めるまで、きつかったけれど。
・・・たぶん、矛盾する感情というのが一番苦しいのだと思う。

森田ゆり氏は、暴力の定義をこう述べている。

 暴力とは安心、自信、自由の権利を奪うこと

 暴力(violence)とは、この三つの権利を奪うことにほかならない。殴る、蹴る、武器で脅すなどの物理的強制力が伴っていなくても、人を 「恐怖や不安(安心ではない)」 「無力感(自信がない)」 「行動の選択肢がない(自由でない)」 という心理に追いやる行為は暴力なのである。 
                                                 -p28 



そして、基本的人権をこう定義している。

 「権利」は大別すると二種類に分けて考えると整理しやすい。人が生きるのに最低限必要な衣、食、住の権利に代表される基本的人権と、その他もろもろの権利。基本的人権はすべての人が人として生まれたからには当然持っている権利。誕生から死に至るまで、赤ちゃんから老人まで誰でもが当然持っているもの。それは誰かが与えてくれるものでもない。獲得しなければならないものでもない。そしてこの権利には義務が伴わない。赤ちゃんの基本的人権は保障されねばならないが、だからといって赤ちゃんに義務はない。(略)

 安心、自信、自由は基本的人権

 この二種類の権利のうちここで考えたいのは、最初の基本的人権としての権利だ。わたしは「人権」を 「人が人間らしく生きるために欠かせないもの」と定義している。つまり「それがなければ生きられないもの」 のことだ。たとえば食べること、寝ることなどの衣、食、住は人が人間らしく生きるために欠かせない権利だ。(略)
 そして衣、食、住の基本的な人権とならんで、人間は尊厳をもって生きるためになくてはならない 「安心して」 「自信をもって」 「自由に」 生きるという大切な人権を持っているのである。
                                                 ―p27

安心や自信は、それ自体の概念が、人によって感覚が違うことはあまりないにしても、自由は人と人とのぶつかりあいのように捉えられていてややこしくなるのだろうけれど、自由については、こう述べられている。

 自由という言葉は人それぞれにまったく違った理解がされているが、自由を最も簡潔に定義するとするならば、それは「自分で選択できる」 ことだ。「校則が厳しくてうちの学校は自由じゃない」と生徒が言う時、髪の形から靴下の長さ、持ち物の中身にいたるまで、生徒側の選択肢が許されていないから、生徒たちは自由でないと言う。
 仮設住宅で餓死したり、自殺したりした被災者は衣、食、住の物理的権利だけでなく、この安心、自信、自由の権利を奪われていたのである。
                                                ―p28



この物理的権利と、安心、自信、自由の権利という点から考えると、たとえば性暴力、DV、虐待、ストーカー、セクハラ、モラハラ、パワハラなどがどんなに深刻なのか、理解へのきっかけになると思う。
もちろん。どの暴力も本来あってはならないことで、許されないことだ。
ただ、わかりづらいからといって、ただ個別の事情、個別の事案というだけで考えることを拒否するのではなく。理解してほしい私としては。
確かにそれぞれ事案によって違うとはいえ、ではその違いや共通するところを、理解するための手段、ツールとして、「衣、食、住の物理的権利」と「安心、自信、自由の権利」は、優れていると思う。


エンパワメントと人権―こころの力のみなもとへエンパワメントと人権―こころの力のみなもとへ
(1998/04)
森田 ゆり

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1 エンパワメントの意味

 肯定の心
 権利ってなに?
 人権意識ってなに
 自分で選び続けること

2 子どもの人権 

 子ども差別
 CAPプログラム
 コミュニティーの思想
 子育て不安
 子どもと暴力

3 女たちの人権

 スクール・セクシュアル・ハラスメント
 セクシュアル・ハラスメント対応の方法
 アサーティブネス・トレーニングってなに?
 内輪暴力(ドメスティック・バイオレンス)の権力構造
 内輪暴力(ドメスティック・バイオレンス)によるトラウマ

4 多文化共生

 アメリカにおける多様性社会
 多文化共生へのこころみ
 アファーマティブ・アクションの危機

5 癒し・内なる自然と外なる自然

 全体性の回復
 再評価(RC)カウンセリング
 アメリカ・インディアンから学んだこと








<参考URL> 似たテーマを追記予定で、募集中かつ探索中です  (^^)

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村野瀬玲奈の秘書課広報室:「学習性無力感」と日本人のメンタリティ

駄文徒然日記:他者否定による自己肯定

かめ?:先回りして、心配してみる

Gazing at the Celestial Blue :女性差別撤廃委員会第44回会期、日本への総括所見の一部


同じ内容を別館にもエントリあげました。

防犯を呼びかけるのが警察の仕事なのだろうか

前回に続いて、警察の話。

以前のエントリで、

警察は、「夜道・一人歩き・見知らぬ男」を性犯罪の代表的なものと捉えている、という感じはしていたけれど。
最近教えていただいたお話で、ぎょっとするようなことを聞いて、「感じ」どころではなく、ほとんどその実態しか把握できていないのか、と、暗澹たる気持になった。

と、私は書いていたのだけれど、この“ぎょっとするようなこと”とは、

7/25に福岡県で行われた、“「子ども・女性安全安心ネットワーク(コスモスネットワーク)」発足式 及び女性の安全・安心を考えるシンポジウム”のことなんである。
もうあまりのことに憤慨してうまくまとめられず、書くのにとても時間がかかってしまい、エントリにあげるのが遅くなってしまったのだけれど。

このシンポジウム、福岡ではかなり前から、警察が広報活動を相当がんばっていたらしい。ほとんど警察が主催なんである。で、期待を持っていた人も多いようなのだ。

福岡県庁のホームページを見てみる (県警HPにもあったらしいのだが見つけられなかった、申込案内のフォーマットで申込先は警察になっているので、おそらくほぼ同じものだろう)。       
                                           ※以下、強調は引用者による

性犯罪被害の根絶のために 

福岡県内における刑法犯認知件数は減少傾向にあるものの、性犯罪については、全国的に見て高い水準で推移しています。(平成20年中、強姦については全国ワースト3位、強制わいせつについては全国ワースト7位)
性犯罪は女性の尊厳を大きく脅かすものであり、決して許されるものではありません
加えて、被害に遭われる方の半数が未成年であるという状況を考えますと、性犯罪防止は緊急に取組むべき大変重要な課題です。


ここまで読むと、真剣に取り組む姿勢を感じるのだけれど。問題はこの後だ。

性犯罪防止のためには、警察による犯人検挙は当然ですが女性自身の防犯意識の向上と併せて、地域や社会全体で被害の未然防止に取り組むことが必要かつ不可欠です。


と、ここで、雲行きが怪しくなってくる。

このため、警察、行政、地域や事業者の団体、企業など、官民が協働して女性や子どもに対する性犯罪防止に取組む「子ども・女性安全安心ネットワーク(愛称コスモスネットワーク)」を今年度から発足させ、社会を挙げて性犯罪撲滅を目指すこととしました。 
今回、その活動の第一歩として「女性の安全・安心を考えるシンポジウム」を開催します。


「被害の未然防止」と撲滅って、矛盾してるのでは。「防止」する対象が違うと思うのだけれど。
・・・「防止」することで、撲滅できると思っているのかなあ?と、ここで甚だしく矛盾を感じてしまうのだ。女性に防犯を呼びかけることだけで撲滅できるとでも?
一応「警察による犯人検挙は当然ですが」と書いてあるけど、単なる断り書きで、このシンポジウムは単なる防犯キャンペーンなのだ。
・・・防犯=「地域や社会全体で被害の未然防止」=「社会を挙げて性犯罪撲滅」という認識らしい。

確かに、防犯を意識することで、その人本人は被害に遭う可能性は、減るかもしれない。ただ、残念なことに、どんなに気をつけていてもやっぱり被害に遭うこともあるので万全とは言えないけれど。
気をつけるに越したことはない。私も、防犯自体に反対というわけではない。

ただ、撲滅というと、社会全体から撲滅するということで、それは個人の防犯意識とは残念ながら関係はないと思ってしまうのだ。

仮に。
個人の防犯意識が高まっても、社会全体の犯罪が減るわけではないのが、本当に残念なところ。
どこの国だったか忘れたのだけれど、女性は夜出歩かないようにしたら今度は自宅侵入しての犯罪が増えたという話を聞いたことがある。だから、意味がないのだ。本当に悲しく悔しく残念なことなのだけれど。

例えば「性犯罪をしてはいけません」というごくごく当たり前のことを呼びかけたり、パトロール強化するとか。
そっちの方がよほどいいと思うのだけれど、そういう呼びかけは反発が多いので、おおっぴらにできないのだろうか。
・・・なんだかなあ、と思ってしまうのだ。


参加された方から教えていただいたのだが、このシンポジウムでは、まるで被害者に責任をなすりつけるような二次加害発言が相次いだということで、相当にひどいものだったそうなのだ。

防犯も「夜道・ひとり歩き・見知らぬ男に注意」の一辺倒で、講演に呼んでおいて、小林美佳さんの話は無視したそうだ。
司会も性犯罪被害者を非難するような発言を促したという。・・・もう絶句である。


さすがにたまらなかったのだろう、小林美佳さんは、被害者の方から来たメールのことを話されたそうだ。年に1200件くらい被害に遭われた方からのメールをもらうそうなのだが、
「私のように見知らぬ人からレイプされた件数は、メールを貰った数全体から見ると少ない。半分以上は兄弟、父親、おじいちゃん、親戚、近所のお兄さんからの被害」と。

相談機関でも、顔見知りによる被害の方が圧倒的だという結果がどこでも出ている。相談機関ではなくても、詳しい調査を実施している他国でも同様の結果が出ている。

身近な人からの性犯罪をないものにする警察の傾向を心配されたのだろう、
「8年ほど前、ある田舎の集会に、母親に頼まれて食べ物を差し入れに行った若い女性が、集まっていた7~8人の男性から集団レイプされたのだが、そのことを母親に訴えたら、よくある事だから黙って忘れるようにと言われ、これは性犯罪なのか」
と悩む女性の例を話されたそうなのだが、なんと無視されたそうだ。

警察に届けられるケースは「見知らぬ男からの被害」が殆どのようで、実態を全く把握できてないらしい。(ちなみにこのシンポジウム、ちゃんと女性警察官もいたようなのだ。女性警察官や女性検事の酷さは結構よく聞くが、同じ女性なのに、とより傷が深い)

参加された方の中には、あまりにひどいと感じ抗議された方もいらっしゃるようなのだが、これも途中で司会に発言を遮られ、小林美佳さんに逆にフォローされたそうだ。
小林美佳さんがどういうお気持ちでいらっしゃるのかといたたまれない気持ちでいること、警察や司会のこと、このシンポジウムのひどさに憤慨されていたと聞いた。


話を聞いた私も、強い憤りを感じる。

わざわざ東京から来ていただいたのに、その扱いはいったい何なのだ。失礼にもほどがある。
小林美佳さんに謝ってほしい。

自分たちの都合のいいように主導権を握って、全く人の話を聞かないという体質が本当に大問題だ。
で、マスコミもこういった会場の雰囲気を正しく伝えていないのだ(参加者の声とか)。
実際には相当にひどいものだったらしいのだが(詳しくは全文を読んでください)。

報道から、小林美佳さんの発言に絞って抜粋してみる。

毎日新聞では、

「防犯ブザーを持つことも大切。でも被害に遭った時に話せる人を作っておくこと、どこに頼ればいいのか情報を持つことが武器」と語った。



時事ドットコムでは、

「(わたし自身の)事件は(犯人が逮捕されずに)時効を迎えた。今でも生活はめちゃくちゃなままだ」と時折言葉を詰まらせながら深刻さを訴えた。
 小林さんの著書に対しメールなどで感想や意見を寄せた人のうち、半数を超える約1300人が性犯罪被害者。しかし、事件について警察に届け出たのは、このうちわずか約10人だったという。
 小林さんは「女性に強くなってほしい。信頼できる人をつくって情報を持つことが、自分を守る一番の武器です」と呼び掛けた。



まともなのはこれかな。
西日本新聞では、

講演では、自分が汚いもののように感じ、家族にも打ち明けられなかった苦しい経験を吐露。「だからこそ、信頼できる人がいることは武器になります」と語った。

 また、「防犯、防犯と言われると、身を守れなかった自分が責められているよう」と率直に述べ、会場からも「女性に護身術を求めるより、『性犯罪をするな』という教育を広めるべきだ」との声が上がった




小林美佳さんの意見に私は大賛成だ。小林美佳さんが正しい。

西日本新聞のみで取り上げられた、
会場の声「『性犯罪をするな』という教育を広めるべき」、こちらももちろん大賛成。(当たり前のことをわざわざ言わないといけないのだから、悲しいけれど)


なのに・・・まったくもう、、どうしたものか。

そもそも、見知らぬ人による性犯罪しか念頭においていないのが大問題だよなあ、と思うのだ。
相談機関ではどこでも、顔見知りによる被害の方が圧倒的に多いので、警察の認識が、実状とかけ離れていることに苛立ちを感じる。

なんでそういう認識になるかを考えると、顔見知りによる犯罪を事件として受理しない傾向が根強くあり、それをさらに再生産する仕組みがあって、こういったシンポジウムを行うことでより一層その傾向が強まる。

そして、被害者の落ち度を問う声も再生産される。
防犯を呼びかけたのだから、被害に遭ってもそれは自己責任、とでも言っているように私には聞こえてしまうのだ。
加害行為をする側の責任をきっちり追及していく姿勢を見せてもらわないと、何の根本的な解決にもならない。


小林美佳さんは、遠方からいらしたのに、失望されたことだろう。

小林美佳さんを傷つけたこと、福岡県警のバカっぷりに、怒って心配されている方たちから話を聞きました。
バカな福岡県警のお相手、ほんとうにお疲れ様でした。



8/24追記:同じ内容を別館にもエントリあげましたので、反対ご意見等はそちらにお願いします。
当ブログと友好関係にある方はこちらで結構です。よろしくお願いいたします。

何の“芽”を摘むのだ?

最近、似たようなニュースをたくさん見るのだけれど、またか・・・というのを見つけてしまった。
毎日新聞の宮城県版のようだ。

性犯罪:増える傾向の夏に県警、女性1人歩き「振り返って」 /宮城

女性の服装が薄着になる夏は、強制わいせつなどの性犯罪が毎年増える傾向にある。県警は4月に犯罪抑止対策室を新設し、女性や子供をわいせつ事件から守るさまざまな取り組みを開始。専従班を作って取り締まりを強化するとともに、防犯意識を高く持つよう注意を呼び掛けている。

 県警生活安全企画課によると、今年上半期(1~6月)の強制わいせつ認知件数は75件で、過去5年間で昨年同期(88件)に次いで多かった。8月は毎年、1年間で最もわいせつ事件が多くなる月で、昨年は7月の18件から29件に急増した。

 時間帯で見ると、7割以上が午後6時以降の夜間に発生。1人で歩いて帰宅中の女性が路上で背後から抱きつかれたり、口をふさがれるなどして被害に遭うケースが増えているという。

 特に、イヤホンで音楽を聴いたり、携帯電話を操作しながら歩いていると、不審者の接近に気付くのが遅れて危険といい、同課は「たまに後ろを振り返るだけでも効果がある。自分で防犯意識を持って、人けのない場所を歩く際は十分気を付けてほしい」と呼び掛けている。

 また、未成年者に対する公然わいせつやつきまといなどの発生件数は今年1~6月で96件。昨年同期の113件から減少しているが、夏休み明けの9月に増加する傾向にあるため油断はできない。

 同課は「性犯罪は徐々にエスカレートする小さいうちにを摘んでしまうことが、性的暴行など重大犯罪の抑止につながる」としている。【鈴木一也】

毎日新聞 2009年8月15日 地方版                      ※強調は引用者による


                                    


読んで、すごく不愉快になった。

女性の服装が薄着になるからって、女性に責任をなすりつけられても困るのだよ。
薄着になる=性犯罪が増えるのは自然の摂理、みたいに言ってる時点でおかしい。
肌を露出するから性犯罪が増えるとでも言っているのだろうか。
じゃあ肌を隠せばいいと?なんでそんなことしなくてはならないのだと呆れる。
・・・ムスリム国家じゃないんだから。(注意:ムスリム自体を否定しているわけではないです)


薄着だろうが厚着だろうが、しない人はしない。
夏=発情だなんて、繁殖期じゃあるまいし。秋になったらそれはやむのだろうか。冬になったら冬眠するのだろうか(いっそ永眠してほしいけど)。 
動物の方がずっとマシだ。繁殖期はメスオス両方そうなるのであって、人間みたいに一方的じゃないのだから。

なんで「バカな男がますますバカになるから」と言わないのだろう。
薄着が直接的な原因じゃない。そういう男は薄着じゃなくても同じことをする。残念ながら、夏だけそういうことをするわけじゃない。わかっているだろうに。



防犯意識は大事だけれど、警察の仕事ってそういうことじゃないだろう、と思う。
そういうのは自発的にすることであって。わざわざ警察に押し付けられてすることじゃぁない。

イヤホンや携帯電話はそれは確かに気をつけた方がいいとは思う。それは否定しない。
夜道も気をつけるにこしたことはない。
性犯罪以外にも、ひったくりとか強盗もあるし。

でも。

いくら気をつけていても。
だいたい加害者は、計画的な犯行計画を立てて行うのだから、残念ながら、それで完全に防げるかというと、無理がある。


一番腹が立ったのはココ。

同課は「性犯罪は徐々にエスカレートする小さいうちにを摘んでしまうことが、性的暴行など重大犯罪の抑止につながる」としている




・・・「小さいうちに芽を摘む」って、性犯罪のことだよね?
犯罪の芽を摘む、ってことだよね?ってつまり、犯罪を行う側の芽を摘むってことなんじゃないのか。


それがなんで、女性の薄着が原因だとか、防犯意識を高めることにつながるのだろう。
意味が分からない。
ひたすら防犯を呼びかけるのが、「女性や子供をわいせつ事件から守るさまざまな取り組み」かなあ?
つっこみどころ満載すぎる。


犯罪の芽を小さいうちに摘むというのなら、他にするべきことがあるだろうに。

こうして「女の落ち度論」が強固になっていく気がして、頭くるなあ。
顔見知りとかはどうなるのだ、と私は思うけど。

ほんと、腹立つなあ・・・・。


8/24追記: 同じ内容を別館の方にもエントリあげましたので、反対意見等ある方はそちらにお願いします。管理人と友好関係にある方はこちらで結構です。よろしくお願いいたします。

警察も検察も司法も、「正義の味方」じゃないという現状  2

8/17に行われた「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」主催のシンポジウム「性暴力被害者が訴えやすい裁判に ~ 裁判員制度と性暴力被害者の人権」では、
裁判員制度の件だけではなく、そもそも司法制度が男性中心主義だという点で問題が多いという根本的な問題も話し合われたそうです。


日本は性犯罪率が低いと本気で思っている人の多さに、呆れてものがいえなかったり、まるでカルト集団のような頑固な刷り込みを感じ、目眩を感じたりしますが。

そもそも法定義が全く違うわけでして。話せば長く長くなってしまいますが、いくつか箇条書きにすると。


強姦罪については、

・親告罪である

・男性から女性への、性器対性器の、と日本は定義していて、その他は強制わいせつの扱い
(気分が悪くなったらごめんなさい、でもここが問題で・・・私もユウウツです)

・男性性被害が含まれていない

・基本的に、夫婦間のレイプ ( マリタル・レイプ )は罪とならない 

※数年別居しており、かつ夫と夫の友人が複数で犯行に及んだ事件のみが裁かれた。

※DV防止法ができてから保護命令が出ていて、かつ別居していたという実績があり、離婚する意思を明確にした上で長く警察に相談していたため逮捕された事例が一つあるが、加害男性側に同情したような判決文で軽い刑。
→保護命令が出ても、離婚の意思を明白にしていても、DV男は裁判離婚するまで(しても)離婚に同意しないことが多いため、法的に結婚しているだけで夫という扱いをされるのは理不尽。そもそも夫だからといって同意を得ずにそのようなことをしていいわけがない。

・その影響で、恋人間のレイプは受理されにくい

※DV防止法も法的に結婚していなければ対象外となるため、改正が求められています。デートDVもかなり深刻。

・さらにその影響で、顔見知りによる犯罪は、よほどの証拠と「抵抗の要件(後述)」がないかぎり、事件として受理さえされないことが通常。

※報道を見ていると、この傾向は明らか。
※相談機関には、圧倒的に顔見知りによる被害の相談の方が多い。
※長期的で重篤な被害ほど事件として受理されない。(8/29追記)

<参考URL>
サバイバーからの手紙



・顔見知りでない犯行でも、同様に、よほどの証拠と「抵抗の要件」がないかぎり、難しい。


※「抵抗の要件」とは、簡単に言うと、死ぬほど抵抗したかということ。
 声を出しただけではダメ、叫ばないとダメ、長時間抵抗した形跡がないとダメ、凶器がないとダメ、体格差や力の差は無視etc

→死ね、と言っているようなものではないかと、ほんとうにほんとうに、腹が・・・立つ。

そもそも、性犯罪は、告訴取り消しを前提にしか取り扱っていない。つまりやる気がない
上述した「サバイバーからの手紙」にあるように、告訴取り下げを強要することさえある
<参考> ◆みみずくからの伝言◆「私の二次被害体験(追記あり)」 (8/29追記)


※他国では(欧米諸国だけでなく韓国・台湾にも)、24時間対応のレイプ・クライシス・センター(ワン・ストップ支援センター)があるが、日本はない。そのため被害に遭ってもどこに行っていいかわからずケアも受けられない。証拠保全もできない。

<参考>韓国のワン・ストップ支援センターの取組み:http://www.npa.go.jp/keidai/keidai.files/seihanzaiforum%20.pdf  (8/26追記)

・近親姦に対する処罰がない

・13才未満ならば同意がなくても罪となるが、国際的に見て、この年齢は低すぎる

・他国では、子どもどうしの性犯罪も罪になる(2才以上離れているなど法定義は様々だけれど)。



参考URL:Wikipedia 強姦罪 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E5%A7%A6%E7%BD%AA
 ↑8/22追記 以前とまた内容が変わっているのに気付きました。はあ?と思うところもありますがWikipediaを編集する余力がなく (やったことがない)・・・。得意な方ご協力いただけると嬉しいです。



・・・細かく説明するともっと長くなるけれど、とりあえず今日はここまで。(憤死しそうなので)


なにしろ、この強姦罪、明治時代にできて、そこから変わっていないのだから本当に最悪です。
女性は「夫や父のもの」という「動産」という考えでできていて、「夫や父のものが盗まれた」という刑法です。強盗より罪が軽いなんて本当に最悪です。どれだけダメージを与えるのか、全く考慮されていません。
女性の性的自由権を認めていないのが最悪です。同意していないのは明白と認めつつ無罪になったりするのだから。
司法の定義する「強姦」は、ふつうの感覚の「レイプ」とかけ離れているのです。

※さらに言うと「姦」の意味は「よこしま」「みだら」「いつわる」「わるい」「心がねじけて正しくない」等。
※「姦」の成り立ちは、会意文字で、女が複数いることで、「女がひしめくさまから、みだら・よこしまの意味」という最悪な漢字。
※なので、「強かん」という表記が使われているのです。


司法制度は、法律も判例もおかしすぎて、もう本当に、、、最悪です。

びっくりするような判例がたくさんあります。その判例を踏襲(フシュウじゃない)して、どんどんおかしな判例が再生産されている、21世紀とは思えない状況です。
日本が先進国じゃないなどと批判を集めるのは、ある意味仕方がないかと。

最近つくづく、どこが先進国?と思うことだらけです。




<参考文献>

事例で学ぶ 司法におけるジェンダー・バイアス事例で学ぶ 司法におけるジェンダー・バイアス
(2003/11/06)
第二東京弁護士会司法改革推進二弁本部ジェンダー部会司法におけるジェンダー問題諮問会議

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抜き書き ― 燈台



    燈台


やさしい灯がひとつあれば
海をつつむ
闇がどんなに大きくとも
船は迷わず
安らかに 沖を行くでしょう

やさしい灯がひとつあれば
ひるまは波立ち さわいでいた海も
お母さんに子守歌を
うたってもらう子どものように
もう むずかりはしないでしょう

魚も 貝も
しずかに夢をみるでしょう
かもめも 千鳥も
岩かげで羽をたたむでしょう
やさしい灯が海にひとつあれば



新川和江詩集 p226  ハルキ文庫より引用

愛する人、大切な人を守るために

愛国心というと全然違うのですが。

私が日本に住んでいて、私の大切な人たちも日本にいるから、日本という国には、良くなってもらわないと困るのです。
良くなるためには、ひとりひとりの意識が大切です。

なので。
私が大切に思う人を傷つける人たちには、反省してもらいたいのです。
自分たち以外の考えを認めない人たちは、多くの人を傷つけます。

私が大切に思う人とは、いま私が知っている人たちだけではありません。
これから知り合うであろう人たちも含まれています。
まだ、生まれていない、未来に生きる子どもたちも含まれています。
日本人だけではなく、日本に住んでいる他国から来られた方々も。
他国に住んでいる方々にも。


自分が海外であんな扱いを受けたら。
自分の家族が、友人が海外であんな扱いを受けたら。
いったいどういう国だと怒りを感じるでしょう。
その怒りは、未来に、決して良い形ではつながりません。

未来の子どもたちに。
自分たちの負の遺産を背負わせてはならないとわたしは思っています。

日本という「国」のためというよりも、私が大切に思う人たちのために。
「国」という概念はそもそもから人がいなくては成り立たないのだから。
「国」という抽象概念ではなく、わたしが愛する人たちのために。


警察には反省してもらいたいと思っています。
そして、あのような暴挙に働いた方々にも。
反省していただくことを願い、この記事を書いています。

彼の口からなぜあの言葉が発せられたのか。このことを深く考えなくてはならないのです。
罵声を浴びせるなど言語道断。
警察の対応は、あるまじき行為です。

深く考えさせられる機会を与えてくれた、彼に感謝を。
そして、不快な思いをさせたことに、痛みを感じ、申し訳ないとさえ、思います。

こうしたことの繰り返しを絶つためにも、私が苦しみ痛みを感じるのではなく、責任を取るべきところに痛みを感じてほしいのです。


「意識についての考察」 のソース元である、村野瀬玲奈の秘書課広報室さまにて、続きのエントリがあがったので、転載します。
フランス語・英語・日本語の三ヶ国語で書かれています。

極右と警察が一緒に動く日本(日英仏語) / In Japan, the radical right activists and the police act together. / Au Japon, l’extrême-droite et la police vont de pair.

(ここから転載)

極右と警察が一緒に動く日本(日英仏語) / In Japan, the radical right activists and the police act together. / Au Japon, l’extrême-droite et la police vont de pair.

田母神俊雄演説に平穏に抗議した非暴力の外国人に警察と右翼が圧力をかけた事件」の続きです。

Ce post a été rédigé en français, en anglais et en japonais dans cet ordre.
This article was written in French, in English and in Japanese in this order.
三か国語によるこの記事はフランス語、英語、日本語の順番で書かれています。


■Au Japon, l’extrême-droite et la police vont de pair.

A l’occasion d’un entretien avec un entretien avec un ancien cadre de l’armée d’auto-défense japonaise (Jieitai), Toshio TAMOGAMI (Voir cette vidéo : http://www.youtube.com/watch?v=dVZXLXzrLKg), donné au sanctuaire Yasukuni (Tokyo) qui est connu comme ‘le temple de la guerre’ à l’étranger, et organisé par une chaîne de télé payante de l’extrême-droite ‘Channel Sakura’, il s’est passé quelque chose de grave et surprenant. Voici ce qui s’est passé.
Après ce discours de Tamogami, un Canadien s’est adressé calmement aux organisateurs de ce discours, en leur faisant remarquer que ce genre de discours irait à l’encontre de la loi anti-nazi si c’était en Allemagne par exemple.
Les organisateurs de l’extrême-droite n’ont pas caché leur colère à l’égard de cette remarque et ils lui ont adressé des mots violents. Ce Canadien, en comprenant qu’il n’était pas possible de faire une conversation raisonnable avec ces gens-là, a voulu partir, sans être agressif lui-même.
Cependant, ces activistes de l’extrême-droite l’ont empêché de partir, en saisissant son sac à dos, pour le retenir. Pendant ce temps-là, des policiers japonais sont arrivés. Ce Canadien a voulu partir calmement mais ces policiers et ces activistes de l’extrême-droite l’ont suivi obstinément. Au bout de quelques minutes, de plus en plus de policiers sont arrivés, ils l’ont entouré et ils ont fini par l’emmener à la police. Il paraît que l’interrogatoire à la police a duré plus de 2 heures et que la police a fini par lui faire jurer par écrit qu’il ne devrait pas empêcher ces activistes-là (qui sont de l’extrême-droite) de se consacrer à leurs activités.
En fait, tout cela a été filmé par ces activistes de l’extrême-droite eux-mêmes et a été uploadé sur Youtube par eux-mêmes. (Voir cette vidéo : http://www.youtube.com/watch?v=zwyB4p8f0Uo) Par exemple, l’explication sur cet interrogatoire à la police est un extrait du sous-titre de cette vidéo. Ce qui est plus intéressant, c’est qu’après que certains internautes les ont critiqués, ils ont coupé une séquence de cette vidéo où ils avaient lancé des propos violents à ce Canadien et ils l’ont uploadée de nouveau. (Voir cette vidéo : http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV#play/uploads/3/b2t3LgYMQxw)




■In Japan, the radical right activists and the police act together.

On the occasion of a interview with an ex-executive officer of the JSDF (Jieitai), Toshio TAMOGAMI (See this video : http://www.youtube.com/watch?v=dVZXLXzrLKg), in the Yasukuni sanctuary (Tokyo) that is known as ‘the war shrine’ in foreign countries, organized by a radical right pay-TV station, Channel Sakura, a grave and surprising event happened.
After Tamogami’s speech, a Canadian man talked calmly to the organizers of this speech conference, saying that this kind of speech could be against the anti-nazi law if it were in Germany for example. The radical right organizers did not hide their anger towards this comment and they pronounced violent words to this Canadian man. He understood that it was not possible to discuss reasonably with these radical right activists and he tried to leave, without being aggressive himself.
But these radical right people prevented him to leave, grabbing his rucksack, to retain him. During this time, some policemen arrived. This Canadian man wanted to leave calmly but the policemen and these radical right activists followed him persistently. Within some minutes, more and more policemen arrived and they surrounded him. Finally, they took him to the police. It is said that this interrogation with this Canadian man in the police lasted over two hours and that the police made him declare in writing that he would not prevent these people (the radical right activists) to devote themselves to their activities.
In fact, all this event was filmed by these radical right activists themselves and uploaded on Youtube by themselves. (See this video : http://www.youtube.com/watch?v=zwyB4p8f0Uo) For example, the explanation on that interrogation in the police is an extract of the subtitles in this video. What is more interesting is that after some internet users criticized these radical right people on internet, they cut a sequence of this video in which they had addressed him violent words and that they uploaded it anew. (See this video : http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV#play/uploads/3/b2t3LgYMQxw)





■極右と警察が一緒に動く日本

極右の有料テレビ、チャンネル桜の主催で、海外では戦争神社として知られる靖国神社(東京)で行われた元自衛隊幹部の田母神俊雄との「インタビュー」(このビデオ参照: http://www.youtube.com/watch?v=dVZXLXzrLKg)の機会に、重大で驚くべき事件が発生しました。
田母神氏の話の後、一人のカナダ人がこの主催者に静かに話しかけ、このようなスピーチは、たとえばドイツだったら反ナチ法違反であると指摘しました。この指摘に怒りを隠さなかった極右の主催者は暴力的な言葉を彼に浴びせました。このカナダ人は、この人たちとの理性的な話し合いは不可能であると理解し、彼自身攻撃的になることなくその場を立ち去ろうとしました。
しかし、その極右の人々は彼が立ち去るのを邪魔して、リュックサックをつかむなどして引き留めました。そうするうちに日本の警官がやってきました。このカナダ人は静かに立ち去ろうとしましたが、警官と極右はしつこく彼の後をついてきました。数分でだんだんと多くの警官が加わり、彼を取り囲み、最終的に警察に連行しました。警察での尋問は2時間以上続き、しまいには警察はそれらの人々(極右活動家)の活動を妨げないことを誓約する書面を作らせたそうです。
実は、これらのいきさつすべてはこれらの極右の人々によって撮影され、ユーチューブに彼ら自身によってアップロードされたものです。(このビデオ参照: http://www.youtube.com/watch?v=zwyB4p8f0Uo)たとえば、警察での尋問についての説明はそのビデオの字幕の一部から取ったものです。さらに興味深いのは、何人かのインターネットユーザーがこの極右たちを批判すると、彼らはこのカナダ人に暴力的な言葉を浴びせるシーンをビデオからカットして再びアップロードしたことです。(このビデオ参照: http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV#play/uploads/3/b2t3LgYMQxw




この記事は、日本人、外国人、必要に応じて外国の公的機関や報道機関(たとえば在日カナダ大使館、カナダ政府、外国の新聞社や通信社、外国人の外国語ブログなど)に広く知らせる目的で、日本語とカナダの公用語であるフランス語と英語で作成されました。出所を明記してもしなくても、部分的引用ではなくて三か国語全文または二か国語全文または各国語全文であれば、二次利用、引用、転載することを歓迎します。

このビデオの中の発言にフランス語または英語(またはその両方)の訳を付けたい人がいたら、セリフを日本語で書きだしてもらえたら私が訳すことができます。コメントまたはトラックバックまたはメールで連絡してください。


(転載ここまで)

村野瀬玲奈さまの秘書課広報室 
極右と警察が一緒に動く日本(日英仏語) / In Japan, the radical right activists and the police act together. / Au Japon, l’extrême-droite et la police vont de pair. より

村野瀬さまのご労力に、感謝を。

司法と国会、そして社会に正しい理解を求めます

「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」で、性犯罪を裁判員制度の対象にするなど、問題ありすぎる司法制度についてのシンポジウム
「性暴力被害者が訴えやすい裁判に ~ 裁判員制度と性暴力被害者の人権」が昨日8月17日、行われました。
残念ながら私は行けなかったのですが、テレビはばっちり見ました!
NHK日本テレビNEWS24、ネットでも見れます。皆様、ぜひご覧ください。

ニュース映像からの書きおこし ※全文ではありません

<NHK>
シンポジウムでは、被害者を保護する一層の対策を求めるとともに、現状では裁判員制度の対象から性犯罪を外すべきだと訴えました。
裁判員制度の対象事件のうち、およそ20%は性犯罪になるとみられ、裁判員を選ぶ際、守秘義務のない候補者に被害者の情報がもれるおそれがある等と指摘されています。

日本弁護士連合会、犯罪被害者支援委員会委員長の、番敦子弁護士
「検察は候補者名簿を被害者に事前に見てもらい、知り合いがいないか確認としているが、名前だけで除外するのは難しい。性犯罪の現状を知らない裁判員の何気ない質問で被害者が傷つくおそれもあり、性犯罪は裁判員制度にそぐわない」と指摘。

中京大学法科大学 柳本 祐加子 准教授
裁判官は性犯罪について知識を得る機会があるが、裁判員にはない。性犯罪について事前に研修を受けるような現状がないでは、対象から外すべきだ」と強調。

大妻女子大学 鄭暎恵 教授  
「今回裁判員制度の中で、もし二次被害が広がってしまうようなことがあると、ますます訴えにくくなる。被害者がいったいどんな気持ちでいるのか十分理解してほしい」と指摘。


<日本テレビ>
性犯罪被害者の人権を守る市民団体が、都内でシンポジウムを開き、裁判員裁判では、性犯罪の被害者が、法廷で二次被害を受ける恐れがある以上、裁判員裁判の対象とすべきではないなどの意見が相次ぎました。

性犯罪の実態を知らない裁判員が質問することで被害者に心理的被害が拡大する恐れがあるなどの問題点が話し合われました。

シンポジウムでは、具体的な運用状況によっては司法当局に改善を申し入れるとともに、性犯罪被害者の実態を正しく理解してもらうための運動を広げていくことで意見が一致しました。




こちらのシンポジウムで公表された
「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」が性暴力被害防止、根絶について主要政党に質問したアンケート回答結果
が、ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)に、アップされました。
【特設:衆院選】性暴力被害防止、根絶についての政党アンケート

ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)のサイトでは、その他にも、女性の雇用・福祉問題など、たくさんの政党アンケート結果がアップされています。
【特設:衆院選】衆院選は「女性」が争点!――緊急政党アンケート


選挙に向けての、いち判断材料として、ご活用ください。


シンポジウムを主催された方々、参加された方々、お疲れ様でした。








<参考URL>
http://www.nhk.or.jp/news/t10014954981000.html から転載

 性犯罪を審理する裁判員を選ぶ際、被害者の情報が裁判員の候補者に漏れるおそれがあるなどとして支援団体が17日、東京でシンポジウムを開いて被害者を保護するいっそうの対策を求めるとともに現状では、裁判員制度の対象から性犯罪を外すべきだと訴えました。

 このシンポジウムは、性犯罪が対象になる裁判員による裁判が、来月、初めて開かれるのを前に性犯罪の被害者を支援する市民団体が開いたものです。裁判員制度の対象事件のうち、およそ20パーセントは、性犯罪になるとみられ、裁判員を選ぶ際、守秘義務のない候補者に被害者の情報が漏れるおそれがあるなどと指摘されています。
 
 シンポジウムでは、日本弁護士連合会で被害者の支援を担当している番敦子弁護士が「検察は、候補者の名簿を被害者に事前に見てもらい、知り合いがいないか確認するとしているが、名前だけで除外するのは難しい。性犯罪の現状を知らない裁判員の何気ない質問で被害者が傷つくおそれもあり、性犯罪は裁判員制度にそぐわない」と指摘しました。
 
 また、中京大学法科大学院の柳本祐加子准教授は「裁判官は性犯罪について知識を得る機会があるが、裁判員にはない。性犯罪について事前に研修を受けるような制度がない現状では対象から外すべきだ」と強調しました。

 シンポジウムを主催した支援団体の鄭*ヨン惠さんは「被害者が2次的な被害を心配して訴えなくなるおそれもあり、裁判所には、十分な対策を取ってほしい」と話しています。(*ヨン=「日」へんに「英」)



http://news24.jp/articles/2009/08/18/07141929.htmlから転載

 
 性犯罪被害者の人権を守る市民団体が17日午後、東京・渋谷区の「東京ウィメンズプラザ」でシンポジウムを開き、「裁判員裁判では、性犯罪の被害者が法廷で2次被害を受ける恐れがある以上、裁判員裁判の対象とすべきではない」などの意見が相次いだ。

 シンポジウムを主催したのは「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」で、弁護士やカウンセラーなどが参加した。この中で、性犯罪の実態を知らない裁判員が被害者に質問することで、心理的な被害が拡大する恐れがあるなどの問題点が話し合われた。

 シンポジウムでは、具体的な運用状況によっては司法当局に改善を申し入れるとともに、性犯罪被害者の実態を正しく理解してもらうために運動を広げていくことで意見が一致した。

 性犯罪事件の裁判員裁判は来月以降、青森や福岡で予定されている。

意識についての考察

実は先日から、なぜ日本はこうなのだろう、何が他国と違うのだろう、と考えていた。

欧米諸国との違い。韓国や台湾の近年の、DVや性被害などへの、画期的 (というかどうやら当たり前の標準レベルで、日本が遅れているんだけど )取り組み。
対して日本で目に付くのは、欧米コンプレックスかつ近隣諸国を見下したがる変な考え。

虐待。DV。性暴力。
この十年で何が変わっただろう。変わっていく速度として、それは適当なものなのか。
他国との違い、そしてその違いに対する反応ですら温度差を感じるのはどうしてか。
女性や子どもへの暴力、男性性被害について、避けて通ろうとしている人たちはどういう人たちなのか。
そういった人たちが、権力があるところに集中しているのはどうしてか。
たまたま権力がない人たちが真面目に考えているから、というだけではない気がして、ひっかかっていた。
その他にも、ありとあらゆる問題は山積みだけれど。それでも、長年ずっとずっと言われてきた本質的な問題について、何故ここまで進歩が遅いのか。
そのことが、間接的にしても、つまり直接的には、女性差別や子どもの人権問題と関係ないように見えても、他の問題への意識にも響いている気がするのだ。・・・最も身近にある、差別や人権侵害、理不尽さといったものを見過ごしているのだから。

本気で女性差別はないと言っちゃう人たちの多さ。
民法改正を嫌がる人たち。
女性差別撤廃条約選択議定書の批准を嫌がる現状。
戦時性暴力について。いつまでも解決する姿勢が見られないのはどうしてか。
いろんな形で、いつまでも戦争の陰をひきずっている日本。
ドイツと何が違うのか。全くと言っていいほど違う。
何を守ろうとしているのか。何が原因で、女性や子どもへの現実に起きている暴力をないものにしているのか。
権力を持っている人ほど、猪突猛進なのは何故か。特に身近なところで目に付くのは、警察や政治家。で、その間にある司法関係者もやっぱり変なのだ。
これはどうも偶然ではない。ここまで長年、蓄積してきたものは何なのだろう、と考える必要を感じた。

最近、Wikipediaの性被害に関するいろんな項目で、なんだか妙な思惑を感じて胸がざわざわしたり。
偏ったものをどこかに感じるのだ。

ネットだけじゃなくて、リアルの生活でも、違和感を感じたことを、じっくりじっくり考えてみた。
幸いにして(不幸にして?)、今わたしは「セクハラの意識が30年遅れている」という地域に現在生息しているので、観察対象は・・・探そうと思えば、残念ながらいくらでも見つけられてしまう。
怒鳴る人。なぜ怒鳴るのか。職場で。普通にありえない。家庭で嫌われていて職場で威張るしかないのだろうか。じゃなぜ嫌われていて、それを改めようとしないのか。嫌われている理由に気付きもしないのはどうしてか。
もっと言えば、女が怒鳴ったらヒステリーと言われるに決まっているのに、どこか諦めがただよった雰囲気で、そういった横暴が黙認されているのはどうしてだろう。
「女性は抑圧されていない」と堂々と言う人に根拠を尋ね、「自分が抑圧してないから」という答えを聞いて思わず盆踊りしそうになってみたり。
「うちにはDVはない!」なんて胸を張っている自治体のお役人に頭を抱えてしまう日。
ジェンダーという言葉を口にしたら厄介なことになるとだんだん学んでいく日々。
魔女のように要注意人物扱いされるのだから。・・・まるで中世の魔女狩りのようだとさえ思い、ジェンダーという言葉は黒魔術用語か、とさえ、思ったりもする。最近では「ポルノ」という言葉もうっかり口にできない。

どうにも気になって仕方がない。
いろんな本を読んでみた。いろんな人に話を聞いた。
自分でも考えた。たくさん考えた。
で、いろんなことがつながってきた。一気に。

キーワードは、
家父長制、母性社会(母系ではない)、家制度、軍隊教育、富国強兵、「男らしさ」・「女らしさ」の国家による植え付け。多様でない社会。
戦後、軍事国家ではなくなったはずなのに、なぜかそういう意識が見られない。表向き、というようにも見える。じゃあそれはなぜか、ということをまたここで深く考える必要を感じた。

で、そういうことを突き詰めて考えていくと、なんで大戦後こんなにも時間がたったのに、意識は軍事国家なんだろうというところで、答えが出てきた。敵は強大だ。・・・兄弟だ、かな。
でも、脆くもある。


そういうことを考えていたのがけれど・・・もう、、、、呆れてものがいえない。
恥ずかしくて顔があげられない。
申し訳なくて土下座したくなる。
もう、、、国辱という事態を見つけてしまったので、ご紹介。

悲しくなる。
転載する気力がないので、ぜひリンク先を。いえ、リンクのリンク先を、というべきだろうか。

びっくりした、この動画。
悲しいよ本当に・・・。警察も、相変わらずというかやはりというか、バカすぎる。。。


見ていただきたい記事は、

村野瀬玲奈の秘書課広報室
「田母神俊雄演説に平穏に抗議した非暴力の外国人に警察と右翼が圧力をかけた事件」


8/19追記 

村野瀬玲奈の秘書課広報室さまにて、続きのエントリが。
極右と警察が一緒に動く日本(日英仏語) / In Japan, the radical right activists and the police act together. / Au Japon, l’extrême-droite et la police vont de pair.
※広く知ってもらおうということで、フランス語・英語・日本語で書かれている記事です。三ヶ国語とも転載可ということなので、村野瀬さまにご連絡を。私も転載エントリを上げます。
 

知れば知るほど・・・

「子どもと性被害」 吉田タカコ 著を読んだ。筆者はフリーライター。



子どもと性被害 (集英社新書)子どもと性被害 (集英社新書)
(2001/08)
吉田 タカコ

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(新書なので安いです。735円。多くの方に読んでいただきたいです。)
※8/11追記:フラッシュバックする内容も含まれていますので、読まれる際にはじゅうぶん体調にお気をつけ下さい。

いろいろな視点で、いろんな立場の方の声がつまっていて、かなり網羅されていると感じた。
読むのが辛かったけれど、読んだおかげで、かなり頭の中は整理されたし、何より自分と同じように感じている方の存在を感じて嬉しかった。

「おわりに」で吉田タカコ氏はこう綴っている。

 法律家でも福祉関係者でもカウンセラーでもない私が、性的虐待をテーマに書こうと思った動機は「怒り」である。
 取材活動を始めてすぐにつきつけられたのは、被害に遭った人のあまりの多さと、この問題の根深さであった。

 法律、司法システム、警察の対応、報道、学校、家庭、福祉現場、医療機関・・・。あらゆるところに、性的虐待を生み出し、黙認し、被害者をさらに傷つける要因があった。取材を進めれば進めるほど、この問題に取り組むことが、いかに広い分野にかかわらざるを得ないかを思い知らされ、まるで底なし沼に引きずり込まれる思いであった

 「憤死」ということばがある。当事者の声を聞けば聞くほど、そして傷つけられた人間をさらにおとしめる社会の現状を知れば知るほど、私は怒りと悔しさと無力感がないまぜになった気持ちに襲われ、「自分は憤死するのではないか」と本気で思った。
 訴えたいことがあまりにありすぎて、筆は一向に進まなかった。それどころか、あまりにも重い現実を目の当たりにし、強烈な倦怠感に襲われて、起き上がることすらできない状態に陥ったのも、一度や二度ではなかった。

 被害経験者の声を伝えようとすればするほど、ことばの難しさに何度もぶち当たることにもなった。

                   「子どもと性被害」 吉田タカコ 著 p243 ※強調は引用者による


そう、私もまさに「憤死」しかかっている。・・・いた、のか。
なんだか、この「おわりに」の部分に一番共感してしまって、この本を読みながら何度も涙が出たけれど、ここでとまらなくなってしまった。一字一句としてたがわない、同じ気持ちだ。
プロのライターである方もそういうお気持ちになられるというだけで、なんだか自分の怒りと悲しさが正しいものだと認識できて、嬉しいというかほっとした。共感してくださる人の存在というのは、こんなにも心強い。あらゆる分野を取材し網羅した、この本を書くことができたのは、こういう文章が書けるのは、専門家ではないからできることでもあるだろうと思った。

被害の重さを訴えるだけでは変わらない。それはそうかもしれない、一般的には。
だが、正しく認識されている状態とは言えないだろう。政治家が性犯罪を容認するような発言をする国だ。女性差別発言をしても大して問題視されない国だ。法律も判例もおかしすぎる。

私は、正しく認識してほしいと、そう思っている。
ならば、重いと言われようが何だろうが、現実を伝えていくしかない。

性被害の問題が改善されないのは、理屈で訴えても変わらない、社会的構造となっている男女差別の問題がやはり大きいとは思う。
だけれど。
肝心の、権力を握っているところでは難しいかもしれないけれど。ならば少しずつでもできることを探していこう。

ここのところ最近、つくづく考えていたのは、人権教育が足りていないということはもちろんだけれど、そもそも暴力について学ぶ機会を持って育った人がどれだけいるのだろうかということだ。
性暴力に限らず、何が暴力なのか、それがわかっていない人が多すぎる。

CAPプログラムのことも少し書いたけれど全然うまく説明できていない気がしてずっとひっかかっていたのだけれど。そういうことだ。
「~してはいけません」だけでは防止にならない。
暴力にあったとき、 「なにができるか」、その力を育てることをしなければ。何が暴力なのか、暴力にあっているということさえ、わからない状態にされてしまっているのが現状だ。
被害者を出さないことはもちろん、加害者も二次加害者も出さないように、してほしい。
犯罪にまで走らなくても、その芽となる意識をつむには、世間全体の認識を変えなくては。

そもそも、自分の感覚や考えを否定するようなメッセージに囲まれて私たちは育ってしまっている。
とにかく、誰が何と言おうと、自分の直感を信じる。違和感を大切にする。
何か起きたときにも話すことができる。そういう環境をつくってほしい。声をふさごうとしないでほしい。
そういうことを言っていきたい。

警察は、「夜道・一人歩き・見知らぬ男」を性犯罪の代表的なものと捉えている、という感じはしていたけれど。
最近教えていただいたお話で、ぎょっとするようなことを聞いて、「感じ」どころではなく、ほとんどその実態しか把握できていないのか、と、暗澹たる気持になった。
これまた書きかけては憤死しかかる、という状態で、なかなかかけていないのだけれど。

そして、説得力を持って動かすには、データがいる。警察も、行政も。世間も。
だけど、ろくなデータがない。
個人で、体験したこと、知っていることを話しても、軽くあしらわれる。本当に腹の立つ話だ。
だからといって、被害者がかかわるところ、相談するところが、データをとることに重きをおくと、安心して話せるところではなくなってしまう。
なので積極的にデータをとるというのは、私はあまり望んでいなかったのだけれど。
だけど、やり方によっては、できるのだろうか。全国的には難しくても、方法を考えるとできるのかもしれない。相談機関とは別に、行うべきだ。そういうことも少しお話を伺った。

国全体で、性被害もDVも虐待も、隠せ隠せ、というふうに加担しているしか思えないような気さえするときがある。

性暴力は女性の問題として捉えられているけれど、なぜ暴力をする、加害行為をする側の問題とは捉えられないのだろうと常々思っていた。
(男性被害も多いけれど、加害行為をするのは圧倒的に男性だ)
男性はジェンダーの話をするだけで何だか責められているような気がする人が多いようで、不思議だ。
責めているつもりはないので、自分は違う、とこちらにいきりたたれても困るのだ。
そういう逸脱した行為をする人に怒りを向けてほしい。

でも、男性で熱心に活動されている方とお会いすることができて、なんだかほっとした。
女性が集まって何かするだけで、警戒する人も多いから、こういう方の存在はかなりありがたい。
応援してくださっている男性は多いのだけれど、もっともっと、こういう男性がふえないかなあ。と思ったりなどする。

心の整理をするために、少しつぶやいてみました。
ちょっと、すっきりしたかもしれない、です。
いろいろな方にご心配いただいて、申し訳ないような、でも、ありがたいような気持ちです。




2011/02/27 追記
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読書メモ:「子どもと性被害」雑感   ~真鍮の鳥籠~

Appendix

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    性被害にあって十数年たちます。
    刑事裁判経験者です。

    二次被害三次被害等、過酷な経験をし、性被害の後遺症もところどころありますが、それでも、わたしは生きています。今は、生きていてよかったと思います。

    だから、同じ被害にあったあなたたちに伝えたい。
    あなたは何も悪くない。どんな事情があったにしろ、あなたは悪くないのです。どんな特殊性があったにしろ、望みを捨てないでほしいのです。

    悪いのは加害者であり、無理解な社会です。あなたは、何も変わってなどいない。とても素敵なところをいっぱいもっている、素敵な人のままなのだから。


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