中華風つくね鍋とタレを絡めたつくね:忙しい時の下ごしらえ:働き盛りの若手にはエールを贈るのだけど
鍋を囲んでという言葉がぴったりなように、鍋を突くのはわいわいと会話も弾むような人数でいただくというのがイメージにあるせいか、家族の帰宅時間がまちまちな日は献立に入れないようにしている私です。少なくとも二人以上で頂きたい料理です。理由の一番にションボリな感じなのが、最後に帰宅した人が、他の家族が散々食べて突いた後に、残り物で食え!といわんばかりに残骸を置くこと。私は、した事がありません。行儀というか礼儀というか、それは誰に対してもしません。話は逸れますが、ついでなので触れておきますと、遅く食べる人のために取って置く場合も、残ったものをそのままにするのではなく、最初に取り分けて別の容器に置いておくのですよ。食べる人のことを思ったら残り物として置きっぱなしは感じのいいものじゃありませんからね。このことは特に気をつけるように、です。
話を戻して、これらの理由から、帰宅時間の違う時は鍋はしないし、できないと諦めていましたが、今年卓上のミニ五徳で固形燃料を使ったミニ鍋や焼き物が楽しめるということが分かったので、今日は、つくね(肉団子)の鍋にしました。 つくねにした理由は、多めに作って翌日のお弁当用に、茹でてタレを絡めた物を作るためです。
遅く帰宅して冷たい出汁を温めることから始めると、大変時間がかかりますので、予め出汁と火が通っても支障のない材料は下ごしらえしておきます。帰宅後、再加熱して沸騰してからスプーンで肉を掬って加え、蓋をして効率よく調理します。
材料の挽肉は鶏の胸肉なので、弾力が出る代わりに加熱によって締まって固くなりやすいですから、解き卵を加えてコシの強さを加えながらもふっくらとした食感になるようによく混ぜ合わせます。片栗粉は加えません。
翌日のお弁当用の肉団子ですが、量が少ないです。このような時には、タレにとろみをつけずに、茹でたつくねに軽く指先でパラパラと片栗粉をかける適度にしておき、割り下と酒を煮詰めたところで転がすだけです。表面に濃い目の甘い醤油が、混ざった片栗粉とよく絡みます。前夜の鍋の肉団子とは思えないような変身ぶりになりますよ。
肉団子材料
- 鶏胸肉挽肉・・400g
- 長葱・・1本
- 生姜(卸し)・・1片
- 塩・・小さじ1
- 砂糖・・小さじ1
- 醤油・・小さじ1
- 胡麻油・・小さじ2
- 解き卵・・1個
鍋の材料
- 肉団子の種・・2/3
- 鶏がらスープ・・900cc(鍋3回分)
- 水・・300cc(100ccを鶏がらスープに混ぜる)
- エノキダケ・・1P
- 大根・・20cm
- 木綿豆腐・・200g
- 絹さやエンドウ・・40g
- ジュンサイ(秋田産)・・200g
- 雑炊用卵・・1個
- ご飯・・適宜(鍋の大きさに合わせて)
- ポン酢・・レシピ☛昆布酢醤油
つくねの材料
- 片栗粉・・少々
- 割り下・・大さじ1(レシピ☛)
- 酒・・大さじ1
- 熱湯・・500cc
肉団子鍋の作り方
- 鶏挽肉をボールでよく捏ねる。
- 長葱はみじん切り、生姜は卸す。
- 1に塩、砂糖、醤油を加えてさらによく混ぜ合わせ、2の生姜と葱を混ぜ合わせてから最後に解き卵を加えて練り合わせ、胡麻油で風味をつける。
- 大根は皮を剥き、ピーラーで皮むきと同じようになくなるまで薄い短冊状に削ぐ。
- 鍋にガラスープ300ccと水100cc、大根、エノキダケ、ジュンサイを蓋をして火を通す。(ここまでが第一段階)
- 頃合を見て5を再沸騰させ、二本のスプーンを使って形を整えながら5~6個落とす。
- 絹さやなどの青物野菜を追加したら蓋をし、肉団子が浮いてたらでき上がり♪
つくね団子の作り方
- 鍋でお湯を沸かし十分沸騰したら、手の平に乗る程度の種を掴み、親指と人刺し指で丸い和を作って搾り出しながら落として茹でる。※このとき、手に油か時々濡らしながら肉を絞ると手に肉が付かない。
- 団子が浮いてきたら掬って取り出し、粗熱が取れるまで冷ます。
- 表面に片栗粉をパラパラと振りかける。
- フライパンに割り下と酒を入れて弱火にかけ、沸騰してきたら3の肉団子を転がしながら表面に味付けをしてでき上がり♪
***
ちょっとしたミスだってこと、分かっていますよ。
昨日、品物を届ける手配になっているという運送屋さんから朝の割と早い時間に、住所と届ける時間帯についてを確認する電話が来て、やり取りの内容から全く心配ないと午前中の配達を待っていました。待っていたというのは、午前中に届けるということを承諾したので待っていたのですが、夕方まで全く配達に現れず、途中事故でも起こしたのかと、見ず知らずの相手の安否まで心配したのです。気になって、送り主の依頼した運送会社へ連絡して、配達が完了していない旨を伝えると早速手配してくれて、午前中電話のあった最終配達の担当から連絡が入り、違うお宅で同じ名字の家に配達に立ち寄り、そこが誤配先と確認もしないで不在配達表を置いてきたのだという説明を受けました。
事故の心配までしていたなどとは彼には言いませんでしたが、単純なミスだったなどと疑いもせずに安否を案じていました。
彼の言い分を聞いていると間違いの元は、確認すべきことに対して思い込みで処理したということです。ああ、こういうことよくある。と、そうは思うのですが、逆にこんな単純なことでミスを生み出すというのは職業意識のなさというか、あなたプロじゃないですね。小僧の使い以下ですと、言われる類のことです。この業界も激しい競争でしょうから、このようなミスをしていると信用を失い、廃業へと直ぐに追い込まれてしまう厳しさがあると思います。
私がこの程度で怒り狂っているわけではなく、このことで考えさせられたのは、世代的には20代後半から30代にかけての若い人たちにとって、このデフ不況を乗り越えるのはかなりきつい試練になると思います。また、この年代はあまり苦労をしてこなかったとも言えるので、老婆心ながら先のことが気になります。ぞっとしたのは、私の子ども達世代のことです。私の息子達はもっとノホホンと育ったかもしれません。
昨日も少し触れましたが、「ゆとり教育」で何が良かった分かりませんが、土曜日の半日の学校生活というのがなくなったせいで、ゆとりどころか塾通いの同級生が多くなり、遊ぶ機会が少なくなったためか人に揉まれる機会が少なく、またゲーム三昧な時間の過ごし方もこの世代です。知識は詰め込んでも知性が身についていない世代ではないかと思いますね。
危機として思うのは、せっかくのビジネスチャンスもちょっとしたことで失ってしまうというのが見えない世代は、生き残りが難しくなるということです。日常の些細な出来事からですが、日本の近い未来はとんでもない国になっているのではないかと結びつくので、見守るなどと言っていられなくなりました。
昨日の運送屋さんには、不手際への苦情ではなく将来の予言になってしまったけど、私の思いは伝わったかな。無駄な抵抗だったかもしれない。
変なオバンだと思ったでしょうけど、言われたくらいでしらけて欲しくないしなぁ。
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