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2022年6月30日 (木)

性風俗営業とコロナ給付金

本日、東京地裁が性風俗営業を持続化給付金の対象から除外したのは違法ではないという判決を下したようです。

https://www.asahi.com/articles/ASQ6Y748XQ6TUTIL002.html

 性風俗事業者が新型コロナウイルス対策の持続化給付金などの対象から外されたのは、憲法が保障する「法の下の平等」に反するとして、関西地方のデリバリーヘルス(無店舗の派遣型風俗店)運営会社が、国などに未払いの給付金や慰謝料など計約450万円を求めた訴訟で、東京地裁(岡田幸人裁判長)は30日、請求を退ける判決を言い渡した。 

この件で興味深いのは、この記事の最後にも書かれているように、厚生労働省所管の雇用調整助成金等では、当初対象外とされたものの、その後批判を受けて対象に含められたのに、経済産業省所管の持続化給付金では対象外のままで、裁判にまで発展した点です。

この件については、一昨年から本ブログでも時々追いかけてきましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-b631f8.html(新型コロナと風俗営業という象徴)

今回の新型コロナウイルス感染症は、医療問題から経済問題、労働問題まで実に幅広い分野に大きなインパクトを与えていますが、その中で風俗営業というトピックが全く違う文脈で全く違う様相を呈しながら様々に語られていることが興味を引きます。それはあたかも風俗営業というそれ自体はそれほど大きくない産業分野がある意味で現代社会のある性格を象徴しているからではないかと思われるのです。

まずもって、コロナウイルスを蔓延させているのは濃厚接触している夜の街の風俗営業だという批判が登場し、警察が歌舞伎町で示威行進するてなこともありましたが、それはそういう面があるのだと思いますが、実は経済のサービス化というのは、もっともっと広い範囲で人と人との接触(どれだけ「濃厚」かは別として)それ自体を商品化することで拡大してきたのであれば、コロナショックが何よりも人と人とが接触する機会を稼ぎの元としている飲食店やサービス業といった基盤脆弱な日銭型産業分野を、当該接触機会を最大限自粛することによって直撃していることの象徴が風俗営業なのかもしれません。

一方、コロナショックを労働政策面から和らげようとして政府が繰り出した雇用助成金政策に対して、それが風俗営業従事者を排除しているのが職業差別だという批判が噴出しました。そしてその勢いに押された厚生労働省はそれまでの扱いをあっさりと放棄し、風俗営業従事者も支給対象に入れることとしたわけですが、このベクトルは風俗営業のみを卑賎視する偏見に対して、それもまた歴とした対人サービス産業であるという誇りを主張するものであったはずで、その背景にはやはり、風俗営業も他の対人サービス業も、人と人との接触それ自体を商品化する機会を稼ぎのもとにしていることに変わりはないではないか、そして現代社会はそれを経済拡大の手っ取り早い手段として使ってきているのではないかという自省的認識の広がりがあったのかもしれません。

ところが、ここにきて、某お笑い芸人がラジオ深夜番組で語ったとされる、コロナ不況で可愛い娘が風俗嬢になる云々というセリフが炎上しているらしいことを見ると、実は必ずしもそうではなかったのかもしれないなという感じもあります。そのセリフが政治的に正しいものではないことはたしかですが、本ブログのコメント欄に書き込まれたツイートにもあるように、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-5924c7.html#comment-117951899

> 不景気になると
> 岡村隆史「かわいい人が風俗嬢やります」
> 経営者「有能な若者が安い給料で働く」
> あんまり言ってること変わんねえよなこれ

労働供給過剰によってより品質の高い労働力が低価格で供給されるという経済学的には全く同型的な市場メカニズムを語る言葉が、一方はソーシャルな立場からは全く正しいものではないにもかかわらず、多くの経済学者の口から平然と語られても全く問題にならない(どころか経済学的に正しいことを勇気をもって語ったとしてほめそやされる)のに、芸人の方は集中砲火を浴びるのは、やはりエコノミカリー・コレクトに対するポリティカリー・コレクトとソーシャリー・コレクトの存在態様の大きな格差を物語っているのかもしれません。

これら新型コロナウイルス感染症をめぐってさまざまに立ち現れた風俗営業をめぐる人々の思考のありようは、誰かがもっときちんと、そしてこれが一番大事ですが、どれか一つのアスペクトだけではなく、そのすべての側面を全部考慮に入れたうえで、突っ込んで考察してほしいなあ、と思います。そういうのがほんとの意味での社会学的考察ってやつなんじゃないのかな、なんてね。

(追記)

世の中、ちょっとした時期のずれで大きな差ができることがありますが、本日から申請を受け付け始めた経済産業省の持続化給付金は、中小法人向けの200万円コースも、個人事業主向けの100万円コースも、特定の風俗営業は対象から除外しています。

https://www.meti.go.jp/covid-19/pdf/kyufukin_chusho.pdf

https://www.meti.go.jp/covid-19/pdf/kyufukin_kojin.pdf

不給付要件(給付対象外となる者)に該当しないこと
(1)風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律に規定する「性風俗関連特殊営業」、 当該営業に係る「接客業務受託営業」を行う事業者
(2)宗教上の組織若しくは団体
(3)(1)(2)に掲げる者のほか、給付金の趣旨・目的に照らして適当でないと中小企業庁長官が判断する

雇用助成金の時には、風俗営業だからと言って排除するのは職業差別だとあれほど騒いだ人々が、岡村発言の直後にはだれも文句を言わなくなってしまっているというあたりに、その時々の空気にいかに左右される我々の社会であるのかがくっきりと浮かび上がっているかのようです。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-3d83ef.html(ネット世論駆動型政策形成の時代の言説戦略と無戦略)

・・・とはいえ、ネット世論駆動型政策形成の基盤であるネット世論というものが、いかに風にそよぐふわふわしたものであるかは、そのネット上におられる諸氏はよく理解されておられるところのはずで、その危うさが露呈したのが、雇用助成金において先行的に適用除外の撤廃が先行しながら、経産省所管の持続化給付金が始まる直前に猛烈な急ブレーキがかかった、例の性風俗営業関係の適用除外問題だったと思います。

雇用助成金における風俗営業の適用除外に対して、職業差別だという批判の嵐が巻き起こったのもネット世論であったわけですが、今回その勢いに水をぶっかける形になったのも、深夜ラジオ番組における芸人の発言に対するネット世論における猛烈な批判であったというのは、やはりこのネット世論駆動型政策形成の本質的な危うさを浮き彫りにする事態であったように思います。

注意すべきは、前者の雇用助成金における風俗営業の適用除外を批判するネット世論は、明確に当該制度の変更を求めるネット言説戦略としてなされ、そういう意図に即した形で政治家から行政に迅速に伝えられて実現に至ったわけですが、後者はそうではなく、むしろその芸人発言批判の言説が現下の政策形成プロセスにどのような影響を与えるのかについての認識を欠如した形で、その意味では言説戦略の欠如(無戦略)としてなされてしまい、結果的に想定していなかった政策効果をもたらしてしまったらしいところです。

上述したように、私は今回かなり全面的に回転しているこのネット世論駆動型政策形成プロセスに対して必ずしも否定的ではありませんが、こういうある種のバタフライ効果が発生しうるという点は、とりわけネット上で活躍されている方々は改めて認識しなおす必要はあるのだろうと思います。

この問題、もう少し視野を広げていろいろと考えたいテーマですが、とりあえず、この記事を見て思ったことをメモ代わりに書いてみました。

https://note.com/kanameyukiko/n/n6deb27eae9ea (岡村叩きにみる正義を語る悪魔 by 要友紀子)

Kaname ・・・・私がこのたび筆をとったのは、経済産業省がいま持続化給付金のことで、本当に風俗業従事者を給付対象にするのか否か、流動的な微妙な空気が流れているからだ。
どういうことかというと、官僚というのは、風俗店がこの先も存続すべきものかどうかを見据えて法律や制度を作るらしい。・・・
 この背景を藤田氏は知らない。私がとても懸念しているのは、経済産業省の官僚たちがまさに今、「世の人々は風俗は本来あってはいけない産業だと思っている、他の労働と同じ労働としては捉えてないらしい」というSNSでの世論をどこまで参照にしているかだ。
 政治家にとって、政治・政局・選挙という3大状況判断を藤田氏はご存じだろうか。この3つの状況判断のいずれか1つを間違えても命取りになり、うまくいくはずのこともダメになってしまうという意味だ。だから、岡村発言を炎上させるのを、この持続化給付金のことが落ち着くあと数週間待ってほしかった。岡村発言は確かに問題で世間で騒がれて当然の話ではあるが、今はやめてほしかった。いま私たちは経済産業省をなんとか説得しようと必死で動いている喫緊のところだ。今からでも、藤田氏には、自身がまき散らした風俗利用叩き、風俗嬢は本来風俗ではなく福祉へ大合唱の禍根について急いで原状回復をお願いしたい。さしあたり、風俗が労働として否定されることがないよう追加アナウンスすべきだ。そのための草稿づくりであればいくらでも協力する。 ・・・・ 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-3d1f9a.html(笹沼朋子「セックスワーカーの労働者性に関する覚書」@『愛媛法学会雑誌』47巻1号)

Content_20220630163601 『愛媛法学会雑誌』47巻1号に掲載されている笹沼朋子さんの「セックスワーカーの労働者性に関する覚書」は、昨年コロナ禍の中で本ブログでも何回か取り上げたことのあるトピックを論じていて、興味深いものです。

冒頭、例の岡村隆史さんの発言が出てきて、それに対する藤田孝典さんの激烈な批判があり、さらにそれに対するSWASHの要友紀子さんの痛切な批判が出てきて、こういう大学紀要を読むような奇特な人々に対する分かりやすい状況説明がされています。

等しくセックスワークに従事する者に対するコロナ禍での助成制度が、厚生労働省の場合は当初除外していたのがSWASHなどの批判を受けて対象に含めることとしたのに、経済産業省の場合は除外し続け、その理由付けに藤田さんのような議論が使われているというのは、ずっと追いかけている人にとっては基本的な知識ですが、一歩外に出ると必ずしもそうではないからです。

的確に要約できる自信もないので、是非大学図書館等で読んでいただければと思いますが、「事業としての性交渉は搾取なのか労働なのか」とか「セックスワーカー市場を作っているのは誰か」とか「そもそも労働だって搾取である」とか、見出しを追うだけでも興味がそそられます。

笹沼さんの結論は、これも見出しの文句ですが、「セックスワーカーが解放されるために必須のもの-団結権」ということになるのでしょう。

そして、最後のところで、「私は、性的人格権という概念については賛成できない」と主張される理由についても、なかなか火を噴くような強烈な議論が展開されています。ここだけでも読む値打ちがあります。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/06/post-428e8e.html(許可制は健全で届出制は不健全?)

朝日の夕刊に「性風俗業は「不健全」か コロナ給付金巡り、国「道徳観念に反し対象外」」という記事が載っていて、この問題自体は本ブログでも厚生労働省の雇用助成金と経済産業省の持続化給付金の取り扱いの違いについて論じてみたことがありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-b631f8.html(新型コロナと風俗営業という象徴)

・・・雇用助成金の時には、風俗営業だからと言って排除するのは職業差別だとあれほど騒いだ人々が、岡村発言の直後にはだれも文句を言わなくなってしまっているというあたりに、その時々の空気にいかに左右される我々の社会であるのかがくっきりと浮かび上がっているかのようです。

本日はその件ではありません。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14941351.html(性風俗業は「不健全」か コロナ給付金巡り、国「道徳観念に反し対象外」)

何の話かというと、政府が性風俗業を持続化給付金の対象から外した論拠として、スナックや料亭といった(性風俗ではない)風俗営業は公安委員会の「許可」制にしているのに対し、性風俗業は公安委員会への届出制にしていることを挙げているという点に、ものすごい違和感を感じたからです。曰く、

・・・性風俗業を「性を売り物にする本質的に不健全な営業」「許可という形で公認するのは不適当」としている。

国はこれらをもとに、性風俗業は「不健全で許可制が相当でない業務とされてきた」・・・

性風俗業がいかなるものであるかについてはここでは論じませんし、持続化給付金の対象にすべきかどうかもとりあえずここでの論点ではありません。

しかし、「本質的に不健全」であるがゆえに許可制ではなく届出制とするのだ、というこの政府が裁判所で論じたてているらしい論理というのは、どう考えてもひっくり返っているように思われます。

そもそも、行政法の教科書を引っ張り出すまでもなく、許可制というのは、一般的禁止を特定の相手方に対して解除するという行政行為です。なぜ一般的に禁止しているかといえば、それはほっとくと問題が発生する恐れがあるからであり、何か問題が起きたら許可の取り消しという形で対処するためなのではないでしょうか。

それに対して、届出制というのは一般的には禁止していないこと、つまりほっといても(許可制の事業に比べて)それほど問題は発生しないであろう事業について、でもやっぱり気になるから、念のために届出させて、何かあったら(届出受理の取り消しなとということは本来的にありえないけれども)これなりにちゃんと対応するようにしておこうという仕組みのはずです。

そして、労働法政策においても、たとえば有料職業紹介事業は許可制ですが、学校や公益法人等の無料職業紹介事業は届出制ですし、派遣も今は許可制に統一されましたが、かつては登録型派遣は許可制で、常用型派遣は届出制でした。これらはどう考えても、前者の方が問題を起こしやすく、いざというときに許可の取り消しができるように、後者はあんまり問題がないだろうから、届出でええやろ、という制度設計であったはずです。

それが常識だと思い込んでいたもんですから、このデリバリーヘルス運営会社の起こした持続化給付金訴訟において、政府が上述のような全くひっくり返った議論を展開しているらしいということを知って、正直仰天しています。 

本判決の結論は記事にあるとおりなんでしょうが、この政府のいう許可制と届出制についても訳の分からん屁理屈についてどういう判断をしているのか、またはスルーしているのか、そのあたりのトリビアにも興味がそそられます。

ちなみに、上の要友紀子さんが、いまちょうど参議院選挙に立候補しているんですが、彼女は要宏輝さんの娘さんだったんですね。これもびっくりです。

(追記)

https://www.call4.jp/file/pdf/202206/a3f0743ac45f5ffb22a2119fef62dc30.pdf

うわぁ、東京地裁の裁判官は、警察庁の言う「このような営業について、公の機関がその営業を営むことを禁止の解除という形での許可という形で公認することは不適当であると考えて、届出制にし・・・」云々というわけのわからない理屈を全くそっくりそのまま認めてしまっているよ。

この裁判官は、法学部で行政法の総論をきちんと勉強したことがあるのかな。そもそもここにあるように、許可制というのは「一般的禁止の解除」なんだが、性風俗でないダンスホールやパチンコ屋のような風俗営業はそんなに悪いものじゃないから一般的に禁止して簡単に許さないけれども、ソープやヘルスのような性風俗産業はそもそもけしからんものだから一般的に禁止しないで誰でも認めるという大前提に立つことになるんだが、日本国の全分野で整合的であるべき法理論としてそれでいいのかな。

 

 

 

 

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コメント

要友妃子さんはある元民社系の政治活動家の紹介でFacebookで友人になっています。それゆえ彼女の活動は少しは存じ上げていましたが、お父様については存じませんでした。wikiで見たらお父様は大変な凄腕の労働運動家だったのですね。
彼女のフェミニスト運動家としての活動ぶりは他の活動家よりも実践的で好感が持てるのですが、これも連合系労働活動家のお父様の活動ぶりに見習ったのでしょうか。

要宏輝氏は連合系というよりは総評全金で新左翼系を代表する活動家の一人だったのですが、こちらでもしばしば登場した早川さんと同じくそのまま連合に参加し活動を続けられたお方ですね。ただ娘さんについてはこれまでまったく語っておられませんでした。古典的左翼の観点からすれば売買春など絶対に許されないというのが大原則でしたから、なかなか語りずらかったのかな、と。今でも左翼内で性産業をめぐる議論は絶えませんからね。

いや、私もごく最近まで知らなかったのですが、要宏輝さんがツイッターでこう語っていたものですから、それで知ったのです。

https://twitter.com/AngieKaname/status/1538687263617392643

私の娘は、二・三世議員やトラバーユのための議員として国会に行くのではありません。親が言うのもなんですが、一つの信念・シングルイッシュをもってこの参院選を命懸けで臨んでいます。推薦組合もなく、孤立無縁の闘いです。時間があれば彼女のホームページを覗いて。必ず共感をしていただけます。

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