50年を受け継いでいく
人生の長さを3等分すると、私はそろそろ最後の3分の1に入っていくことになります。まあ、そもそも、あらかじめ分かっている長さの人生を生きられるわけでもないのですが。実は、この間も、死にかけました…
で、いずれにせよ、先はそう長くもないし、死んだ後に遺された人に迷惑をかけるのもよくないと思い、このところ、ものを買うのをかなり控えています。ここ半年余りで買った本は3冊だけです。
1冊は Martin Luther King, Jr. 師の Stride toward Freedom という本です。私たちの国でも「自由への大いなる歩み」という題で以前は岩波新書から出ていて、私も高校のころに読みました。アメリカでの出版は1958年。岩波の翻訳はその翌年に出たようですね。ペーパーバックは、1960年に出たそうで、私は古本屋で見つけた1964年発行の第3刷を買いました。1ドル50セントでした。
上に書いたように、私は本の購入をなるべく控えているのですが、この本を手に取った時、表紙の裏に、「ビルへ ありがとう 前途を祝します いつまでも ノーマとジョージより 1965年」と書かれているのを見て、すぐさま、買うことを決めました。友人への感謝の気持ちを表わすためにキング牧師の本を贈った人たちと、50年の時を隔てて、私は心が通わせることができる気がしたのです。
50年前。私はもう生きていたわけですから、それはほんのわずか昔であるととも言えます。しかし、ほとんど何も覚えていないわけですから、遠い昔でもあります。私は、当時のほんのわずかな記憶や、それに続く時代のかなり鮮明な記憶をこれから来る人たちに語り継いでいく責任が自分にあると考えています。
生き証人とか語り部と呼ばれる人たちから昔のことを直接聞けるのは50年ぐらいの時間が一つの限界だと感じます。もちろん、百歳になっても健康を保ち、幼いころのことを教えてくれる人もいるでしょう。でも、私は、そんなふうにはなれそうにありません。
また、私たち人間は、自分の声をより遠くまで届け、より長く残すために、文字を作り、本を書いてきました。しかし、活字の力をもってしても、書かれた記録も散逸したり死蔵されたりしていってしまいます。社会全体で、50年もの時が経つと、昔のことを思い出し、それを通じて、表面的な変化に隠れて今にも脈々と続いている問題について学ぶということが難しくなっていくと思います。
人間が知識や情報を受け継いでいくサイクルとして、50年は一つの限界だと私は思います。これを、例えば、70年を単位にした場合、将来に向けて伝えていく営みは、とても大きな障害に直面すると私は考えます。
このことを理由に、私は、今、政府が行なおうとしている著作権保護期間の延長に強く反対します。これまで、私たちの国の書籍の著作権保護期間は、著者の死後50年でした。半ば秘密裡に行なわれてきたTPP交渉の中で、それが70年に伸ばされようとしています。
社会は歴史を踏まえて紡いでいくものです。そのために、思いを受け継ぐサイクルとして、70年というのは長すぎます。
私は、著作権保護期間の延長に反対します。
写真は Jasperdo さんが CC-by-nc-nd で公開しているもの。
2015年 3月 9日 午前 12:00 | Permalink | この月のアーカイブへ
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
そうですね。戦後70年がさかんにいわれてますね。私も著作権保護期間の延長には反対です。ところでおだやかではないですね。体調が悪かったのでしょうか。
投稿: tae | 2015/03/09 0:24:56