気ままな生活

               ♪音楽と本に囲まれて暮らす日々の覚え書♪

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吉村昭 『深海の使者』 と 「Uボート234号」の物語

吉村昭の『白い航跡』がとても面白かったので、ほかの作品も読んでみようと作品リストをチェックしていると、幕末・明治期や太平洋戦争を題材にしたノンフィクション小説がかなり多い。
その中で、特に興味をそそられたのが、太平洋戦争時の日本の潜水艦を題材にした『深海の使者』。

深海の使者 (文春文庫)深海の使者 (文春文庫)
(2011/03/10)
吉村 昭

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日本の海洋戦記だと吉田満『戦艦大和ノ最期』が真っ先に思い浮かぶ。吉村昭は、大和ではなく『戦艦武蔵』という小説を書いている。
外国の海戦ものでも、帆船、駆逐艦、輸送船団を題材にした小説・ノンフィクションは多いけれど、潜水艦ものはそう多くはない。
有名なところでは、ドイツの『Uボート』に関する小説や、Uボート艦長による伝記などが出ている。
映画の『Uボート』も、当時はドイツ軍=悪という観点ではなく、その実情をリアルに描いたので結構話題になっていた。

日本軍でも潜水艦隊があったことは知ってはいたが、詳しく調べたこともないので、インド洋を越えてドイツと日本の間を何隻もの潜水艦が往復していたというのは驚き。
『深海の使者』を読んでいると、戦闘条件の違うため、ドイツと日本の潜水艦とでは構造や性能で異なる点が多い。
ドイツは敵艦が多い狭い海域を航行し、通商航路の破壊が目的のため、小型で静音。
日本は、太平洋の広い海域で敵艦の密度も低く、艦隊に従って敵軍艦攻撃が目的のため、大型で長距離航行ができ、航行速度も速い。敵艦から探知されることにそれほど注意しなくて良いため、潜水艦のエンジン音など騒音がかなり大きい。

ドイツと日本を往復した日本の潜水艦5隻のうち、無事日本の港に帰りついたのは、第二次遣独艦の伊号第8のみ。
伊号第30と伊号第29は、無事ドイツに到着して日本へ帰投する途上、日本占領下の東南アジアの海域で自軍の機雷に接触して座礁・自沈(伊号第30)、米国海軍により撃沈(伊号第29)。
伊号第34と最後の第五次遣独艦伊号第52は、ドイツに向かう航海中に英国または米国海軍により撃沈。

「遣独潜水艦作戦」(Wikipedia)にドイツへ派遣された潜水艦の顛末が載っている。

日本からドイツだけでなく、ドイツから日本に派遣・譲渡されたUボートもある。
ドイツのUボートも、東南アジアの鉱物資源を輸送するため、アフリカ大陸を迂回して来ていた。
ドイツが降伏するまで、第二次大戦中はドイツと日本の間で、潜水艦の技術交流やUボートの供与が何度も行われていた。
日本の潜水艦は、電波探知機など多くの技術で英米独軍に遅れていたため、ドイツの潜水艦技術を早期に導入する必要があったが、それもすぐに陳腐化する。
空路はソ連の領空を飛ばねばならないが、日本とソ連は不可侵条約を締結しているために、ソ連領空を飛行すればソ連に参戦の口実を与える恐れがあるため、飛行は厳禁。
結局、航海日数が長くなろうが、敵艦や艦載機が頻繁に哨戒する危険な航路であろうが、潜水艦を使って、ドイツへ駐在する武官・技師や、重要な技術資料・装置などを輸送するしかなかった。

U180号はインド人の独立運動家チャンドラ・ボースをインド洋上まで運び、ボースは海上で会合した伊号第29にボートで乗り移って、日本へ向かい、その後にインドへ帰国した。
U511号は日本海軍に無償譲渡されたUボート。ペナン港経由で東京まで回航された。
U1224号(日本艦名は呂号第501)は、太平洋方面での連合国側の通商破壊活動と潜水艦技術供与を目的として無償譲渡された。キール軍港を出発したが、大西洋上で米国海軍に撃沈される。

最後に日本とドイツの間の派遣艦となったのは、U234号。
最新鋭のロケット戦闘機の部品・設計図、ウラニウム鉱石560キロなど、重要な軍事機密を積載。
さらに、同乗者が数名。ヒトラー暗殺事件に関与してゲシュタポの追及を逃れようとしていたケスラー空軍大将、東京に赴任するドイツ人法務官、対空射撃専門の技術士官、それに、ドイツに赴任していた技術士官の友永中佐・庄司中佐。
英国軍にほぼ制圧されている海路を潜り抜けて日本に向かうが、その途上でドイツが無条件降伏したため、米国海軍衛駆逐艦「サットン」に投降。投降前に、2人の日本人士官は睡眠薬を服毒して自決した。

潜水艦の探知機や建造技術はドイツの方が進んでいたが、日本の潜水艦技術でドイツ軍が驚いたのが、「自動懸吊装置」と「重油漏洩防止装置」。
「自動懸吊装置」は、潜航中にエンジンを作動させず、水中で一定の深度を保って静止する。
「重油漏洩防止装置」は、鋲構造による重ね合せ部分からの重油漏洩を防ぐもので、タンク低部に若干の海水を溜めて低圧に保つことで漏洩を防ぐ。
いずれの装置も潜水艦を敵艦に発見されにくくするためのもので、天才的な潜水艦技師といわれる友永技術中佐が開発。彼がドイツへ赴任した時にドイツ海軍にその装置を紹介し、大変有名になったという。

                           

この本を読んでいると、似たような話を映画かTVドラマで見た記憶がある。
随分昔の話なので、一体いつ頃のことだったかわからない。
検索してみると、どうやら、『ザ・ラストUボート』(原題:The last U-boat)という映画がそれらしい。
劇場未公開映画だったが、1993年にNHKが放映。
予告編を見てみると、小林薫や夏八木勲が出ているので、記憶が少し蘇ってきて、やっぱりこの映画に間違いない。

このUボート234号の話は、『深海の使者』でも出てくるし、主人公の友永技術中佐に焦点を当てたノンフィクション『深海からの声』も出版されている。
DVDを借りてきて再度見てみると、Uボートの出航直前から、ドイツ敗戦直後にアメリカ海軍の戦艦に投降するまでのお話。
当時は第二次大戦末期で、ドイツは敗色濃厚。制空権も連合国(英国軍)に握られ、海路もほとんど制圧されている状況で、極めて重要な軍事機密とドイツ・日本の軍人・技術者を同乗させて、日本へ向かう。

派手な戦闘シーンはなく、全体的に地味なつくりの映画ではあるけれど、大筋はだいたい実話どおり。
当時の戦況や英軍・米軍との駆け引き、潜水艦内の様子がよくわかる。
ただし、名前も含めて、『深海の使者』と『深海からの声』で書かれている話と違う部分もいろいろあり、映画用に挿入・変更したり、脚色している。

映画『ザ・ラストUボート』(原題:The last U-boat) 予告篇


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富永孝子著『深海からの声―Uボート234号と友永英夫海軍技術中佐』
構成は、最初にこの本を書くに至った経緯とインタビューした人たち(U234号乗組員、友永中佐の家族)の近況などが綴られている。
次に、U234号の出航前から出航~航海(友永中佐・庄司中佐の最期の様子)~米軍への投降の状況のドキュメント。
最後の章は、友永中佐の生い立ち、学生時代、海軍での仕事ぶり。
その後には、友永中佐と庄司中佐亡き後、家族の生き方や、戦争中の日本・ドイツの上司・同僚・U234の乗組員・同乗者の消息など。
U234号だけに焦点を絞っているだけに、友永中佐に関わりのあった人たち(家族や友人、上司、日本とドイツの潜水艦乗り)の回想談がとても詳しい。
英国・米国双方が重要な技術情報とウランを輸送しているU234を確保しようと競争していたこと、U234が英国海軍ではなく米国海軍へ投降したこと、捕虜となった乗組員たちの処遇など、降伏後のU234号の状況も詳しい。

ドイツでは、日本人士官2人のために記念の銘板が製作されていたり、毎年2人の命日にはドイツ大使館から花束とチョコレートが遺族の元へ届けられたりしている。
U234号の顛末はドイツ人にとってもかなり強いインパクトがあったのだろう。

深海からの声―Uボート234号と友永英夫海軍技術中佐深海からの声―Uボート234号と友永英夫海軍技術中佐
(2005/08)
富永 孝子

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Tag : 吉村昭

※右カラム中段の「タグリスト」でタグ検索できます。

|  ・ ノンフィクション・歴史・小説、写真集、動画 | 2013-03-30 09:00 | comments:0 | TOP↑











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