なぜオペラに行くのかと言えば、そこに非日常があるからだろう。
新国立劇場ができて、日本で、世界水準のオペラが見られるようになった。昨日初日の『パルジファル』も、すばらしい出来。東京でこのようなオペラが、独自制作で見られるようになったのは、なんと幸運なことだろう。関係者に心から感謝したい。
演出は、天才としかいいようがないハリー・クプファー。この人の演出したバイロイトの『さまよえるオランダ人』は、オペラ演出史上に永遠に残る名演だが、今回の『パルジファル』も、衝撃を受けることがいくつかあった。
クプファーの演出は、斬新であって、しかし人間の魂の芯をとらえて離さないのである。
いわゆる「ネタバレ」をしないで、演出内容を分析することは不可能なので、どうにでもとれるあいまいなことを二つだけ。クンドリーの扱いは、女性視線の『パルジファル』をという近年の潮流に沿ったものだが、さらに一歩踏み出したように思う。二幕のパルジファルとのダイアローグは、すばらしかった。
そして、もう一つ、今まで見たことがない趣向が。いらしていた畏友、山崎太郎君に確認したが、やはり、『パルジファル』演出史上、あの趣向はないらしい。それが何なのか、新国立劇場で確認ください。
芸術は、この宇宙に欠けているものを、人間が生み出すのであろう。だからこそ、魂が深いところで慰撫される。
『パルジファル』では、みんなが傷ついている。
パルジファルも、クンドリーも、アムフォルタスも、そして「敵役」のはずのクリグゾールも。おそらくは、グルネマンツも。
昨日たまたま観に来ていた白洲信哉は、オペラを見るのはほとんど初めて、とか言いながら、「救済がテーマのオペラだけど、救われない人もいるじゃないか」という、作品の本質に関わる鋭い感想を述べていた。酒癖は悪いが、信哉、君は偉い!
飯守泰次郎さんの指揮、オーケストラの演奏は、確固とした深いワグナー音楽を奏でていた。そして、世界最高水準の歌手たち。力がハーモニーとなって、感動の時間となった。
「芸術の力」を感じさせる、すばらしい『パルジファル』の成功を、祝いたい。
上演はあと4回あって、スケジュールさえ合えばもう一回行きたいくらいだが、果たせない。山崎太郎君は、もう一回行くそうだ。(昨日確認したら、国内外のオペラを、山崎君は年間40〜50は見ているとのことだった。お仕事に関連してとはいいながら、凄いことだ。)
新国立劇場の梅田潤一さんによると、ハリー・クプファーの構想を実現するために、スタッフは本当にご苦労されたようで、その成果は舞台に現れているように思う。
ぜひ、みなさんに見ていただきたい。特に、若い世代には、多少無理をしてもいいから、足を運んで欲しい。
ぼくは、学生時代から、無理をしてバイトをしたお金をつぎ込んでオペラに通ったが(「オペラ係数」は異様に高かった)そのことが、今、間違いなく「糧」になっていると思う。芸術とは何なのか、自分の中で、揺らぐことのない基準ができるから、何かに出会った時、ぶれることがないのである。
振り切れているものを知らないと、日常的な多くのものを、判断することもできない。それは、人生最大の不幸でもあるのだから。一方、振り切れているものを知っていることは、人生最大の幸福である。
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/parsifal/
最近のコメント