那智わたる
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なち わたる 那智 わたる | |
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本名 | 佐藤 美弥子(結婚後) |
生年月日 | 1936年10月20日 |
没年月日 | 2023年7月21日(86歳没) |
出生地 | 日本 大阪府 |
国籍 | 日本 |
職業 | 舞台俳優 |
ジャンル | 舞台 |
活動期間 | 1953年 - 1975年 |
著名な家族 | 佐藤文生(1979年 - 2000年死別) |
主な作品 | |
「風と共に去りぬ」 |
那智 わたる(なち わたる、1936年(昭和11年)10月20日 - 2023年(令和5年)7月21日)は、宝塚歌劇団卒業生(星組トップスター)の女優である。宝塚歌劇団時代の公称身長は164cm。宝塚歌劇団時代の愛称はマル[1]。宝塚歌劇団40期生。大阪府大阪市出身。夫は元郵政大臣の佐藤文生。第21回芸術祭賞奨励賞受賞。
略歴
[編集]- 1952年、宝塚音楽学校入学。
- 1953年、宝塚音楽学校を卒業し、宝塚歌劇団入団。宝塚入団時の成績は64人中5位[2]。
- 月組→星組→月組(藤里美保・内重のぼるとのトリプルトップ)→星組と組替えを経験[2]し、最終的に星組の単独男役トップスターとなる。その後、演劇専科[2]に異動。トップスター在任中は絶大な人気を誇り、藤里(愛称:オソノ)・内重(愛称:サチ)とともに「マル・サチ・オソノ」と称えられる。長らくブロマイドの売り上げナンバーワンにも輝いていた。
- 1968年6月30日[2]をもって、宝塚歌劇団退団。
- 1979年1月、佐藤文生と結婚[3]。
- 2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年記念で創立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り[4][5]。
- 2023年7月21日午前3時32分、死去[6]。86歳没。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
[編集]- 『クリスマス・ホリデー』(月組)(1956年12月2日〜12月26日、宝塚大劇場)
- 『高校三年生』(月組)(1957年10月1日〜10月30日、宝塚大劇場)
- 『日本美女絵巻』『ミュージック・アルバム』(星組)(1959年1月1日〜1月30日、宝塚大劇場)
- 『シャンソン・ダムール』(星組)(1959年5月1日〜5月31日、宝塚大劇場)
- 『アモーレ(愛)』(星組)(1959年10月1日〜10月30日、宝塚大劇場)
- 『山びと』『華麗なる千拍子』(星組)(1960年8月2日〜8月31日、宝塚大劇場)
- 『泣きべそ女房』『鹿鳴館事件』『オープン・ザ・ウインドウ』(星組)(1960年12月3日〜12月27日、宝塚大劇場)
- 『清姫』『三銃士』(月組)(1961年9月2日〜9月29日、宝塚大劇場)
- 『宝塚百花譜(ハナクラベ)』『華麗なる千拍子』(全組合同)(1961年12月1日〜12月25日、梅田コマ劇場)
- 『踊珠曼茶羅』『レ・ガールス-魅せられし女性論-』(月組)(1962年3月1日〜3月22日、宝塚大劇場)
- 『メイド・イン・ニッポン』(星組)(1962年3月24日〜4月29日、宝塚大劇場)
- 『カチューシャ物語』(星組)(1962年9月4日〜9月30日、宝塚大劇場)
- 『タカラジェンヌに栄光あれ』(花・星組合同)(1963年1月1日〜1月31日、宝塚大劇場)
- 『花詩集1963年』-第一部百花譜、第二部ブーケ・ダムール-(星組)(1963年3月26日〜4月29日、宝塚大劇場)
- 『虹のオルゴール工場』『太陽に乾杯!』(星組)(1963年8月2日〜9月1日、宝塚大劇場)
- 『レビューへの招待』(月・星組合同)(1964年1月1日〜1月29日、宝塚大劇場)
- 『虹のオルゴール工場』『南の哀愁』(星組)(1964年2月1日〜3月1日、宝塚大劇場)
- 『レビュー・オブ・レビューズ』(星・月合同)(1964年6月2日〜6月28日、宝塚大劇場)
- 『シャングリラ』(星組)(1964年10月31日〜11月30日、宝塚大劇場)
- 『エスカイヤ・ガールス』(花組)(1965年3月3日〜3月23日、宝塚大劇場)
- 『エスカイヤ・ガールス』『リュシェンヌの鏡』(星組)(1965年3月25日〜4月29日、宝塚大劇場)
- 『花の巴里』-宝塚①宝塚おどり絵巻②世界への招待(特別公演)(1965年8月4日〜8月31日、宝塚大劇場)
- 『夜霧の城の恋の物語』(星組)(1966年1月1日〜1月31日、宝塚大劇場)
- 『夢を売る妖精たち』(花組)(1966年7月30日〜8月31日、宝塚大劇場)
- 『世界はひとつ』(星組)(1967年3月25日〜4月26日、宝塚大劇場)
- 『さよなら僕の青春』(星組)(1967年8月1日〜8月30日、宝塚大劇場)
- 『マイ・アイドル』(花組)(1968年3月28日〜4月25日、宝塚大劇場)*退団公演
宝塚退団後の舞台
[編集]- 『風と共に去りぬ』(1966年・1967年・1968年)- スカーレット・オハラ 役
- 『マノン・レスコオ』(1968年)
- 『王様と私』(1968年) - アンナ・レオノーウェンズ 役
- 『復活』(1969年)
- 『若きウェルテルの悲しみ』(1969年)
- 『白鳥』(1969年)
- 『哀愁』(1970年)
- 『マイ・フェア・レディ』(1970年)- イライザ 役
- 『宮本武蔵』(1970年)
- 『戦国慕情』(1971年)
- 『花咲ける騎士道』(1971年)
- 『蒼き狼』(1971年)
- 『海を渡る武士道 山田長政の恋』(1972年)
ワンマンショー
[編集]- 「那智わたると共に」(1970年、東京宝塚劇場)
ドラマ出演
[編集]- 青空三銃士(1961年2月11日〜3月4日、CX)
- 三百六十五夜(1961年11月23日〜11月23日、NTV)
- 見知らぬ橋(1973年10月1日〜12月24日、NET) - 並河圭子
- 科学捜査官 第14話〜第20話(1974年、KTV) - 科学捜査研究所・明日香技官
- 悪魔のようなあいつ(1975年6月6日〜9月26日、TBS)
- 星のふる里(1975年7月28日〜9月19日、CX)
映画出演
[編集]脚注
[編集]- ^ 90年史, p. 64.
- ^ a b c d 100年史(人物), pp. 50–51.
- ^ “那智わたるさん死去、86歳 元宝塚トップスター、「マルさん」の相性で親しまれ、熱狂的な人気集めた男役”. サンスポ (2023年7月29日). 2024年5月17日閲覧。
- ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2024年12月6日閲覧。
- ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。
- ^ “那智わたるさん死去 元宝塚歌劇団トップスター”. 共同通信 (2023年7月28日). 2023年7月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6。 NCID BA66869802。全国書誌番号:20613764。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。