橋本龍太郎の死、雑感
橋本龍太郎が死んだ。享年六十八。平均寿命から考えると十年は早いような気もするが、古来希なりとする七十に手が届くくらいまで生きたら幸運の部類だろう。
橋本龍太郎は、死なれてみてると、印象としては「晩節を汚す」という感じか。汚職と中国女性スパイのスキャンダルを払拭する間もなし。それも政治家としては無念だったろうが、そういう世間の悪評というより、彼自身の一番の無念は一九九八年参議院議員選挙の敗北を受けて辞任を表明したことだろう。ここで人生の勝負は決まった。二〇〇一年、森総裁後任の自民党総裁選に出馬して小泉に負けたのは滑稽というか悲哀というかよくわからん。勝ち目があると思ったのだろうか。
九八年参院選敗北の理由は失政である。結果として失政になったということかもしれないのだが。
橋本は前年公共投資を削減し、国債の発行額を減らした。歳出削減である。同時に、消費税を三%から五%に引き上げ、二兆円の所得減税も打ち切った。医療保険制度改革で医療費負担も二兆円引き上げた。計、九兆円の国民負担。つまり増税。
彼の指導力と見るむきもあるだろうが、当時の大蔵省の意向に沿っただけではないか。大蔵省にしてみれば、九六年の実質成長率は三・四%と、バブル後遺症は終わり景気は上向きになったということなのだろう。
結果はひどいものだった。経済成長率は落ち込み、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券と連鎖して潰れ、金融破綻が起きた。
橋本龍太郎の実質的な政治人生が九八年で終わったように、日本も再び暗い世界に沈んでいった。
デフレを甘く見過ぎたということか、大蔵省も大したことないですねということか、私にはよくわからない。が、教訓は得た。今、また十年近く前のことをやれば、また日本は沈むかもなということだ。
そういう意味で、橋本龍太郎の失政は日本人を賢くしたと思う。そうでなくちゃ、浮かばれないよな。
以前、たまたまなんかのテレビで、橋本龍太郎の娘さんの話を聞いたことがある。父は立派な人ですときりっと言ってのけた。実の娘に尊敬される父であったのは間違いあるまい。鈴木宗男もそうだが、娘の誇りとなるような男というのは、それだけで立派、あっぱれである。
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コメント
いくら父としては立派であっても政治家として無能な人はいらんですよ。派閥のトップに立ったぐらいですから政治屋としてはそれなりに有能だったんでしょうけどね。
投稿: 通りすがり | 2006.07.01 22:51
ポマに限らず、政治家の息子や娘で父親を尊敬するという人は多いように思うが、それは、とても分かりやすい理屈で、たとえば「生徒会長は偉い」というのと同じ論理で、「偉い」と思うことのできる仕事だからではなかろうか。
投稿: 三四郎 | 2006.07.01 23:02
>そういう意味で、橋本龍太郎の失政は日本人を賢くしたと思う。そうでなくちゃ、浮かばれないよな。
ええ、彼の判断ミスによって死んだ人は浮かばれませんね。彼の失政の穴埋めのために(経済失速による税収減少+公共事業の増大+特別減税の実施)財政赤字がここまで膨れ上がりましたし、バブルの後始末も彼の失敗がなければ21世紀になるまでに片がついていたでしょうから。
まるでfinalventさんは「もう終わったこと」のように語っていますが、彼の失政の影響は今も続いていていることを忘れてはいけません。
投稿: F.Nakajima | 2006.07.01 23:45
>実の娘に尊敬される父であったのは間違いあるまい。鈴木宗男もそうだが、娘の誇りとなるような男というのは、それだけで立派、あっぱれである。
久しぶりにブログの記事で唸ってしまいました。
私は子どもがいませんが、娘が誇りと思ってくれることが、父親としてはなりより嬉しいでしょうね。それにくらべれば罵詈雑言などどうでもいいことなのかもしれません。
私も(いないけど)娘の誇りとなれるように生きようと思わせてくれた記事でした。
ありがとうございました。
投稿: すべりしらず | 2006.07.02 01:25
>二〇〇一年、森総裁後任の自民党総裁選に出馬して小泉に負けたのは滑稽というか悲哀というかよくわからん。勝ち目があると思ったのだろうか。
ここはちょっと事実関係とニュアンス
がズレてますね。下馬評では橋本首相誕生、票読みの段階でもそれは変わってなかったですから。組閣準備、政策のタマ込めを開始してたくらいで。小泉勝利は自民党筋でも相当の驚きだったのはご承知のとおりです。
彼は、首相時の「失政」に対する後悔を引きずり続けていて、もう一度、それを挽回したい想いにとらわれていたと。失政の原因は多々あれども、その大きな要因に「大事なことを知らされていなかった」というのは周囲によく言っていたことで。金融危機も増税の影響も、明らかになるまで皆隠していたと。
この辺りの無念と権力からの転落にまつわる判断ミスを、あきらめ切れなかった、執着していたということはあると思います。でも、一度権力から転落すると、復活は、鄧小平でもなし、やはり基本的には無理、ですね。
投稿: 橋りゅう | 2006.07.02 06:59
死んだら神様、仏様というのは
日本人の美意識の中でも
特に良いものかと思います。
失策は失策として指摘するけど
きちんといいところを褒めて
冥福を祈る
ということですね
投稿: uemura | 2006.07.02 15:14
ウロ覚えですが、確か、地方の自民党党員の票を、比例分配から、(アメリカ大統領選挙的に)各県総取り式に変えたのが効いていたと記憶しています。結果、地方党員の票を小泉が総取りしてしまいました。事前の票読み的には、橋本首相復帰は濃厚だったと思います。
今は忘れられた存在の田中真紀子が、猛烈な檄を飛ばし、地方の組織票を切り崩したのでした。あの時の田中真紀子の瞬発力は、本当に凄まじい輝きでした。組織を仕切る才能は、皆無な人だったけれど。
投稿: 総取り | 2006.07.02 15:49
>実の娘に尊敬される父であったのは間違いあるまい。鈴木宗男もそうだが、娘の誇りとなるような男というのは、それだけで立派、あっぱれである。
いや、これは個人的には娘とか子供を買いかぶりすぎだとおもいますよ。私の友達は長い間父親を粗大ゴミとは言わないまでもかなり遠ざけていたんですが、ある日父親が取締役に昇進したことを知って父親を見直し和解、以後は仲良くやっているようです。
要するに、家族関係も往々にして人格よりも市民生活のポジションしだいだということです。橋本さんが娘に好かれたのはまさに彼が華麗な経歴を持つ大物政治家だったからで、あまり父親としてどうこうといった話ではないような気もします。逆にうだつの上がらない男は娘にも嫌われがちですからね。
投稿: M | 2006.07.03 00:10
>父は立派な人ですときりっと言ってのけた。
政治家の親を持つ娘なら、また身内ならこう言うしかありません。まして、二世、三世議員を次の選挙で当選させなくてはいけないとなれば。
政治家の家族は身内の票を減らすような発言はできません。権力者の身内と言う恩恵と共に背負わねばならない枷ですね。
投稿: ひなこ | 2006.07.03 15:59
私も久しぶりにブログの記事で唸ってしまいました。
故人の概評をしながら、最後は素晴らしい締め括りでした。
橋りゅうさんの明快なコメントにも同感。
どうも有難うございました。
投稿: 春雄 | 2006.07.04 20:58
世間は忘れるのが早い。
橋本内閣退陣の理由は、現在では、失政とそれに伴う参議院選敗北となっているが、当時の状況は大いに異なる。
中国の女スパイにはめられ多額の税金をODAという名目で掠め取られ、それが週刊誌等でスキャンダルとして取り上げられて、このままでは国会で取り上げられる恐れがあったため、火消しのため退陣せざるを得なかった。
こらが当時の「世評」である。
投稿: 北京原人 | 2007.08.06 09:07
橋本龍太郎は、日銀が政策金利を上げる事に強く反対しました。
日銀、財務省、輸出企業、邦銀の私利私欲に翻弄された首相であり。
日本経済の低迷の責任者では、ありません。
日本の経済拡大次期に政策金利を上げた日銀総裁の私利私欲による金融政策判断の誤りを彼の政治判断の誤りのように書くのは間違いです。
投稿: yas | 2008.12.23 00:07
ちなみに橋竜が地獄に落ちた瞬間、大館では上は市長から末端の庶民に至るまで“マンセー!”の大合唱だったよwww
投稿: 大館人www | 2009.03.18 19:47