[書評]日本人はなぜ貧乏になったか?(村上尚己)
自民党総裁に安倍晋三氏が返り咲いた当初、奇異な目で見られていたその経済政策、通称アベノミクスだが、比較的短期間に多くの人から支持されてきたようだ。理由は単純。安倍首相がアベノミクスを掲げただけで円高が止まり、株価が上がり、実感としてもこれから日本経済が前向きになってくる期待が醸成されたからだ。
日本人はなぜ貧乏になったか? 村上尚己 |
重要な論点の一つは、長期に渡り日本経済を蝕んできた「『デフレ』の正体」である。第2章の通説を眺めてみよう。通説6から始まる。
通説6 モノが安くなるのだから、デフレは庶民の味方
通説7 デフレといっても、年率1%未満の物価下落なら大丈夫
通説8 日本のデフレ、原因は現役世代の人口減少
通説9 日本のデフレは、安価な中国製品が流入したせいだ
通説10 安売り企業の価格破壊がデフレの原因
書き写しながら、デフレについて、こうしたことが言われてきたものだとしみじみ思い出す。本書の語る真相はどうか。
真相6 否。モノよりも給料が安くなり、貧困を深刻にしている。
真相7 否。失業者や自殺者の増加こそがこのデフレの正体。
真相8 否。生産年齢の人口減少とデフレの同時発生は唯一、日本だけ。
真相9 否。それならアメリカや韓国はなぜデフレではないのか。
真相10 否。所得が増えれば、消費も増える。「満たされた日本人」は幻想。
本書では各真相ごとに解説がつく。読みながら、概ねこれで正しいと思う。詳細では異論もあるだろう。たとえば、給与が保証されている層にとってはデフレは実質的な賃金増加をもたらしてきたことや、自殺者の増加は戦後ベビーブームの世代が高齢化していることが背景にあることなど、議論すればできないことはない。さらに細部ではデータの解釈差や勘違いもあるかもしれない。しかし大筋で、本書の真相は説得力がある。
本書では、こうした21個の通説に対して、それぞれ真相が提示されている。が、いわゆるリフレ派と呼ばれる経済思想になじんだ人にとっては、さほど目新しい論点はない。きれいにまとめたという印象で終わるかもしれない。
私としては本書の価値は、リフレ派の論点整理というより、米国連邦準備制度理事会(FRB)が実施した量的緩和政策(QE: Quantitative easing)についての簡素な説明とその評価にある。
リフレ派の議論は難解なマクロ経済学をベースとしていること。また、伝統的な中央銀行の思想とは異なる面もあり、あくまで理論的な話にすぎないと見る向きがあった。現在でも、インフレターゲット政策についてデフレからインフレにもっていくための政策としては「世界初の実験」だとも指摘される。そう指摘されて苦笑を漏らさない人もいる。本書でも指摘されているが、そもそも先進国なら2%インフレターゲットが実施されていた。だから、日本のようなタイプのデフレに落ち込んでいる例はなかったからだ。日本が普通の国であったら、そもそも「デフレからインフレにもっていくための政策」は必要なかったのである。
このことが如実に示されたのが、FRBのQEだった。QE1は2009年3月~2010年3月、QE2は2010年11月~2011年6月、QE3は2012年9月に決定され、現在も続いている。しかも失業率が所定値に下がるまで続くとした。米国では明確に、量的緩和政策が失業率と関連つけられて扱われている。
こういう言い方にも異論があるかもしれないが、リフレ派の議論が、議論のための議論のように見られた時代に終止符を打ったのは、FRBであり、そのバーナンキ議長だった。それが議論を越えて現実に示されれば、どのような机上の理論も対抗できるはずもない。それなのに民主党政権下ではだらだらとデフレ政策が実施されていた。安倍首相でなくてもいずれ、日本がリフレ政策を採らざるを得ないことは予想された。現時点で振り返っても、問題は「いずれ」という時期でもあったのかもしれない。
本書が示したように、これから日本経済は復活に向かうだろうか。
本書の域を超えるが懸念事項がないわけでもない。そもそもアベノミクスは本書が焦点を当てている金融政策に加え、旧来の自民党政治型の財政政策と、小泉政権に近い成長戦略の三項から成立していて、項目間に必ずしも統合性があるわけではない。本書では、財政政策については触れていないが、その成長戦略については疑念も呈されている。また、本書は消費税増税に反対の立場を取るが、実質的な財務省ストーリーとしてのアベノミクスでは、消費税増税のための地均しなのである。現在期待されているアベノミクスが思いがけない換骨奪胎に終わる懸念もある(むしろ強いと見られる)。そうした事態に際しても本書は、いわばあるべき定規のような役割をするだろう。
あと個人的には著者・村上尚己氏の「おわりに」とする後書きに共感した。41歳の彼自身が社会人として向き合ったのがまさに日本のデフレだった。
デフレによって貨幣の価値ばかりが高まり(貯め込んだ現金だけで生活できる人だけが豊かになる)、その一方で若者の価値(給料)はまったく上がらず、押さえつけられたまま、こんな状況がいつまでも許されていいのか?
後書きに呼応する著者の思いは第5章ではこう表現されている。成長する社会が重要だとして。
だから「競争をやめて、皆が分かち合う温かい社会」を希求する人は、社会全体が成長を止めることを放置してはいけないのだ。「脱成長」の先にあるものは、「壮絶な奪い合い社会」でしかないのだから。
私もそう思う。
しかしそこに別のタイプの難しい問題がある。2012年元旦の朝日新聞社説を例にして。
そしてこういった「脱成長」「ブータンのように低成長だが幸福な社会」といった話を受け入れてしまう人(朝日新聞のこの社説を書いた人もそこに含まれるのであろう)が、きわめて不幸なのは、そういった人たちがすごく心優しい人たちである場合が多いということだ。
アベノミクスを「壮絶な奪い合い社会」と見なし、「競争をやめて、皆が分かち合う温かい社会」を希求する心優しい人たちを、苦笑して通り過ぎてはいけないのだろう。ただ、どうしたら伝えられるのだろうか。本書がその一助になりえるだろうか。
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コメント
結局、皆現実に向かい合いたくないと言うことなんだと思います。
・・・競争するのに皆疲れている。「努力する方法」を知っている頭のいい人たちは別だけれども。それだったら、死肉を奪い合うような世界の方がまだましってことなんでしょう。そこにはある種の、暖かさとは言わないまでも絶望のぬるさがありますから。
(昔いたNPO法人がそうでした。要するに、自立支援法を受け入れた途端に変わった。障碍者でも高齢でも努力せざるを得ない場所になった。その結果、起きたのは軽度の障害者は就労できるけど、重度、つまり障碍者の中でもさらに負け組の人は居場所が家だけになって逆戻りと言う現象です)
それでも、希望を持ち続けるって大変なことなんです。
投稿: ジュリア | 2013.02.10 06:02
日本に、コクミンが一人としてみたら、このコクミンが稼げなくなっただけ。稼げない以上、なにをやっても無駄。で、コクミンの身体の中にガンができて、それを手術して除去すると、別のところにガンができての繰り返し。この手術費用がふくらんで、ますますガンができるスピードもアップ。
一番笑ったのは、円安になると、売れるようになるって、決算予想を上方にした大企業かなぁ。まぁ、一瞬、利益はあがるだろうけど、値切られれるに決まってるでしょ。お宅儲けてんでしょ、だったらまけなさいって。で、その損失を、コクミンにおしつけてすまそうってわけでしょ。
単純に、日本の競争力をそいでいるガンたちは、政治的交渉が下手、商交渉になるともっと下手ときている。要するに、一方的過ぎて、最初から負けは見えてるときてるわけで。
商品価値を上げる方法として、そんなに安くされるなら、そちらには売りませんよってやることだよ。円安とかになったとしても、その国の中での真の価値を見定めて、値引きしないこと。
つまり、ニホンが腐ったのは、真の価値でなくて、帳簿上の数字あわせばかりしていたのが原因。で、数字あわせだけしている経済政策はもっとおかしい。
価値と価格が、価格だけで判断していて、もう、笑が絶えませんww
投稿: | 2013.02.10 07:48
そういえば、情報商材ビジネスというのがネットで注目されているみたいだけど、こちらも、価値と価格がまったくあっていないよね。結局、ニホンが価値と価格が不一致でいいということをエリートがやっているから、それを見習っているだけなんだろうな。民主党がやったことも、今やっている自民党の政策にしても、根っこは同じだな。
結局、価値と価格が一致すれば、自然と解決だよ。一致させないってやってるところが、早く淘汰されてほしいだけだな。
投稿: | 2013.02.10 07:55
>社会全 体が成長を止めることを放棄してはいけ ないのだ
「止める」ではなくて「続ける」ではないでしょうか?
投稿: ggg123 | 2013.02.10 17:39
ggg123さん、ご指摘ありがとうございました。「放棄→放置」に修正しました。
投稿: finalvent | 2013.02.10 18:37