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2009年9月

人間の「危機を感じる能力」はあてになるか

具体的に「どの話か」と聞かれたら困るのだが、化学物質や食品添加物を忌避する人の論法に時々見かけるのが、「未知の物で、何となく危ないと思った物は避けろ。そう言う人間の危機を感じる力を信じろ」というものだ。それを信じることで、徐々に体をむしばんでいく化学物質などを遠ざけ、自分の体を守ろうと言うわけだ。そう言うものが「自然は気持ちいいから、有機栽培の農作物も体に優しいはずだ」という考えにも繋がっていくのだろう。ぶっちゃけて言えば、「天然なので安心です」だ。

しかし、天然=自然だとすると自然とは厳しいものである。自然は確かに美しいが、ゆとりを持って生きていけるからこそその美しさを堪能できるのだろう。文明という物の庇護があるからこそ自然の景色や有機農作物が美味しいなどと言う贅沢を楽しめるのだ。

話がずれてしまったが、何となく危ないと感じるものを避けることで、人間は不幸を回避できるのだろうか。答えは「否」である。日本人は「穢れ」という感覚を持っている。いや、感覚というと超自然的能力のように思えるので、「経験」と言い直した方が良いかもしれない。それは、日本人が長い歴史を重ねて来た中で「危険を回避するための経験」だろうと思う。死者を穢れた物として忌避することは、病原菌などを避けることであるし、塩をまいて穢れを祓うというのは塩の殺菌力を期待したものといえるだろう。しかしそれはまた、女性も穢れたものであるということで神事から閉め出したりするような明らかに間違った知識も含んでいることからも経験が積み重なった「感覚的危機感」は必ずしも正しいとは言えないと思う。

色々なリスクが科学的に解明されていなかった頃は、「未知の物」や「何となく危なそうに思えるもの」はとりあえず避けておく方が生存には有利に働いていたのだろう。また、野生動物が人間にはわからない「何か」を感知して危機を回避している様子を見て、「人間は文明にまみれて低下しているだけで、実はそう言う危機感知能力があるはずだ」と思えるのはわからなくもない。しかし、「科学は難しいから」とそこで思考停止していては結局そのために生まれる損失は自分がかぶることになるのだ。

確かに、意識レベルでは論理的に考えているわけではないのに、何となく(危険なものも含めて)気配を感じることはあるだろう。しかしそれは意識レベルで順を追って考えていないと言うだけで、目に入った物や匂い、温度や空気の流れと言った皮膚感覚を総合的に深層意識レベルで判断しているに過ぎないと私は考えている。

科学的アプローチでリスクとベネフィットがはっきりしているものは、感覚的に避けるだけでなくなぜそうなったのかを知る努力は続けなければならない。何度も言っているが、そう言うことも含めて、自分でものを考え、行く道を選び取るためにも学校教育は必要なのだと思う。算数や理科、社会に国語と実生活に役に立たないだろうと思うのではなく、こう言うところで実は差が付くのだと言うことは理解しておいて欲しい。話はそれるが、選挙でも「誰に投票したらいいのか」を論理的に考えるためにも学校で世の中の仕組みを理解しておくことは非常に大切だと思う。科学的思考を身につけることも含め、それが自分の未来のためにもなるのだから。

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自然な農作物が美味しいとはどういうことか?(修正09.09.29)

さて、以前のエントリーで予告していたので、有機農産物などのいわゆる「自然な」農作物が美味しいと言われるわけを考えてみたい。ちなみに言っておくが、この原稿は数日前から書き始めていたので友人がブログで味覚に関するエントリーをあげていたのを見たから書いたのではない(笑)。

有機、無農薬を標榜して農作物を栽培している生産者は「うちの野菜はよそとは違うで。試しに食べてみ」などと良くいう。「みんなが美味いって言うてくれるで」とも。そう言う経験的事実から自信を持っている人が多いようだ。しかし、本当に有機質肥料と無農薬の組み合わせであれば美味しいものができるのだろうか?

いくつか考えられることがあるが、順に考えてみたい。

1 本当に美味しい

本当に美味しいとしたら、どういう理由があるだろうか。まず、健全に生育しているからと言うのから考えてみよう。有機質肥料栽培であれば、土壌の微生物が健全に増殖し、土壌の物理構造も改善され、その結果根が活発に伸張し、植物全体が健全に育つ。ということが言える。しかし、有機質肥料は必ずしも植物が要求する養分バランスになっているとは限らず、適正に使わなければ結局植物は健全に生育できない。
また、有機質肥料の方が様々なミネラルなどの副成分が豊富で、農産物の食味向上に役立つかもしれないという主張もあるだろうが、近年の研究結果では有機質肥料だけでは一部のミネラル分が不足し、有機栽培の食品だけの摂取では微量養分の欠乏症が起こる可能性が指摘されている。
植物は、従来窒素成分は硝酸イオンやアンモニアイオンの無機態でないと吸収しないとされてきたが、数年前にアミノ酸の形でも吸収されることが明らかになった。有機態の窒素が分解される過程でアミノ酸もできるのだが、これが植物に負荷が少ないという説もあり、これについては植物を健全にすると言う可能性は残されていると思う。
また、農薬が植物に対するストレスになり、それが作物としての健全性を阻害しているということも考えられる。しかし、害虫や病気の場合、ひどければ植物を枯死させてしまうこともある。これはストレスではないのだろうか。

2 バイアスがかかっている

「これ、有機無農薬やで」と言われた場合、無条件に美味しいと思いこむ可能性もある。実際、偽装表記などでJAS有機の認証を取れていないものが「有機」などとして売られていた事例もあったが、それでもそう言うものは多少の付加価値を付けても売れていたと思う。また、それらは美味しいとも言われていたことが多いのではないか。それに近い事例を知ってもいるが、差し支えがあるので、ここでは話すことを控えさせて頂く。

3 有機農産物に真剣に取り組んでいる人は技術が高い人が多い

これはあり得る話だと思う。化学肥料はともかく、農薬を使わないで健全に植物を育てようと思ったら相当に大変である。自分の作物を注意深く観察し、少しの変化を見逃さず何かあればすぐ対応する。また、その変化に対する感受性も高いし、対応する技術も持っている。そういう人が有機栽培であっても「良い作物」を作るのである。しかし、そう言う技術を持っている人は有機栽培に限らず通常の栽培をしている生産者にも存在する。そしてそういう人の作る農作物は有機栽培でなくとも美味いのである。

4 番外

私は仕事柄、生産者の方から農作物を頂くことがある。その朝に収穫したものをその日のうちに食べると非常に美味しい。有機農作物は直販や産地直送が多い。つまり、市場流通よりも新鮮なものが多いのではないのだろうか。

以上のことから考えると、また自分の実感としても農作物が美味しいかどうかは「健全に育っているか」と「新鮮である」というのが最大の要素であるように思う。農作物がその持てる力を最大限に発揮できる環境を作ることが、有機であるかどうかより重要であり、それは農薬や化学肥料を使っても可能であると思うのだがどうだろうか。

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