2025年1月 1日 (水)

新年おめでとうございます!



みなさま、新年おめでとうございます。

旧年中は、ハルくんの音楽日記ブログをご覧いただきまして誠にありがとうございました。

今年は開設17周年の年となります。
毎年その年の目標を上げていますが、昨年は以下のような内容でしたので達成したものに〇×をつけてみますと。。。

1.ワーグナー「ニーベルングの指輪」後半(ジークフリート、神々の黄昏) △(ジークフリートのみ)
2.ワーグナーの他のオペラの補完 ×
3.ベートーヴェンの弦楽四重奏の補完 ×
4.ベートーヴェンのピアノソナタ(主要な曲)×
5.バッハの平均律クラヴィ―ア曲集 ×
6.バッハの三大宗教曲の補完 ×
7.シューベルトの弦楽四重奏、五重奏 ×
8.ドビュッシーの前奏曲集 ×
9.ヴェルディとプッチーニの主要オペラ ×
10.モーツァルトのオペラの補完 ×

うーん、なんと打率0割5分!
これじゃ戦力外通告ですね。。。
で、何を聴いてたかと言うと、ショスタコーヴィチが一番多かったような?

これでは目標を立てる意味が無いので、今年の事は。。。考えなおします💦

なにはともあれ、本年もお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。

  2025年 元旦 ハルくん

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2024年12月18日 (水)

ワーグナー 楽劇「ジークフリート」 ~四部作「ニーベルングの指環」第二日~ 名盤

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ワーグナーの「ニーベルングの指環」は、世界を支配することが出来る魔力を持つ指輪をめぐって繰り広げられる壮大な物語を4日間に渡って上演する超大作オペラです。その愛聴CD聴き比べシリーズは、前回の「ワルキューレ」に続き「ジークフリート」です。 

「ジークフリート」(ドイツ語: Siegfried)は、1856年から1871年にかけて作曲されましたが、途中に10年以上の中断が有りました。「トリスタンとイゾルデ」と「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の作曲を手掛けた為です。

初演は更に作品の完成から5年後となる1876年、第1回目のバイロイト音楽祭で「ニーベルングの指環」四部作として行われました。指揮をしたのはハンス・リヒターです。 

<主な登場人物>
ジークフリート(テノール):双子の兄ジークムントと妹ジークリンデの間の子。 

ミーメ(テノール):ニーベルング族でアルベリヒの弟。ジークフリートを育てる。 

アルベリヒ(バス):ニーベルング族でミーメの兄。指環を取り戻そうと機会を窺っている。 

ファーフナー(バリトン):巨人族。大蛇に姿を変えて、財宝とともに指環を守っている。 

さすらい人(バス):神々の長ヴォータンの地上界での仮の姿。 

ブリュンヒルデ(ソプラノ):ヴォータンとエルダの娘で、ヴァルキューレ達の長女。 

エルダ(アルト):知恵の女神。ブリュンヒルデの母。 

森の小鳥(ソプラノ):ジークフリートに助言をする。  

<物語の概要>
第1幕 「森の中の洞窟」

前作「ワルキューレ」で、ブリュンヒルデに助けられて深い森に逃げ込んだジークリンデはジークフリートを産む。しかしジークリンデは難産の為に亡くなる。ジークフリートはミーメに引き取られて育つが、ミーメの狙いは、成長したジークフリートにファーフナーを倒させて、指輪を手に入れることだった。 

第1場
ミーメは折れた剣ノートゥングを鍛え直そうとするが、上手くいかない。そこへジークフリートが森から帰ってきて、捕らえた熊をミーメにけしかける。びっくりするミーメを嘲笑うジークフリートに向かって、ミーメは「育ての歌」を歌い、お前を育てた自分にこんな仕打ちをするとは恩知らずめ、とこぼす。
ジークフリートは、自分の本当の親についてミーメに問いかける。するとミーメは、母親はジークリンデで、難産のために死んでしまったこと、父親はジークムントで、その形見の剣の破片が有ると答える。ジークフリートはミーメにその剣を元通りに鍛え直すよう命じると再び森に入っていく。 

第2場
ミーメのところへ、“さすらい人”と名乗る旅人(実はヴォータンの変装)が現われる。そしてミーメに、「首を賭けて知恵比べをしよう」と言い出す。厄介払いしたいミーメはこれを承諾する。ミーメは三つの問いかけをするが、さすらい人は全て答えてしまう。
次に、さすらい人が三つの問いかけを出す。ミーメは、3つ目の問いかけ「ノートゥングを鍛え直せるのは誰か」に答えられずにうろたえる。さすらい人は「剣を鍛え直せるのは怖れを知らぬ者だ」と教え、「ミーメの首はその者に預ける」と言って去る。 

第3場
森から戻ったジークフリートに、ミーメは「怖れ」を教えようとするが、ジークフリートは理解できずにいる。ミーメは「ファーフナーの洞窟に行けば恐怖を知るだろう」と言う。
ジークフリートは、剣を鍛え直せないミーメに苛立ち、自分で鍛冶を始める(「鍛冶の歌」)。その間にミーメはジークフリートを殺すための毒汁を煮ている。
ジークフリートが自ら鍛え直したノートゥングを振り下ろして鉄床を一撃すると真二つに割れてしまう。 

第2幕 「森の奥深く
暗く深い森。その奥に洞窟が有り大蛇に化けたファーフナーが眠っている。 

第1場
洞窟の前でアルベリヒが様子を伺っていると、さすらい人が現れる。アルベリヒは怒って罵るが、さすらい人は取り合わずに「指環を狙っているのはミーメだ」と語る。そして洞窟の奥で眠っているファーフナーにも警告をする。アルベリヒもファーフナーに呼びかけるが、ファーフナーは相手にせず再び眠りに落ちる。さすらい人が去り、アルベリヒも隠れると夜が明ける。 

第2場
ミーメに連れられてジークフリートが洞窟にやってくる。ジークフリートはミーメを追い払うと、父と母への想いに浸る。(「森のささやき」の音楽) ジークフリートは小鳥の鳴き声をまねて葦笛を吹くが調子はずれなので、得意な角笛を吹き鳴らす。するとファーフナーが目を覚まして洞窟から出てくる。戦いとなり、ジークフリートはノートゥングをファーフナーの心臓に突き刺す。ファーフナーは息絶える前に「お前にけしかけた者が、お前の命を狙っている」とジークフリートに告げる。ジークフリートが指に付いたファーフナーの血をなめると、小鳥の声が言葉として分かるようになり、ジークフリートはその言葉に従って、洞窟の中に宝を取りに入る。 

第3場
洞窟の前でアルベリヒとミーメが、宝の所有をめぐって言い争っている。そこへジークフリートが洞窟から隠れ頭巾と指環を持って出てくると、アルベリヒは姿を消し、ミーメはジークフリートに眠り薬を飲ませようとする。しかし、ジークフリートはファーフナーと小鳥の警告でそのことを知っている。ミーメはごまかそうとするが、魂胆があることを漏らしてしまい、返り討ちに合う。小鳥がジークフリートに、岩山で炎に包まれて眠るブリュンヒルデのことを告げると、ジークフリートはその岩山をめざす。 

第3幕 「岩山のふもとの荒野―岩山の頂き」
序奏

第1場
さすらい人姿のヴォータンが、眠っている知の神エルダを呼び出す。エルダに助言を求めるが、エルダはそれには答えず、「ノルンやブリュンヒルデに尋ねよ」と言う。ヴォータンが「ブリュンヒルデは命令に逆らったので岩山で眠りにつかせた」と明かすと、エルダは「反抗を教える者が反抗する者を罰するのか」となじり、「私を智恵の眠りにつかせよ」と言う。ヴォータンは「神々の滅亡をむしろ望んでいる」と言い、自らの“遠大な構想”をジークフリートが果たすことを期待すると語ると、エルダを再び眠りにつかせる。 

第2場
ジークフリートが岩山に近づくと、ヴォータンが声をかける。相手が誰かを知らないジークフリートが反抗的な態度をとるのでヴォータンは不機嫌になっていく。激昂したヴォータンが槍を突き出したので、ジークフリートは鍛え直したノートゥングで槍を二つに叩き折る。
ヴォータンは去ってゆき、ジークフリートは岩山を登って炎の中に進んでゆく。 

第3場
ジークフリートは岩山の頂きで、盾に覆われて横たわるブリュンヒルデを見つける。身体を覆う盾と鎧を外し、眠っているのが女性であることに気づくと、ジークフリートは初めて「怖れ」を覚えるが、ブリュンヒルデの美しさに魅せられ、「目を覚ませ!」と唇を重ねる。
するとブリュンヒルデは目覚め、自分を目覚めさせたのがジークフリートであることを知る。初めは不安におののくが、求愛するジークフリートについに応え、二人は歓喜の中で「輝ける愛!笑っている死!」を歌う。(そして幕となる) 

「指環」四部作の中では「ジークフリート」が最も地味で人気は低いです。少々長過ぎにも感じられます。しかしそれは演奏時間の問題ではなく、物語と音楽が原因かもしれません。第2幕と第3幕のまとまりは悪く無いのですが、問題は第1幕で、第1場と第2場の進行に単調さが有ることが、その後にも影響を与えるような気がします。ワーグナーが作曲を中断する前なので、もしや創作への集中力に幾らか欠けていたのではと勝手に想像しています。

もちろん四部作の中で「ワルキューレ」から「神々の黄昏」に物語を導く“橋渡し”として欠かせない作品ですし、作曲の中断の後に書かれた第三幕の充実度は素晴らしいです。 

―CD紹介―
それでは所有しているCDの紹介と鑑賞記です。大半は4部作まとめての全曲盤となります。 

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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団(1950年録音/ Gebhardt盤)
第2次大戦後にフルトヴェングラーがミラノ・スカラ座で行った「指輪」全幕上演のライヴブです。俗に「ミラノ・リング」と呼ばれます。イタリア放送の音源をもとに様々なレーベルからリリースされましたが、所有するのは独Gebhard盤です。音は貧しいですが「ラインの黄金」「ワルキューレ」よりは向上しています。セッティングか機材が変わったのでしょうか。音揺れも少ないです。演奏はフルトヴェングラーの実演だけあって、ドラマに合わせた自在な緩急が少しも単調さを感じさせません。白熱して劇的、かつロマンティックです。元々音楽が充実している第3幕は更に感動を受けます。オーケストラもフルトヴェングラーの指揮に応えて大熱演です。歌手は、ジークフリートのスヴァンホルムが男っぽさと優しさの両方が感じられて素晴らしいです。ブリュンヒルデのフラグスタートは昔風の歌唱とはいえ圧巻です。ミーメのマルクヴォルトはキャラクターにぴったり。さすらい人(ヴォータン)のヨーゼフ・ヘルマンは威厳に不足する印象です。ファーフナーのルートヴィヒ・ヴェーバーは雰囲気があります。なお、キングレコードが伊チェトラ社から取り寄せた初期テープを基にした復刻盤も出ましたが、高価なのでハイライト盤しか所有しません。音もGebhard盤より格段に良いわけではありません。 

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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮イタリア放送交響楽団(1953年録音/EMI盤)
ローマで行われた演奏会形式による「指環」の全幕演奏で、こちらは「ローマ・リング」と呼ばれます。「ミラノ・リング」の白熱さには及びませんが、凡百の舞台演奏と比べれば遥かに熱気に溢れます。また演奏のみに集中出来たからか、こちらの方が完成度は高いです。歌手はブリュンヒルデのマルタ・メードル、ヴォータン(さすらい人)のフェルディナント・フランツは「ワルキューレ」と同じですが、ジークフリートはズートハウスが、ファーフナーはグラインドルが演じていて万全です。フルトヴェングラーの演奏としてはミラノ盤が「らしい」かもしれませんが、録音条件からローマ盤を取りたいです。とは言ってもEMIの優柔不断のために放送局のオリジナルテープが消去された為に、アセテート盤から起こしたテープからの復刻なのでワーグナーを鑑賞するのには貧しい音であることに変わりは有りません。それでも高音域を不自然に強調することもなく、高中低域のバランスが良いので聴き易いです。

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クレメンス・クラウス指揮バイロイト祝祭劇場管(1953年録音/オルフェオ盤)
1953年に初めてバイロイトの指揮台に立ったクラウスでしたが、翌年5月に急死してしまった為に「指環」の演奏はこれ一回きりでした。バイエルン放送協会のマスター音源の使用ですが、フルトヴェングラーと同じ年の録音とはとても思えない音の良さで、モノラル録音ながらもジークフリートとファーフナ―の洞窟の闘いなど臨場感に溢れます。クラウスは、同じ時代のクナッパーツブッシュやカイルベルトに代表される重厚でゲルマン的な演奏スタイルとは大きく異なり、速めのテンポでリズムにキレの良さがあります。しかし要所でのテンポの変化や旋律のしなやかな歌わせ方は秀逸ですし、それでいて劇的さにも不足しません。歌手に関してはおよそ最高です。何と言ってもジークフリートのヴィントガッセン、さすらい人(ヴォータン)のホッター、ブリュンヒルデのヴァルナイの三本柱は鉄壁で惚れ惚れするばかりです。フンディングのグラインドルを始めとした他の配役も万全です。録音も歌手達の声を見事に捉えています。

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ヨーゼフ・カイルベルト指揮バイロイト祝祭劇場管(1955年録音/テスタメント盤)
デッカ・チームによりバイロイトの「指環」全曲の世界初ステレオ録音が1955年に行われたのは奇跡であり、この後のバイロイト・リングのステレオ録音は1967年のベームまで待たなければならないことを考えると正に歴史的偉業です。これは2チクルスあった公演の1回目のチクルス本番を基に編集されています。「ラインの黄金」「ワルキューレ」と同様に録音は非常に優れ、管弦楽の中低域の音の厚みや自然な広がりは驚きです。これを聴いてしまうとモノラル盤はちょっと聴けなくなりそうです。もちろんカイルベルトの指揮もドイツのカペルマイスターとしての面目躍如で、その武骨さと豪快な迫力が魅力です。とりわけ第三幕は聴き応えが有ります。歌手についてはジークフリートのヴィントガッセン、さすらい人のホッターはもちろん素晴らしいですが、‘51年のクラウス、’56年のクナの年と比べると僅かに調子が落ちる気はします。ブリュンヒルデのヴァルナイ、ナイトリンガーのアルべリヒ、ファーフナーのグラインドルなど他の強力な布陣はクラウス盤にほとんど遜色は有りません。

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ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭劇場管(1956年録音/オルフェオ盤)
クナッパーツブッシュのバイロイト・リングのうち、唯一正規盤がリリースされている‘56年ですが、音源はバイエルン放送協会所有のマスターでモノラル録音です。歌手の声は非常に明瞭なのですが、管弦楽の音が少々奥に引っ込んでいて、前年のデッカによるカイルベルト盤を聴いた耳には分が悪いです。しかし、この年もずらりと揃った名歌手達の歌唱は素晴らしいもので、ジークフリートのヴィントガッセン、ブリュンヒルデのヴァルナイ、さすらい人のホッターの主要三人は絶好調、カイルベルト盤を凌いでクラウス盤に並びます。その他の歌手にも不満はありません。もっとも演奏の主役はもちろんクナッパーツブッシュです。カイルベルトのように聳え立つような造形感は薄れますが、クナ特有の浮遊感のある音の流れに自然とドラマに引き込まれてゆきます。歌手が調子を上げるのもその影響なのかもしれません。録音の為に管弦楽の凄味が減じられているのが残念ですが、それでも第三幕など、スケール大きく盛り上げてゆくのは流石クナです。

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ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭劇場管(1958年録音/GOLDEN Melodram盤)
クナッパーツブッシュ最後の「バイロイト・リング」となった‘58年の録音です。クナのテンポが更に遅くなり、音楽が増々深くなり、要所での巨大さは聴き応えが有ります。鍛冶の歌などはその遅さにヴィントガッセンが歌い辛そうですが、演奏のスケールは凄いです。それでも全体の流れや勢いはしっかりと感じられ、弛緩することはありません。この年はオーケストラの質も高かったですし、クナの「リング」も三年目となり感銘度合いが格段に高く感じられます。第三幕の感動もひとしおです。歌手はジークフリートのヴィントガッセン、さすらい人のホッター、ブリュンヒルデのヴァルナイはこの年代の看板三役がそろい踏みですし、ミーメのシュトルツェ、ファーフナーのグラインドなど他の歌手陣も文句無しです。所有しているのはMelodramの全曲盤ですが、非正規盤でモノラル録音ながら音質が驚くほど優れています。オーケストラの音の厚みはやや薄めですが、澄んだ高音域が素晴らしく、歌手の声も極めて明晰です。舞台の奥行きや広がりも感じられ、’55年のカイルベルトのステレオ録音と比べれば物理的な音の威力は及びませんが、クナ・リングを心から鑑賞出来ます。Melodram盤は今では入手困難ですが、WALHALLの単独盤なら入手可能だと思います。

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ルドルフ・ケンペ指揮バイロイト祝祭劇場管(1961年録音/オルフェオ盤)
バイロイトの「指環」は‘1958年のクナッパーツブッシュの後、1959年は演奏されませんでした。そして翌1960年から4年続けて指揮したのはケンペです。これはそのうち’61年の録音です。ケンペはクナやカイルベルトと比べてしまうと、スケールに小ささが感じられるのは仕方ないです。けれどもドイツ正統派として堅牢さが魅力ですし、弛緩することなく音楽が進むので飽きさせません。それでいて第三幕などは充分にドラマティックで聴き応えがあります。歌手はジークフリートがハンス・ホップで、まずまず立派な歌唱です。ブリュンヒルデは「ワルキューレ」ではヴァルナイでしたが、「ジークフリート」と「神々の黄昏」はニルソンに変わりましたが当然文句無しです。ヴォータンは「ワルキューレ」まではジェローム・ハインズでしたが、さすらい人としてジェイムス・ミリガンに変わりました。威厳には不足しますが、この時33歳で何と4カ月後に急死しています。ちなみに森の小鳥は人間っぽくて神秘性が無く残念です。この音源はバイエルン放送協会のマスターですが、‘60年代に入ったこともありモノラル録音ながら明瞭で音域バランスも良いです。

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ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー(1962年録音/デッカ盤)
ショルティの「指環」では‘58年の「ラインの黄金」に続いて2番目の録音です。ウィーン・フィルのある意味牧歌的で美しい音は「ジークフリート」にぴったりだと言えます。森のささやきでの詩情は如何ばかりでしょう。ショルティも過不足無い以上に健闘していて、ファーフナーとの闘いの場面など中々の迫力です。歌手についてもヴィントガッセンのジークフリート、ニルソンのブリュンヒルデ、ホッターのさすらい人についてはやはり一番好きですし、シュトルツェのミーメ、ナイトリンガーのアルベリヒ)、ベーメのファーフナーもとても素晴らしく、自分にとっては最高の配役です。‘60年代に入ってデッカのセッション録音が増々進化して、本当に素晴らしい音響を捉えています。ところが、これまでに指摘した通り、数か所に渡り被せた特殊音響効果がまるでスペクタクル映画みたいに聞こえるのが自分の耳にはどうしても抵抗が有り、いっぺんに興覚めてしまいます。

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カール・ベーム指揮バイロイト祝祭劇場管(1966年録音/フィリップス盤)
1965年から三年続けてバイロイトで「指環」を指揮したベームの全曲盤は‘66年と’67年の録音で編集されていますが、「ジークフリート」は‘66年の演奏です。第1幕から速いテンポでぐいぐいと進みますが、凄まじい緊張感に溢れる演奏には否応なく巻き込まれてしまいます。ともすると退屈する第1幕も別の作品の様です。管弦楽の響きが余りにも凝縮され過ぎて厳しいので、争いのシーンなどでの迫力は凄いですが、一方でこの作品は全体的にはもう少し牧歌的な柔らかさが欲しい気持ちも起こります。歌手については、ブリュンヒルデのニルソンはもちろん文句無しで、メーデルやヴァルナイのような一世代前の歌手は凄いですが歌唱に古さも感じるので、ニルソンが好きですね。ヴィントガッセンのジークフリートも同様です。ヴォータンのテオ・アダムは声質がやや軽いですが大健闘です。歌手陣は充実していますが、それを全部忘れてしまうほどなのがベームの指揮と管弦楽だと言えます。第三幕は管弦楽と歌唱が一体と成ってそれは凄いです。なお、森のささやきには詩情と神秘感が有りますが、森の小鳥のケートが人間臭いのがマイナスです。フィリップスによる録音は残響の少ないバイロイト劇場の音に忠実で生々しく、ベームの演奏には適しています。

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー(1968-69年録音/グラモフォン盤)
1966年から1970年にかけて録音されたカラヤンの「指環」のうち、「ジークフリート」は‘68と‘69の録音です。手兵のベルリン・フィルを駆使して非常に精緻な演奏を繰り広げています。第1幕のキレ良く躍動するリズムや歌との掛合いなどは大管弦楽とは思えない『室内楽的』な仕上がりと成っています。ベルリン・フィルの音は決して軽い訳では無く、鳴るときは壮大で派手ですが、音色が明るい為にどうしてもワーグナーのゲルマン的な響きよりはリヒャルト・シュトラウスのそれを想わせます。歌手ではジークフリートのジェス・トーマスは声が若々しく雄々し過ぎないのが好きです。レガートに歌わせる「鍛冶の歌」はカラヤンの指示なのでしょうがユニークです。ブリュンヒルデも前作のクレスパンからヘルガ・デルネシュに変わったのは好ましく、とても美しいです。但し、さすらい人のステュアートはやはり声が軽く貫禄が足りません。これもカラヤンの好みなのか。録音に関しては各楽器の音の分離が良く明瞭です。セッション録音然としていますがショルティ盤のような過剰な音響効果は加えられていません。

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ピエール・ブーレーズ指揮バイロイト祝祭劇場管(1980年録音/フィリップス盤)
1976年から1980年まで5年連続でバイロイトの「指環」を指揮したブーレーズですが、「ジークフリート」は最後の年となる1980年のライブです。例によりブーレーズのテンポは比較的速めですが拙速な印象は受けません。ともすると長過ぎに感じるこの作品を見事にコントロールされた演奏で淀むことなく進ませます。管弦楽の響きも、それまでのバイロイトのゲルマン的な厚い音から、澄んで美しい音に変貌を遂げていますが、充分に聴き応えのある目の積んだ音に感じられます。何より実演ならではの劇場的な息づかいに満ち溢れているのは素晴らしいです。歌手については、ジークフリートのマンフレート・ユングは声が若々しく、力強さと情感を見事に表現しています。ブリュンヒルデのグィネス・ジョーンズも声の美しさと繊細な感情表現が魅力で、終幕は感動的です。さすらい人のマッキンタイアの貫禄はまずまずですが声質は悪く無いです。ミーメのツェドニクはこの特異な性格模写が秀逸です。録音はさすがフィリップスで、音の明瞭さと柔らかさに加えて、舞台の奥行などの遠近感を見事に再現しています。幕ごとにCD1枚にきっちり収まっているのも案外珍しいですが便利です。

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マレク・ヤノフスキ指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1982年録音/RCA盤)
ゼンパー・オパーの再建落成記念の「指環」録音で、DENON、西独オイロディスク、東独シャルプラッテンによる共同制作です。ヤノフスキの指揮は非常にオーソドックスで、強い個性は有りませんが、音楽に対する誠実さが魅力です。特にオペラではその良さが出ます。響きの柔らかいルカ協会でセッション録音が行われたので、いぶし銀のドレスデンサウンドを味わえます。管弦楽の響きが硬く張り詰めたような音では無いので、耳に心地が良いです。もちろんそれは迫力に欠けるという意味ではありません。「森のささやき」などは木管の素朴な音色に魅了されます。それぞれの管楽奏者はもちろんとても上手いです。歌手については、ジークフリートのルネ・コロの若々しい声と雄々しさが素晴らしいです。「鍛冶の歌」にも惚れ惚れします。ミーメはシュライアーですが、この人はこうしたニヒルな性格模写がとても上手くて主役を食ってしまいそうです。さすらい人のテオ・アダムは、やはりバリトンとしては声の軽さがどうも気には成ります。ブリュンヒルデのアルトマイヤーは声の線は細いですが繊細さが有り、悪くは有りません。録音は劇場の舞台の雰囲気が有り、過剰な音響効果を排除しているのに好感が持てます。

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ジェイムズ・レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管(1988年録音/グラモフォン盤)
これはメトにおいてセッション録音された「指環」全曲で、DVD映像版とは別の演奏です。レヴァインの後期ロマン派の演奏は概して基本テンポが遅くスケールが大きいですが、ワーグナーもその例外ではありません。ちょっとクナッパーツブッシュのス巨大な演奏を想わせます。オーケストラの優秀さも特筆され、流石は世界有数のオペラハウスです。ドイツの歌劇場の音の暗さ、厚みにもそれほど遜色は無く、カラヤンの「指環」でのベルリン・フィルの明るい音色よりもよほど好ましいです。マンハッタンセンターで収録された録音も劇場の響きの雰囲気を感じさせて素晴らしいです。歌手については、ブリュンヒルデのベーレンスに関してはこの作品では最高の適役で、その凛々しさは大きな魅力です。ジークフリートのライナー・ゴールドベルクがヘルデン・テナーにしては優男っぽくて、幾らか頼りない雰囲気ですが、かなりの健闘です。終幕の二重唱は聴きものです。ミーメのハインツ・ツェドニク、さすらい人のジェイムズ・モリスは、どちらも一応は及第です。その他では、ファーフナーのクルト・モルの声は軽くて大蛇の雰囲気に欠けます。森の小鳥のキャスリーン・バトルはとにかく声が良いです。

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ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管(1989年録音/EMI盤)
ワーグナーの第二の聖地、バイエルン歌劇場においてサヴァリッシュが指揮した「指環」をNHKが映像制作および録音をしたものです。サヴァリッシュとしても勢いのある時代の演奏で全体的に速めですが、管弦楽と歌手の絡み合いなど統率力が素晴らしいです。オーケストラの音はバイロイトの凄味の有る響きとは少々異なり、南ドイツ的な素朴さと柔らかみが魅力です。その分、時に軽く感じられる場合も有ります。歌手については、ジークフリートのルネ・コロはやはり素晴らしいです。但し、聴きどころの一つの「鍛冶の歌」はワーグナーらしい重量感に欠けていて味気無いです。これはサヴァリッシュの責任でしょう。ブリュンヒルデのベーレンスもまた前年のレヴァイン盤と同様に最高の素晴らしさです。当然、終幕の二重唱は感動的です。さすらい人のロバート・ヘイルは表現力が幾らか薄いですが声が太いので適役です。ミーメのヘルムート・ハンプフ、ファーフナーのクルト・モルなど、他の配役は及第点と言えます。なお、「森のささやき」は歌、管弦楽ともに極めて美しいです。NHKによる録音は舞台上の音が色々と入っていますが、それも生の臨場感ですし、残響の少ない劇場の割には管弦楽の音に潤いが有り、歌手の声も明瞭で優れます。

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ダニエル・バレンボイム指揮バイロイト祝祭劇場管(1992年録音/ワーナークラシックス盤)
ハリー・クプファーの前衛的な舞台演出が話題となった「指環」で、1988年から92年まで5年連続で公演されてバレンボイムが全ての指揮台に立ちました。バレンボイムは第1幕第1場をかなり速く躍動感を漲らせて進めます。ともすると退屈するこの場が緊迫感でドキドキさせられますが、一方でテンポを落とす部分ではたっぷりとしていて対比が見事です。全体的に緩急に幅が有り、大きく歌わせてドラマティックさを引き出します。オーケストラの威力は圧倒的ですが、金管が所々で荒々しく感じられるほどです。歌手については、ジークフリートのイェルザレムは男っぽい勇ましさが凄いです。「鍛冶の歌」などはバレンボイムがバリバリと鳴らす管弦楽にも負けることなく力強く歌い切って圧巻です。ブリュンヒルデのアン・エヴァンスは力強さと凛とした女性の雰囲気がとても魅力的です。終幕の二重唱も熱量が凄いです。さすらい人のトムリンソンは声が太く男っぽくキャラクター的に向いています。ミーメのクラークも奇異な感じを良く出てしています。ただ、森の小鳥には神秘感が足りません。これはUNITELによる映像制作プロジェクトで、ライヴでは無くセッション収録ですが、その割には舞台の雰囲気が失われていないのに感心します。

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クリスティアン・ティーレマン指揮バイロイト祝祭劇場管(2008年録音/オーパス・アルテ盤)
ベーム盤以来40年ぶりのバイロイト・リングのライブ録音です。ティーレマンが現代最もドイツ的な指揮者であることは間違いありませんが、特に後期ロマン派作品においては唯一無二の存在です。ゆったりとしたテンポでスケール大きく、管弦楽の響きにはずしりとした重量感が有り、ワーグナーの書いた様々な動機が大きくうねるように奏されます。「鍛冶の歌」では途中からテンポをぐっと落とすところは往年のクナさながらです。ライブとは言えオーケストラの質はおよそ最高です。その演奏を祝祭劇場の響きと共に再現した極上の録音は、個々の楽器の音を良く捉えながらも、全体を柔らかく包み込んでいます。歌手については、ジークフリートのステファン・グールドが声そのものは良いのですが、「鍛冶の歌」などの聴きどころでヘルデン・テナーとしての力強さが欠けていてタイトルロールとしては物足りません。ブリュンヒルデのリンダ・ワトソンは往年のソプラノのような圧倒的な凄味が無い分、この作品ではむしろ好みます。ヴォータンのアルベルト・ドーメンにはどうしても威厳と深味の不足が感じられます。ミーメのジーゲルはまずまず及第点というところです。歌手陣はベストとは言えませんが、指揮、オーケストラ、録音の素晴らしさから聴後に深い満足感を得られます。

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クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン国立歌劇場管(2011年録音/グラモフォン盤)
上述したバイロイト盤から僅か3年後に今度はウィーン国立歌劇場での「指環」がリリースされたのには驚きました。ティーレマンの解釈には大きな違いは無く、両者のオーケストラの持つ音と録音コンセプトの違いが明らかです。管弦楽の凄味や迫力においてはバイロイト盤が圧倒的有利です。ウィーン盤は弦楽器などの音の美しさは魅力なのですが、元々持つ音の柔らかさに加えて遠目に捉えた音像が更に柔らかさを増幅させています。その為に「バイロイトよりも録音が劣る」というリスナーのレヴューが見受けられるのも分かる気がします。しかし「ジークフリート」に関してはこの音も悪くないです。歌手については主要な役はバイロイト盤と共通していて、ジークフリートはグールド、ブリュンヒルデはワトソン、ヴォータンはドーメンです。三者ともバイロイトとそれほどの差は感じられません。ただ終幕の二重唱はこちらの方の感動が勝る気がします。ミーメはヴォルフガング・シュミットに変わりましたが、これも一応は及第点でしょうか。さて、結局バイロイト盤とどちらを取るかと聞かれれば、迷ったうえでバイロイトと成るでしょう。

というわけで、基本的に全曲盤が並ぶことと成りますが、今回はあくまでも「ジークフリート」だけで比較をします。全部で17種となりますが、この作品ではタイトルロールの出来が大きく影響します。そうなるとクラウス盤、カイルベルト盤、クナッパーツブッシュ‘56年、‘58年盤、ショルティ盤、ベーム盤でのヴィントガッセンがどれも素晴らしく、最も自分の好みです。その中でも特にモノラル録音ながら音の良いクナッパーツブッシュ‘58年盤、ステレオ録音のカイルベルト盤、ベーム盤を取りたいです。ショルティ盤は録音効果が過剰なのが気に入りません。

その他では、オーケストラ、歌手、録音を含めて全体のバランスを考慮したうえで特に気に入ったのは、ブーレーズ盤、ヤノフスキ盤、レヴァイン盤、ティーレマンのバイロイト盤でした。

ところで年末にはNHKFMで夏のバイロイト音楽祭のライブ録音が放送されます。昔はよく聴き入っていましたが、今ではオーディオ装置の問題もありPCで軽く聴く程度です。しかしこれを楽しみにされているワグネリアンも多いことでしょう。個人的には過去の演奏史に残るCD録音たちに惹かれて止まないというところではありますが。

さて、次回はいよいよ最後の「神々の黄昏」となります。 

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2024年12月 7日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第9番変ホ長調 Op.70 名盤 ~戦争三部作~

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今年も早いもので師走に入りました。我が国もそうですが、世界中が不穏な情勢ばかりで嫌に成りますね。

それはそれとして、ショスタコーヴィチの交響曲でまだ記事にしていないのは1、2、3、6、9番となりました。この辺りは普段は余り聴くことは有りませんが、中では強いて言えば9番でしょうか。 

ショスタコーヴィチは第二次世界大戦の間に交響曲第7番、第8番を発表しましたが、大戦の終結後に第9番を発表します。この3曲がいわゆる「戦争三部作」です。 

ソ連政府は戦争の勝利を称える記念碑的な大交響曲を期待していましたし、当初はショスタコーヴィチ自身も「第九」というベートーヴェンに由来する特別な交響曲番号を意識したようです。

ところが三部作の締めくくりとなる作品にもかかわらず、いざ発表されてみると前の作品とはまるで異なる軽妙な作品であり、政府が期待していたような壮大な作品ではありませんでした。

演奏時間も30分かからず、編成も小さく合唱も入ることなく、逆にユーモアやパロディの加えられた音楽だったことから、ソ連の当局からは、戦勝の功労者であるスターリンを茶化しているようにも受け取られ、その後のジダーノフ批判にさらされてゆくことになります。 

第1楽章 アレグロ 軽やかで調子のはずれたユーモラスな主題を持っていて、戦争勝利のお祝いとも、その功労者への茶化しともどちらにも捉えられそうな楽章です。初演に臨席した当局の人間の唖然とした顔が目に浮かぶようです。 

第2楽章 モデラート-アダージオ 勝利や祝賀の雰囲気からは程遠い、虚無感さえ漂わせた気分に支配されています。 

第3楽章 プレスト、スケルツォ 躍動的な主題が続きますが、やがてゆったりと悲しげな調子となる短い楽章です。 

第4楽章 ラルゴ 第3楽章と第5楽章とのブリッジ的な短い楽章です。 

第5楽章 アレグレット、ロンド 前の楽章から引き継がれ、次々にパロディを含んだ旋律が様々な楽器に移ります。やがて再現部となり、とても明るく奏されます。急にテンポが上がるとコーダとなり一気に終わります。 

それでは愛聴盤のご紹介です。 

Shostakondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1965年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) ご存じの通り世界で初めてショスタコーヴィチの交響曲全集を完成させたコンドラシンの録音です。モスクワ・フィルを快速テンポでドライブして、切れ味の鋭さと凄みの有る演奏です。贅肉を削ぎ落した厳しい響きにも圧倒されます。このシリアスな演奏からは、ユーモアなどは余り感じられません。例によって音質が硬いのがマイナスですが、これは当時のメロディア録音ではやむなしです。 

51bhwoyugql レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1965年録音/SONY盤) 東西冷戦時代にも特に米国ではショスタコーヴィチの作品は多く取り上げられました。バーンスタインはモスクワでも演奏を行ない、作曲者本人から絶賛を受けました。しかしこの演奏はテンポこそ速くは無いですが、何とも明るいです。ソ連勢の楽団の暗い響きとはまるで異なる開放的で楽天的な響きはやはりアメリカ。まるでグローフェか百歩譲ってもプロコフィエフのようです。当時のNYPのアンサンブルも決して悪い訳では無いのですが、おおらかなものです。 

Shostako71z4rwmorl_ac_sl1013__20241207110901 ベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン・フィル(1979年録音/DECCA盤) ハイティンクのDECCAへの交響曲全集はコンセルトへボウとロンドン・フィルが使われていましたが、この曲は後者です。結構な速いテンポでキレ良くリズムを刻みますが、統率力とアンサンブルの優秀さは大したものです。何を指揮しても特に個性を表わさないものとハイティンクをイメージしていましたが、ショスタコは特別なのでしょうか。もちろんソ連勢の荒々しさは有りません。あくまでも洗練されて純音楽的ですが、作品への深い共感に溢れています。 

Shostako59sarcwecl_ac_sl1400_ ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文化省響(1983年録音/Olympia盤:メロディア原盤) ロジェストヴェンスキーの為にソ連政府が用意したオーケストラと1983年から1985年にかけて録音された交響曲全集からのライセンスです。作品からしてロジェストヴェンスキーにうってつけだと想像出来ますが、その通りで、速過ぎないテンポでいて弾むようなリズムとキレの良さ、生き生きした躍動感、さらに深く沈み込む静寂さ、壮大さと、この曲の持つ要素をことごとく誰よりも見事に再現しています。金管の音の激しさにもしびれます。英国Olympia盤の音はやや硬めですが明瞭で鑑賞に支障ありません。  

Shostako-1-9-__aa1500_ ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響(1993年録音/テルデック盤) スラヴァ(ロストロさんの愛称)の指揮にはチェロの演奏の時の厳しさと比べると、ずっとおおらかさを感じます。この演奏でもゆったり目のテンポで人間の持つ喜びや哀しみの感情が自然に湧き出ているように思えます。それは作曲者と親交が有ったスラヴァであればこその鋭角的に成り過ぎず、必要以上に肩に力の入らない演奏なのかもしれません。録音も良いですし、廉価で手に入る全集盤も演奏に統一感が有りお勧めです。

6110ipi39il ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1995-96年録音/ブリリアント盤) 1楽章の速過ぎないテンポながらもリズム感の良さと打楽器の適度の浮き上がりが快適です。2楽章も暗過ぎず、冷た過ぎないので聴き易いです。ケルン放送響はアンサンブルも優れますし、この曲には金管パートにロシアの楽団のような馬力が必ずしも必要としないので適しています。バルシャイのショスタコ交響曲全集に含まれますが、録音も優秀なうえ廉価盤ですので、第一にお勧め出来ると思います。

Shostaco598711ggtnko9l_ac_sl1400_ アンドリス・ネルソンス指揮ボストン響(2015年録音/グラモフォン盤) やはりこの作品とアメリカのオーケストラとの相性は良いです。ゆえにソ連当局から批判されたのも理解できます。ボストン響の明るく軽い金管の音色もこの曲に限ってはうってつけです。ただしバーンスタインのような底抜けの明るさとは異なるのは、ネルソンスが旧ソ連のラトヴィア出身だからでしょうか。2楽章に深刻さは有りません。3楽章のアンサンブルは優秀ですが、優等生みたいなのはどうか。終楽章の音の厚みと変化に富んだ指揮は秀逸で凄く楽しめます。録音も中では最も新しいので優秀です。

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2024年11月 2日 (土)

おめでとう大谷翔平!

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随分と長いこと音楽以外の話題は載せていませんでしたが、このことは将来ずっと語り継がれるであろう出来事なので。

野球に打ち込む一人の日本人高校生が夢見た『メジャーリーグに入ってワールドシリーズで優勝する』が実現した瞬間です。

とかく暗いニュースが多い現代で毎日明るい話題として飛び込んでくる大谷活躍のニュース。そのひとつの節目です。

しかし大谷翔平という青年はすでにWS10連覇を更なる目標に掲げたようです。

何とも誇らしいですね。我々も同じ日本人として大谷の百万分の一でも良いので頑張って生きてゆきたいです。

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2024年10月28日 (月)

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番ハ短調 Op.43 名盤

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ショスタコーヴィチの交響曲は主要な曲をこれまでUPして来ましたが、残る第1~4、6、9番の中から上げるとすれば、やはり第4番となるでしょう。この作品は19359月から19365月まで8か月をかけて作曲され、それまでの作品から飛躍的に進歩し、自己の音楽を確立させたものとして第5番以前の力作であり、ショスタコーヴィチ全交響曲の中でも最大規模の編成で書かれています。 

ところがショスタコーヴィチは1936年にソヴィエト共産党の機関紙「プラウダ」で批判を受けてしまいます。当時のソヴィエトではスターリンによる大粛清が行われていて、ショスタコーヴィチの近親者や友人たちが相次いで逮捕され、自身も当局の事情聴取を受ける状況でした。悲壮な決意でこの作品の初演に向けてリハーサルをしていましたが、ついには初演を諦めざるを得なくなります。 

この作品はその後も長い間、陽を浴びることは無く、スコアも紛失されてしまいますが、モスクワ・フィルの芸術監督や指揮者であるコンドラシン達がパート譜の復元に尽力して、作曲から25年も過ぎた1961年になってようやく初演が行われました。 その演奏を聴いたショスタコーヴィチは、「この交響曲は自分の最上の作品の一つで、第8番をも上回るであろう」と語ったとされます(※但しこの時には第13番以降はまだ作曲されていません)

作品は3楽章形式ですが、両端楽章が長大であるために演奏時間には約60分を要します。 

第1楽章 アレグロ・ポコ・モでラート-プレスト、ソナタ形式 ハ短調
ショスタコーヴィチの交響曲は簡潔な楽章と長大な楽章との差が大きいですが、この楽章はすこぶる複雑で長大です。プレストのフガートは特に印象的ですが、静けさと大騒音が同居する巨大な楽章です。 その異様なまでの激しさや残虐さは、戦争や圧政の影を表わしているとしか考えられません。

第2楽章 モデラート・コン・モート、スケルツォ
両端楽章に比べれば短いですが、それでも普通の大交響曲並みの長さが有ります。内容的にはまだマーラーの影響と思わせる部分も有りますが、すでに次の第5番の先駆けとなる楽想が多くみられます。 

第3楽章 ラルゴ-アレグロ、終曲-コーダ
葬送行進曲を想わせる序奏で始まりますが、いかにもショスタコーヴィチらしい組曲風の楽章です。主部では「魔笛」のパパゲーノのアリアや「カルメン」の闘牛士の歌がパロディで現れたり、様々な音楽となって展開されます。後半は変奏曲のように進み、長大なコーダに入るとティンパニの連打、金管のコラール、行進曲と次々に続き、最後は悲壮感を湛えながら静かに終わります。 

作品の不運な経緯から、ショスタコーヴィチ存命中の録音は僅かでしたが、現在では録音、演奏会の機会も増えました。一般的に広く親しまれている第5交響曲よりもずっとショスタコーヴィチらしさが感じられるので、タコ・マニアにはこの第4番の方を好む方は多いことでしょう。

それでは所有するCDのご紹介をしてみます。

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1962年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) 世界初であったショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。この作品の初演に尽力したコンドラシンとモスクワ・フィルによる録音をこうして聴くことが出来るのは何物にも代えがたく貴重です。肝心の演奏は、いかにもコンドラシンらしい、すさまじいばかりの切れ味と緊張感に溢れた正に壮絶と言える凄演です。また静寂部に漂う悲壮感にも胸を打たれます。初期ステレオの古い録音ですが、音は意外と明瞭でリマスターもかなり成功していると思います。写真は所有するヴェネチア盤の全集です。

Shostako-4-dfi28xl_ac_ アンドレ・プレヴィン指揮シカゴ響(1977年録音/EMI盤) プレヴィンのシカゴ響との録音は比較的少ないですが、楽団の持つ優れた合奏力と音色はこの作品にぴったりです。旧ソ連勢のような馬力を誇示した荒々しさとは異なりますが、しっかりとコントロールされていながらも底力の有る重厚な響きや金管楽器の鋭利さが最高に聴き応え有ります。精妙なアンサンブルの聴かせどころでもムラヴィンスキーのような凄味すら感じさせます。EMIの録音がいつものウォームな音よりもずっと明晰でクリアーな音造りをしているのも作品にとって好ましいです。

Shosta-maxresdefault ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮/ボリショイ劇場管(1981年録音/Russian Disc盤) この作品はロジェストヴェンスキーの音楽性に最も適していると思われますが、実際に録音も数種類残されています。そのうち所有しているのはこのボリショイ管とのライヴ盤ですが、万が一にもここをバレエ・シアター楽団などと侮ってはいけません。当時のソ連の他の楽団と比べて遜色は有りませんし、この国特有の鋼の様な響きや、炸裂する金管のパワーに圧倒されます。もちろんライヴなので疵が無いわけではありませんが、そんな些細なことにこだわる必要はありません。録音も明瞭でソ連の当時のライヴとしては中々に優れています。

Shosta-335_20220616125701 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響(1995年録音/テルデック盤) スラヴァ(ロストロさんの愛称)がナショナル響とロンドン響を主体に録音した交響曲全集に含まれます。ソ連時代の多くの演奏家のような壮絶で切り裂くようなタイプの演奏ではありません。テンポはゆったり気味で落ち着きが有り、スケール大きな広がりが感じられます。響きも美しく、暗さや冷徹さよりも人類愛のようなものを感じます。生粋のタコ・マニアには「生ぬるい」と好まれないかもしれませんが、これはスラヴァならではの表現なのかもしれません。オーケストラは優秀ですし、録音も明瞭で重心の低い音響が聴き応え有ります。

6110ipi39ilルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1996年録音/ブリリアント盤) バルシャイのショスタコ交響曲全集に含まれますが、どの曲にも共通して言えるのはドイツの優秀な放送オーケストラの演奏なので、響きに厚みと重さを持ちながらも騒々しいほど刺激的にはならず、音色も冷た過ぎないので親しみ易いです。この作品にはロシア系の激しく戦闘的な響きの方が向いていると主張されるタコ・マニアはおられるでしょうが、一般のリスナーにとっては、このぐらいの方が良いかもしれません。とは言え名匠バルシャイのことですので、幾らかゆったり目のテンポで作品のツボを押さえた見事なショスタコーヴィチを聴かせてくれます。録音も優秀ですし、廉価盤でこれほど高水準の全集を揃えられるのは特筆大書して良いです。

Shostako-41yqqdfh8el_ac_ マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送響(2004年録音/EMI盤) 冒頭は予想外に穏やかとも言える印象で開始されます。それは旧ソ連勢の極限の緊張感で戦闘的に開始される演奏とはだいぶ趣が異なります。その点では、バルシャイのケルン放送盤以上だと言えます。もちろんバイエルン放送響はベルリンPOと並ぶドイツの優秀な楽団ですので、それもMヤンソンスの明らかな意図です。それが証拠に展開部からは演奏のギアが徐々に上がってゆきます。弱音で奏される弦楽器や木管楽器は官能性を湛えていますし、一方強奏される管打楽器には底力をすこぶる感じさせます。戦時を直接経験した演奏家とは立ち位置が変わり、純粋に近代管弦楽曲として捉えればこその演奏なのでしょうか。録音は優秀で音の厚みも明瞭さも申し分ありません。

Shosta-456_ac_ ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管(2013年録音/Mariinsky盤) ゲルギエフの第4番は2001年のフィリップス録音に続く二回目の録音ですが、ライヴ収録です。旧ソ連時代の指揮者達と比べると時代の違いからか、演奏にはある種の余裕や客観性が感じられますが、新しい録音だけあって美しい音で個々の楽器の動きが明瞭に聞き取れます。その上でスケール大きく重心の低い響きがまるでコンサートホールで聴くような迫力で楽しめます。管弦楽の音色が西ヨーロッパや米国の楽団のような明るさでは無く、あくまでもロシアの暗い響きなのは嬉しいです。静寂部分も非常に美しく、寂寥感が深く漂っています。4番、5番、6番を2枚組に収めたセットに含まれます。

Shostako-4-11-mjrjdnol_ac_sl1200_ アンドリス・ネルソンス指揮ボストン響(2018年録音/グラモフォン盤) 現在最も活躍中の一人ネルソンスのショスタコ録音チクルスの一つですが、ここでもライブ収録であるにもかかわらず、ボストン響の優秀なアンサンブルとフォルテシモでも決して汚くならないハーモニーは秀逸で、それを優れた録音に収めているという点で他の曲と同様です。それは旧ソ連勢のあの冷たく重い響きにより「戦闘的」とも形容される壮絶な演奏とは対極で、聴いていても身体が打ちのめされる様なインパクトを得ることは有りません。もっとも近年はロシアの演奏でも随分とスマートにはなってきたのでやはり時代の違いなのでしょう。11番との2枚組です。

これらで特に印象的なのは、もちろん初演者のコンドラシン、それにロジェストヴェンスキー、です。録音の新しいところではやはりゲルギエフでしょう。

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2024年9月19日 (木)

1000万PV到達!

拙ブログはPC版だと左の一番下にカウンターが付いていますが、これは過去からの総PV(ページビュー)数です。スマホ版にはこのカウンターは有りません。

私事ながら(笑)、それが本日とうとう1000万PVに達しました。開設したのは2008年8月のことですので、その間16年と2カ月です。

まぁ、よく続いたものだと思いますが、まだしばらくは続けられると思いますので、これまで同様にどうぞよろしくお願いいたします。

2024.9.19 ハルくん

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2024年9月12日 (木)

リヒャルト・シュトラウス 「アルプス交響曲」Op.64 名盤

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ツークシュピッツェ山

リヒャルト・シュトラウスが作曲した「アルプス交響曲」(Eine Alpensinfonie)は、作曲者自身が14歳(15歳との説もあり)の時に、アルプスのツークシュピッツェ山に向けて登山をしたときの体験が作曲の元となったとされます。ちなみにバイエルン州とオーストリアの間にあるこの山は高さ2,962mでドイツの最高峰です。

ところが、ツークシュピッツェ登山の話というのは疑義が有り、実際に登ったのはハイムガルテン山(高さ1790m)だったようです。というのもリヒャルト少年の登山の証拠は友人宛の手紙なのですが、肝心な山の名前は記されていません。手紙には「夜中の2時に出発して・・・5時間歩いて頂上に着いた・・・そこからの眺めは素晴らしく、シュタッフェル湖、リーク湖、アンマー湖、ヴュルム湖、コッヘル湖、ヴァルヒェン湖、・・・ツークシュピッツェを見渡せた・・・」と書かれていることから、これらの湖や山を眺められ、少年でも登れる山ということから、ハイキング登山で人気のハイムガルテン山と推定されるようです。 

それはさておき、この作品にはアルプス登山の一日が夜明け前から始まり、再び夜が訪れるまでを時間の経過とともに、様々なシーンが描かれています。つまり「登山の疑似体験」でしょうか。しかし、美しい景色と爽やかな空気に包まれるのは良いとしても、アルプスを一日で登頂して下山するというのは、まるで富士山の弾丸登山のようで無謀、危険ですね?? 案の定、道に迷ったり嵐や雷雨に合ったりします。実はリヒャルト少年も実際にそんな目に合ったのだそうです。 

リヒャルト少年は登山の翌日にこの体験をピアノで音として再現しました。それから20年後に「アンチクリスト、アルプス交響曲」とタイトルを付けて4楽章の交響曲としてスケッチしましたが、結局は1911年に現在の形として完成させました。 

作品は下記の通り全部で22の部分から構成され、各部が切れ目なく演奏される単一楽章の交響曲です。しかし形式的な意味での「交響曲」からは遠くかけ離れているので、これは「交響詩」あるいは一般の管弦楽曲に分類されるべきだと思います。  

1.夜: 不協和音の夜の動機により開始され、金管楽器により山の動機が静かに登場する。

2.日の出: 太陽の動機が強奏され、調を変えながら受け継がれる。

3.登山: チェロ・コントラバスによる山登りの動機、岩壁の動機が現れ、舞台裏のバンダによりファンファーレが奏される。

4.森へ入る: トロンボーンとホルンによる旋律に山の動機が絡む。

5.小川に沿って歩む: 小川のせせらぎの音が聞こえ、山の動機が重ねられる。

6.滝: 岩壁の動機に、滝の流れが重ねられる。

7.幻影: 水の中に幻影が現われる。最後にホルンの旋律。

8.花咲く草原: 山登りの動機が静かに聞こえ、やがて明るくなる。

9.山の牧歌: カウベルが鳴る中、牛の鳴き声やアルペンホルンの音が聞こえる。

10.林で道に迷う: 山登りの動機と岩壁の動機、迷路の動機。そして山の動機が現れる。

11.氷河へ: 明るくなり、山登りの動機が現れる。

12.危険な瞬間: 遠くから雷鳴が聞こえてくる。

13.頂上にて: トロンボーンによる頂上の動機。幻影のホルンの旋律が再び聞こえる。山の動機と太陽の動機。

14.景観: 頂上の動機が現れ、太陽の動機が再び登場する。

15.霧が立ちのぼる: 不安げな旋律となる。

16.陽がかげり始める: 太陽の動機が短調で登場し、陽がかげってきていることを表す。

17.悲歌: 弦楽器による登山者の悲しげな歌。

18.嵐の前の静けさ: 遠くから雷が聞こえ、だんだんと暗くなる。雨が降り始め、次第に激しくなり、風が吹き出す。

19.雷雨と嵐、下山: オルガンの和音とウィンドマシーンにより「吹けよ風、呼べよ嵐」とばかりに嵐の中を登山者は下山する。稲妻が光り、落雷が轟くが、だんだんと静まる。

20.日没: 太陽の動機が展開されて日没となる。登山者は哀歌を口ずさむ。

21.エピローグ: オルガンによる太陽の動機。山登りの動機が回想的に現れ、辺りが暗くなってゆく。

22.夜: 夜の動機が再び現れ、山の動機とともに静かに一日が終わる。 

最後まで聴き終えてみると、『これが果たして登山の一日を表現しただけなのだろうか?』 という疑問が湧いてきます。シュトラウスが作品を完成させたのは51歳の時で、それからまだ30年以上を生きますが、管弦楽曲としてはこれが最後の作品と成ります。つまりこの『夜明けから再び夜の闇に包まれるまでの波乱万丈に富んだ一日』とは、もしや人間の一生の象徴としたかったのではないか?ふと、そんな風にも思えました。  

 “人生波乱万丈。それは弾丸登山のごとし”(ハルくん)

それはともかく、この作品は何しろ幾つもの特殊楽器やステージ裏などで沢山の楽器が用いられます。ワーグナー・チューバなどはまだ序の口で、ウィンドマシーン(風の音を起こす装置)、シュトラウスが特注したサンダーマシーン(雷の音を起こす装置)、カウベル(牧羊ベルの音)、さらにバンダ(舞台裏の楽隊)にもホルン12本、トランペット2本、トロンボーン2本と、「なんだこりゃ!」状態です。

おかげで奏者は150名ほど必要となります。え、千人の交響曲よりはマシ?合唱を加えなかったのは救いでしたね。 

作品の初演は1915年にベルリンのフィルハーモニー楽堂でリヒャルト・シュトラウスの指揮するシュターツカペレ・ドレスデンにより行われました。 

CDはどれもこれも聴いているわけではありませんが、愛聴しているCDをご紹介します。 

Rs193 ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル(1952年録音/Altus盤)
シュトラウスの管弦楽曲をモノラル録音で聴くことは余りありませんが、クレメンス・クラウスやクナは例外です。これはウィーン楽友協会におけるライヴです。全体のテンポは特に遅くは無く、むしろ速めでアルプスの山道をヒョイヒョイと駆け上るようです。当時のウィーン・フィルの音は本当に柔らかくて魅力的ですが、録音のハンディは如何ともしがたいです。ただ「雷雨と嵐」など、物理的な音響を越えて怖いぐらいの嵐の情景が目に浮かぶのは凄いです。録音はロートヴァイスロート放送によりますが、この当時のライヴ録音としては優れています。 

Rs-91ynqpgu17l_ac_sl1417_ カール・ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1957年録音/グラモフォン盤)
モノラル録音なのは残念ですが、各楽器の音は明瞭で充分鑑賞に耐えられます。それに何と言っても初演を行ったSKドレスデンです。壮年期のベームらしいがっちりと引き締まった造形感を打ち出しながら、速めのテンポでズンズンと進みます。最近の演奏の様にトゥッティにおける金管のハーモニーが完璧に溶け合った美しさを誇るわけでは無いですが、「嵐」など要所での力感は素晴らしいです。これでステレオ録音ならと思ってしまうのが。。。いや、それを言うのはやめましょう。

Rs71yqlsiqerl_ac_sl1400__20240912115501 ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1971年録音/EMI盤)
サヴァリッシュのシューマンなんかもそうなのですが、この当時のSKドレスデンをLP盤で聴くと国内盤でも充分に素晴らしい音でした。しかしCD化された音は幾らマスタリングが駆使されてもアナログの良さは再現出来ません。しかしそれで価値が無くなるわけでは無く、デジタル再生でも演奏の素晴らしさは味わえます。ウィーン・フィルの流麗な音とは違ったSKドレスデンのやや明るめで古雅な美音はやはり大きな魅力です。ケンペの指揮は壮大さも充分ですが、各場面の語り口は実に上手いものです。ワーナーから再発された全集盤の音が評判良いですが、以前のX’mas BOXとの大きな差は無いように思います。

Rs-0001067809ll ゲオルグ・ショルティ指揮バイエルン放送響(1979年録音/DECCA盤)  このディスクは所有していたのを忘れていましたが、オーケストラにシカゴ響を起用しなかったのは賢明です。ウイーンPOならベストですが、バイエルンでも良しです。ところがオーケストラを力づくで引き摺り回し、トウッティを目いっぱい鳴らし切るあたりはショルティの本領発揮かもしれませんが、それがこの曲の広々とした自然さとはどうも異質に感じられます。「登山」も自分が聴いた中では最速で平地を駆けるようです。「嵐」の迫力も大したものですが、全体的に心の休まる暇が有りません。従って余りお薦めは出来ません。

Rs114 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1980年録音/グラモフォン盤)
カラヤンのこの曲の一度切りの録音で、それは結構珍しいことなので、この演奏に満足し切れたということを意味するのでしょうか?確かに“音の洪水“と呼べる演奏で、アルプスの氷河が全部溶けて濁流となったような印象です。もっともそこから感動が生まれるかと言えば首をひねります。ベルリン・フィルの機能は優秀で、物理的な音響としては圧倒的迫力ですが、美感を損ねるまでの金管の強奏などはむしろ騒々しく感じられるほどです。心が自然と高まるような愉悦感がどうも得られ難いです。「それは、お前がアンチ・カラヤンで偏見があるからだろう」と言われそうですし、実際にその通りかもしれません。最新録音では有りませんが音は優れます。 

Rs083 アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィル(1989年録音/TELARC盤)
プレヴィンのシュトラウスは「英雄の生涯」も「ツァラトゥストラ」も良い演奏でしたが、この「アルプス交響曲」も素晴らしいです。いかにもプレヴィンらしく、ことさらに力むことも無く、流れるような自然体でありながら、名作映画を観ているかのように惹き込まれてしまいます。もちろんウィーン・フィルの音の美しさは特筆ものですが、ここぞという場面での迫力にも不足は有りません。アルプスの山々の威容も充分に感じさせてくれます。更には内面的な哲学までも感じさせるような気がします。テラークによる優秀録音はその感動に一役買っています。 

Rs-asahina 朝比奈隆指揮北ドイツ放送響(1990年録音/ODE Classics盤)
朝比奈は、この曲を好んだようで三種類の録音が有ります。これはそのうちのドイツの名オーケストラとの録音なので、ライヴにもかかわらず、演奏の完成度が極めて高く、安心して聴いていられます。雄大なスケールと力感を醸し出しながらもフォルテで少しもうるささを感じさせないのは、この楽団と多くの録音を残したヴァントのブルックナーと共通しています。ウィーン・フィルの音のような艶やかさは無いとしても、自然で美しい音色が魅力的です。それはチロル・アルペンではなくドイツ・アルペンという印象ですが、音楽の気宇の大きさにおいては随一の演奏だと思います。録音も明瞭で優れます。 

Rs-41sbdcybyl_ac_ クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィル(2000年録音/グラモフォン盤)
ドイツ音楽をドイツ音楽らしく演奏する指揮者が絶滅危惧種となった現代、それを一身に背負った感の有るティーレマンですが、ワーグナー、ブルックナーと並んで素晴らしいのがリヒャルト・シュトラウスです。スケールの大きさもさることながら、ウィーン・フィルの美しい音をいじらしいほどにデリケートに奏でてくれていますが、強奏部分でも美しさが失われず、これ以上何を求めるのかという気に成ります。余りに美しいので、アルプスの山々というよりも「ばらの騎士」を聴いているような錯覚に陥ります。そう、もはや自然界の情景では無く、夢の世界と言えるでしょう。ライヴ収録ですが演奏は完璧です。録音の質、楽器バランスも極上です。 

Rs486 ファビオ・ルイージ指揮シュターツカペレ・ドレスデン(2007年録音/SONY盤)
ルイージとドレスデンのRシュトラウスは2009年の来日で「英雄の生涯」をサントリーホールで聴きましたが、圧倒的な演奏でした。この「アルプス」は、その2年前に音楽監督となった年にドレスデンのルカ教会で録音されました。初演を行った楽団の演奏と言えば、1971年のケンペ盤と比較されるでしょう。しかしほぼ最新録音で音響的にこれだけ差が有っては初めから勝負は付いたも同然です。ルイージは幾らか速めにサクサクと小気味よく進めますが拙速な感じはしません。それよりもあの厚く雅やかなドレスデン・サウンドが一杯に鳴り渡るのが最高です。ホルンの魅力はウィーン・フィルのそれに並びますし、強奏でも全体のハーモニーが濁らないのも同様です。 

ということで、どれも魅力的な演奏ですが、“チロル・アルペン“としてはウィーン・フィルの持つ音の魅力は何物にも代えがたく、一つだけならティーレマン盤、次いではプレヴィン盤を選びます。一方”ドイツ・アルペン”としてはルイージ盤、それと朝比奈盤を選びたいです。

<補足>
リヒャルト・シュトラウスが登ったとされる山名についての記述を修正しました。
ベーム/SKドレスデン盤、ショルティ/バイエルンRSO盤を追記しました。

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2024年8月21日 (水)

神奈川チェンバー・オーケストラ サマーコンサート2024へのお誘い

今週末のご案内で申し訳ありません。
私が事務局長を務める県央音楽家協会の主催となる「神奈川チェンバー・オーケストラ サマーコンサート2024」を下記の通り開催します。お近くでご都合の宜しい方は是非聴きにいらして下さい。当日券は予定しておりますが、事前のご予約(一番下のメールアドレス宛にて)が確実です。

日時:824日(土)1330分開場 14時開演 

会場:みどりアートパーク(横浜市緑区民文化センター)ホール

出演:神奈川チェンバー・オーケストラ、本多優一(指揮)、小西もも子(ソロ・ヴァイオリン)

曲目:ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲、メンデルスゾーン/交響曲第3番「スコットランド」

※ 県央音楽家協会は神奈川県で活動する音楽家団体で、その所属演奏家が主体となる神奈川チェンバー・オーケストラのコンサートです。本公演は横浜市緑区の”緑・芸術文化活動支援事業”です。 

料金:一般 当日4,000円(事前予約3,800円)、高校生以下2,000円 ※緑区民特典 各200円引き

ご予約:県央音楽家協会  E-mail: [email protected]   

 

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2024年8月 6日 (火)

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第2番ト長調 Op.44 名盤

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チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、古今の数多くのピアノ協奏曲の中でも最も人気の高い作品でしょう。しかしチャイコフスキーは未完のものも含めれば全部で3曲のピアノ協奏曲を書いています。有名な協奏曲はそのうちの第1番です。そんなことも知らないとチコちゃんに叱られるぞ~ 

はて。それでは他の2曲はどうでも良い作品なのでしょうか?

確かに第3番は、当初「人生」と名付けた交響曲を作曲途中で破棄してピアノ協奏曲に変更したもので、完成する前にチャイコフスキーが死去したために第1楽章のみが遺作(Op.75)として出版されました。 

一方で第2番は1880年に完成し、チャイコフスキーからの第1番の献呈申し出を断っていたニコライ・ルビンシュタインに再び献呈を申し出て、今度は受け入れられました。ルビンシュタインは初演でピアノを弾く予定でしたが、腸結核のためにパリで急死したことから、初演はニコライの兄のアントン・ルビンシテインの指揮でセルゲイ・タネーエフのピアノにより1882年にモスクワで行われました。

初版楽譜は1881年に出版されましたが、1897年にチャイコフスキーの弟子のジロティが一部に手を加えた改定版が出されます。これはチャイコフスキーの意図を逸脱していた為に、1955年にアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルが自筆譜を元に原典版を復活させました。チャイコフスキー国際コンクールではこの原典版の使用が義務付けられていて、近年は第2番を演奏する奏者も増えているそうです。「2番ではいけないのでしょうか?」 ということは無いのですね!

第1楽章 アレグロ・ブリリアンテ・エ・モルト・ヴィヴァーチェ
第1番にも負けない壮大な楽章で、冒頭から立派で輝かしい管弦楽と共にピアノが激しく入って来ます。楽曲にはそれほど閃きは感じられませんが、初期の交響曲のようでとても分かり易く、チャイコフスキー・ファンには好まれるでしょう。展開部の後の長いカデンツァはピアノの妙技が大きな聴きものです。 

第2楽章 アンダンテ・ノン・トロッポ
冒頭にヴァイオリンとチェロのソロによる長く美しい二重奏が奏されてからピアノが入ってくるのがユニークです。中間部でもピアノと管楽器、そして再びヴァイオリンとチェロのソロとの語り合いが非常に美しいです。 

第3楽章 ロンド/アレグロ・コン・フォーコ
楽譜の指示通り生き生きと弾むような楽章で聴いていて心が躍ります。その楽想の楽しさはお得意のバレエ音楽のようで、目を閉じればバレエダンサー達が心に浮かびます。こんなに楽しい曲が余り聴かれないなんて勿体ない! 

などと言いながら、リリースされているCDの数が少ないこともあり(言い訳)、愛聴盤は少ないです。
 
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イーゴリ・ジューコフ(Pf)、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送響(1968年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤)
かつては日本でもそれなりに知られたジューコフと、今でも人気の高いロジェストヴェンスキーの共演盤です。1楽章から両者とも絶好調で、ジューコフの打鍵の力強さはギレリス以上に思えます。モスクワ放送響の豪快な鳴りっぷりにも惚れ惚れします。2楽章の二重奏も美しさの限りで、その後のピアノと管弦楽との語らいも非常に魅力的です。3楽章の心の沸き立つような躍動感はロジェストヴェンスキーの真骨頂と言えます。録音も古いわりには明瞭です。写真の協奏曲3枚組セットに収められます。 

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エミール・ギレリス(Pf)、ロリン・マゼール指揮ニュー・フィルハーモニア管(1972年録音/EMI盤)
ギレリスにチャイコフスキーを弾かせるとやはり最高です。マゼールが統率する管弦楽の鳴りの良い生き生きした演奏に乗って水を得た魚のようです。強音の輝かしさ、力強さは相変らずですし、弱音でも弱くなり過ぎずに旋律の魅力を心から味合わせてくれます。2楽章も美しいですが、ヴァイオリンとチェロのソロの魅力はロジェストヴェンスキー盤には敵いません。3楽章は意外と冷静さを残していて、もう少ししゃにむに突っ走っても良かったような気はします。フィナーレの追い込みは素晴らしいです。2枚組CDに三曲が収められています。 

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デニス・マツーエフ(Pf)、ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管(2013年録音/Mariinsky盤) 
上述のジューコフ、ギレリス盤と比べるとずっと新しい録音の為か、曲へのアプローチにゆとりを感じます。冒頭も力むことなく落ち着きが有りますし、緩除部分ではテンポを落としてゆっくりと歌わせます。しかし展開部はスケール大きい管弦楽に乗って強靭な打鍵と正確な技巧に圧倒されます。2楽章のヴァイオリンとチェロのソロとの掛け合いも素晴らしいです。3楽章は快速テンポで飛ばしますが、それでいて優雅さが感じられて良いです。録音は流石に管弦楽の厚い音と、底光りのするピアノの音がしっかりと捉えられています。このCDには第1番も収録されています。 

三者のピアノはいずれもロシアンピアノの醍醐味を聴かせているので甲乙つけがたいですが、個人的にはギレリス盤のオーケストラにはロシア的な味が薄いことから、ジューコフ/ロジェストヴェンスキー盤の直球勝負で火の玉のような演奏と、マツーエフ/ゲルギエフ盤のスケール大きく豊かな表現力の演奏を好みます。ただし入手性はギレリス盤が最も良いと思いますのでどうぞお好みで。

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チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 名盤

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2024年7月29日 (月)

ジャクリーヌ・デュ・プレのドヴォルザーク チェロ協奏曲 三種のCD比較

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神様がこの世に遣わした名女流チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレ。彼女は、その神様の悪戯により28歳で病魔の為に演奏活動から引退を余儀なくされ、そして42歳で早逝してしまいます。けれども、その壮絶とも言える数々の演奏の凄さには比較するものも無く、”最も好きなチェリスト”としてデュ・プレの名前を上げるファンは今でも少なくないと思います。

彼女の代名詞と言えたのはエルガーの協奏曲ですが、それと並ぶのはやはりドヴォルザークの協奏曲でしょう。現役当時は夫のバレンボイムの指揮で録音したEMI盤のみでしたが、その後チェリビダッケとのライヴ録音が世に出るとファンにとっては最高の演奏に位置付けられたと思います。ところが2023年にもなって、驚くことにメータ/ベルリン・フィルと共演したザルツブルク音楽祭でのライヴ録音が現われました。これは演奏だけで言えば、最もデュ・プレがデュ・プレらしく、更には指揮もオーケストラもデュ・プレ的な演奏です。リリースされたのがマイナーレーベル盤なのでどれだけのファンが聴かれたかは分かりませんが、ファンならば絶対に聴き逃してはいけない演奏です。

個人的にはドヴォルザークのこの曲としては更に好む演奏は有りますが(例えば堤剛、コシュラー/チェコ・フィル盤)、それはそれとしてデュ・プレの演奏は演奏史に燦然と輝く偉大な存在です。所有する三種のCDを改めてご紹介します。なお、他にチャールズ・グローブス/BBC響とのライブ録音(BBC盤)も有りますが未聴です。

4120kqm4kjl__ss500_ ジャクリーヌ・デュ・プレ独奏、セルジュ・チェリビダッケ指揮スウェーデン放送響(1967年録音/TELDEC盤) 
後述するデュ・プレが1970年にEMIへ録音した演奏には非常に感銘を受けました。けれども、更にそれを上回る感動を覚えたのは、EMI録音の三年前にチェリビダッケとストックホルムで共演をしたライブ録音です。これを聴くとデュ・プレはこの曲をこの時には完全に自分のものとしていたことが分ります。独奏もオーケストラも、こちらの演奏の方が上回っています。聴いているうちに手に汗を握り、白熱した音楽には引きずり込まれずにいられません。デュ・プレの激しい演奏からはドヴォルザークの音楽の癒しというものはそれほど味わえませんので、ならばいっそ徹底仕切った表現のこちらが良いと思います。録音も非常に明瞭でバランスも含めてEMI盤より優れます。

Dvorak-791154051078 ジャクリーヌ・デュ・プレ独奏、ズビン・メータ指揮ベルリン・フィル(1968年録音/ MELOCLASSIC盤) 
なんと2023年にもなってデュ・プレの唯一のザルツブルク音楽祭出演であった1968年のドヴォコンが聴けるとは思いませんでした。この前年のチェリビダッケ共演盤も素晴らしかったですが、こちらのライヴでは若きメータとベルリン・フィルの熱さが半端なく、デュ・プレと三者が死に物狂いでぶつかり合う極めて壮絶な演奏です。その為かデュ・プレにも他の録音と比べても最も表情の豊かさや激しさが有ります。つまりデュ・プレのファンにとってはこれこそが最高の演奏となると思います。録音はモノラルとのことですが、明瞭で広がりが有るのでステレオ録音かと思うほどです。2枚組のディスクにはシューマンの協奏曲、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第5番、ブリテンのチェロ・ソナタなどのライヴが収録されていて嬉しいです。

P_0227ジャクリーヌ・デュ・プレ独奏、ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ響(1970年録音/EMI盤)
天才女流チェリスト、デュ・プレの演奏との最初の出会いは、このドヴォルザークの録音でした。そして非常に感銘を受けました。歌い回しの雄弁さが圧倒的で、音の一つ一つへの精神的な思い入れが本当に凄かったからです。一方バレンボイムの指揮は評判が余り良く無いようですが、それは
デュ・プレの凄さに比べるとどうしても冷静な印象を受けてしまうからでしょうし、特に悪いとは思いません。それよりも常に全力投球のデュ・プレにはドヴォルザークの音楽として、もう少し癒しが欲しい気もします。またチェロのオブリガート部分になっても常にオーケストラのソロパート以上に目立つようなEMIの録音バランスの設定には幾らか古さを感じてしまいます。

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2024年7月22日 (月)

シューマン 交響曲全集 ~名盤~

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シューマンの音楽の魅力と言えば、後期ロマン派のような派手さの無い、本当に浪漫的な佇まいの中に幸福感だけでなく、焦燥感や孤独感などが混然一体となった音楽であることだと思っています。「渾然一体」というのは大事な点で、それが音そのものにも言えるからです。ですので北でも南でもないドイツ中部の響きこそがシューマンに最もしっくり来ます。
個人的にはシューマンの最もシューマンらしい魅力はピアノ曲に有るとは思いますが、歌曲や室内楽、そして管弦楽作品からも充分に感じ取ることが出来ます。4曲の交響曲については、これまで鑑賞記を曲毎に上げていましたが、それを改めて全集盤として上げてみました。

Cci00034_20240722104801 フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1960年録音/Berlin Classics) ゲヴァントハウスの管楽器と弦楽器とが美しく一体化した音は正に伝統的なドイツの響きで、特にこの当時の古風な音は大きな魅力です。コンヴィチュニーの指揮も全体的にゆったりとしたテンポで少しもせせこましさを感じさせない堂々と立派な構えが、いかにもドイツの頑固親父を想わせるカぺルマイスターぶりです。4番などはロマンティックな雰囲気にやや不足する気はしますが、どの曲にも深い味わいが有ります。録音は古くなりましたが年代的には優れます。

Schumann-295 ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィル(1964年録音/グラモフォン盤) クーベリックの一度目の全集です。当時のベルリンPOの暗く重いドイツ的な音色と高い合奏能力、それに管楽器の個々の上手さが大変魅力です。ただし全体的にクーベリックの解釈には後述するバイエルン放送響との二度目の録音ほどの円熟味は有りません。従って全集としてはバイエルン放送盤を取りたいです。曲毎では2番、4番辺りが優れると思います。録音は古くは成りましたが悪くは無いです。

Schumann-41nzqngtwfl_ac_ ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮シュターツカぺレ・ドレスデン(1972年録音/EMI盤) シュターツカペレ・ドレスデンの全盛期の音は特別です。柔らかく厚みが有り、いぶし銀の響きが最高だからです。サヴァリッシュの指揮はテンポ感が非常に良く、生命力と重厚さが両立していて中でも3番の演奏が特に優れています。健康的な明るさは1番でも生かされていますが、4番ではややマイナスに働いています。EMIと東独エテルナとの共同制作だった為に響きの素晴らしさを捉えた名録音で、アナログ盤では最高でしたがCDではその魅力が充分に伝わるとは言い難いのが残念です。

Schumann-s-81ixrm7eifl_ac_sl1500_ クルト・マズア指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1973年録音/シャルプラッテン盤) コンヴィチュニーからゲヴァントハウスの音楽監督を引き継いだマズアは生真面目な指揮者ですが、大抵の演奏はテンポも表情も変えることなく曲を進めるのに退屈してしまいます。この全集でもその印象はそのままなのですが、4曲の中では第2番、第4番が比較的楽しめます。ゲヴァントハウスの古風でいて堅牢なドイツ的な響きはとても魅力です。録音は年代相応と言う感じです。 

231_20240722105201 ズービン・メータ指揮ウィーン・フィル(1976-81年録音/DECCA盤) 録音当時のメータは本当に勢いに乗っていました。どの曲でも生き生きとして切れの良いリズムによる躍動感が素晴らしく、旋律のしなやかな歌わせ方も抜群です。ウィーン・フィルは弦楽も管楽もその上手さに加えて音がとにかく美しく、トゥッティでは透明感が有りながらも薄さは無く、極上の響きを味わえます。それにはDECCAの優れた録音も大きく貢献しています。全体としては暗さよりも明るさが勝る印象の為、曲毎では1番、3番辺りが特に優れていると思います。 

Cci00034b_20240722104801 ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1979年録音/SONY盤) クーベリックは上述の1960年代初めのベルリン・フィルとの旧録音(DG盤)にも良さが有りますが、個人的には解釈がより熟したこのニ度目の録音の方を好みます。1番や4番などでは全ての部分がベストの出来映えとは言えませんが、どの曲も総じて優れた演奏だと思います。オーケストラの優秀さも言うまでも有りません。ほの暗いロマンの香りやシューマネスクな味も良く出ています。さほど近代的ではない、ふくよかで柔らかい南独的な音色もそれはそれで楽曲に適しています。比較的地味ですが良い全集です。 

Schumann-715er3xdltl_ac_sl1054_ ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管(1981-84年録音/フィリップス盤) どの曲でもハイティンクらしい自然体で地味な指揮ぶりですが、元々地味で誠実、効果を狙うようなところのないシューマンの音楽には適しています。作品にしっかりとした重みを与えて、繰り返し聴くほどに味わいが滲み出て来ます。4曲ともムラの無い仕上がりです。何と言っても名門コンセルトヘボウの演奏の上手さと音色が素晴らしく、魅力的なシューマンの響きはSKドレスデンと並び立ちます。所有するのはDECCAからの再リリース全集ですが、フィリップスらしく柔らかく厚みの有る優れた録音です。

Schumann-s-028945304922 レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル(1984-85年録音/グラモフォン盤) ライブ録音による全集盤なので、どの演奏にもレニーらしい高揚感が感じられます。1番は緩急とディナーミクの幅が大きく、造形感がやや失われた感も有りますが、濃厚なロマンティックさや表情の多彩な変化が楽しめます。2番はレニーが好んで演奏しただけあり、非常に説得力と聴き応えを感じます。3番、4番も重々しさと彫の深さが有り、ウィーン・フィルの音の魅力も大きく貢献していて素晴らしい全集です。録音も優れます。

Schuman_vonk_654_20240722104801 ハンス・フォンク指揮ケルン放送響(1992年録音/EMI盤) ケルンの大聖堂に象徴されるように、この古都の楽団の暗めの響きはいかにもドイツ的で、シューマンにはとても適しています。もちろんアンサンブルも優れます。フォンクは何度か難病を乗り越えて活動して来た人なので、指揮ぶりも誠実極まりなく、姑息な演奏効果を狙ったりせずに全体をゆったりと陰影を生かした表現で仕上げているのが素晴らしいです。地味な存在ですが、録音も優れますし強くお勧め出来る全集盤です。 

7310sqqwqs195512 ジョゼッぺ・シノーポリ指揮シュターツカぺレ・ドレスデン(1992-93年録音/グラモフォン盤) やはりSKドレスデンのシューマンの古雅な響きは魅力的です。となると、どうしてもサヴァリッシュ盤との比較となりますが、速めのテンポでキレ良く躍動感に溢れるサヴァリッシュに対して、シノーポリの方が幾らかゆったり気味でスケール感が有り、堂々とした印象です。管楽器などのソロの質の高さではサヴァリッシュの録音時のメンバーの方が上なのですが、録音の質の差というよりもリマスターの結果としてシノーポリ盤の方がCDの音は圧倒的に優れます。 

Schumann-s-m44045296582_1 リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィル(1993-95年録音/フィリップス盤) 同じウィーン・フィルの演奏でもフィリップスによる録音の為か、メータのDECCA盤、レニーのDG盤よりもずっと柔らかく地味な響きに感じられます。シューマンとしてはこの方が「らしい」かもしれません。全体的には幾らか速めのテンポで流れてゆきますが、極端なほどではありません。この人がイタリアものを演奏する時とは完全に違うのはやはりウィーンで勉強した影響もあるのでしょうか。各曲の楽章ごとに出来栄えに幾らか凸凹があるものの、トータルでは優れます。 

Cci00036_20240722104801 クリストフ・エッシェンバッハ指揮北ドイツ放送響(1998-99年録音/RCA盤) 北ドイツ放送響の実際の生音は、ずっしりと厚みの有る暗い響きでいかにも北ドイツ的です。それがシューマンの音楽にはよく適します。エッシェンバッハもまた現代では珍しいくらいに暗い情念を持つ人で同質性を感じます。演奏には1番の1楽章のように速いテンポで幾らか肩透かしをくらった印象を受ける場合も有りますが、2番の様に暗い響きと沈滞した雰囲気が音楽にぴったりの曲も有ります。全体としてはユニークでいてシューマンの本質を突いた優れた全集だと思います。

Schumann-s-628 ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン(2003年録音/テルデック盤)バレンボイムは1970年代にシカゴ響と、2021年にはSKベルリンと全曲録音を行っていますが、これはその中間の二度目の録音です。最も充実していた時代の演奏なので、全体は活力が有り恰幅の良さが魅力的です。どの曲でもゆったりと管弦楽のほの暗く厚みの有るドイツ的な響きを生かして何とも魅力的です。管楽器と弦楽器の溶け合い具合が素晴らしく、シューマンの音として秀逸です。この響きを守れたこともバレンボイムの名門歌劇場での長期政権が揺るがなかった理由の一つでしょう。録音も優れます。 

Schumann-s-190759434123 クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカぺレ・ドレスデン(2018年録音/SONY盤) 来日した際にサントリーホールで行われた全交響曲チクルスのライブ録音です。どの曲もティーレマンらしい遅めのテンポで重量感のある演奏が魅力的ですが、何と言っても管弦楽の響きが魅力です。会場で聴く生音はさぞや素晴らしかったと想像しますし、SONYによる録音は幾らかスッキリとし過ぎであるものの、あのドイツ的なドレスデンサウンドをほぼ忠実に捉えている印象を受けます。曲別では2番、3番の演奏が特に優れると思います。 

はて、こうして全集盤を並べてみても、決定盤を絞ることは難しいです。以前ならサヴァリッシュ盤を選びましたが、今と成ってはリマスターの音がマイナスです。そこでドレスデン・サウンドを味わいたいならシノーポリ、ティーレマン盤が優位です。ただし同格かそれ以上の素晴らしさはハイティンク/コンセルトヘボウ盤です。
しかし結局は各曲のお気に入りをその時の気分に応じて聴くのが一番かと。なんだ、全集盤の比較の意味が無い?? 

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2024年7月13日 (土)

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮ロンドン・フィルのブラームス交響曲全集

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ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1989-91年録音/EMI盤) 

前回マタチッチのベートーヴェン全集を取り上げたところで、そういえば同じようにN響を指揮して我が国に馴染みの深いサヴァリッシュのブラームス交響曲全集を購入したままだったのを思い出しました。サヴァリッシュはブラームスの全集を1960年代初めにウイーン交響楽団とフィリップスに録音していましたが、こちらはそれからおよそ30年後となる二度目の録音です。 

まず、第1番から聴いてみると、ゆったりとしたテンポでスケールが大きく堂々たる演奏なのに驚きです。名前を聞かなければサヴァリッシュとは思わないでしょう。インテンポをかたくなに守りますが、端々でリズムの念押し、音のタメを効かせていて、真正ドイツ的で重厚なスタイルと言えます。2、3楽章の慈しみ深さ、終楽章のじわりじわりと高まる感興の深さも実に素晴らしいです。 

第2番も同様にゆったりとしたテンポで心からペルチャッハの自然を慈しむような演奏です。終楽章ではテンポを速めて勢いよく演奏する指揮者も多いですが、サヴァリッシュはここでも必要以上に煽らずにじわりじわりと高揚させていきます。金管を抑えてドイツの楽団のような厚みのある柔らかな響きを醸し出しているのは見事です。 

第3番も、やはりゆったり気味かほぼ中庸のテンポで、速くは無いです。1楽章は良い演奏ですが、ドイツの楽団に比べると僅かに響きの厚みに欠ける気がします。2、3楽章は落ち着いていて地味ですが美しく、さほど不満は有りません。終楽章に入ると俄然気迫が込められて、一気に聴き応えが増しますが、ドイツ的な堅牢なリズム感を失わないのは良いです。

第4番は1楽章冒頭のHの音を長く躊躇いがちに開始し、そのあともロマンティックさをかなり押し出しているのには驚きます。金打楽器を抑えることも無く、強い気迫を感じさせます。2楽章は静かに歩みますが、いつしか思いのたけをぶちまける様に歌わせて心を打たれます。3楽章も堂々たる構えですが、白眉は終楽章で、まるで実演の様に激しくうねります。サヴァリッシュ渾身の指揮ぶりに圧倒されます。

 全4曲とも録音は中々に良いです。EMIによる録音なので、余り明晰過ぎずに響きをほの暗く捉えているのでブラームスには向いています。ロンドン・フィルの音は部分部分では音が薄く感じられることが無いわけではありませんが、総じてサヴァリッシュに応えて熱演しています。

<関連記事>
他の指揮者のブラームス交響曲全集に関してはこちらより
ブラームス 交響曲全集 名盤 ~古典派の肉体にロマン派の魂~

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2024年6月25日 (火)

ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮ザグレブ・フィルのベートーヴェン 交響曲全集

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ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団(1980-81年録音/Prominent Classics盤) 

昔、N響に何度も客演したことから、我が国のオールド・ファンから今でも愛されているマタチッチですが、晩年に祖国のクロアチア(当時はユーゴスラヴィア)で行ったベートーヴェンのツィクルスのライヴが今年1月にCDリリースされました。遅ればせながら、その鑑賞記です。 

ザグレブ・フィルはヨーロッパでは決して上級レベルの楽団では有りませんが、下手ということはありません。逆に東欧の楽団特有の素朴な響きを持つのが魅力です。野趣を感じさせるマタチッチの芸風にはぴったりだと言えます。

音源はクロアチア放送によるステレオ録音ですが、古めのアナログ録音のような音で年代にしては不満が残りますが、昔のライヴCDの鑑賞がお好きな方には問題は無いと思います。中低域の厚いリマスタリングも聴き心地が良いです。

いずれにせよ、マタチッチにはベートーヴェンの正規録音が少ないので、こうして比較的良い条件で全曲を聴くことが出来るのはとても貴重ですので歓迎しましょう。 

それでは主要な曲から感想を短く紹介します。 

「英雄」は中庸のテンポで、豪快というほどでは有りませんが生命力を感じます。管弦楽の洗練されない素朴な味わいが魅力です。 

「運命」は速くも無く遅くも無いテンポですが地に根付いたような安定感が有ります。男性的とも言える雄渾さがこの曲にはぴったりです。 

「田園」はオーケストラの素朴な音色や上手過ぎない木管楽器が田舎臭さを醸し出していて、のどかな味わいに心底惹き付けられます。“嵐”もこけおどしには成りません。 

第7番は思ったよりも重厚さが感じられませんが、現代の快速演奏と比べれば充分に重量感が有ります。終楽章は中々に高揚しますが、全体的には更に雄渾にやって欲しかったと思います。 

「第九」の1楽章は豪快さとずしりとした重み、かつ奔流のような勢いが有ります。2楽章には男性的な骨太さ、3楽章には表面的に陥らない崇高さが感じられます。終楽章は歓喜の主題が殊のほか速いテンポで豪快です。ソリスト、合唱団は自国演奏家で固めていて、熱く一生懸命なのは分かりますが、普段CDで聴く一流どころに比べると少々聴き劣りはします。 

残る、第1番、第2番は楽想の小ささを感じさせない堂々とした恰幅の良さが有ります。緩除楽章には心に沁み入る深い味わいが感じられます。 

第4番は重量感の有る豪快な演奏で、「3番と5番に挟まれた小曲」などという印象は完全に吹き飛びます。正に“野人“の本領発揮です。 

第8番もどっしりと手応えの有る演奏ですが、終楽章は荒れ狂います。マタチッチの個性が生きていて、カザルスの指揮に共通したところが有るようにふと思いました。 

ということで、ベートーヴェンの全集のファーストチョイスとして上げることは有りませんが、個性的な演奏を求めたい人にはお勧めしたいです。もちろん昔からのファンにも!

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2024年6月18日 (火)

プロコフィエフ バレエ音楽「ロミオとジュリエット」全曲 Op.64 名盤

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「ロミオとジュリエット」というと過去の記事にも書きましたが、どうしても青春時代に観たフランコ・ゼフィレッリ監督の映画が忘れられません。ゼフィレッリ監督が造りだした中世の街やお城の世界が夢のように美しく、ニーノ・ロータの音楽は中世のイメージを生かして魔法のようでした。そして主役のオリヴィア・ハッセーとレナード・ホワイティングの何という初々しさ!あの映画こそが自分の「ロミオとジュリエット」体験の原点です。

それはそれとして、バレエ音楽として最も有名なのは、セルゲイ・プロコフィエフの作品です。プロコフィエフがパリからロシアに戻り、たまたま接したシェイクスピアの悲劇的な戯曲に感激して、バレエ音楽の創作を思い立ちました。

作品は1936年に、たった4か月の期間で一気に書き上げられました。元々はレニングラード・バレエ学校の創立200年祭で上演される予定でしたが、酷評された為に契約は破棄となります。そして2年後の1938年にチェコのブルノ劇場で初演されて成功を収めます。
ブルノでの上演が成功したことから、1940年にキーロフ劇場で上演されることになりましたが、この時はダンサー達が楽曲のシンコペーションのリズムに非常に苦労してしまい、ボイコットされかかったそうです。それでも何とか上演に漕ぎつけると成功を収め、ソビエト・バレエの最高の作品の一つだと讃えられました。プロコフィエフのバレエ音楽の中で最も長大でドラマティックな傑作ですし、ストラヴィンスキーの「春の祭典」やラヴェルの「ダフニスとクロエ」などに続く革新的な作品です。 

<あらすじ>

第一幕 時は14世紀。北イタリアの街ヴェローナ。
第1場 モンタギュー家とキャピュレット家という二つの名家が有ったが、長年お互いに抗争を繰り返していたので、ヴェローナを治める大公は、とうとう再び争い沙汰を起こした者はこの街から追放すると命じる。 

第2場 モンタギュー家とキャピュレット家には、それぞれロミオという若者とジュリエットという娘が居た。あるときキャピュレット家で開かれた仮面舞踏会に、ロミオは友人たちと紛れ込む。するとロミオとジュリエットは出会って恋に落ちてしまう。 

第3場 キャピュレット家のバルコニー。ロミオは夜更けに庭から隠れるようにしてジュリエットに会いに来て、二人は愛を交わす。 

第二幕
第1場 街の市場でロミオが若者たちと楽しんでいる。そこへジュリエットの乳母が秘密の使者としてやって来る。 

第2場 ロレンス神父の邸。ロミオとジュリエットは秘密裏に結婚式を挙げる。神父は二人の結婚が両家の抗争を終わらせることになることを願っている。 

第3場    街の市場。モンタギュー家とキャピュレット家の若者たちが出くわす。キャピュレット家のティボルトの挑発が発端となって争いが起きてマキューシオが命を落とす。ロミオは親友の死に激高してティボルトを殺してしまう。 

第三幕
第1場
 ジュリエットの寝室。追放処分となったロミオはジュリエットと一夜を共にする。朝になるとロミオは悲嘆にくれながら出て行く。一方ジュリエットは両親からパリスとの結婚を迫られて困り、ロレンス神父に助けを求める。神父はジュリエットに仮死状態となる薬を渡す。ジュリエットが死んだと見せかけて、その隙にロミオとともに逃げる計画だったのだが、それはロミオに上手く伝わらなかった。 

第2場 キャピュレット家の墓所。棺のジュリエットの元へロミオが駆けつける。薬による仮死状態だと知らないロミオは哀しみ、毒薬を飲んで自ら命を絶つ。その直ぐ後にジュリエットが目覚めるが、ロミオの死を知ると短剣で後を追う。 

<愛聴盤のご紹介>

この作品のディスクは組曲版が多く出ていて、もちろん気軽に楽しめはしますが、どうせなら全曲版で鑑賞したいです。そこで愛聴盤のご紹介です。 

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ロリン・マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団(1973年録音/DECCA盤)
マゼールがセルの後任としてクリーヴランド管の音楽監督に就任して初の録音でした。セルに鍛え上げられたクリーヴランド管の精緻なアンサンブルと澄んだ響きはプロコフィエフの近代的な管弦楽を表現するのにはうってつけでした。マゼールの指揮も速いテンポでサクサクとしたキレの良さが格別です。ただしその分、重量感が欲しい楽曲において音が軽く感じられてしまったり、もう少しゆっくり歌わせて欲しいと感じる箇所が有ります。プロコフィエフの持つロシア的な情緒感や暗さといったものもかなり稀薄です。マゼールのことですからもう少し個性を打ち出しても良かったようにも思いますが、日本でもレコードアカデミー賞を受賞して、この当時とても話題となったディスクでした。DECCAのアナログ録音技術が頂点を極めた時代の録音ですので音質的にも文句無しです。 

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アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団(1973年録音/EMI盤)
1973年は、この作品の当たり年で、マゼール盤の録音直後にプレヴィンとロンドン響によるEMI録音も行われました。マゼール盤の録音終了が197366日、プレヴィン盤の収録開始がその翌々日68日なのはびっくりです。こちらはバレエ音楽を得意とするプレヴィンらしく、メリハリをつけた音楽と躍動するリズムの冴えが、息つく間を与えないほどに聴き手を惹き付けます。まるで映画を観るような雰囲気も有りますし、フィナーレも感動的です。もっとも全体的に楽しく、暗さや悲劇性に関しては幾らか薄いようにも感じられますし、ロシア的な情緒も物足りません。ロンドン響はプレヴィンとの相性の良さが際立っていて、アンサンブルのレベルも高いですが、細部の精緻さにおいては他盤より幾らか劣ります。録音はEMIにしては優秀なので鑑賞上の不満はほとんど有りません。 

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ワレリー・ゲルギエフ/キーロフ管弦楽団(1990年録音/フィリップス盤)
ゲルギエフは「ロミオとジュリエット」をロンドン響と再録音を行なっていますが、自分が所有するのはキーロフ劇場管との旧録音盤です。ゲルギエフは一世代前のロシアの爆演系指揮者とは異なり、迫力は有っても決して音量のリミッターを外すような真似はしません。繊細かつ多彩な管弦楽の音色の変化も持ち合わせます。その音色感覚はCDでは中々聴き取ることが出来ませんが、実演で生の音を聴くとそれは驚異的です。従って、プロコフィエフは最善のレパートリーの一つだと言えます。手兵のキーロフ管を駆使して、非常に美しい音とデリカシー溢れる歌い回し、そしてリズミカルで生き生きした演奏を繰り広げています。凄味の有る不協和音ですら騒々しく感じられることが無く、斬新な響きを楽しめます。フィリップスの録音も極上の出来栄えです。それまでのマゼールやプレヴィンの名盤を凌駕する素晴らしい全曲盤です。 

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ウラディーミル・アシュケナージ指揮ロイヤル・フィルハーモニー(1991年録音/DECCA盤)
アシュケナージの指揮に才能が有るかどうかは良く分かりませんが、マエストロがプロコフィエフを好んでいる事だけは確かです。リズムが生き生きとしていて軽やかな場面と重々しい場面での切り替えも秀逸ですし、ダンサー達の舞踏がまるで目に浮かぶようです。ロイヤル・フィルが元々持っている管弦楽の豊かな色彩感も魅力的ですが、それは決して極彩色では無く落ち着いた色合いなのはやはり英国の団体です。アシュケナージはロシア人指揮者にしてはそれほどロシア風の味が強く感じられないのは不思議で、むしろ英国風のスマートな印象が強いです。この人のピアノ演奏と共通していそうです。しかしこの演奏は聴いていて心が弾むように楽しくなる点では随一かもしれません。DECCAの録音はマゼール盤を凌ぐ優秀さです。

以上ですが、どれにも魅力が有るものの、どれか一つと言われれば迷うことなくゲルギエフ盤となります。

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2024年6月 3日 (月)

アントン・ブルックナー 交響曲全集 ~名盤~

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ブルックナーやマーラー、それにベートーヴェンなどは交響曲の全集が数多く出ていますが、全ての曲の演奏が良いというものは中々存在しないと思います。その人に熱烈な「押し」が有る場合は別なのですが。ですので、結局はそれぞれの曲ごとに好きな演奏を選び出すことになります。ただ、一人の指揮者で全曲を聴き通すことで、各曲の色合いの違いを細かく知ることが出来るという利点は有るのかもしれません。 

そういうわけでブルックナーの生誕200年を記念して(笑)自分の気に入っている全集盤を挙げてみたいと思います。 

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オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィル、バイエルン放送響(1958-67年録音/グラモフォン盤)
ヨッフムはブルックナーを非常に得意としていた名指揮者で、交響曲全集を2回録音しています。これは最初の全集で、ベルリン・フィルとバイエルン放送響とを曲によって振り分けています(2,3,5,6番がバイエルン放送で、残りはベルリン・フィル)。音の傾向からするとバイエルン放送響のほうがブルックナーには適していると思います。オーストリアにも近く、アルプス山脈の麓と言っても良いミュンヘンの楽団は昔からブルックナーが得意です。ベルリン・フィルもドイツ的な堅牢な響きを残している時代なので、これはまた別の魅力は有ります。全集としての統一性の点では幾らかマイナスですが、どちらも優秀な楽団なので慣れてしまえばどうということは有りません。ヨッフムの指揮に若々しさが有り、各スケルツォ楽章の切れ味などは印象的です。演奏の出来栄えは曲により幾らか凸凹が有るとはいえ、これだけの水準を保つのは凄いです。中では1番、2番、6番、9番あたりの演奏が特に素晴らしいです。ベルリンのイエス・キリスト教会、ミュンヘンのヘルクレスザールで行われた録音も優れていて余り古さを感じさせません。 

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オイゲン・ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1975-80年録音/EMI盤)
ヨッフムの2回目の全集では、名門SKドレスデンが全ての曲を演奏しています。聴きようによってはややメカニカルな音に聞こえたベルリン・フィルよりも、音に古雅な素朴さが感じられるドレスデンの方が聴いていて心地良いのは確かです。録音も透明感の有るグラモフォン盤に対して、こちらは響きの豊かさで知られるドレスデンの聖ルカ教会で東独エテルナにより収録されたことで中声部が厚く感じられます。ヨッフムのブルックナーは新旧盤どちらも神経質にならない素朴さ、豪快さが大きな魅力ですので、どちらを選んでも充分に満足できますが、もしもどちらか一つを選ぶとすれば、平均点の高さが旧グラモフォン盤よりも優れるEMIの新盤を選びます。なお、この全集は何度も再リリースされていますが、CDに限っては国内盤や廉価版のXmasBOXよりも写真のオランダ盤が中低域の音が厚く、本来のドレスデンらしい音が味わえますのでお勧めしたいです。 

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ワレリー・ゲルギエフ指揮ミュンヘン・フィル(2017-19年録音/ワーナークラシックス盤)
オーストリアのリンツではブルックナー音楽祭が毎年秋に開催されますが、ゲルギエフとミュンヘン・フィルは2017年から3年連続で聖地である聖フローリアン修道院で交響曲の全曲演奏/録音を行いました。ミュンヘン・フィルには、これまで層々たるブルックナー指揮者たちが指揮して来たので、ブルックナーの響きが底の底から沁みついています。 ゲルギエフはロシア音楽では定評が有りますが、ブルックナーには懐疑的な方も多いようです。ところが全く正統的な演奏で、特に中期以降の曲ではゲルギエフらしさはほとんど感じられません。ブルックナー指揮者が見せる自然体の解釈により、あの深遠な音楽を再現させています。ただ考えてみればロシア音楽でもゲルギエフはテンポの急激な変化は余り取らずに、息の長い旋律を深く歌わせます。そのスタイル自体は実はブルックナーの理想形に共通しています。これはミュンヘン・フィルの自主制作録音で、聖フローリアン修道院の残響の美しさは有名ですが、各楽器の音の分離とバランスの良さは特筆されます。 

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クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィル(2019-22年録音/SONY盤)
ブルックナーの生誕200年を記念するプロジェクトとして、2019年の第2番からスタートして、2022年の第9番まで足かけ4年で完成させました。ウィーン・フィルはブルックナーの演奏にかけては世界で最も理想的な音色を奏でます。もちろんミュンヘン・フィル、SKドレスデンなども極上の音なのですが、ブルックナーが生れ育ったオーストリアのアルプス地方の空気のように、のどかでいて美しく澄み渡った音はウィーン・フィルならではです。そのウィーン・フィルもこれまで一人の指揮者で交響曲全集を完成させたことは無く、これが初めての全集です。ティーレマンの解釈はドイツ・オーストリアの伝統そのものの正統派スタイルでどの曲も素晴らしいです。中では第4番が最も優れると思いますが、他の曲も其々が名盤の上位に上げたい演奏ばかりです。1番から9番だけでなく、初期の「ヘ短調」「第0番」も含みます。 ウィーンのムジークフェラインとザルツブルクの祝祭大劇場の二か所でライブもしくは無観客ライブで録音されましたが、ウィーン・フィルの美しい音をホールで聴くような臨場感を持つ優秀録音です。  

以上、どれも素晴らしい全集ですが、特に古雅なドイツの響きを持つSKドレスデンとのヨッフムEMI盤、聖フローリアン修道院でのミュンヘン・フィルが聴けるゲルギエフ盤、そしてウィーン・フィルの素晴らしい演奏で初期の2曲を含むティーレマン盤の3つは、どれをとってもブルックナーの音楽に心底浸り切れます。 

<補足>より詳しくは下記リンク参照

ゲルギエフ/ミュンヘン・フィルのブルックナー交響曲全集
ティーレマン/ウィーン・フィルのブルックナー交響曲全集

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