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新疆ウイグル自治区を歩く=漢化と抑圧の間で(2:カシュガル前編)(迷路人)

2014年03月15日

■漢化と抑圧の間で ウイグル・レポート2014 (2 カシュガル前編)■


今年3月1日~9日の間に見た、新疆ウイグル自治区の現状レポート。第2回はカシュガルである。

20140314_写真_中国_新疆_

カシュガルはウルムチの南西に1400キロ進んだ先、東京から鹿児島に行くよりも遠い場所にあり、キルギスやタジキスタンの国境にも近い中国の最西端。経度はインドのニューデリー(同3時間半)よりも西なのに、北京時間(日本と時差1時間)が適用されている。そのため、3月なのに夜8時半になっても太陽が沈まない万年サマータイム状態。時間って何なんだろうと思わせる場所である。

ちなみにこのカシュガルだが、かつては西域オアシス国家の疏勒国があり、後漢の時代には班超が軍を率いて駐屯した。井上靖の短編に班超を描いた『異域の人』という小説があって、疏勒国は「洛陽を隔たること一万三百里」と描写されていた。高校生の頃にこれを読んでずいぶん憧れたもんだが、まさか自分が実際に現地に降り立つことになるとは思わなんだ。

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空港を出ると、乗り合いバンや乗り合いタクシーの運転手はテュルク系の顔つきの人ばかりだ。カシュガル市政府の公式サイトによれば総人口は約60万人(うち流動人口15万人)で、うち82.8%がウイグル人を主とする少数民族であるという。

割とシビアな値段交渉を経て乗ったタクシーの運転手は、最初は言葉少なだったが、私が漢人ではなく日本人だと知るといきなり饒舌になった。(日本について何か知識を持っていたわけではなく、外国人なので安心したのだろう)。彼は私と同じ31歳で結婚5年目、子ども3人。「頑張ったねー」とからかうと「エヘヘ」と笑って、美人の奥さんの写真を見せてくれた。

ウイグル人の男は服装こそ洋服だが、頭にカラフルなトルコ帽やベレー帽・コサック帽のような帽子をかぶる人が多い。若者はシュッとした体型のイケメン、しかし肉食と小麦食が多いためか30歳を越えるとみんな揃って恰幅のいい太鼓腹になり、頭上のトルコ帽と合わせてドラクエ4に出てくるトルネコみたいな外見のおっさんになる。もとはトルネコたちが商売をしたり荒野のケダモノと戦ったりしながらボンボンボンと気楽に暮らしていたかもしれない世界が、いまや厳しい少数民族問題の舞台になっている現状がしみじみと重い。

グラフィックス2

車窓に見えるのは、ポプラ並木のなかで崩れそうに立っているレンガ造り平屋建てのウイグル農村で、看板や貼り紙もウイグル語の世界。ときには気難しげな顔をしたコサック帽の爺さんが、ロバに鞭を当てながら木製馬車で走っていたりする。

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だが、街への距離が狭まるにつれ、中国地方都市名物のオカラ建築高層マンションがニョキニョキと屹立しはじめる。マンションの1階に入居するクリーニング店や食堂はすべて中国系で、工事の施工業者も中国系。ゆえに周囲のレンガ家屋とのギャップが際立つ。経済発展だけならあながち悪い話でもないはずなのだが、問題はテナントや土建屋が外来の漢人経済を潤すばかりで、地場のウイグル経済にお金を落とすシステムになっていないのが非常に悩ましい問題である。

ちなみに、こうして建築されたマンションには、元々その土地にいたウイグル住民の入居が政府の手で進められており、元の住民が土地を失って路頭に彷徨わないような防止策が(ある程度は)とられている。当局側はこれを反貧困対策として盛んに宣伝しており、メディアを通じて「党と政府の温情」を再三アピールしている。

内地の中国人庶民がしばしば「新疆にあれだけインフラ整備してやってるのに、テロや騒乱ばかり起こすウイグル人は恩知らずだ」と吐き捨てるように語る例が多々あるのも、これらの事実に根拠が求められるといえる。

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もっとも、肝心の現地の人間にこうした「反貧困対策」が歓迎されているかは別の問題だ。あるウイグル人はこう話す。(注.今回の特集を通じて、ウイグル人のコメントは基本的には名前を伏せる)。

「昔から住んでいた一戸建てがなくなり、手抜き工事のマンションが与えられます。もともと上下水道を使わない現地の人は、マンション生活をさして便利とは考えておらず、移住に最後まで抵抗する人も多い」

一昔前の日本の田舎社会と同じかそれ以上に、地方のネイティヴのウイグル人社会は濃厚な地縁や宗教圏のなかで生活を送っている。マンションへの移住は、これらを(本人の意思決定によるものではなく)外部圧力によって消し去ってしまう結果を生んでいるのだ。また、こんな話もある。

「中国は『経済発展をしてあげる』と言って、外地から漢人の労働者を大量に連れてくる。墓地まで壊されて、その上にゴミを捨てられる。現地にお金は落ちず、環境汚染と不満だけが残っていく」

現地の伝統的な生活を無視した再開発は中国の内地でも(北京ですら)多々見られる深刻な問題で、これにまつわる土建汚職や地元住民の不満の爆発が中国社会のアキレス腱のひとつになって久しい。だが新疆の場合、これに少数民族問題や現地の宗教習慣の無視といった裏ドラが乗りまくるため、ウイグル人不満点数は簡単に数え役満になる。

同じようにひどい政策の被害をこうむるにしても、漢人たちは自民族の政府の犠牲になるのに対して、少数民族は征服者の政府の犠牲になるのだ。どちらがより反感を持たれやすいかは明らかな話だろう。

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そろそろ、カシュガル市内の旧市街やバザールの様子も紹介していこう。首都の北京はおろか自治区首府のウルムチよりも、サマルカンドやアルマトイやカブールのほうが近いという土地柄だけに、中央アジア的雰囲気が濃厚に漂う街並みである。

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ガイドブックなどでは、市内を南北に走る人民路を軸に漢人街とウイグル人街が南北に分かれると説明されているが、実際は北部にも漢人街の浸食が進む。カシュガル旧市街の半径1キロほどの区域は「老城景区」という思い出ロードみたいな場所になっていて、漢化や再開発から免れた昔ながらの街並みと人々の暮らしが見られるが、その周囲には高層ビルが取り囲み、出入口には決まって公安や武装警察の大基地があって監視の目を光らせている。不謹慎を承知で言うならば「ゲットー」という言葉がどうしても浮かんでしまう。

漢人街とウイグル人街との境目を歩いていたら、向こうから親子連れが来た。ウイグル語でなにか話す親父に対して、子どもは漢人の子とほとんど区別がつかない流暢な中国語で返事をしていた。この街の将来像をどうしても連想せざるを得ない光景だ。

一方、観光名所も紹介していこう。以下はカシュガルの名所、アバク・ホージャ廟とエイティガール・モスクだ。いずれも中央アジア風の見事な宗教建築で、見ごたえがあるのだが……。

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*アバク・ホージャ廟

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*エイティガール・モスク

前者のアバク・ホージャ廟は1988年に中国の全国重点文物保護単位(日本でいう重要文化財)に指定、エイティガール・モスクは同2001年指定だ。それぞれ、指定プレートの文面によーく注目してみてほしい。

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お気づきだろうか? 88年指定のアバク・ホージャ廟の場合、表記は「イスラム暦」→「カッコ付きの西暦」の順番で、現地の少数民族(イスラム教徒)の感覚に近い書かれ方だ。

一方で2001年のエイティガール・モスクになると、「時代 明代」という中国視点の記述のみの記述になっている(ちなみにカシュガル地域が明朝の領域に入ったことは歴史上で一度もない)。

80年代は胡耀邦~趙紫陽時代で、人民共和国成立後でいちばん少数民族政策がユルかったとされる時期だ。また、この頃までの中国は名実ともに「社会主義国家」としてのイデオロギーを残しており、(逆説的な話だが)社会主義の範囲にとどまる限りではマイノリティが独自の文化や歴史を保持することも容認されていた。それゆえに、文物保護単位の看板でも「実態」に即した記述をすることができた。

ところが90年代後半以降になると、中国における社会主義は(政治体制以外は)民衆の間で有名無実化してしまい、国家統制のイデオロギーとしての建前以上の役割を果たさなくなった。そこで代わりに産み出されたのが、中国を「中華民族」(事実上、漢民族と漢化した少数民族)の国家として再規定した愛国主義イデオロギーを用いることで、国家と人民を統制する手法だった。

グラフィックス14

結果、建築時点で中華王朝の支配下に入っていたわけでもないエイティガール・モスクの年代を説明するのに、わざわざ中国の王朝断代史を使うようなナンセンスなことがおこなわれるようになる。フィクションのロジックを使った「解説」が事実に優先するようになったのである。

この傾向は、エイティガール・モスクの表記が作られた2001年から現代までの13年間で、更に強まり続けている。漢化しない少数民族にとって、中国は昔よりも明らかに生きにくい社会になりつつある。

そんな社会で、ウイグル人の不満は溜まり続ける。だが、当局は現地の不満への解決策に荒療治を選びがちだ。その具体例については――。次回の記事でじっくり書くことにしたい。

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執筆者:安田峰俊(やすだみねとし)

1982年滋賀県生まれ。ノンフィクション作家。多摩大学経営情報学部講師。2008年~2012年まで「迷路人」のハンドルネームで中国のネット掲示板翻訳ブログ『大陸浪人のススメ』を運営、2010年に中国のネット事情に取材した『中国人の本音』(講談社)で書籍デビュー。ほか『独裁者の教養』(星海社新書)、『中国・電脳大国の嘘』(文藝春秋)など。近著に『和僑』(角川書店)。アマゾン著者サイト

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 コメント一覧 (5)

    • 1. pleco
    • 2014年03月15日 17:55
    • カシュガルの第一人民医院に通院した経験があるので懐かしいです。
      去年の夏頃、カシュガルでは砂漠に「ベニス」を作ろう!とベニス風リゾートや中国風庭園を作ったりとか市内南部の開発を盛んにやっておりました。
      今はどうなったんでしょうかね‥それにしても安田さんが初カシュガルというのは逆に驚きました!
    • 2. 二流子
    • 2014年03月17日 19:00
    • 4 状況を本筋といまの在りようからピシット押さえて行く手法、いいですね。写真も文章に見合ってシャープです。
      「裏ドラが乗りまくって数え役満」には大笑いしました。
      おおづかみに言えば“民族浄化”のような北京政府のやり口ですから、なんでもかでも“裏ドラ”になるのでしょう。現地からのレポートの続きに期待します。
    • 3. Chinanews
    • 2014年03月28日 10:59
    • >plecoさん
      遅レスすいません。砂漠に「水の都」ですか。やり過ぎ感が半端ないですね……。
    • 4. Chinanews
    • 2014年03月28日 11:00
    • >二流子さん
      ありがとうございます!
    • 5. 操
    • 2014年04月01日 17:17
    • 老街は、4、5年前盛んに整備してましたね。
      もともとあった建物を壊して擬古風に作り替えていました。

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