※上記の写真は日本軍政下のインドネシアで発行されていたグラフ雑誌「ジャワ・バル」(教科書とは関係ありません)。日本語とインドネシア語の両言語で記事が書かれています。表紙にはインドネシア語とカタカナ書きで「ベイエイ ゲキメツ オドリ」の文字も。
第21章 インドネシアにおける日本の占領
【この章を学ぶ目的】
インドネシアにおける日本の占領は短期間にもかかわらず非常に深い痕跡を残した。それはなぜなのか。そして、オランダ植民地主義期との違いは何か。この章では以上の点について説明する。
★ ★ ★ ★ ★
第二次世界大戦、とりわけ太平洋戦争の勃発はインドネシアに変化をもたらした。オランダの支配が終わり、インドネシアでは日本の支配が始まった。日本の進駐は苦しみをもたらしたが、インドネシアへ次第に独立の機会を開いた。
【A インドネシアにおける日本占領の背景】
日本では明治期に大規模な改革が行われた。結果として、日本は西洋諸国と肩を並べる近代産業国家となった。この改革は明治維新と呼ばれ、鎖国から帝国主義へと日本の政治指針にも変化をもたらした。
写真21-2 3A運動のポスター。この運動は日本指導下のアジア地域において兄弟意識を高めるために日本(Nippon)によって喧伝された。
「八紘一宇(Hakko-ichi-u)」という帝国主義政策に基づき、日本は自らの指導下でアジア地域の統一を目指していた。アジア地域の一国として、インドネシアも日本占領の標的となった。日本は自らの意図を実現させるため、アジアの兄弟意識を醸成した。インドネシアにおいて日本は、自らを「長兄」と呼び、太平洋戦争を「大東亜戦争」と喧伝、「日本はアジアの光、日本はアジアの守護者、日本はアジアの指導者」という標語を用いた3A運動を展開した。
日本は軍事・産業国として、産業および軍事兵器の原料資源を大量に必要としていた。豊富な天然資源に恵まれたインドネシアは、日本の需要を十分に満たしていた。
アジア地域に見られた西洋帝国主義に対する反感が、オランダに支配されたインドネシアの早急な占領を日本に促した。こうした反感は日本の日露戦争での勝利に起因していた。インドネシアを含むアジアを支配することで、日本は西洋帝国主義の影響を食い止める意図があった。
【B インドネシアにおける日本占領の目的】
写真21-3 日本のインドネシアと東南アジアへの侵攻図
日本はインドネシアを産業や軍事兵器に関する素材原料の供給源にした。インドネシア諸島に侵攻した際、日本がまず先に標的としたのは、東カリマンタンのタラカンやバリックパパン、南スマトラのパレンバンなど石油資源が豊富な地域であった。
インドネシア人民は西洋帝国主義と同一視された連合国軍の攻撃を食い止める勢力とされた。日本は鉄道網や要塞を建設するために、労務者(romusha)という強制労働を課した。日本はまた、一部のインドネシア住民に軍事教練を施した。
【C インドネシアにおける日本(占領)政府】
写真21-4 1942年3月8日(西ジャワ)スバンのカリジャティで行われた降伏協議。写真最左の人物がオランダ領東インド最高司令官のテル・ポールテン中将と思われる。
1942年3月8日、オランダ領東インド最高司令官のテル・ポールテン(Ter Poorten)中将は今村(均)中将が率いる日本軍に無条件降伏した。降伏協議は西ジャワ州スバンのカリジャティで行われた。これはインドネシアにおける日本占領の開始を象徴する出来事だった。
インドネシアは日本の手に落ちると、同国の軍政下に置かれた。インドネシアにおける日本軍政の統治は以下の3つの地域に分割された。
スマトラ地域は陸軍(第25軍)が統治し、ブキティンギに本部が置かれた。ジャワ地域は陸軍(第16軍)が統治し、ジャカルタに本部が置かれた。カリマンタン、スラウェシ、マルク地域は海軍が統治し、マカッサルに本部が置かれた。
【D 天然資源と労働力の搾取】
軍政下に置かれていたため、政治・経済・社会など全ての政策が連合国勢力との戦争に関連付けられた。戦争の利益を目的として、日本はインドネシアの天然資源と労働力を徹底的に搾取した。
●天然資源の搾取
写真21-5 日本は農産物と労働力を徹底的に搾取した。人民は極度の貧困に苦しんだ。飢餓と疫病が至る所で発生した。
日本は軍需産業用の原料素材の統制および確保を目指した。また、アジア諸国における敵側の食糧供給源を断とうとする計画を持っていた。この計画の実施に関して、日本は二つの段階を踏んだ。第一は支配権の確立であり、第二に軍事物資の需要を満たすために占領地域経済を再編成した。その目的は、支配下の諸地域で日本の需要を満たすことにあった。
オランダ領東インド政府は日本への降伏前に焦土作戦を実行し、石油採掘施設などの重要拠点を破壊した。このため、日本の占領初期にはほぼ全ての経済活動が麻痺していた。これら全てを克服するため、日本占領政府は橋梁や電話網の復活など、経済手段の復旧を行なった。また、キニーネ、ゴム、茶などの農園地は占領政府が直接 監督した。
日本占領政府による農園管理は戦争努力を支援するものでなければならなかった。例えば、食糧作物や、戦闘機類への潤滑油として用いられるヒマ(トウゴマ)が非常に必要とされた。その結果、スマトラでは多くのタバコ農園が潰され、その後にはヒマが植えられた。
1944年に日本が次第に追いつめられると、素原材料の需要要求もますます高まった。やがて、ジャワ奉公会(Jawa Hokokai)、農業組合(Noyo Kumiai : 原文ママ)、およびその他の政府緒機関が物資や食料の大規模後な徴発を行なった。
軍隊への大規模な食糧徴発は当然のことながら人民に厄災をもたらした。ジャワにおける食糧事情は1942年以来 不足が続き、悪化の一途を辿った。日本占領政府は新たな農地を開拓することで、食糧生産の拡大を呼びかけた。タバコ、コーヒー、茶の農地では、食料の栽培が強制された。この政策はインドネシアの全地域で実施されたが、結果として森林破壊が発生した。ジャワ島だけでも50万ヘクタールの森林が農地の確保という名目で無秩序に伐採された。
日本政府による食糧の徴発は稲や他の収穫物を取り上げるという方法で行われた。複数の収穫物から、人民にはその20パーセントの保有が許可され、30パーセントは農業組合(Noyo Kumiai : 原文ママ)を通じて政府への提供が義務付けられた。残りの50パーセントは苗のまま保存され、村の格納場所へ納められた。
●労働力の搾取
写真21-6 日本軍関連施設を建設するために動員された労務者(romusha)たち。
日本占領政府期における労働力の搾取は、インドネシア社会のあらゆる階層に対して行われた。都市部や村落部出身者、教育を受けたものや文盲を問わず、全員が日本の必要に応じて搾取された。中でも労務者(Romusha: 強制労働者)が最も悲惨な状況に置かれた。彼らは日本によって、主に飛行場、防御用堡塁、線路などの軍事施設を建設するため強制的に徴用された。労務者の大半が村落部の出身で、学校へ通っていない者や最高でも小学校卒業者が多かった。こうした住民を数多く抱えるジャワ島では大規模な労務者徴用が可能となった。何千もの労務者がジャワ島外へ送られただけではなく、マラヤ(マレーシア)、ビルマ(ミャンマー)、シャム(タイ)などの国外へ送られた者もいた。
労務者の待遇は非常に劣悪なものだった。健康は保障されず、食料は不十分だったにもかかわらず、彼らには過酷な労働が課せられた。その結果、数多くの労務者が作業地で亡くなった。こうした悲しむべき状況は人々の口から口へ、全村民へと広がった。
写真21-7 日本の支配は社会のあらゆる分野および集団に及んでいた。子供たちにも敬礼が教えらえた。この点に関して、肯定的な面と否定的な面を評価してみよう。
日本は住民の不安を解消し、その秘密を隠蔽するべく、1943年から新たな宣撫工作を開始。労務者は経済兵士や労働者の英雄であると喧伝した。彼らは日本軍のために神聖な職務を果たす兵士として描かれていた。
こうした労務者の徴用はインドネシアの社会構造にも変化をもたらした。農業に従事する多くの若者が労務者として送られることを恐れ、農村から脱出した。その結果、農村住民の大半は女性、子供、障害を持つ者で占められた。
日本の戦争のための完全なる搾取
写真21-8 ジャカルタ訪問中の東条英機首相(左)
1943年に入ると、太平洋戦争における日本の占領に変化の兆しが見える。それまで攻撃側にあった日本が、いまや防御側に転じたのだ。太平洋地域では連合軍による相次ぐ攻撃が日本を追い詰め始めていた。
広大な占領地域を防衛するため、日本は現地住民の支援を必要とした。日本は支援を得るために、インドネシアの青年層を大東亜戦争に協力させるべく動員を図った。インドネシア人民は連合軍の侵攻に備えて、物理的な準備をしなければならなかった。
青年団(Seinendan)
1943年3月9日、青年団(Seinendan)と名付けれた準軍事組織が設立された。14歳から22歳の若者が青年団への加入を許可された。青年団結成の目的は自らの力で祖国を防衛するための若者たちの教育及び訓練であった。しかしながら、こうした目的とは裏腹に、青年団は連合国の侵攻に対抗する日本を支援するために準備された。
婦人会(Fujinkai)
戦時中の徴用は男性だけではなく、女性も対象となった。このため、1943年8月に婦人会(Fujinkai)が設立された。15歳以上の女性が会員となった。これらの女性たちに対しても、準軍事的な訓練が施された。
警防団(Keibodan)
若者たちの中には特別なグループに入り、警察の職務を助ける教育をうけた者もいた。この特別なグループは警防団(Keibodan)と呼ばれ、20から25歳が団員として受け入れられた。警防団はスマトラでは防護団(Bogadan, 原文ママ)、カリマンタンではSameo Konen Hokokudan (原文ママ) 【※訳注】 の名前で知られていた。
【※訳注】:原文の「Sameo」が意味するものは不明。「Konen Hokokudan」は日本語の「興南報国団」と考えらえる。『世界の教科書=歴史015 インドネシア』(ほるぷ出版、1982年)には「…警防団は…カリマンタンではボルネオ興南報国団の名で知られている」(223頁)との記述がある。
軍事組織
写真21-9 兵補部隊。結成の背景には日本の戦局悪化がある。
日本は1944年に入ると、全ての前線で後退を経験していた。日本は崩壊した部隊に代わる軍隊の追加を求めていた。このため、1944年4月には兵補(Heiho)が設立された。同年10月3日にはジャワ島でPETA(Pembela Tanah Air : 祖国防衛義勇軍)が、スマトラ島では義勇軍(Giyugun)が設立された。
これら義勇軍の結成によって、日本占領期には軍事教育を受けた社会階層が出現した。彼らは後に、インドネシア社会で重要なグループとなった。インドネシアの独立後、彼らの多くはインドネシア国軍(Tentara Nasional Indonesia : TNI)の指導者となり、中には政治的な指導者となった者もいた。
章末の学習
インドネシアにおける日本占領の背景、方法、影響について以下の欄に記述しなさい
A. 最も適切な選択肢を一つ選べ。
1.明治維新を経験した日本の重要な変化とは?
a. 民主主義支持国となった
b. これまで通り鎖国政策を続けた
c. 帝国主義国となった
d. 西洋帝国主義に立ち向かうべく、アジア民族と一体化した
2. オランダ植民地政府と日本占領政府の主だった違いとは?
a. オランダ植民地政府は独立運動に対してより寛容だった
b. 日本占領政府は中央政府をジャカルタから移した
c. 日本占領政府は軍事政権だった
d. オランダ植民地政府は文民と軍人のバランスがとれていた
3.日本占領期における天然資源搾取の特徴とは?
a. 戦争の利益に貢献した
b. インドネシア住民と日本兵士が共同で保有した
c. 土地所有権が日本の管理下に置かれた
d. 住民は輸出用作物の栽培のみが許可された
4.労務者の徴用を目的として、日本がインドネシア人民の関心を掴むために行なった事とは?
a. インドネシアの将来的な独立を約束した
b. 自らをインドネシア民族の長兄と呼んだ
c. 3A運動の宣伝に非常に力を入れた
d. 労務者を国家に対する神聖な職務であると喧伝した
5.青年団、兵補、PETAが結成された背景とは?
a. インドネシア民衆が軍事的役割の重要性に気が付いた
b. 日本兵の数が日増しに不足していた
c. 日本が太平洋戦争で追い詰められていた
d. オランダ軍のジャワ島へ対する攻撃の脅威があった
B. 簡潔かつ明瞭に回答せよ。
1.日本が3A運動を展開した理由とは?
2.日本のインドネシア占領の目的を述べよ。
3.インドネシアにおける日本軍政の統治で分割された3つの地域を挙げよ。
4.労務者(romusha)の定義を述べよ
5.オランダの植民地政策と比較した日本の占領に関する自身の評価を述べよ。
1.明治維新を経験した日本の重要な変化とは?
a. 民主主義支持国となった
b. これまで通り鎖国政策を続けた
c. 帝国主義国となった
d. 西洋帝国主義に立ち向かうべく、アジア民族と一体化した
2. オランダ植民地政府と日本占領政府の主だった違いとは?
a. オランダ植民地政府は独立運動に対してより寛容だった
b. 日本占領政府は中央政府をジャカルタから移した
c. 日本占領政府は軍事政権だった
d. オランダ植民地政府は文民と軍人のバランスがとれていた
3.日本占領期における天然資源搾取の特徴とは?
a. 戦争の利益に貢献した
b. インドネシア住民と日本兵士が共同で保有した
c. 土地所有権が日本の管理下に置かれた
d. 住民は輸出用作物の栽培のみが許可された
4.労務者の徴用を目的として、日本がインドネシア人民の関心を掴むために行なった事とは?
a. インドネシアの将来的な独立を約束した
b. 自らをインドネシア民族の長兄と呼んだ
c. 3A運動の宣伝に非常に力を入れた
d. 労務者を国家に対する神聖な職務であると喧伝した
5.青年団、兵補、PETAが結成された背景とは?
a. インドネシア民衆が軍事的役割の重要性に気が付いた
b. 日本兵の数が日増しに不足していた
c. 日本が太平洋戦争で追い詰められていた
d. オランダ軍のジャワ島へ対する攻撃の脅威があった
B. 簡潔かつ明瞭に回答せよ。
1.日本が3A運動を展開した理由とは?
2.日本のインドネシア占領の目的を述べよ。
3.インドネシアにおける日本軍政の統治で分割された3つの地域を挙げよ。
4.労務者(romusha)の定義を述べよ
5.オランダの植民地政策と比較した日本の占領に関する自身の評価を述べよ。
【参考文献・サイト】
- インドネシア共和国教育文化省編(森弘之、鈴木恒之訳)『世界の教科書=歴史015 インドネシア』、ほるぷ出版、1982年。※中学歴史教科書の翻訳
- イ・ワヤン・バドリカ著(石井和子監訳)『インドネシアの歴史-インドネシアの高校歴史教科書(世界の教科書シリーズ20)』、明石書店、2008年。
- 私の好きなインドネシア:インドネシア歴史教科書「日本軍占領時代」
(元インドネシア駐在員の方が運営している個人サイトです。今回のエントリーで紹介した出版社とは別のインドネシア歴史教科書の日本語訳があります)
インドネシア人の本音@honnesia
でも、インドネシア人の歴史観云々について語るなら、まずは明石書店から出てる「世界の教科書シリーズ20 インドネシアの歴史-インドネシア高校歴史教科書」を読んでもらいたいなと思ってる。 http://t.co/iJAxARXNkW
2014/07/28 21:19:43
【管理人コメント】
今回翻訳した歴史教科書を発行しているエルランガ社はインドネシアでも定評のある教科書出版社です。同じエルランガ社から出版されたインドネシア高校歴史教科書は、日本語訳がすでに明石書店から出ていますので、日本とインドネシアの歴史に興味がある方はぜひ目を通してみて下さい。オススメです。
なお、インドネシア歴史教科書の日本軍政期、独立宣言から、対オランダ独立戦争までの一連の記述を丹念に読み込むと、下記の関連記事「インドネシアの独立は日本に与えられたものなのか?」で紹介した「インドネシア人の反応」がおおよそ理解できるはずです。同記事のコメント欄ではインドネシア人の歴史認識に疑問を持つ人も数多くみられましたが、それらの疑問に対する「回答」の大半は現地歴史教科書を読めば分かることだからです。インドネシア側の見解を知る上でも、ひとつの参考意見として 上記で紹介した教科書の翻訳を読んで頂ければと思っています。
【関連記事】
★【激論】インドネシアの独立は日本に与えられたものなのか?
※蛇足ですが、上記の関連記事を読む際は、できれば僕が訳した300個のコメント全てに目を通してみて下さい。コメント欄で言われているような内容以外にも様々な意見があるということがご理解いただけると思います。それを意図して過剰とも思える分量を訳したのですが、特定の内容を持つ意見のみに感情的に反応する人がコメント欄に溢れていたことが非常に残念でなりません。
【2014年8月12日追記】
★【画像32枚】「日本には脱帽だ」-1950年代 日本の戦後復興を目の当たりにしたインドネシア人の反応
コメント
コメント一覧 (177)
指導層のスハルトやハッタは苦々しく思ってたけど
過去の日本統治を知った上で、インドネシアはかなりの親日感情の強い国
インドネシアは過去の事で恨んだりしない
アメリカに今だに恨み言を言うぶざまな連中にくらべたら
そして、その侵攻が無ければ今のASEANでの日本の存在感は薄くなり
現在の中国による浸食は更に進んでいたのかもしれない
戦争によって多くの命が失われたのは悲しい事だけど
戦争によって繋がれたものもあるのも、また事実
ミジメな歴史を持つと本当にかわいそうだ
奴隷はつながれてる鎖を比べるって読んだけど教科書でオランダ製の鎖と日本製の鎖を比べてるんだね
与えらるだけの歴史でインドネシア人としてのアイデンティティをどうやって保ってるんだろ?
仲良くしてあげないといかん国だね
ぜひ具体的に挙げて欲しいです。
自分の意見と対立するコメントや許せないコメントがあって
それを直接否定するコメントが見当たらない場合
多少感情的になって反論するというのは極自然な事だと思うのですが
それもいけないのでしょうか?
もちろん罵詈雑言や差別的な言い方はよくないとは思いますが。
今後コメントさせていただくためにも
一つでも例を挙げていただいて、具体的にどこがどう問題なのか
教えていただけると嬉しいです。
是非現実を教えて下さい。
宜しくお願い致します。
日本人と同じように戦時徴収されたのを
搾取された辛かったと捉えるかどうかはインドネシア人の自由
責任を全て自分たち自身で負おうとして。
欧米がやったみたいに間に異なる民族を用いて利益だけ吸い取れば良かったのに。
まぁそれが日本らしいっちゃらしいけど。
どうせ批判されるなら徹底的にやっとけばよかったのにね。
軍事関係でも弾除けに使うだとか督戦隊を用いて突撃させるとか。
日本も苦しかったんだからそうすればよかったのに。
そうすれば今みたいな不完全燃焼にならなかったのに。
感情を煽るような内容が少なく、とても日本に上陸されていた国の教科書とは思えない程です。(あるいは比較対象になりがちな、中国韓国の教科書が極端なのか?)
翻訳ありがとうございました。
各国の総員人口で割り算したら?
華僑が経済的に強いのは東南アジア共通だよ。
だから負の部分は日本軍に負ってもらうしかないってこと?それでも、伝統的に、
イスラム教徒は連綿と信仰を維持してきたんだよな?分け分からん。
アフリカなんかもそうだけど、植民地化された所はそもそも己が何人なのかを
考えることすらしない環境下だからね。
しかも国民国家や民族意識が確立される前に植民地にされた所では
国民意識や民族の自覚などは、他者(インドネシアの場合は日本)から
教えられなければ気づかないものだと思う。
戦中にフィリピンで独立闘士を教育した日本軍人の回想録があるが、
志願してきたフィリピン人でさえ、「自分達はフィリピン人」という自覚を
持つまで半年かかったらしいからね。
そしてオランダ軍がふたたび侵攻してきたのに住民は全力で抵抗したんだね
ふーーーーん
コメント欄まで読み終えて一つ疑問に感じた事があります。リンクにある関連記事からオランダ植民時代に対して、インドネシアの人々は悪感情を抱いている事がわかるのですが、こちらの教科書では植民地時代はどういった扱いになっているのですか?
この章では悪環境に置かれる労働者が増加し、農村では住民のバランスが崩れた等の事柄を植民地時代よりも状況が悪化した例として示しているのでしょうか。
あまり好ましくないコメントを増やす一因になってしまうかもしれませんが、こちらの教科書での植民地時代の扱いに関して簡単な記述が欲しい記事だと感じました。
反感を抱いていると思われそうですが、私にとっても興味深い内容の翻訳、紹介でした。是非、これからも無理をなさらず活動を続けてください。
占領の是非は置いておいて、
日本が反省すべき点は、日本以外の国でも頑張れば日本のような国家が作れると勘違いしていたこと。
そして諸外国が抱える問題をくそ真面目に背負い込んで解決しようと首を突っ込んだこと。
これに限ると思う。
日本が国民国家の成り立ちにはあまりにも条件が良かったもんだから
他のアジア圏でも日本のようになれると単純に考えたんだろうね。
そんなのムリだってw 今の状態見ればわかるでしょ。
例え日本が良いことをしたとしても、所詮はヨソからのお節介でしかない。
だからどんなに説明したって無駄。
ただし植民地の民というのは自立心が乏しく、他者に頼ったり事大するのも事実。
だから倉沢さんのような一部のインドネシア研究者のように
何もかも日本が悪く、日本=絶対悪という条件ありきでインドネシアを見ても
決して客観的な事実は浮かんでこないだろうと思う。
インドネシアに限らず日本のアジア研究が変な偏りに動いているのは
やはり戦後教育の影響なんだろうね。
アジアを独立させて西欧列強からの防壁にしたい
戦争に勝つための資源が欲しい
という日本と、独立したいという機運が最高潮に達していたアジア各国にとっては、winwinの戦争だよ。
日本が負けようともアジアさえ自立すれば日本は守れるという確証があったわけだしね
1911年 - 「モンゴル」が清から独立
1919年 - 「アフガニスタン」がイギリスから独立
1923年 - 「ネパール」のイギリスによる事実上の保護国支配終結
1925年 - 「イラン」がイギリスから独立
1930年 - イギリス租借港「威海」が中国へ返還
1931年 - 「カナダ」「ニュージーランド」「ニューファンドランド・ラブラドール州」「アイルランド自由国」「オーストラリア連邦」「南アフリカ連邦」が“ウエストミンスター憲章”によりイギリスより事実上の完全独立
1932年 - 「イラク王国」がイギリスから独立
1943年 - 「エチオピア」がイタリアから独立
1943年 - 「レバノン」がフランスから独立
1945年 - 「ベトナム」が独立宣言
1946年 - 「シリア」がフランスから独立
1946年 - 「ヨルダン」がイギリスから独立
1946年 - 「フィリピン」が独立
1947年 - 「インド」と「パキスタン」がイギリスから独立
1948年 - 「スリランカ」がイギリス連邦の自治国として独立
1948年 - 「ビルマ連邦」がイギリスから独立
1948年 - 「大韓民国」と「朝鮮民主主義人民共和国」が独立
1949年 - 「インドネシア」がオランダから完全独立
1951年 - 「リビア」がイタリアから独立
1953年 - 「ラオス」がフランスから完全独立
1953年 - 「カンボジア」がフランスから独立
1954年 - 「ベトナム」からフランスが撤退
1956年 - 「スーダン」がエジプトおよびイギリスから独立
1956年 - 「モロッコ」と「チュニジア」がフランスから独立
1957年 - 「マレーシア」がイギリスから独立
1957年 - 「ガーナ」がイギリスから独立
1958年 - 「ギニア」がフランスから独立
1960年代 - “アフリカの年”、国際連合総会において「植民地独立付与宣言」が可決
1961年 - 「西パプア共和国」がオランダから独立
1973年 - 「パプアニューギニア」がオーストラリア信託統治領より独立
1978年 - 「ソロモン」が独立
1994年 - 「パラオ」がアメリカの信託統治から独立
ちなみにドイツはWW1で植民地をほとんど失っていたので上には登場しない“持たざる国”でした
そんなこと言ってる奴いないだろ
ごく一部のおかしい奴だけで
しかしインドネシア人の見方もあって日本人の見方それぞれあるんだから
インドネシア人と歩調を合わせる必要なにひとつない
歩調を合わせたり敗戦国だからなーという奴はダメ←こういう日本人多いから困る・・・
人それぞれの立場からの意見を相手国にある程度敬意を持って言えばいいだけ
奴隷として働いた方が、きっと現在の政権よりも楽だったと感じる。
朝鮮もロシアの植民地になった方が、きっと良かったろう。
中国も全土イギリスに占領された方が良かった。
それを阻止したのは日本だから、そりゃ当然怒るよね。
ハワイ王国だって、虐殺されて植民地になったけど。
現在のハワイ人は、パールハーバーを恨んでる。
当時、ハワイを開拓したのは日本人だけど。そんなことをすっかり忘れてるし。
まあ、日本が他国に手を出したこと自体間違い。
やる気のない民族は、自分で何もやる気が無いんだから放置して、
日本だけを守るべきだったと感じるよ。
当時の価値観や思想、国際情勢においては日本に限らず世界中で行われていたような政策についても、日本特有のように批判されるのはやはり納得がいかない話。
「その国の歴史認識」と言えども、あまりに事実を無視したり傾向的に露骨なものがあれば説得力がないわけで。
日本もそうだが、そもそも教科書を記述するのは文系学者なのでそういった傾向になりやすいのだろうか。
それで当たり前とも言えるのですが、そうではない国もあるのでほっとしました(笑)
この教科書はぜひ前後も併せて読んでみたいと思います。貴重な資料をありがとうございました。
これまでこちらのブログを知らず、この記事を皮切りにいくつか読ませていただきました。
インドネシアについてはほとんど知識がないことを改めて認識。
とても面白く、為になりました。
これからもいろんな記事を紹介してください。楽しみにしています。
>現在のハワイ人は、パールハーバーを恨んでる。
ソースよろしく。
一部の意見ではなく、ハワイ人という全体でのソースね。
一方で、日本がヨーロッパ人を蹴散らして日本風の軍政をしいたために、日本の敗戦後に独立戦争に勝てたのも事実。日本が戦闘を目の当たりにしなければ、彼らは戦うことをあきらめていただろう。
善悪で評価するのは難しいね。
こと植民地経営なんてものは特にね
それでも功罪両方あったのだけど、功の方がほぼ語られてないのは残念だな
大学で知り合ったインドネシアの留学生は、結構詳しく日本の功の部分を教えてくれたけどね
同時にこの記事で書かれてたような事も言ってはいたけど
ま、日本人だって月月火水木金金だった時代の話だと考えればね~
ただいつもどこかに統治されてる状態のインドネシア自身への自己啓発でもあるんだろうな
なぜなら今でも同じような事を移住目的で来たインドネシア人に介護業界で
強いてるからな。それで愛想が尽きてドンドン辞めて返っていく。
いくらそれなりの対価を得られるかもって言ったって、そりゃものには限度っ
てもんがあるだろうに
そこにこの件に関してインドネシア人達の生の意見が書かれてる
あるいは1943年以降、イギリス・中国を屈服させる手立てが無くなり、開戦時の戦争終結構想が崩れ去ったとき、戦争指導責任者が数十人暗殺か腹切り覚悟で、和平交渉を成功させて泥沼消耗を避けていたら、日本の功の部分はもっと大きく強調されてたかなあ。
オランダの支配は1600年代初めから~1942年とすると、
その期間のテキストの分量は日本軍政の100倍以上あるのかな。
日本の戦前戦中戦後の姿勢が欧州より正しかったのは、
日本-東アジア~東南アジア、欧州-アフリカの現在の発展度合いを見れば明らかであり、
歴史が証明している。
EPAによる看護師や介護士の受け入れを勘違いしている。
彼らは基本的に労働力であり、移住させるのが主目的ではない。
日本に移住したい→介護士として働く☓
介護士の需要→来日◯
労働力を入れたつもりが来たのは人間だった、ってね。最も立場の弱さを利用して
存続させる意味のないゾンビ企業を無理矢理存在させようとしてくる方にそもそも
の問題があるけど
あの状況が大変だったのは分かるが、いつも余裕のなさと不幸の横並びの圧力でもって
異常に追いつめるのは日本人の悪しき習慣だろ
ただ帝国主義・軍国主義のイデオロギーありきで侵略をはじめたかのような書き方に違和感がある。
日本が資源を求めたのは、対日禁輸措置がとられたからでオランダもそれに加担していた。
禁輸以前は普通にお金を払って輸入していたのだが。
日本人自身が70年間、日本は邪悪な侵略国家でしたと言い続けてきたのだから、外国でもそう思われているのは責められないけどね。
何故なら世界の赤化を狙ってたソ連は、軍国主義化を進めて年々強くなってったから。
なのに、連合国の奴らはソ連等の赤化勢力に加担して、国際平和を乱しやがったからなぁ。
なぜ連合国が赤化勢力に加担したかというと、ユダヤ系メディアが枢軸国の悪口を書きまくったから。
逆に、日本とドイツはスパイ網を作って白系ロシア人からの情報を頼りにしていた。
白系ロシア人の多くはユダヤ人を嫌っていたから、ユダヤ系メディアには情報が行かなかったんだろうな。
敗戦国は悪い戦争
「欧米諸国も日本も酷い仕打ちをした、だが欧米諸国の仕打ちに比べたら日本のそれはまだマシだった」
っていうのは適切だと思う
日本にいくら大義名分があっても、当事者のインドネシアからすれば苦難をもたらした一派には違いないわけだしね
戦時中の日本を酷評されて逆ギレしてる人は、今の親日であるインドネシアの人たちに失礼だよ
教科書に書かれてるように教えたいインドネシア人の立場から書かれてるとは言えるけど。
どっちにしても、日本から見ておかしい事はおかしいと思うのは日本人の自由。
戦後生まれで政府を代表する立場でもないので謝罪はしませんが、いち日本人としてインドネシアの皆さんの寛容と友好に感謝してます。
フィリピンだってアメリカがやらかした戦争犯罪や爆撃が全て日本軍のせいにされてるんだぜ。
調べりゃ分かるようなことまで、ぜーんぶ日本のせいだ。
戦勝国や影響力のある国の顔色うかがって、教科書もアメリカ仕様なんだよ。
これは俺が実際に見てきたから言ってる。
>オランダ領東インド政府は日本への降伏前に焦土作戦を実行し、石油採掘施設などの重要拠点を破壊した。このため、日本の占領初期にはほぼ全ての経済活動が麻痺していた。
どうみてもオランダのせいで飢餓貧困が引き起こされとるやんけ
日本人ネットユーザーの歴史観が世のすべてじゃない
辛口でもインドネシアからはこのように評価されているという事実は受け止めよう
「日本の戦前戦中戦後の姿勢が欧州より正しかったのは、
日本-東アジア~東南アジア、欧州-アフリカの現在の発展度合いを見れば明らかであり、
歴史が証明している。」
その伝でいくと戦後の占領を経てアメリカ支援の下日本は戦前など比較にならない大発展(政治的成熟や国民権利の拡大含め)を遂げたのだから
アメリカの姿勢が日本より正しかったのだというアメリカの史観に迎合することになりやしないかな
アフリカとアジアの発展の差と言っても戦後先進国のどの国がどこへどれだけの資本を投下したかという数字の検証をせずに日欧の戦中の統治の差とするのはあやうい
それ違うな~と思う事はインドネシア人を受け入れてないのでもないし。
日本が戦時下において占領国に対し行ったのは状況を考えればその国にとって酷で非道であれども戦争の為にされたこと、結果的にインドネシアが独立を得たのは日本が教育管理した、新しいシステムを導入し社会を変化させたことによる。
支配される国はいわゆる未開の状態にあり産業がなく学問もなく難なく奪われ奴隷化された。日本がオランダの奴隷となっていたインドネシアを日本化し、帝国主義を根本とする占領、管理をした。日本はインドネシアから感謝される覚えは無いだろうが、一方的に悪の立場と言えるかと考えれば違うとも思える。世界において戦争の後始末と反省は表面的で日本は敗戦国の立場でしか歴史を学べていない。またアジアアフリカ中東は人間としての尊厳を守ることさえ現代でも成し得ていない。人が人を支配するのが未だ当然のようにされている。では何を人は理解し、国家は国民に何を提供すれば良いか。あらゆる存在が有する尊厳を形式的でなく理解をすることが戦争や支配被支配から脱し人として生きる術となる。人が内なる意識に向かうことが世界を調和させ新しい文明を発展させる道のりとなる。支配者は人民が目覚めることを怖れる。日本に封印された文明知識情報を紐解き民が奴隷化と支配より解放されよ。
教科書に全てが書かれていなくとも、大事なのは、今現在仲良くやっていけている事じゃないか?過去
ここで言う正しいか否かというのは、感情や価値観や主観の話じゃないよ。
事実か嘘かってこと。
インドネシア人が独立を誇りたいのは分かるけど、そのために
事実を曲げてもいいの?
日本軍の南進は完全にエネルギー戦略だからな。
アジア解放なんて大義名分であって。
この教科書はかなり事実道理だと思う。
日本兵も木の根を食べてたとかって言うくらいだから、占領地はかなり搾取してたんだろうことは間違えないしね。
また原住民の支持を得るために独立を餌にしてたのも確か。
ただ、軍部はただの餌のつもりでも下の民兵は本気でそれを信じてたから、日本敗戦、撤退ってなった時、軍部と民兵の間で争いが起こったんでしょう。
そして軍部の意に背いて残ったインドネシア独立を信じた兵士が、インドネシア独立に協力したんだと思う。
独立を勝ち取ったインドネシア青年団と、それに協力した、残留日本兵。で、いいのでは?
でもまじめな人ほどコメ欄荒れるとブログ閉じちゃう傾向があるんだよね
※135
これが一番わかり易いよね
相手の立場になって考えるって奴だけど
現在でも日本のやり方をそのまま外国に持ってくと軋轢が生まれるしね
植民地時代のほうが良かったなんて歴史を書く政府は自分の存在意義を否定しちゃってるから有り得んよww
別の見方をすれば植民地時代に良い扱いを受けた国で現政権が未熟であればある程、旧宗主国を否定的に扱う必要があるってことだな。
もちろん、日本の金でインフラ基盤が出来たアノ国と比較的最近まで日本占領地が最も工業化されかつ穀倉地帯だったアノ国のことww
日本人だって全部が正しかったなんて思ってるやつはいない
でも結局、日本も税制が厳しすぎて「変わらんやん」って嫌われた
今のインドネシアはオランダの悪かったことをほとんど日本のせいみたいに教わるそうだけど、君達の王族はオランダ人に売り飛ばされたりしとるんやで
オランダの倫理政策が始まり、現地人の教育も同時に進んで行く。
ただし、オランダ学校に入れるのは一部の貴族層やエリート層だけで、
他は、社会の中間運営層程度を養成する簡単な学校や教科書しか無かった。
この頃、女性運動家のカルティニが現れ、ジャワ各地に学校が建てられたりした。
1930年前後から、オランダの教育制度に対する反発から、民族主義の私学校“タマン・シスワ”や改革イスラムの学校“ムハマディヤ”が各地に設立されていく。
インドネシア独立戦争の英雄スディルマンなんかもこの時代に青年時代を過ごした。
それ以前の19世紀は、「ジャワ戦争」や「アチェ戦争」などの反オランダ闘争が30件以上続発している。特にスマトラ島のアチェ戦争(1873–1914)は、しだいに凄惨なゲリラ戦と宗教戦争の様相を示し、結果双方万単位の死者を出し(アチェ民間人の虐殺もあったり)、オランダ植民地政府の財政を非常に圧迫した(戦後も散発的なオランダ市民を狙った自爆テロ攻撃が1942年まで続く)。ただ、それらは封建的特権を持つ土侯による反抗か、圧政に対する不満を爆発させた農民の反抗という性格が強く、反抗の指導者たちも国の英雄とされているが、20世紀のものとは根本的に性質が異なる。
近代のインドネシア最大の政治的な民族主義運動は、
イスラム同盟(サレカット・イスラム)とインドネシア共産党という
イスラム教と共産主義という二大勢力によって展開された。
ちなみにオランダだけど、1947年のラワグデ村の虐殺事件を、2011年に謝罪して補償金も出したりしている。インドネシアとオランダで犠牲者数の食い違いがあるようだけど。
日本だけが責められているわけではないとは思う。
「これら義勇軍の結成によって、日本占領期には軍事教育を受けた社会階層が出現した。
彼らは後に、インドネシア社会で重要なグループとなった。
インドネシアの独立後、彼らの多くはインドネシア国軍(TNI)の指導者となり、
中には政治的な指導者となった者もいた。」
以上の部分は事実を正確にしっかり書かれていると思うよ。
インドネシア国軍(TNI)の前身である人民安全保障軍(TKR)は、
1945年10月5日に設立されたけど、その中核は、若者たちの新規義勇兵、
ジャワ島のペタ(郷土防衛義勇軍)に兵補、KNIL(王立蘭領東インド軍)だった。
KNIL出身者はオランダの士官学校を出た教育レベルが高い者が多く、
ウリプ・スモハルジョ将軍やアブドゥル・ナスティオン大将など、
将校階級についた者が多かった。
他にも、ラスカル・ラヤット(スマトラ義勇軍)や、マシュミ傘下の軍事組織ヒズブラ(イスラムてい身隊)、インドネシア社会党の武装組織プシンド、などが各地で独立性を維持しながらオランダ軍とゲリラ戦を戦った。
ヒズブラなんかのイスラム右派勢力は、戦後に反政府武力闘争組織ダルル・イスラムになっちゃうんだけど。
日本は資源地帯が欲しくてオランダに取って代わってインドネシアを支配しただけだし、
大東亜共栄圏なんてのはただのお題目に過ぎなかった。
結果としてインドネシアは日本がオランダを駆逐したことにより独立を達成したのかもしれない。
でもそれはインドネシア人が思うことであって、日本人が自分から「日本のおかげだぞ感謝しろインドネシア人どもよ」とか言っては絶対にいけないことだと思う。
って日本人はインドネシア人に自分から歴史観を押し付けるようなこと何も言ってないよね。
日本本土と同じような規律や制度を持ち込んだら現地人には厳しかったってのは当時常に起こっていた話
それを後から搾取だの圧政だのと尾ひれつけて言われるんだからほんとしょーもない
月1のご町内の清掃奉仕活動でさえ強制労働扱いだからな・・・
まあ支配された側としては悪者が必要なんだろう、これは古今東西変わらない
世界的に見れば事実中心で中立的記述が基本の日本の教科書が珍しいわけで
外国じゃあこういう為政者に都合のよい主観の入った教科書が当たり前だもんな
オランダは350年ばかりオランダ統治でしたが、インドやインドネシアのように「諦め」の入った植民地には、日帝は転機になったようですね。
半島と違って本当に植民地らしい、支配。これでは、恨まれてもしかたないかも。ですが、オランダの統治は反乱を避けるための凡ゆる防止策がほどこされていて、道端で4人以上で立ち話するだけで、憲兵に連行されたそうですよ。
東条英機の遺言や陛下の意向がかない、結果的にアジア人の人権を取り戻せたのはよかったと思います。本土が国民総動員をかけた上、飢餓状態で卵もなかったのですから、そりゃあ、領内の人たちには申し訳ないことをしたでしょう。
今、インドネシアと日本の関係がよく、成長が順調で、よかった。ただ、華僑資本をいれて韓国のポスコが高炉の導入に失敗しているのが、気がかりです。全くなんてことをしてくれたんでしょうね。傷が深くない事を祈りたい。
ぬ…これは釈迦に説法でしたw
選挙もおわったし、どうなることやら…オバマさんはインドネシア系のようだから、日本にあまりいい印象ないのかなぁ?
あの戦争は日本を守るためのものだよ。
植民地化されていたアジア諸国の解放は日本の利益だった。
他国をほっておけばよかったっていうのは、当時の世界情勢をみれば言えないセリフだわ。
興南とは南の国を興すことで、報国とは国に報いるという意味で当時日本ではよく使われていた言葉のようです。北ボルネオで、現地の人との間にもうけた子供に興南と名前を付けた日本人知事の話がネット上にありました。
3年半の日本の軍政で、軍や戦争に関連する日本語由来の言葉が多数残ったようです。この事実からもインドネシア社会に与えた影響はとても大きかった事が伺えます。
なぜなら今でも同じような事を移住目的で来たインドネシア人に介護業界で
強いてるからな。それで愛想が尽きてドンドン辞めて返っていく。
いくらそれなりの対価を得られるかもって言ったって、そりゃものには限度っ
てもんがあるだろうに
移住目的?初めから学校卒業した後は必要期間勤務したら帰国するつもりで来てるんじゃないかな。
特集見た事あるけど、勤務時間は短めに設定、仕事も日本人介護士の補助的ポジションで、日本人が汚物片付けたり、重労働してる間お年寄りに歌を唄ってまわって、日本人の待遇よりずっと至れり尽くせりだったよ。それでも帰国していった。
それなりの対価どころか、数年の労働に対して破格で、帰国して豪邸たてたり全然別職種の事業始めたりするらしいよ。
そういう人ばかりとは言わないけど、義務勤務期間のみで帰国するには、そこそこしっかりした理由がいる、待遇が悪いって言えば帰りやすい。
もうそういうことにしておきなよ。
インド人の観点で作ってるわけで、
それについて日本が批判する代物でもないだろ。
日本は過去、支配する側であったわけで、
支配される側の意識とは絶対的な壁があるのは十分予測できること。
むしろ支配する側と支配される側の意識が同一だったら
それこそ茶番であり詐欺的だわ。
>ボルネオ興南報告会はボルネオ興南報国会と思われます。
>興南とは南の国を興すことで、報国とは国に報いるという意味で当時日本ではよく使われていた言葉のようです。北ボルネオで、現地の人との間にもうけた子供に興南と名前を付けた日本人知事の話がネット上にありました。
>3年半の日本の軍政で、軍や戦争に関連する日本語由来の言葉が多数残ったようです。この事実からもインドネシア社会に与えた影響はとても大きかった事が伺えます。
いつも非常にためになるコメントをありがとうございます。「ボルネオ興南報告会」の件、引用元の翻訳で確認したところ、ご指摘の通り「報国会」との記述があったため、先ほど訂正しました。こういったご指摘を頂けることは非常にありがたいです。本当にありがとうございました。<(_ _)>
そもそも日本が何のためにアメリカ向こうに回しながら大急ぎで植民地解放を始めたのか考えてみればいい
まさか本当に使命感に燃えて!なんて思ってる奴はいないだろう
戦争のための開放であることは疑いようがない
Sameo Konen Hokokudanと並べると、
佳代警防隊
鮫男興南報国団
ではないかと推測します。事実なら赤面します。
カリマンタンは海軍の軍政で、海には鮫も多かったんでしょう。日本人責任者が鮫島さんだったのかもしれませんし、決して鮫島さんの名前を悪く言うつもりはありませんが。
団と隊の規模、上下関係を男女の名前で区別したのでは。
1993年、インドネシアの教科書103種類(小19,中36,高48)を佐藤正範(京大)が調査したところ、日本語由来の言葉は319語で合計3836回出てきています。しかも日本語の意味の説明なしのようです。
回数TOP5
romusha 215回
Tenno 191
Shogun 179
Nippon 142
Shodanco 124 (小団長)
出現教科書種類数Top5
heiho 45教科書(兵補)
romusha 44
Seinendan 40
Keibodan 38
Nippon 32
こういう事実を知ると、鮫男興南報国団と推定する人がいてもおかしくないでしょう。
どういう主張なのかよくわからないがKayo Keibotaiは海洋警防隊じゃないのか
Sameo Konen Hokokudanはよくわからないが
少なくとも鮫男なんてへんてこな日本語は使わないと思う
私もヘンテコだと思うので、みなさん、違うという証拠を見つけてください。
目覚めよ→醒めよ→sameoとか、いろいろ考えたんですが、、、、
海岸警防隊なら理解できますが、海洋警防隊では船が必要になり、現実的ではありません。地元警防団の一種です。
訂正:#163「wikiのkeibodanの中」でした。
Di kalangan penduduk Cina dibentuk semacam Keibodan dengan nama Kayo Keibotai.
中国の人口の中では名前佳代KeibotaiでKeibodanのようなものを形成した。(google 翻訳)
Di 中に、Kalangan 間で、Penduduk人口、dibentuk形成された、semacanソート,dengan、、とともに、nama名前
ソートは、整列、分類という意味のようなので、警防隊は警防団の一種か、警防団と序列化されているものかなと思います。(インドネシア語は文法も全く分かりません。)
インドネシアの地理は知らないが
サメオって土地や有名な何かがあるなら
サメオ方面報告団とかがらしいんじゃないか
戦時中なら必ずしも名称と実態が一致するとは限らないし
でも日本が嫌いとかそういう事もなく「オランダ(未登場)の特徴と日本の礼儀正しさ勤勉さを合わせ持ったキャラがいい」とか。
あとその中で何故か元宗主国がイギリスだと思い込んでる子が何人かいて「自国の重要な歴史なのになんでそんな適当なんだよ」って他のインドネシア人達に呆れられてたけど、なんか向こうの人は今がよければあんまり歴史とかどうでもいいのかなぁとか思った。
それとオランダの植民地時代がどう教えられているのかとても気になります(^_^)
文盲も労働搾取されたとか書いてあるけど。。。その文盲に教育して、文字をはじめとした知識と、農業等の技術も教えたってのが(恣意的に)省かれてる。。。
あと、戦場にインドネシア国民を使わなかったとか、インドネシア国民を守るために散った日本兵が多くいたとか。。。そういうのも見事に省かれてる。
。。。こんな教科書じゃ、日本を嫌いなインドネシア人が増えてきてるのも当然なことだよな。。。悲
。。。だからといって、日本による統治が、健全なものだったとは言わないが。。。すまなかったとも思ってる(謝
問題は、その結果地元民が飢餓に陥った点にある
国内外の多くの書物と照らし合わせても妥当な内容と言える
事実を冷静に評価していかないと世界の真実は見えてこない
こういう翻訳をしていただいて本当に感謝します
日本だと近現代史を出来るだけ避けて軽くしか触れないというのもあるが
随分と詳しくやるもんだな、21章ってことは他の時代も相応にやってるだろうに
不純物のない情報は、優れた人間(社会)づくりの第一条件ですよね!
今後も拝読させていただきたいと思います。
中国や、韓国から比べれば、事実に対する一つの見解として、
それほど、偏見がある記述とも思えないですね。
個人的には、穏健的なイスラムが、これからどのように発展していくか興味あります。
フィリピンの大規模飢饉もそうだけど、理想を現実をしっかり頭に叩き込まなきゃいけない
功罪の把握を日本の教科書はさせているのか、残念ながら記述は少ない
近現代史をもっとやるべき
カリマンタン(スマトラ)の地図を探したけど見つからなかったです。バヌアツ共和国にsameoという地方があるようで、そこの天気予報がありました。オーストラリアの北東、大東亜共栄圏の線のわずかに外でした。
8/13日経夕刊一面のコラム「明日への話題」に残留日本兵 国際交流基金安藤 裕康氏が、次のように書いているので紹介します。
「先日インドネシアの高校生たちち懇談した。日本のことで色々質問が出たあと、『前田精(ただし)少将についてどう思うか?』と聞かれた。恥ずかしながらその人物の名前さえ知らなかった。太平洋戦争集結の翌日、インドネシア人が集まって独立宣言を起草した際、日本軍当局の意向に反してこれを支援した軍人だ、とあとで教えられた。学校の教科書にも載っていて、深く尊敬されている人物だという。それ以外の日本軍人の中にも、軍を離脱しインドネシア独立義勇軍に参加して戦った者が大勢いる。そういう人々のことは、現地はともかく、今日の日本ではほとんど知られていない。、、、、、、、アシアに残留した日本兵は1万人、、、、欧米列強からのアジア解放の大義に目覚めて現地軍に加わった者もいる。、、、、、、軍籍離脱の過去に悔悟の念を抱きつつ、望郷の念に駆られながらも外国に残留し続けた人々の気持ちを推し量るとつらくなる。、、、、、、、、」
受諾したポツダム宣言にある軍の無条件降伏に反するので、日本政府は連合国に敵対した軍人や元軍人に対して厳しい対応をとってきたと推測される。だから誰も知らないのだ。しかし戦後69年、今更ポツダム宣言でもない。再評価を行う時期が来ていると思う。
タバコや珈琲、天然ゴムの栽培って今でこそ主要産業だけど、オランダ時代にフェアトレイドしてた訳でも無いし趣向品は買い手あっての物、食料生産に切り替えられた事、広大なプランテーションもそもそも森林伐採だし、戦後も焼き畑農法続けて森林減少した事をおいても搾取の一例なんだろうか…今でも農奴の風習で未修学児童もいるみたいだし…
やっぱインドネシアも独裁時代に他国占領期より今が素晴らしいって教育が普通なんだろね
まぁ実際日本が攻めこまなければ、死なない命もあって資源も徴用されなかったんだし、日本が白人と戦わなくても緩やかに解放されるか独自に追い出したかもって仮説は言えるしね。別にインドネシアの人に日本のお陰で云々なんて言う気も無いし
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