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2014/12/25

 クリスマス・イブのある光景。

最近は、一日中、ずっと、仕事をするか、身体を動かしている。
 
 昨日、都内を一時間くらい歩いて移動していたときのこと。
 ある公園にさしかかった。前に広場があって、子どもたちが、大人たちと遊んでいる。小学校に上がるかどうかくらいの年齢。
 ぱっと散らばったその配置が、ちょっとブリューゲルの絵を思わせる。

 子どもたちの向こうに、トイレが見える。ちょうどいいと思って、近づいていった。

 子どもたちが、突然、わーっと左側に走り始めた。それと同時に、男性の声が聞こえてくる。
 「順番だよ」、などと言っている。
 そうか、これは、子ども会か何かのイベントなのだなと思った。

 近づくにつれて、次第に、視野が左側に開けてきて、さまざまなものが見えてくる。
 目に飛び込んできたものは、にわかには信じられないものだった。

 赤と白の服を着たサンタが、橇に乗って、にこにこ笑いながら、大きな鈴を振っている。トナカイもいる。子どもたちのための、プレゼントを入れた大きな白い袋もある。

 まるで、クリスマス・イブの日の、夢が実体化したかのような光景。

 実際には、サンタに扮装していたのはどこかのおじさんだったし、トナカイは、頭に角をつけた学生だったし、橇は、リヤカーのような四輪車だったが、一瞬、ファンタジーの世界が広がったのは確かなのだ。

 「さあ、並びましょう」と、小さな子の手を引く母親がいる。二三人で、もつれて転がるようにかけつける男の子がいる。
 子どもたちの目が、地上の星となる。

 私の心も、ぽっと温かくなって、そのままトイレに入った。


 トイレの中にも、声が届いている。

 「一度には、二人ずつだよ。」
 「ぐるっと回るんだよ。」

 あの橇に、これから、子どもたちが乗って、公園を一周するらしい。

 私が幼かった頃、町内の子ども会のクリスマスがあって、とても楽しかったことを思い出した。
 大人の目から見れば簡素なつくりだが、そこに、子どもたちはキラキラとした「夢想の粉」をふりかける。

 時代は、すっかり変わってしまったけれども、何かは、続いている。

 ずっと隠れていた伏流が、みずみずしく地表に表れた。
 私はリフレッシュされたような気持ちで、さらに歳末の東京の街を歩いていったのである。

12月 25, 2014 at 06:40 午前 |

2014/12/14

洗ったら、止まってほしい。

以前から、シャワー付きトイレで、コントローラが本体と離れた「無線」タイプの場合、何とはなしに不安に感じていた。

ほら、例の、細長いバーみたいなのが別にあって、そこに、おしりとか、大とか小とか書いてあるやつ。

理由はわからないのだが、頼りないと思っていたのである。

今朝、そのシステム脆弱性が明らかになった!

以下は、私を襲った、朝の、トイレ恐怖体験である。

ホテルのトイレに座って、本体とは別にあるコントローラ の「おしり」を押したら、反応しない。

あれ、と思って長押ししても、反応しない。

見ると、バッテリーが赤く点滅している。つまり、電池切れに近いということである。

このやろめ、と押したら、バッテリー君、最後のちからを振り絞ったのだろうか、反応して水が出た。

ところが、今度は止まらなくなったのだ!

こまった。おしりを攻撃しつづける水。止めようと思っても、コントローラーが利かない。

意を決して、少しおしりを浮かしつつ、バン! と便器のふたをしめた。

水は、その後も、数秒間、ジャワワワワと出続けたが、やがて、上におしりがないことに気付いたのか、止まっ
た。

便器の周囲が、少し水滴だらけになった。

ふうう。あぶねえ。

教訓。別添えコントローラの場合、電池切れになったら、途中で通信が途絶えるという脆弱性がある。

おしりがオンになったまま、オフにならない、という可能性もあるのである。

このあたり、メーカーの方々は、よくよく考えて、商品開発をして欲しい。

というか、ぼく、やっぱり、コントローラは本体に付属している方が好きなのよね。

なぜ、本体一体型だと安心するのか、その深い理由が、今日、明らかになったのであった。

おしりだって、洗ったら、止まってほしい。

12月 14, 2014 at 11:46 午前 |

2014/12/11

宇宙飛行士の古川聡さん(@Astro_Satoshi)にお目にかかりました。


Tokyo FMのスタジオに、古川聡さん(@Astro_Satoshi)がいらした。

私がホストをつとめる、Dream Heartのゲスト。

国際宇宙ステーション(ISS)に5ヶ月半滞在した、古川さん。

お話していると、普通の人とまったく異なる、何かを感じた。

何だろう、と思ったが、結局、言葉では伝えられない、ある体験をしたということ以外にないと気付いた。

国際宇宙ステーションでは、いつも、頭の上の方に地球が見えていて、それが、この上なく美しかったのだという。

最初は、日本が、見えた、フランスが見えた、とさまざまな地域を国でとらえていたが、そのうちに、一つのつながりとして、地球を見るようになる。

一日、16回、明るくなったり暗くなったりを繰り返す。それでも、グリニッジ標準時で生活しているうちに、やがて、明るくなったり暗くなったりする中で、ちゃんと夕方には眠くなる。

無重力状態で、壁を押して進もうとすると、ちゃんと重心をつかないと、くるくる回ってしまう。重心をつくには、コツがいる。

地上に降りた今も、ときどき、無重力状態の身体感覚が戻ってくるのだという。

今まで、宇宙飛行士になった地球人は、500人程度。

ごくわずかな人だけが体験した、地球外のできごと。地球の見方、生きるという感覚、宇宙とのつながり。すべてが違ってくるのだろう。

宇宙飛行士になるための、厳しい訓練。ソユーズで往還するための、ロシア語による授業。海中に沈められたコンテナの中で、一週間作業をする訓練。ありとあらゆる事態に備えて、二重、三重の安全基準で、操作ができるようにしておくこと。それでもあり得るリスクに対して、冷静沈着に対応できること。

この方は、私たちが想像するしかない、何かを経験してしまった、そのようなことを感じさせる、古川さんのお話、表情、そして、たたずまい。

古川さんもお読みになったという、立花隆さんの『宇宙からの帰還』にもあるが、宇宙に行くことで、人は存在の根底から変わる。

現在は古川さんをはじめとするごく少数の開拓者だけが見ている新世界が、やがて、人類を変貌させていくだろう。

私も、いつか、宇宙から地球を眺めてみたい。無重力の中に、自分という身体を置いてみたい。また、古川さんにお話を伺う機会があればと思う。古川聡さん、ありがとうございました。


Astrofurukawa20141210small


12月 11, 2014 at 07:48 午前 |

2014/12/09

周囲に、論理哲学論考に興味を持つ人が一人もいない状態でものを考えること

新神戸の駅から、神戸大学まで歩いて行った。
 グーグルマップの予想は、一時間とちょっと。

 郡司ペギオ幸夫がいたころは、しょっちゅう、神戸大学に行った。タクシーだと、あっという間に着いてしまう。

 日差しが暖かい日。ぽかぽか、てくてくと歩いていくと、次第にのびやかな気持ちになってくる。

 歩くと、思わぬ発見がある。途中に、パンダがいる動物園があるなんて知らなかったし、横尾忠則さんの美術館もあった。
 店がある。レストランがある。人々の生活の息吹きがあり、兆しがある。

 途中から、左に折れたら、山登りみたいになった。なだらかに上って、それでもまだ上って、曲がって、郡司のいた理学部からさらに坂を上って、右の細い道を降りていったら、そこが工学部だった。

 会場は、そこからさらに上がって。経済学部は、神戸大の発祥だという。きれいな建物が並んだ、素敵なキャンパスだった。

 脳、イノベーション、人工知能について話して、学生さんたちと懇談して、帰るときに、ああ、楽しかったなあという感想と、もう一つ、別の気づきがあった。

 どうやら、私は、一人も好きらしい。

 マラソンも、みんなで走るのも好きだけど、ひとりで街を走るのは、もっと好きだ。

 大学のような場所も、周囲の人が、自分と同じような興味や志向性を持っているのも好きだけど、周りに、誰もそんなことを考えている人がいないところで、ものを考えるのはさらに好きだ。

 大学院の時や、学会に参加している時に感じる/感じていた「違和感」の根底に、周りに自分と同じような志向性を持っている人だけが集まっているという「息苦しさ」があった/あるのだなあと、山を下りながら気づいた。

 時折、山の中に籠もったり、森の中をさまよったりして仕事をする人がいる。
 
 周囲に、論理哲学論考に興味を持つ人が一人もいない状態でものを考えることは、実際、ひんやりとして気持ちが良いに違いない。

12月 9, 2014 at 06:27 午前 |

2014/12/06

レコーディングダイエットというものは、そうやって自分を納得させるのだな

飛行機を降りて、出ていったら、赤上亮さんの長身が見えた。
「有吉さんも、同じ飛行機のはずだったのですが」と赤上さん。
 どうやら、次に来る最終便に乗っているらしい。


 しばらく待っていると、有吉伸人さんの笑顔が見えた。

 移動の車の中で、有吉さんと話し始める。

 「茂木さん、痩せました?」
 「ええ、夏から、8キロくらい。」
 「ぼくも6キロ痩せたんですよ。」
 「えっ、有吉さん、凄い、どうやったのですか?」
 「いわゆるレコーディング・ダイエットです。」
 有吉さんによると、食べたものをカロリー計算して記録するのだという。
 「一ヶ月で一キロずつやせるはずが、二キロずつやせて六キロ減になりました。」

 凄いすごい! やる時はやるなあ!

 有吉さんと言えば、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のチーフプロデューサー時代、ご飯を食べる際、鶏の唐揚げが好きで、みんなの分とは別に、有吉さんだけのお皿を一つ注文すると、あっという間に食べてしまうのだった。

「じゃあ、最近は、鶏の唐揚げは?」
「食べませんよ!」

 そうか、有吉さんは、鶏の唐揚げを食べない有吉さんになっているのか!

 NHK松山放送局に着き、ディレクターの高比良健吾さんと打ち合わせ。
 終了後、橋本典明さんも加わって、懇談した。
 橋本さんは、かつてロンドンにも駐在されていて、有吉さんとは、サッカーつながりなのだという。

 ぼくは、有吉さんが鶏の唐揚げを食べない、というのがどうも信じられなくて、実験してみることにした。

 店員さんに、「あと一つ、鶏の唐揚げをお願いします!」と頼んで、来たら有吉さんの前に置いてみた。

 そしたら、有吉さん、間髪入れずに、数秒後にはもう食べ始めている。
 うふふ。やっぱりな。

 レコーディング・ダイエット、粉砕。

 赤上さんが、有吉さんに言っている。

 「『プロフェッショナル 仕事の流儀』を立ち上げた時、有吉さんて、41歳だったんですよね。」 
 「ああ、そうですねえ。」
 「ぼくも、来年、41歳になります。がんばらないとなあ。」
 橋本さんが、だまって頷いている。

 そんな話をしながら、ふと有吉さんの前を見ると、鶏の唐揚げが、いつの間にか、全部消えている。
 あ〜あ、食べちゃった。
 有吉さんのレコーディングダイエット、鶏の唐揚げで、粉砕される。

 ところが、有吉さん、ふふふと余裕で笑っている。
 「見てください、茂木さん、皮、ちゃんと残してあるんだよ。」
 ほんとだ。鶏の唐揚げの皮が、有吉さんの前の小皿に残っている。
 しかし、よく見ると、それは、どう見ても「申し訳」程度で、唐揚げのごく一部の皮を、そこにちょこんと置いただけだった。
 あとは、全て、有吉さんのお腹の中。

 つまり、レコーディングダイエットというものは、そうやって自分を納得させるのだなとわかった、松山の夜であった。

 (写真は、好物の鶏の唐揚げを前にご満悦の、有吉伸人さん。)


Ariyoshi20141205_2


12月 6, 2014 at 07:01 午前 |