ワーグナーの「ニーベルングの指環」は、世界を支配することが出来る魔力を持つ指輪をめぐって繰り広げられる壮大な物語を4日間に渡って上演する超大作オペラです。その愛聴CD聴き比べシリーズは、前回の「ワルキューレ」に続き「ジークフリート」です。
「ジークフリート」(ドイツ語: Siegfried)は、1856年から1871年にかけて作曲されましたが、途中に10年以上の中断が有りました。「トリスタンとイゾルデ」と「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の作曲を手掛けた為です。
初演は更に作品の完成から5年後となる1876年、第1回目のバイロイト音楽祭で「ニーベルングの指環」四部作として行われました。指揮をしたのはハンス・リヒターです。
<主な登場人物>
ジークフリート(テノール):双子の兄ジークムントと妹ジークリンデの間の子。
ミーメ(テノール):ニーベルング族でアルベリヒの弟。ジークフリートを育てる。
アルベリヒ(バス):ニーベルング族でミーメの兄。指環を取り戻そうと機会を窺っている。
ファーフナー(バリトン):巨人族。大蛇に姿を変えて、財宝とともに指環を守っている。
さすらい人(バス):神々の長ヴォータンの地上界での仮の姿。
ブリュンヒルデ(ソプラノ):ヴォータンとエルダの娘で、ヴァルキューレ達の長女。
エルダ(アルト):知恵の女神。ブリュンヒルデの母。
森の小鳥(ソプラノ):ジークフリートに助言をする。
<物語の概要>
第1幕 「森の中の洞窟」
前作「ワルキューレ」で、ブリュンヒルデに助けられて深い森に逃げ込んだジークリンデはジークフリートを産む。しかしジークリンデは難産の為に亡くなる。ジークフリートはミーメに引き取られて育つが、ミーメの狙いは、成長したジークフリートにファーフナーを倒させて、指輪を手に入れることだった。
第1場
ミーメは折れた剣ノートゥングを鍛え直そうとするが、上手くいかない。そこへジークフリートが森から帰ってきて、捕らえた熊をミーメにけしかける。びっくりするミーメを嘲笑うジークフリートに向かって、ミーメは「育ての歌」を歌い、お前を育てた自分にこんな仕打ちをするとは恩知らずめ、とこぼす。
ジークフリートは、自分の本当の親についてミーメに問いかける。するとミーメは、母親はジークリンデで、難産のために死んでしまったこと、父親はジークムントで、その形見の剣の破片が有ると答える。ジークフリートはミーメにその剣を元通りに鍛え直すよう命じると再び森に入っていく。
第2場
ミーメのところへ、“さすらい人”と名乗る旅人(実はヴォータンの変装)が現われる。そしてミーメに、「首を賭けて知恵比べをしよう」と言い出す。厄介払いしたいミーメはこれを承諾する。ミーメは三つの問いかけをするが、さすらい人は全て答えてしまう。
次に、さすらい人が三つの問いかけを出す。ミーメは、3つ目の問いかけ「ノートゥングを鍛え直せるのは誰か」に答えられずにうろたえる。さすらい人は「剣を鍛え直せるのは怖れを知らぬ者だ」と教え、「ミーメの首はその者に預ける」と言って去る。
第3場
森から戻ったジークフリートに、ミーメは「怖れ」を教えようとするが、ジークフリートは理解できずにいる。ミーメは「ファーフナーの洞窟に行けば恐怖を知るだろう」と言う。
ジークフリートは、剣を鍛え直せないミーメに苛立ち、自分で鍛冶を始める(「鍛冶の歌」)。その間にミーメはジークフリートを殺すための毒汁を煮ている。
ジークフリートが自ら鍛え直したノートゥングを振り下ろして鉄床を一撃すると真二つに割れてしまう。
第2幕 「森の奥深く」
暗く深い森。その奥に洞窟が有り大蛇に化けたファーフナーが眠っている。
第1場
洞窟の前でアルベリヒが様子を伺っていると、さすらい人が現れる。アルベリヒは怒って罵るが、さすらい人は取り合わずに「指環を狙っているのはミーメだ」と語る。そして洞窟の奥で眠っているファーフナーにも警告をする。アルベリヒもファーフナーに呼びかけるが、ファーフナーは相手にせず再び眠りに落ちる。さすらい人が去り、アルベリヒも隠れると夜が明ける。
第2場
ミーメに連れられてジークフリートが洞窟にやってくる。ジークフリートはミーメを追い払うと、父と母への想いに浸る。(「森のささやき」の音楽) ジークフリートは小鳥の鳴き声をまねて葦笛を吹くが調子はずれなので、得意な角笛を吹き鳴らす。するとファーフナーが目を覚まして洞窟から出てくる。戦いとなり、ジークフリートはノートゥングをファーフナーの心臓に突き刺す。ファーフナーは息絶える前に「お前にけしかけた者が、お前の命を狙っている」とジークフリートに告げる。ジークフリートが指に付いたファーフナーの血をなめると、小鳥の声が言葉として分かるようになり、ジークフリートはその言葉に従って、洞窟の中に宝を取りに入る。
第3場
洞窟の前でアルベリヒとミーメが、宝の所有をめぐって言い争っている。そこへジークフリートが洞窟から隠れ頭巾と指環を持って出てくると、アルベリヒは姿を消し、ミーメはジークフリートに眠り薬を飲ませようとする。しかし、ジークフリートはファーフナーと小鳥の警告でそのことを知っている。ミーメはごまかそうとするが、魂胆があることを漏らしてしまい、返り討ちに合う。小鳥がジークフリートに、岩山で炎に包まれて眠るブリュンヒルデのことを告げると、ジークフリートはその岩山をめざす。
第3幕 「岩山のふもとの荒野―岩山の頂き」
序奏
第1場
さすらい人姿のヴォータンが、眠っている知の神エルダを呼び出す。エルダに助言を求めるが、エルダはそれには答えず、「ノルンやブリュンヒルデに尋ねよ」と言う。ヴォータンが「ブリュンヒルデは命令に逆らったので岩山で眠りにつかせた」と明かすと、エルダは「反抗を教える者が反抗する者を罰するのか」となじり、「私を智恵の眠りにつかせよ」と言う。ヴォータンは「神々の滅亡をむしろ望んでいる」と言い、自らの“遠大な構想”をジークフリートが果たすことを期待すると語ると、エルダを再び眠りにつかせる。
第2場
ジークフリートが岩山に近づくと、ヴォータンが声をかける。相手が誰かを知らないジークフリートが反抗的な態度をとるのでヴォータンは不機嫌になっていく。激昂したヴォータンが槍を突き出したので、ジークフリートは鍛え直したノートゥングで槍を二つに叩き折る。
ヴォータンは去ってゆき、ジークフリートは岩山を登って炎の中に進んでゆく。
第3場
ジークフリートは岩山の頂きで、盾に覆われて横たわるブリュンヒルデを見つける。身体を覆う盾と鎧を外し、眠っているのが女性であることに気づくと、ジークフリートは初めて「怖れ」を覚えるが、ブリュンヒルデの美しさに魅せられ、「目を覚ませ!」と唇を重ねる。
するとブリュンヒルデは目覚め、自分を目覚めさせたのがジークフリートであることを知る。初めは不安におののくが、求愛するジークフリートについに応え、二人は歓喜の中で「輝ける愛!笑っている死!」を歌う。(そして幕となる)
「指環」四部作の中では「ジークフリート」が最も地味で人気は低いです。少々長過ぎにも感じられます。しかしそれは演奏時間の問題ではなく、物語と音楽が原因かもしれません。第2幕と第3幕のまとまりは悪く無いのですが、問題は第1幕で、第1場と第2場の進行に単調さが有ることが、その後にも影響を与えるような気がします。ワーグナーが作曲を中断する前なので、もしや創作への集中力に幾らか欠けていたのではと勝手に想像しています。
もちろん四部作の中で「ワルキューレ」から「神々の黄昏」に物語を導く“橋渡し”として欠かせない作品ですし、作曲の中断の後に書かれた第三幕の充実度は素晴らしいです。
―CD紹介―
それでは所有しているCDの紹介と鑑賞記です。大半は4部作まとめての全曲盤となります。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団(1950年録音/ Gebhardt盤)
第2次大戦後にフルトヴェングラーがミラノ・スカラ座で行った「指輪」全幕上演のライヴブです。俗に「ミラノ・リング」と呼ばれます。イタリア放送の音源をもとに様々なレーベルからリリースされましたが、所有するのは独Gebhard盤です。音は貧しいですが「ラインの黄金」「ワルキューレ」よりは向上しています。セッティングか機材が変わったのでしょうか。音揺れも少ないです。演奏はフルトヴェングラーの実演だけあって、ドラマに合わせた自在な緩急が少しも単調さを感じさせません。白熱して劇的、かつロマンティックです。元々音楽が充実している第3幕は更に感動を受けます。オーケストラもフルトヴェングラーの指揮に応えて大熱演です。歌手は、ジークフリートのスヴァンホルムが男っぽさと優しさの両方が感じられて素晴らしいです。ブリュンヒルデのフラグスタートは昔風の歌唱とはいえ圧巻です。ミーメのマルクヴォルトはキャラクターにぴったり。さすらい人(ヴォータン)のヨーゼフ・ヘルマンは威厳に不足する印象です。ファーフナーのルートヴィヒ・ヴェーバーは雰囲気があります。なお、キングレコードが伊チェトラ社から取り寄せた初期テープを基にした復刻盤も出ましたが、高価なのでハイライト盤しか所有しません。音もGebhard盤より格段に良いわけではありません。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮イタリア放送交響楽団(1953年録音/EMI盤)
ローマで行われた演奏会形式による「指環」の全幕演奏で、こちらは「ローマ・リング」と呼ばれます。「ミラノ・リング」の白熱さには及びませんが、凡百の舞台演奏と比べれば遥かに熱気に溢れます。また演奏のみに集中出来たからか、こちらの方が完成度は高いです。歌手はブリュンヒルデのマルタ・メードル、ヴォータン(さすらい人)のフェルディナント・フランツは「ワルキューレ」と同じですが、ジークフリートはズートハウスが、ファーフナーはグラインドルが演じていて万全です。フルトヴェングラーの演奏としてはミラノ盤が「らしい」かもしれませんが、録音条件からローマ盤を取りたいです。とは言ってもEMIの優柔不断のために放送局のオリジナルテープが消去された為に、アセテート盤から起こしたテープからの復刻なのでワーグナーを鑑賞するのには貧しい音であることに変わりは有りません。それでも高音域を不自然に強調することもなく、高中低域のバランスが良いので聴き易いです。
クレメンス・クラウス指揮バイロイト祝祭劇場管(1953年録音/オルフェオ盤)
1953年に初めてバイロイトの指揮台に立ったクラウスでしたが、翌年5月に急死してしまった為に「指環」の演奏はこれ一回きりでした。バイエルン放送協会のマスター音源の使用ですが、フルトヴェングラーと同じ年の録音とはとても思えない音の良さで、モノラル録音ながらもジークフリートとファーフナ―の洞窟の闘いなど臨場感に溢れます。クラウスは、同じ時代のクナッパーツブッシュやカイルベルトに代表される重厚でゲルマン的な演奏スタイルとは大きく異なり、速めのテンポでリズムにキレの良さがあります。しかし要所でのテンポの変化や旋律のしなやかな歌わせ方は秀逸ですし、それでいて劇的さにも不足しません。歌手に関してはおよそ最高です。何と言ってもジークフリートのヴィントガッセン、さすらい人(ヴォータン)のホッター、ブリュンヒルデのヴァルナイの三本柱は鉄壁で惚れ惚れするばかりです。フンディングのグラインドルを始めとした他の配役も万全です。録音も歌手達の声を見事に捉えています。
ヨーゼフ・カイルベルト指揮バイロイト祝祭劇場管(1955年録音/テスタメント盤)
デッカ・チームによりバイロイトの「指環」全曲の世界初ステレオ録音が1955年に行われたのは奇跡であり、この後のバイロイト・リングのステレオ録音は1967年のベームまで待たなければならないことを考えると正に歴史的偉業です。これは2チクルスあった公演の1回目のチクルス本番を基に編集されています。「ラインの黄金」「ワルキューレ」と同様に録音は非常に優れ、管弦楽の中低域の音の厚みや自然な広がりは驚きです。これを聴いてしまうとモノラル盤はちょっと聴けなくなりそうです。もちろんカイルベルトの指揮もドイツのカペルマイスターとしての面目躍如で、その武骨さと豪快な迫力が魅力です。とりわけ第三幕は聴き応えが有ります。歌手についてはジークフリートのヴィントガッセン、さすらい人のホッターはもちろん素晴らしいですが、‘51年のクラウス、’56年のクナの年と比べると僅かに調子が落ちる気はします。ブリュンヒルデのヴァルナイ、ナイトリンガーのアルべリヒ、ファーフナーのグラインドルなど他の強力な布陣はクラウス盤にほとんど遜色は有りません。
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭劇場管(1956年録音/オルフェオ盤)
クナッパーツブッシュのバイロイト・リングのうち、唯一正規盤がリリースされている‘56年ですが、音源はバイエルン放送協会所有のマスターでモノラル録音です。歌手の声は非常に明瞭なのですが、管弦楽の音が少々奥に引っ込んでいて、前年のデッカによるカイルベルト盤を聴いた耳には分が悪いです。しかし、この年もずらりと揃った名歌手達の歌唱は素晴らしいもので、ジークフリートのヴィントガッセン、ブリュンヒルデのヴァルナイ、さすらい人のホッターの主要三人は絶好調、カイルベルト盤を凌いでクラウス盤に並びます。その他の歌手にも不満はありません。もっとも演奏の主役はもちろんクナッパーツブッシュです。カイルベルトのように聳え立つような造形感は薄れますが、クナ特有の浮遊感のある音の流れに自然とドラマに引き込まれてゆきます。歌手が調子を上げるのもその影響なのかもしれません。録音の為に管弦楽の凄味が減じられているのが残念ですが、それでも第三幕など、スケール大きく盛り上げてゆくのは流石クナです。
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭劇場管(1958年録音/GOLDEN Melodram盤)
クナッパーツブッシュ最後の「バイロイト・リング」となった‘58年の録音です。クナのテンポが更に遅くなり、音楽が増々深くなり、要所での巨大さは聴き応えが有ります。鍛冶の歌などはその遅さにヴィントガッセンが歌い辛そうですが、演奏のスケールは凄いです。それでも全体の流れや勢いはしっかりと感じられ、弛緩することはありません。この年はオーケストラの質も高かったですし、クナの「リング」も三年目となり感銘度合いが格段に高く感じられます。第三幕の感動もひとしおです。歌手はジークフリートのヴィントガッセン、さすらい人のホッター、ブリュンヒルデのヴァルナイはこの年代の看板三役がそろい踏みですし、ミーメのシュトルツェ、ファーフナーのグラインドなど他の歌手陣も文句無しです。所有しているのはMelodramの全曲盤ですが、非正規盤でモノラル録音ながら音質が驚くほど優れています。オーケストラの音の厚みはやや薄めですが、澄んだ高音域が素晴らしく、歌手の声も極めて明晰です。舞台の奥行きや広がりも感じられ、’55年のカイルベルトのステレオ録音と比べれば物理的な音の威力は及びませんが、クナ・リングを心から鑑賞出来ます。Melodram盤は今では入手困難ですが、WALHALLの単独盤なら入手可能だと思います。
ルドルフ・ケンペ指揮バイロイト祝祭劇場管(1961年録音/オルフェオ盤)
バイロイトの「指環」は‘1958年のクナッパーツブッシュの後、1959年は演奏されませんでした。そして翌1960年から4年続けて指揮したのはケンペです。これはそのうち’61年の録音です。ケンペはクナやカイルベルトと比べてしまうと、スケールに小ささが感じられるのは仕方ないです。けれどもドイツ正統派として堅牢さが魅力ですし、弛緩することなく音楽が進むので飽きさせません。それでいて第三幕などは充分にドラマティックで聴き応えがあります。歌手はジークフリートがハンス・ホップで、まずまず立派な歌唱です。ブリュンヒルデは「ワルキューレ」ではヴァルナイでしたが、「ジークフリート」と「神々の黄昏」はニルソンに変わりましたが当然文句無しです。ヴォータンは「ワルキューレ」まではジェローム・ハインズでしたが、さすらい人としてジェイムス・ミリガンに変わりました。威厳には不足しますが、この時33歳で何と4カ月後に急死しています。ちなみに森の小鳥は人間っぽくて神秘性が無く残念です。この音源はバイエルン放送協会のマスターですが、‘60年代に入ったこともありモノラル録音ながら明瞭で音域バランスも良いです。
ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー(1962年録音/デッカ盤)
ショルティの「指環」では‘58年の「ラインの黄金」に続いて2番目の録音です。ウィーン・フィルのある意味牧歌的で美しい音は「ジークフリート」にぴったりだと言えます。森のささやきでの詩情は如何ばかりでしょう。ショルティも過不足無い以上に健闘していて、ファーフナーとの闘いの場面など中々の迫力です。歌手についてもヴィントガッセンのジークフリート、ニルソンのブリュンヒルデ、ホッターのさすらい人についてはやはり一番好きですし、シュトルツェのミーメ、ナイトリンガーのアルベリヒ)、ベーメのファーフナーもとても素晴らしく、自分にとっては最高の配役です。‘60年代に入ってデッカのセッション録音が増々進化して、本当に素晴らしい音響を捉えています。ところが、これまでに指摘した通り、数か所に渡り被せた特殊音響効果がまるでスペクタクル映画みたいに聞こえるのが自分の耳にはどうしても抵抗が有り、いっぺんに興覚めてしまいます。
カール・ベーム指揮バイロイト祝祭劇場管(1966年録音/フィリップス盤)
1965年から三年続けてバイロイトで「指環」を指揮したベームの全曲盤は‘66年と’67年の録音で編集されていますが、「ジークフリート」は‘66年の演奏です。第1幕から速いテンポでぐいぐいと進みますが、凄まじい緊張感に溢れる演奏には否応なく巻き込まれてしまいます。ともすると退屈する第1幕も別の作品の様です。管弦楽の響きが余りにも凝縮され過ぎて厳しいので、争いのシーンなどでの迫力は凄いですが、一方でこの作品は全体的にはもう少し牧歌的な柔らかさが欲しい気持ちも起こります。歌手については、ブリュンヒルデのニルソンはもちろん文句無しで、メーデルやヴァルナイのような一世代前の歌手は凄いですが歌唱に古さも感じるので、ニルソンが好きですね。ヴィントガッセンのジークフリートも同様です。ヴォータンのテオ・アダムは声質がやや軽いですが大健闘です。歌手陣は充実していますが、それを全部忘れてしまうほどなのがベームの指揮と管弦楽だと言えます。第三幕は管弦楽と歌唱が一体と成ってそれは凄いです。なお、森のささやきには詩情と神秘感が有りますが、森の小鳥のケートが人間臭いのがマイナスです。フィリップスによる録音は残響の少ないバイロイト劇場の音に忠実で生々しく、ベームの演奏には適しています。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー(1968-69年録音/グラモフォン盤)
1966年から1970年にかけて録音されたカラヤンの「指環」のうち、「ジークフリート」は‘68と‘69の録音です。手兵のベルリン・フィルを駆使して非常に精緻な演奏を繰り広げています。第1幕のキレ良く躍動するリズムや歌との掛合いなどは大管弦楽とは思えない『室内楽的』な仕上がりと成っています。ベルリン・フィルの音は決して軽い訳では無く、鳴るときは壮大で派手ですが、音色が明るい為にどうしてもワーグナーのゲルマン的な響きよりはリヒャルト・シュトラウスのそれを想わせます。歌手ではジークフリートのジェス・トーマスは声が若々しく雄々し過ぎないのが好きです。レガートに歌わせる「鍛冶の歌」はカラヤンの指示なのでしょうがユニークです。ブリュンヒルデも前作のクレスパンからヘルガ・デルネシュに変わったのは好ましく、とても美しいです。但し、さすらい人のステュアートはやはり声が軽く貫禄が足りません。これもカラヤンの好みなのか。録音に関しては各楽器の音の分離が良く明瞭です。セッション録音然としていますがショルティ盤のような過剰な音響効果は加えられていません。
ピエール・ブーレーズ指揮バイロイト祝祭劇場管(1980年録音/フィリップス盤)
1976年から1980年まで5年連続でバイロイトの「指環」を指揮したブーレーズですが、「ジークフリート」は最後の年となる1980年のライブです。例によりブーレーズのテンポは比較的速めですが拙速な印象は受けません。ともすると長過ぎに感じるこの作品を見事にコントロールされた演奏で淀むことなく進ませます。管弦楽の響きも、それまでのバイロイトのゲルマン的な厚い音から、澄んで美しい音に変貌を遂げていますが、充分に聴き応えのある目の積んだ音に感じられます。何より実演ならではの劇場的な息づかいに満ち溢れているのは素晴らしいです。歌手については、ジークフリートのマンフレート・ユングは声が若々しく、力強さと情感を見事に表現しています。ブリュンヒルデのグィネス・ジョーンズも声の美しさと繊細な感情表現が魅力で、終幕は感動的です。さすらい人のマッキンタイアの貫禄はまずまずですが声質は悪く無いです。ミーメのツェドニクはこの特異な性格模写が秀逸です。録音はさすがフィリップスで、音の明瞭さと柔らかさに加えて、舞台の奥行などの遠近感を見事に再現しています。幕ごとにCD1枚にきっちり収まっているのも案外珍しいですが便利です。
マレク・ヤノフスキ指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1982年録音/RCA盤)
ゼンパー・オパーの再建落成記念の「指環」録音で、DENON、西独オイロディスク、東独シャルプラッテンによる共同制作です。ヤノフスキの指揮は非常にオーソドックスで、強い個性は有りませんが、音楽に対する誠実さが魅力です。特にオペラではその良さが出ます。響きの柔らかいルカ協会でセッション録音が行われたので、いぶし銀のドレスデンサウンドを味わえます。管弦楽の響きが硬く張り詰めたような音では無いので、耳に心地が良いです。もちろんそれは迫力に欠けるという意味ではありません。「森のささやき」などは木管の素朴な音色に魅了されます。それぞれの管楽奏者はもちろんとても上手いです。歌手については、ジークフリートのルネ・コロの若々しい声と雄々しさが素晴らしいです。「鍛冶の歌」にも惚れ惚れします。ミーメはシュライアーですが、この人はこうしたニヒルな性格模写がとても上手くて主役を食ってしまいそうです。さすらい人のテオ・アダムは、やはりバリトンとしては声の軽さがどうも気には成ります。ブリュンヒルデのアルトマイヤーは声の線は細いですが繊細さが有り、悪くは有りません。録音は劇場の舞台の雰囲気が有り、過剰な音響効果を排除しているのに好感が持てます。
ジェイムズ・レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管(1988年録音/グラモフォン盤)
これはメトにおいてセッション録音された「指環」全曲で、DVD映像版とは別の演奏です。レヴァインの後期ロマン派の演奏は概して基本テンポが遅くスケールが大きいですが、ワーグナーもその例外ではありません。ちょっとクナッパーツブッシュのス巨大な演奏を想わせます。オーケストラの優秀さも特筆され、流石は世界有数のオペラハウスです。ドイツの歌劇場の音の暗さ、厚みにもそれほど遜色は無く、カラヤンの「指環」でのベルリン・フィルの明るい音色よりもよほど好ましいです。マンハッタンセンターで収録された録音も劇場の響きの雰囲気を感じさせて素晴らしいです。歌手については、ブリュンヒルデのベーレンスに関してはこの作品では最高の適役で、その凛々しさは大きな魅力です。ジークフリートのライナー・ゴールドベルクがヘルデン・テナーにしては優男っぽくて、幾らか頼りない雰囲気ですが、かなりの健闘です。終幕の二重唱は聴きものです。ミーメのハインツ・ツェドニク、さすらい人のジェイムズ・モリスは、どちらも一応は及第です。その他では、ファーフナーのクルト・モルの声は軽くて大蛇の雰囲気に欠けます。森の小鳥のキャスリーン・バトルはとにかく声が良いです。
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管(1989年録音/EMI盤)
ワーグナーの第二の聖地、バイエルン歌劇場においてサヴァリッシュが指揮した「指環」をNHKが映像制作および録音をしたものです。サヴァリッシュとしても勢いのある時代の演奏で全体的に速めですが、管弦楽と歌手の絡み合いなど統率力が素晴らしいです。オーケストラの音はバイロイトの凄味の有る響きとは少々異なり、南ドイツ的な素朴さと柔らかみが魅力です。その分、時に軽く感じられる場合も有ります。歌手については、ジークフリートのルネ・コロはやはり素晴らしいです。但し、聴きどころの一つの「鍛冶の歌」はワーグナーらしい重量感に欠けていて味気無いです。これはサヴァリッシュの責任でしょう。ブリュンヒルデのベーレンスもまた前年のレヴァイン盤と同様に最高の素晴らしさです。当然、終幕の二重唱は感動的です。さすらい人のロバート・ヘイルは表現力が幾らか薄いですが声が太いので適役です。ミーメのヘルムート・ハンプフ、ファーフナーのクルト・モルなど、他の配役は及第点と言えます。なお、「森のささやき」は歌、管弦楽ともに極めて美しいです。NHKによる録音は舞台上の音が色々と入っていますが、それも生の臨場感ですし、残響の少ない劇場の割には管弦楽の音に潤いが有り、歌手の声も明瞭で優れます。
ダニエル・バレンボイム指揮バイロイト祝祭劇場管(1992年録音/ワーナークラシックス盤)
ハリー・クプファーの前衛的な舞台演出が話題となった「指環」で、1988年から92年まで5年連続で公演されてバレンボイムが全ての指揮台に立ちました。バレンボイムは第1幕第1場をかなり速く躍動感を漲らせて進めます。ともすると退屈するこの場が緊迫感でドキドキさせられますが、一方でテンポを落とす部分ではたっぷりとしていて対比が見事です。全体的に緩急に幅が有り、大きく歌わせてドラマティックさを引き出します。オーケストラの威力は圧倒的ですが、金管が所々で荒々しく感じられるほどです。歌手については、ジークフリートのイェルザレムは男っぽい勇ましさが凄いです。「鍛冶の歌」などはバレンボイムがバリバリと鳴らす管弦楽にも負けることなく力強く歌い切って圧巻です。ブリュンヒルデのアン・エヴァンスは力強さと凛とした女性の雰囲気がとても魅力的です。終幕の二重唱も熱量が凄いです。さすらい人のトムリンソンは声が太く男っぽくキャラクター的に向いています。ミーメのクラークも奇異な感じを良く出てしています。ただ、森の小鳥には神秘感が足りません。これはUNITELによる映像制作プロジェクトで、ライヴでは無くセッション収録ですが、その割には舞台の雰囲気が失われていないのに感心します。
クリスティアン・ティーレマン指揮バイロイト祝祭劇場管(2008年録音/オーパス・アルテ盤)
ベーム盤以来40年ぶりのバイロイト・リングのライブ録音です。ティーレマンが現代最もドイツ的な指揮者であることは間違いありませんが、特に後期ロマン派作品においては唯一無二の存在です。ゆったりとしたテンポでスケール大きく、管弦楽の響きにはずしりとした重量感が有り、ワーグナーの書いた様々な動機が大きくうねるように奏されます。「鍛冶の歌」では途中からテンポをぐっと落とすところは往年のクナさながらです。ライブとは言えオーケストラの質はおよそ最高です。その演奏を祝祭劇場の響きと共に再現した極上の録音は、個々の楽器の音を良く捉えながらも、全体を柔らかく包み込んでいます。歌手については、ジークフリートのステファン・グールドが声そのものは良いのですが、「鍛冶の歌」などの聴きどころでヘルデン・テナーとしての力強さが欠けていてタイトルロールとしては物足りません。ブリュンヒルデのリンダ・ワトソンは往年のソプラノのような圧倒的な凄味が無い分、この作品ではむしろ好みます。ヴォータンのアルベルト・ドーメンにはどうしても威厳と深味の不足が感じられます。ミーメのジーゲルはまずまず及第点というところです。歌手陣はベストとは言えませんが、指揮、オーケストラ、録音の素晴らしさから聴後に深い満足感を得られます。
クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン国立歌劇場管(2011年録音/グラモフォン盤)
上述したバイロイト盤から僅か3年後に今度はウィーン国立歌劇場での「指環」がリリースされたのには驚きました。ティーレマンの解釈には大きな違いは無く、両者のオーケストラの持つ音と録音コンセプトの違いが明らかです。管弦楽の凄味や迫力においてはバイロイト盤が圧倒的有利です。ウィーン盤は弦楽器などの音の美しさは魅力なのですが、元々持つ音の柔らかさに加えて遠目に捉えた音像が更に柔らかさを増幅させています。その為に「バイロイトよりも録音が劣る」というリスナーのレヴューが見受けられるのも分かる気がします。しかし「ジークフリート」に関してはこの音も悪くないです。歌手については主要な役はバイロイト盤と共通していて、ジークフリートはグールド、ブリュンヒルデはワトソン、ヴォータンはドーメンです。三者ともバイロイトとそれほどの差は感じられません。ただ終幕の二重唱はこちらの方の感動が勝る気がします。ミーメはヴォルフガング・シュミットに変わりましたが、これも一応は及第点でしょうか。さて、結局バイロイト盤とどちらを取るかと聞かれれば、迷ったうえでバイロイトと成るでしょう。
というわけで、基本的に全曲盤が並ぶことと成りますが、今回はあくまでも「ジークフリート」だけで比較をします。全部で17種となりますが、この作品ではタイトルロールの出来が大きく影響します。そうなるとクラウス盤、カイルベルト盤、クナッパーツブッシュ‘56年、‘58年盤、ショルティ盤、ベーム盤でのヴィントガッセンがどれも素晴らしく、最も自分の好みです。その中でも特にモノラル録音ながら音の良いクナッパーツブッシュ‘58年盤、ステレオ録音のカイルベルト盤、ベーム盤を取りたいです。ショルティ盤は録音効果が過剰なのが気に入りません。
その他では、オーケストラ、歌手、録音を含めて全体のバランスを考慮したうえで特に気に入ったのは、ブーレーズ盤、ヤノフスキ盤、レヴァイン盤、ティーレマンのバイロイト盤でした。
ところで年末にはNHKFMで夏のバイロイト音楽祭のライブ録音が放送されます。昔はよく聴き入っていましたが、今ではオーディオ装置の問題もありPCで軽く聴く程度です。しかしこれを楽しみにされているワグネリアンも多いことでしょう。個人的には過去の演奏史に残るCD録音たちに惹かれて止まないというところではありますが。
さて、次回はいよいよ最後の「神々の黄昏」となります。
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