米マイクロソフトが、オープンソースソフトウエア(OSS)の開発を手がける子会社、米マイクロソフト・オープン・テクノロジーズを設立した──。
今から14年前、1998年10月にインターネット上に流出した「ハロウィン文書」を思うと、隔世の感があるニュースだ。当時のマイクロソフトは、「Linux」などのOSSを脅威と捉え、OSSへの対抗策を練っていた。ハロウィン文書とは、これら社内の動きを記した内部文書の総称だ。この文書が社外に漏れたことで、同社がOSSに抱く敵対心が世間の知るところになった。スティーブ・バルマーCEO(最高経営責任者)が「Linuxは癌」と言い切ったこともある。
ハロウィン文書から14年、マイクロソフトがOSS採用へ大きく舵を切った。OSS開発子会社の設立は、マイクロソフトが2012年4月12日に報道発表した。誰の目から見ても、同社にとって“大転換”であることは間違いない。もちろん下地はあった。Linuxの管理団体であるLinuxファウンデーションが2012年4月に発表したレポートによれば、マイクロソフトは2011年、Linuxカーネルの開発に貢献した企業のランキングにおいて、17位にランクイン。同社はOSS支援に積極的な姿勢を見せ始めていた。
今後は、マイクロソフト・オープン・テクノロジーズを通じて、OSSの開発を加速する。OSSのミドルウエアを「Windows」や「Windows Azure Platform」で稼働できるようにすることが主な取り組みで、手を入れたソースコードは、OSSコミュニティーに還元する。
マイクロソフトが自社開発技術の製品化をあきらめ、OSSの採用に踏み切った例もある。同社は、バッチ処理の高速化を目指し「LINQ to HPC(開発コード名:Dryad)」を開発していたが、2011年10月に製品化を断念し、OSSの分散バッチ処理ソフト「Hadoop」を採用することを明らかにした。HadoopはWindows Azureで、サービスとしても提供する。
主導権がOSSに移った
なぜマイクロソフトがここまで、OSSに対する態度を変えたのか。それは、OSSが商用ソフトに代わって、IT産業のトレンドを決める主役になったからにほかならない。
IT産業では長らく、大手ベンダーが開発した商用ソフトや、大手ベンダーが主導する標準化団体が決める標準が、トレンドを作ってきた。しかし現在は、大手ベンダーが決めた標準仕様が、OSSによってひっくり返されるような事態が発生している。その最たる例が、企業向けJavaの標準仕様「Java EE(Enterprise Edition)」だ(図1)。