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2010/08/13

当事者として

当事者として

真剣に仕事をしようとしていたら、内田樹さんのツイッター上のつぶやきがタイムライン上に出現し、手が止まってしまった。

http://twitter.com/levinassien

「アルテスの鈴木くんが「怖い」話を紹介してくれていたので、読んですっかり考え込んでしまいました。その結論は・・・http://blog.tatsuru.com/というわけで、アルテスの本もいつ出るかわからなくなりました。バブルがこわいよう。」

リンク先の内田樹さんのブログには、ブックファースト店長の遠藤さんのこのようなコメントを含む記事が引用されていた。

(「一個人」サイトより、「ブックファースト・遠藤店長の心に残った本」というコラム)

http://www.ikkojin.net/blog/blog6/post-2.html


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池上彰「伝える力」
[2010年8月12日]
いま書店界で一番話題なのが、
いつ「池上バブル」が弾けるかということです。
最近の書店バブルに「茂木バブル」「勝間バブル」があります。

書店の中の、新刊台やらランキング台やらフェア台やら
いたるところに露出を増やし、その露出がゆえに書店員にあきられ、
また出版点数が多いためにお客さんに選択ばかりを強い、
結果弾けて身の丈に戻っていくのが書店「バブル」です。

「茂木バブル」は出版点数が増えるにつれて1冊1冊のつくりが
スピード重視で雑になり、文字の大きさが大きくなり、
内容が薄くなってきて、でもそれに対して書店での露出は増え、
そして点数が多いことでお客さんが何を買っていいか分からなくなり、
バブルが弾けました。

「勝間バブル」ははじめの切れ味のいい論旨が、
出版点数を重ねるにつれて人生論や精神論のワールドに入り、
途中「結局、女はキレイが勝ち。」などどう売ったらいいか書店界が困る迷走の末、対談のような企画ものが増え、
結果飽和状態になり、弾けました。

書店「バブル」になった著者は、自分の持っている知識なり、
考え方が他の人の役に立てばとの思いで本を出すのだと思うのですが、そうであるならばなぜ出版点数を重ねる度に、
「なんで、こんなにまでして出版すんの?」
と悲しくなるような本を出すのでしょう。

すべて「バブル」という空気のせいだと思います。
このクラスの人にお金だけで動く人はいないと思います。
そうでなくてせっかく時代の流れがきて、要請があるのだから、
全力で応えようという気持ちなのだと思います。

けれどそれが結果、本の出来に影響を与え、
つまり質を落とし消費しつくされて、
著者本人にまで蝕んでいくことは、悲しくなります。
著者もそれが分からなくなってしまうほど、
「売れる」というのは怖い世界なのかも知れません。
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 このコラムの中で、名前が挙げられているので、私の感想を書かせていただきたいと思う。

 客観的な立場から見ると、ある時期、特定の著者の本がたくさん出て、それが潮が引くように消えていくように見えるのかもしれないけれども、著者、編集者の側からすれば、一冊一冊を誠心誠意作っているだけのことである。

 ぼくは、今まで通りのやり方を変える気はないし、刊行点数を絞ろうとか、そんな知恵を働かせるつもりもない。本の出版は、出版社の方々の企画や、編集者の創意工夫、その他のパラメータで決まっていくもので、著者が意図して仕掛けられるものではない。ある時ぴたりと企画がなくなるかもしれないし、そうでないかもしれない。本が出なかったら、やることはたくさんあるから、別にそれで構わない。 

 そもそも、ある本がバブルだとか、浮ついているとか、そんな評価をするのは、一緒に仕事をした編集者(生活がかかっており、時には社運をかけて、一生懸命やってくださっている)に失礼だし、何よりもお金を出して買ってくださり、読んで下さった読者に申し訳ない。

 どの本も、私のその時々の、目一杯の力を注ぎ込んだものです。それが結果としてバブルになろうが、何だろうが、それは仕方がない。勝間さんだって、池上さんだって、同じような気持ちじゃないのかな。

 小林秀雄ではないが、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいぢゃないか」と思う。

 結果として、内田樹さんとは少し異なる感想になってしまったけれども、それでいいのだと思う。この前の新卒一括採用の時もそうでしたが、内田樹先生とは、基本的な倫理感を共有しつつ、結論が少し異なることがある。それでいい。思想家、書き手としての内田樹さんに対する私の信頼には、一点の曇りも生じない。

8月 13, 2010 at 10:17 午前 |