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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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2025年1月 6日 (月)

唖然愕然当然

今のヴィオラを買い求める前に弾いていたヴィオラは今も手元にある。購入代金のたしにと売ることも考えたが思いとどまった。1981年に買い求めたドイツ製であることは述べた通り。1979年西ドイツ製とあるのが感慨深い。ドイツが東西に分かれていた頃の名残。今の若い人にいっても「はあぁ?」ってなものだ。

1992年に今の楽器を買ってからパタリと弾かなくなった。2013年くらいから5年間知人に貸していたが、楽器のためにはその方がいい。2018年から弾いていないので、この正月休みに弾いてみた。

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唖然愕然。

練習中のバッハを弾いてみるのだが、ぜんっぜん弾けません。今の巨大ヴィオラの取り回しに慣れるべくずっと練習していたから指も腕も巨大ヴィオラに慣れてしまっている。

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この違和感は実は巨大ヴィオラへの傾注の副作用みたいなもの。もう普通サイズには戻れそうもない。ある意味当然である。

 

2025年1月 5日 (日)

エアランゲン製

現在愛用中の巨大ヴィオラを1992年に買い求めたとき、それまで使っていたヴィオラを売らずに、資金を工面した。今は亡き妻が「子供が育ってお金がかかるようになったら買えないから」と、自らの失業保険給付から補助する提案をしてくれた。

だから今、1981年大学4年の春に買った昔のヴィオラが手元にある。以下の通りのラベルで、なんと1979年西ドイツエアランゲン製だ。

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当時31万円だった。1992年今の巨大ヴィオラを購入後私自身が弾くことはほとんどなくなり、時折知人に貸していたが、このたびまた知人に貸す話のオファーが舞い込んだ。

持ち腐れよりは、誰かに弾いてもらう方がいいに決まっていると即決。

2025年1月 4日 (土)

PP限定トレーニング

母が年末年始に体調を崩して寝込んだ。会社生活最後の正月休みは9連休なのだが、年末の買い出しも新年の来客もなくなってみると暇だった。母が小康を取り戻した元日から、3日間、ヴィオラの練習がたっぷりできた。母の寝室と私の部屋は2階至近なので音量を気遣った。

バッハの無伴奏作品を片っ端から弾くのだけれど、ダイナミクスをピアニシモに自主規制した。大きな音は出さないと決めて3日取り組んだ。

転んでもただでは起きぬドアマチュアで、いやはやこれが絶大な効果。

普段どれだけ余計な力が入っているか身にしみた。難しいところほど力む。重音も力む。何より弾いている自分がどれだけ自分の音を聞けていなかったかわかる。考えれば狭い自室での老後ヴィオラ生活にとってフォルテは不要だ。ヴィオラらしい音は不可避不変の目標ながら、それは断固フォルテを意味しない。きれいな音、優しい音で充分ではないか。

これからもずっとピアニシモ限定でよいのではと思えてきた。

2025年1月 3日 (金)

令和の変

65年の人生で初めての異変が昨年末に起きた。

年末12月29日のことだ。母が突然発熱した。朝37.5度だったが午後には39.1度にまで跳ね上がった。数年に一度の暦の巡り合わせて年末年始9連休を謳歌する世の中だ。かかりつけの医者はもうやっていない。当番医は車で60分かかる。救急車も覚悟した。

ときおり体調を崩して寝込む母だが、年末年始にという記憶がない。母に聞いたら結婚66年で初めてだときっぱり。

30日に予定しておいた年末の買い出しは見合わせ。当然元日の娘たちの里帰りも延期になった。孫に感染させるわけにはいかない。

なんとか元日には小康を取り戻した。

物は考えようだ。もしこれが2週間前、職場オケの山場で起きていたら大変だった。正月休み突入後だったおかげで、母にずっと付き添ってやれた。最後の正月休みを母に捧げなさいという神様の断固たるメッセージに違いない。あるいは、嘱託満了後たっぷりと母に寄り添いなさいということかもしれぬ。

 

2025年1月 2日 (木)

お弾き初めの儀

昨日の記事「最初が肝心」で述べた通り、ヴィオラ練習の断固たる継続が今年の課題だ。

新年の到来とともに深夜に初練習を試みた。家人みな寝静まる時間帯だから、静かな曲を15分だけ。バッハ、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータのヴィオラ版から1曲。ソナタ3番BWV1005から第3曲ラルゴだ。オリジナルのヴァイオリン版の5度下のBdur。16分音符を1拍にとってメトロノームをセットして淡々と弾く。

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時折混じる重音やトリルが課題だが、弾ける余裕のあるときだけとしながら、しっとりと旋律を楽しむ。ただただ脱力。ほんのりヴィブラート。「p」の手のひらの上でニュアンス1個の出し入れに終始する。

初詣あるいは書き初めにも匹敵する「お弾き初めの儀」である。

2025年1月 1日 (水)

最初が肝心

昔の人はよいことを言う。「1年の計は元旦にあり」だ。まあ一日前の大晦日には「終わり良ければ全てよし」とも言われているからなどと、野暮な突っ込みはぐっと飲み込む。

今回私がそのことを強く意識したのは、ヴィオラ練習だった。昔も今も腕前に傷を持つドアマチュアの私にとっていつも演奏会が生活の節目だった。オケに打ち込むあまり演奏会の後にぽっかりと心の空洞ができる。ぽーっとしてしまうのだ。ヴィオラの練習もどっこいしょとばかり一段落してしまう。

今回はこれを恐れた。

幸い職場オケの初コンサートは金曜日だったから翌日は休み。ここで意図的にヴィオラを触った。演奏会の演目の楽譜をしまう一方、毎度毎度のバッハをゆるりと取り出していつも通りメトロノームでさらう。かれこれ2時間。通常より1時間多めだ。

職場オケの演目がなくなっても、練習だけは続けるのだよと、心と体に言い聞かせたということだ。

あけましておめでとうございます。

2024年12月31日 (火)

聖なる1年

2020年に嘱託生活が始まったとき、2025年1月の満了も決まっていた。だから2024年がラストイヤーになる前提で諸事、動いてきた。

会社生活最後の1年をバッハとともにカウントダウンすべく、ブログ「ブラームスの辞書」上で、「カンタータでたどる教会暦」なる企画を準備したのもその一環だ。ところが、そこに降って湧いたのが2023年10月の網膜剥離だった。ラストイヤーを前に暗雲が立ちこめたが、手術即決で、ついでに白内障にも手を打って2023年内に退院できたのは幸運だった。

ちょうどその頃だ。職場にオケが発足することになった。誘われるままに参加を決め、初練習は2023年11月。目の手術の合間を縫うように参加したものだ。会社生活最後の1年をオケとともに過ごすことになった。

バッハと職場オケ。職場オケから必然として派生したヴィオラ演奏の再開。練習の素材にバッハの降臨を見た。これだけでもラストイヤーの装飾としては充分だったが、12月も押し詰まってから、長女の懐妊が判明した。予定日が7月とわかり、ラストイヤーに初孫による変奏曲がなりひびくことになった。7月の出生後は初孫狂想曲に近い。

かくして2024年は「バッハ」「職場オケ」「ヴィオラ」「初孫」の4重フーガが形成された。

今日でその1年が終わる。ブラームスそっちのけながら、それはかつてない濃密な1年だった。

 

2024年12月30日 (月)

ひ孫無双

ブログ上のバッハ特集、職場オケと並んで、2024年を象徴するのが、初孫だ。

昨年末に長女の懐妊が判明してからの1年だ。その前半は初孫の誕生を指折り待つ半年だったが、7月の初孫誕生とともに生活の流れに強烈なアクセントが加わった。私にとっての初孫は母にとってのひ孫であることにより、スフォルツァンドまで付加された感じ。

母に対する「ひ孫ドーピング」とも申すべき効果は精神面肉体面において劇的かつ圧倒的だった。その母をじっと見守るというのが私の日課になった。初孫という側面の後退をも意味する。

見逃せないのが、初孫の母にあたる私の長女との関係だ。難しい時期には一部反抗もされたが、出産後、正確には懐妊後変化は明らかだ。これが母になるということなのか。母、私、長女、孫と続く4代の連鎖を強く感じ続けた1年。

2024年12月29日 (日)

リヴィオラの誓い

はじめて発足した職場オケでの活動がこの1年の精神的支柱だったことは否定できない。これがきっかけで15年放置していたヴィオラを取り出したのだが、オケで弾くことについて申せば1990年11月以来34年ぶりだった。

42年10ヶ月におよぶ会社生活の最後に、神様が用意したお餞別と解するしかない僥倖だ。

しかし、もっと深く考えると、このオケの最大の功績は、ヴィオラを再び手に取るきっかけになったことだ。体力気力その他の衰えとともにオケへの参加が難しくなっても、家で一人ヴィオラを練習することだけは長く続く。老後の趣味はヴィオラ演奏とするべきだ。コンクールはもちろん演奏会や発表会への参加を必ずしも前提としない、ゆるりとしたヴィオラライフ。もちろんそこにはバッハの作品が介在する。

1877年製の我が愛器は、この職場オケが発足しなければ、そのまま朽ち果てる運命だった。私の遺品としての残される前に、もう一度日の目を見させたことをこの上ない幸せと感じる。

15年放置を心から楽器に詫び続ける老後としたい。リヴィオラの誓いである。

2024年12月28日 (土)

初人間ドック

今週月曜日に人生初の人間ドックに行ってきた。来月末の嘱託満了を前に身体の総点検というわけだ。

その結果が昨日出そろった。胃カメラはまったく無風だった。問題なし。

数ある検査項目のうち、血圧とヘモグロビンA1cだけにアラームがついた。逆にそのほかにはつかなかった。当分その二つを見守りましょうということだ。

2024年12月27日 (金)

改めて問う

はたしてバッハはブラームスを抜いたか?

昨日の記事で、2024年がブログ企画上事実上のバッハイヤーだと書いた。

すでに私の脳内最高の作曲家の座にあるのははたしてブラームスかバッハなのか疑問を提示しておいた。

長く君臨したブラームスをバッハが脅かしていることだけは確かだ。問題は抜き去っているかどうか?

つまりすでにつばぜり合いになっているということだ。

2024年12月26日 (木)

ほとんどバッハイヤー

今年を振り返ればやはりバッハだ。

ブログ特集が「カンタータで巡る教会暦」だったことと、ヴィオラの練習の素材がほぼバッハだったことも手伝って、今年に限っては主役のブラームスを横に追いやった。それがバッハであるならブラームスはニコニコと笑っているだけだろう。事実上のバッハイヤー。

昨年末ブログの特集が始まったときには、まさかここまでとは思っていなかった。

職場オケへの参加をきっかけに放置していたヴィオラを手に取って、腕前の復旧に明け暮れる中から素材としてのバッハが急浮上した。

 

2024年12月25日 (水)

ファーストクリスマス

本日は初孫のファーストクリスマス。

生後5ヶ月で無事この日を迎える。

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2024年12月24日 (火)

ミニクリスマスコンサート

職場オケの初コンサートがミニクリスマスコンサートとして開催された。

  1. ワーグナー マイスタージンガー前奏曲
  2. チャイコフスキー 花のワルツ
  3. シベリウス フィンランディア
  4. アンコール そりすべり

本社玄関ホールを封鎖しての特設会場。来場者にと用意した200部のプログラムが全て裁けたという。そりゃあすごい熱気だった。ちらほらと「ブラボー」の声もかかった。

オケのメンバーの最年長は、正確を期するならなお確認も要るが、おそらく私だ。そして私の子供らの世代平成一桁は珍しくもない。未確認ながら平成2桁も混じる。そうした世代ギャップはもちろん、男女職場を超えた濃密なコンタクトは通常の会社生活ではけして実現しない。それがどうだ。

この1年当たり前になった。練習に比べて本番はあっと言う間だった。演奏面での一体感は本番が最高と誰もが感じた。

これらについて正確に伝えるには、私の語彙や文章力が決定的に不足している。仲間との絆が深まったなどと申しあげた瞬間に陳腐化する。

アンコール曲が終わった瞬間の高鳴りや感慨は言葉にならない。

2024年12月23日 (月)

宴席の余興に

先週の金曜日、無事職場オケの初コンサートが終わった。

打ち上げにと流れた宴会での余興に、弦楽器のメンバーがクリスマスソングを演奏した。

オケの弦楽パートのトップ奏者が集まった弦楽四重奏団は、珍しくない。これもまたデビューである

苦楽をともにした弦楽器の仲間との絆はさらに深まった。

2024年12月22日 (日)

子守歌の初演日

長女が子供を授かったら、記事にしようと思っていた。

世界最高の子守歌として名高い(当社調べ)ブラームスの子守歌の初演は1869年12月22日だ。今日は初演155年目の記念日にあたる。

そしてなんとそれは長女自身の誕生日。長女が子供を産んで最初の誕生日に子守歌初演のネタとして献呈しようと心に決めていた。今年7月に長男を出産したので、今日めでたく本件を記事にした次第。ブラームスの子守歌の初演が長女の誕生日に一致するささやかな偶然を喜びたい小市民ではあるのだが、神様はさらにサプライズを用意した。

この日は長女の産んだ我が初孫の満5ヶ月の誕生日でもある。

2024年12月21日 (土)

レセプション

私が所属した大学オケでは、演奏会の後の打ち上げパーティーのことだった。なぜレセプションというかは不明。ここで旨いビールを呑むことが演奏会の目的だったりする例が後を絶たない。演奏会の頻度が高くないアマチュアにとって、その位置付けは否応なく高まる。順番はいろいろだが内容はほぼ以下の通り。

  1. 乾杯      団に代々伝わる乾杯の歌で幕を開ける。
  2. 団長の挨拶 団長の仕事のうち最も重要な仕事だった。
  3. 指揮者挨拶 客演指揮者の挨拶は常任指揮者の時の数倍緊張する。
  4. ソリスト挨拶 楽器演奏が上手な方は、大人の対応も上手です。
  5. トレーナーの講評 各セクションのトレーナーがおいでの時は必須だ。
  6. 懺悔の時間 各パートのリーダーのスピーチはいつしかこう呼ばれた。難儀なソロがあったパートほど盛り上がる。
  7. 万歳三唱  これも団長が発声する。

シャンパンファイト寸前の年もあった。何かと苦労が多い弦のパートリーダーを囲んで記念撮影が始まる。冬の演奏会の場合4年生は最後のレセプションになるのでそれなりの感慨がある。どさくさに紛れて告白する奴もいたような気がする。

そしてこれこそが、次の演奏会への第一歩になるのだ。

普通に考えると8回経験することになるが、団内での位置付けの高まりと共にレセプションの位置付けもまた変化する。私にとって最初のレセプションはブラームスの2番の後にやってきた。最後のレセプションはマーラーの5番の後だった。最も印象に残っているのは、芥川也寸志先生で悲愴を弾いた時だ。イタリア奇想曲、ヴァイオリン協奏曲というオールチャイコフスキープログラムだった。無謀なことに私がパートリーダーだった。ソロを弾いた古沢巌先生からヴァイオリン協奏曲のパート譜にいただいたサインが今でも宝物だ。この時のビールは旨かった。3年の冬である。最後のレセプションはさびしさが勝っていた。

昨日職場のオケのレセプションがあった。

2024年12月20日 (金)

究極の自問

困った。

この1年「カンタータでたどる教会暦」と称して事実上バッハイヤーとなっていた。途中から初孫ネタやヴィオラネタも合流してブラームスネタの濃度が下がった。だからということでもないのだが、脳内にぽつりと湧いた疑問がある。

「私にとっての脳内リーディングコンポーザーは、はたしてブラームスなのか?」

これだ。

45年前ブラームスがその座についてずっと君臨してきた位置に、バッハがとって代わったのではないかという自問。

場合によっては、ブラームス手帳 の返納にもつながりかねない。

 

2024年12月19日 (木)

OBa

音楽之友社刊行のシリーズ。「ON BOOKS advance」のことだ。もっと極める1冊1冊という名目で古今の名曲が深掘りされる中にバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」があった。

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ひとまず即買い。同曲集についてさまざまな角度から掘り下げてある。名盤30種なる章も置かれている。同曲の解説はもちろんだが、作曲の経緯や、バッハ没後の受容史なども雄弁だ。なんとブラームスへの言及もある。受容史の中、自筆譜発見のエピソードに顔を出すほか、案の定シャコンヌのピアノ編曲にも触れている。モーツアルトやベートーヴェンへの言及はないからブラームスの特別扱いがうれしい。

欲を言わせてもらうなら、この表紙のバックがなぜ無伴奏作品の楽譜になっていないのだろう。上下二段どう見ても鍵盤楽器の楽譜で、無伴奏ヴァイオリン作品の楽譜ではない。よほどの事情や深い考えがあるに違いないと推測するばかりだ。ここいら横着は許されないと思うがいかがなものか。

2024年12月18日 (水)

つくづく楽譜は大事

何気なく楽譜ショップに立ち寄ることが増えた。忘年会の開始時間までの暇つぶしに最適だ。

ポロリと目にとまったのがバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」のヴィオラ版だ。そもそもこの楽譜は既に持っているのだが、ペータース版はなかった。校訂者が「サイモン・ローランド・ジョーンズ」となっているではないか。無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版でお世話になっている楽譜と同一人物の校訂とあって、万には届かぬ数千円という財布の痛みも顧みず購入。

さっそくこれで練習をしてみて驚いた。例えばソナタ3番イ短調BWV1003の終曲。ヴィオラ版では5度下のニ短調になっている。

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写真中段の右端が14小節目だ。ヘボなヴィオラ弾きには難所。時折混じる32分音符が拍車もかける。スラーに点線と実線が混在するし、指番号がいやでも目につく。なんと言っても1拍目と3拍目の末尾のダウンボウの指示が強烈。これをメトロノーム付きで駆け抜けるには、腕前も動体視力も不足している。

同じ場所ジョーンズ先生校訂のペーター版は以下の通り。

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これでカラリと回せた。あれって感じ。よくよく違いを分析するとおよそ下記。

  • まずは楽譜が立て込んでいない。これ意外に大切。いやマジで。
  • ボウイングの指示としては2拍めの後半がアップボウで括弧付きという指示にとどまる。
  • 点線スラーがない。
  • 1拍目と3拍目末尾のダウン指示がないだけで数段心が落ち着く。いわれてみればこの指示は、2拍目後半のアップを弓順で実現するための仕込みであったとわかる。

無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版の校訂もジョーンズ先生だったから、彼の指示に慣れているせいもあるにはあるが、曲集全体で校訂者のさまざまな指示においてこの手の差異がある。指示があれば譜読みの段階で立ち止まってその指示の意味と難易度を確かめるが、従来の版の指示は無視していた。傾聴に足る見解ではないと私の腕前が直感していたということだ。

がしかし、ジョーンズ先生の指示は必要最小限かつ急所に特化している上に、多くの場合共感できる。難易度は様々だが狙いとして説得力に富んでいる。「弾ければ効果は絶大だよ」「こうして弾けるようになるまで練習しようね」と聞こえる。

他に、従来の版では高い音になるとあっさりト音記号に代わるが、ペーター版は断固ハ音記号に留まる感じがする。こんなところまで校訂者の意向なのかは不明だが、心から賛同する。

ここにコスパを求めてはなるまい。

老後の長い旅のガイドブックとしての楽譜は大切。

 

 

 

2024年12月17日 (火)

ヴィオラ愛奏曲集onバッハ

夏からずっと続くヴィオラ練習の素材は、断固としてバッハである。

以下その素材を列挙する。

  • 無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版
  • 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータヴィオラ版
  • ブランデンブルク協奏曲第6番
  • ガンバソナタ ヴィオラ版
  • 2パートインヴェンション 弦楽二重奏のヴィオラパート
  • 3パートインヴェンション 弦楽三重奏のヴィオラパート
  • カンタータ第5番の第3曲テノールのアリアのヴィオラパート
  • ゴールドベルク変奏曲 弦楽三重奏のヴィオラパート

これらは我が家に楽譜がある。ずっとずっと楽しめる。退職後の生活の柱の一つだ。

そのほか、楽譜さえあればやってみたい曲も少なくない。

2024年12月16日 (月)

自主練の自己管理

全体練習を含む合奏練習に備えて個人練習を積み重ねるルーチンを思い出している。

オケはその繰り返しだ。個人練習には基礎練習も含まれる。演奏会の演目ではない基礎トレもだ。私の場合、基礎トレ用にと目論んだバッハが面白くて、演奏会の曲をそっちのけという本末転倒も起きている。

つくづく思うことがある。

合奏練習への準備がある程度できていると、かなり楽だ。時間が120分でも個人練習に比べて密度は薄れる。毎日最低60分の個人練習が定着してみると、合奏練習がゆるく感じるのだ。

個人練習は、全て自分のマネージメントだ。課題の抽出に始まり、克服のための方法、その時間配分など、自ら定めねばならぬ。練習の効果を測定しさらに極める。実は全体練習は、その効果測定の場でもある。いわばISOでおなじみのPDCAサイクルを回すに等しい。

全体練習は楽だ。指揮者の指示するカ所を、指示通りのテンポで弾けばいい。おまけに打ち上げではビールもついてくる。

2024年12月15日 (日)

ゲネラルプローベ

一昨日職場オケ初コンサートのゲネプロがあった。

本番までもう全体練習がないからアンサンブルの総仕上げだ。

に加えて、全体のながれの把握。入退場の仕方、順序、起立のタイミングなどなど音だし以外にも整えることは山ほどある。仕草のアインザッツくらいはきっちりと決めたいものだ。

そして毎度毎度の飲み会。

 

 

2024年12月14日 (土)

ブラームス手帳

妊娠したことが判ると母子手帳が交付される。小学校入学までの間の成長が記録される。出産までの定期検診の所見、出産後の定期健診の所見、予防接種の履歴、病歴など貴重な情報が残される。小学校入学後に提出を求められる健康調査書には、母子手帳を参照しなければ書けないような事項もある。我が家にも母子手帳がある。子供たち3人の分と、私自身のものだ。見比べるのはとても面白い。

この母子手帳と同じようなノリで「ブラームス手帳」などがどこかで出していないものか?音楽の愛好家がブラームスを生涯の作曲家だと自覚した時に交付されるといいのだが。

概ね以下の事項が記載出来るようになっているイメージだ。

  1. ブラームスにのめりこむキッカケになった出来事
  2. ブラームスにのめりこむキッカケになった曲
  3. ブラームスを聴いた演奏会の記録
  4. ブラームスを弾いた演奏会の記録
  5. ブラームスのCDの購入記録
  6. ブラームスの楽譜の購入記録
  7. ブラームスの書籍の購入記録
  8. ブラームス作品一覧表 所有CD、聴いた演奏のチェック機能付き

全世界のブラームス関連の博物館・資料館で入場が割引になる特典付きだと嬉しい。その代わり自分にとってブラームスが最高の作曲家でなくなった場合には返納しなければならない。

 

どこかで出してはくれまいか。

2024年12月13日 (金)

ヴィオラ手帳

再びヴィオラを頻繁に弾くようになった。弦を替え、肩当てを替え、弓を交換した。マメに楽器を取り出して弾くのが一番のメンテだという。同感だ。そうすることで自分の楽器のコンディションが常に把握出来る。弦の交換時期や、弓の毛替えの時期も自ずと判るのだ。思えば子供たちを育てる時もそうしていた。顔色や食欲の微細な変化を絶対に見逃すまいと思っていたではないか。

ヘンレ社製の手帳に楽器周辺の細々としたことをメモし始めた。

  • 弦交換 弦種、日時、メーカー、品種、価格
  • 弓毛替え 日時、店舗、価格
  • 購入記録 魂柱、コマ、テールピース、ペグ、アジャスター、松ヤニ
  • 弓購入 日時、店舗、価格、メーカー、品種
  • 修理 裏板剥がれなど。
  • アジャスタ グリス差し
  • チューナー 電池交換日

気付いた点について簡単なコメントを添えている。これがなかなか面白い。ちゃんと練習する人だと、弦交換は4ヶ月から6ヶ月に1回のペースだという。

そして、そして、老後のたしなみとしての日々の練習日記も。

ノリとしては母子手帳か。こういう手帳、どこかが出さないものか。バカにならないニーズがあると思う。

2024年12月12日 (木)

弦は道連れ

愛用のヴィオラのA線をラーセンに代えて1ヶ月経過した。

第一印象は何に付け明るくて、よくも悪くもオープンだと感じた。ここにきてなじんできた。A線ハイポジションのキンキンした感じはおさまった。弦を代えるくらいで私の腕前が上がるはずはないから、これは弦の恩恵に違いない。レスポンスの良さが、キンキンに直結しないということなのだろう。これにコスパを求めてはなるまい。

もう一つ気のせいかもしれないが、このところD線、G線、C線の鳴りに丸みが出てきたかもしれない。A線の交換で他の弦の鳴りが変わるとも思えないのだが、どうしたものだろう。

A線の鳴りが落ち着いたことで腕の脱力が進んだかとポジティヴに想像するが、単なる気のせいという落ちも充分にある。

2024年12月11日 (水)

ドプリンガーのゴールドベルク

「3パートインヴェンション」に続いてまたまた衝動買い。バッハのゴールドベルク変奏曲の弦楽三重奏版だ。

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シトコベツスキーのアレンジとあって飛びついた。マイスキー先生のCDの楽譜だ。今井信子先生のヴィオラということもあって長く脳内に君臨してきた録音。その楽譜が見たいと思っていたから飛びついた。3パートインヴェンションとちがってスコアはついていない。ヴァイオリンとヴィオラそしてチェロのパート譜だけだ。見ての通りウィーンのドプリンガー社からの刊行。

超絶過ぎて弾けないと諦めていたが、場所によってはなんとかなる。第30変奏クオドリベートの出だしだけで満足だ。

細かいことを言うなら楽譜に用いられた紙がしっかりし過ぎていて、ブライトコップフに比べて譜めくりが難儀だ。

2024年12月10日 (火)

3パートインヴェンション

バッハのインヴェンションの二重奏版に深々とはまっている。

しからばという訳でインヴェンションとしばしば列挙されるシンフォニアの弦楽三重奏版の楽譜を所望した。原曲が3パートインヴェンションなのでそれをヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの三重奏用にと編曲した代物だ。

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15年前に買った2パートインヴェンションの楽譜と同じくブライトコップフだから、少々のお値段には目をつむって買い求めた。今度はパート譜がついている。ついてはいるのだが、3パート併記のスコアも律儀に添付されている。パート譜見るよりずっと面白い。

がしかし。

さらってみると2パートほどはわくわくしない。原因はいくつか考えつく。

2パートはピアノ左右の手の担当がヴァイオリンとヴィオラのパートにそのまま転写されているのに対し3パートはそこが曖昧だ。3パート全体として作品が完結するので1パート毎で見ると長い休みが増える。ヴィオラ特有の問題として、最後の音が主音にならない。音域のせいもあってヴィオラは最終和音の第3音を担当することが多い。起承転結感が薄れる原因だ。通常の管弦楽や室内楽ではよくある話なのだが、2パートインヴェンションに比べると物足りなくなる。

つまみ食い程度に楽しめはするが、トータルとして2パートインヴェンションのありがたみを改めて認識させられた。

贅沢な話である。

 

2024年12月 9日 (月)

弦練2日

職場オケの初コンサートが間近にせまった。全体練習で感じる不具合をなんとかせねばと弦楽器練習が開催された。師走の忙しい中どちらかにという主旨で2日連続の開催となった。私は暇を工面して両方に出てきた。つまり思わぬ楽器の損傷の修理が練習にかぶらなかったということだ。

メンバーが日頃感じている違和感をそれぞれ持ち寄ってぶつけ合う主旨。蓋を開ければ皆おなじ場所で悩んでいたというのが収穫。

そして練習後は反省。ビールと餃子の二重奏を楽しんだ。

これぞ醍醐味。楽器の修理が練習に間に合ってよかった。

2024年12月 8日 (日)

夢中とはこのこと

2パートインヴェンションのヴィオラパートに心酔している。

そもそも無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版や、ブランデンブルク協奏曲の第6番、ガンバソナタのヴィオラ版あるいは奮起して無伴奏ヴァイオリン作品のヴィオラ版で毎日ヴィオラに親しむと決めたのは自分だが、ここにきてインヴェンションにはまるには相応の訳がある。

やがて次女とアンサンブルができる日のためではあるがそれは長期計画のどん詰まりである。短期的には本作が面白いことにつきる。

  • 1番ハ長調
  • 2番ハ短調 
  • 3番ニ長調
  • 4番ニ短調
  • 5番変ホ長調
  • 6番ホ長調 
  • 7番ホ短調
  • 8番ヘ長調
  • 9番ヘ短調
  • 10番ト長調
  • 11番ト短調
  • 12番イ長調
  • 13番イ短調
  • 14番変ロ長調
  • 15番ロ短調

これだけで惚れ惚れだ。15年前にも少々さらっていたがこのほど懐かしく取り出して練習してみると景色が変わっている。原因は自分。一つはバッハへの知識と理解が深まっていること。練習への取り組みが体系的で充実したこと。調性に対する意識が格段に高まっていること。取り組む作品の調を肝に銘じ、今いる場所の調を意識するだけで味わいが格段に深まる。

1番や8番は元々大好きだった。2番4番7番11番13番の短調はバッハ節炸裂。特に意味深臨時記号の味わいが格別だ。5番変ホ長調もいい。コツコツと繰り返す16分音符の連なりや、気の利いた装飾音符。それらがカラリと弾けるかどうかの運試し。さらには6番ホ長調は15年前に挫折した。苦手な苦手なホ長調で♯4つだ。おまけに延々とシンコペーションだ。がしかし、今それが魅力なのだと気づかされた。10番ト長調は8分音符3個一組という枠組みが鬼門でさえある。C線上のDとFisの長三度がどうも苦しい。14番変ロ長調はかつて32分音符で大挫折したがこのたびリベンジ中だ。

先日の楽器の損傷は、14番変ロ長調の最終小節での出来事だった。演奏会の曲目そっちのけでのハマリ過ぎに注意のアラートかもしれぬ。

«面白さ格上

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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