エマニュエル・トッド『西洋の敗北』@『労働新聞』書評
4年目に突入した『労働新聞』の書評欄、今年も月1回で進めて参りますので、よろしくお願いします。
さて、今年最初の「書方箋 この本、効キマス」は、エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』(文藝春秋)です。
https://www.rodo.co.jp/column/189325/
本欄でエマニュエル・トッドを取り上げるのは約2年ぶりだが、前回(参考記事=【書方箋 この本、効キマス】第4回 『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』エマニュエル・トッド 著/濱口 桂一郎)の本がトッド人類史の総括編であったのに対し、今回の本はロシア・ウクライナ戦争について世の常識と正反対の議論をぶちかまし、返す刀で米英をはじめとする西側諸国をめった斬りにするすさまじい内容である。なにしろ、ロシアは勝っているというのだ。ウクライナに対してだけではない。ウクライナを支援しているアメリカや西洋諸国に対して現に勝ちつつある。むしろ崩壊の寸前にあるのは米英の方であり、それに巻き込まれているヨーロッパ諸国だというのだ。
トッドは別にプーチンが正義だなどといっているのではない。トッド流の家族構造による世界各国の絵解きからすると、ロシアは中国と同じ共同体家族だが、ウクライナは東欧では数少ない核家族型社会であって、ウクライナがロシア支配を嫌がるのは当然だ。しかし、地政学的にウクライナをロシアから引き剥がそうとする企てはウクライナに悲劇をもたらす。
そこから話は西洋諸国への批判に向かう。西側の政治家や知識人はロシアの専制主義に対して西洋の自由民主主義が闘っていると思い込んでいるが、実は西洋のリベラル寡頭制とロシアの権威主義的民主主義との闘いなのだ。そして今崩壊の危機に瀕するのは西側諸国の方だ、というのが彼の主張である。彼が描き出すアメリカの姿は、不正義の勝利、知性の崩壊、そして能力主義の終わりによる寡頭制とニヒリズムの世界である。
それゆえに、とトッドはいう。西洋(west)ではないその他(rest)の世界はみんなこの戦争でロシアの側に立っている。正義の西側ではなく大悪党のはずのロシアを支持しているのは、正義面している西洋が今までさんざんぱらその他の諸国を搾取してきたからだ。そして世界的には少数派に過ぎない家族構造の米英仏が、LGBTQなどの思想を強制することに苛立っているからだ。西側から見ればスキャンダラスに見えるプーチンの反LGBTQ政策は、世界の大部分の諸国にとってはあまりにもまっとうな考えであり、これこそがロシアの「ソフトパワー」だという。共産主義のソビエトが敵に回していたユーラシアの大部分の諸国にとって、プーチンの保守主義ロシアは何の心配もなく仲良くやれる「いい国」というわけだ。いや直系家族の日本でも、ラーム・エマニュエル駐日米国大使によるLGBTQの押しつけが保守主義の反発を生み出しているではないか、と。
本書の原著は2023年7~9月に執筆されたが、邦訳はそれから1年以上経って刊行された。「日本語版へのあとがき」の中で彼は、本書は「未来予測の書」として書かれたが、今やウクライナの敗北は明確になり、本書はより古典的な意味で「歴史を説明する書」となったと語っている。これに反発する人も多いであろうが、喧伝された反転攻勢はうまくいかず、遂にアメリカでプーチンに親近感を隠さないトランプ大統領が再選した今、彼の本はいかに不愉快であろうが読まれなければならないはずである。
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コメント
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> 実は西洋のリベラル寡頭制とロシアの権威主義的民主主義との闘いなのだ。
理念モデルとしては、育児の権利義務が「親」にあるのと「社会」にあるのの違いでしょう
それはいいんですが、そのときどきで、一方の極端から、一方の極端に振れる連中が目立ちますね
投稿: わか | 2025年1月 9日 (木) 12時02分
>西洋のリベラル寡頭制とロシアの権威主義的民主主義との闘いなのだ。
トッド先生の祖国フランスは民主主義国家と言いつつも、実はフランス革命下のロベスピエールらの恐怖政治、「フランス人の皇帝」ナポレオン1世陛下、「2番目は茶番」とマルクスにからかわれたナポレオン3世陛下、そしてビジー政府のペタン元帥、そして第5共和政のシャルル・ドゴール…と言う具合に独裁者、あるいはそれに近い強力な指導者がいなければ存続できないしょうもない国ですからね。
だから我が祖国栄光のフランスは同類の権威主義的民主主義のロシアと手を組むのがふさわしいとトッド先生は言いたいのでしょう。
実に正直でいらっしゃる(^^;
投稿: balthazar | 2025年1月 9日 (木) 19時50分
ロシア・ウクライナ戦争の帰趨は私にはわかりませんが、アメリカを頂点とするグローバルな秩序が曲がり角に来ているのは間違いないでしょうね。
しかし、非西洋が一枚岩ではないのも確かだ。ロシアはもちろんグローバルサウス諸国、特にインド、イラン、といった国々が中国の覇権を易々と受け入れるとは思えない。そもそも権威主義体制は他の権威との共存が難しい。家族類型の親近性で国際関係が決定されるというトッドの議論も乱暴ではある。内部的な社会的政治的構造が親族構造の影響を受けるのは理解できるが、国際秩序はまた独自のロジックが働くものである。
20世紀におけるロシア、ソ連の勢力の膨張は中国、インド、ペルシア、オスマントルコといったアジア諸帝国の衰退に乗じたという側面が大きい。諸帝国が復活した現在、むしろロシアは封じ込められたともいえる。中国の台頭はある面では日本にとってロシアに対する防壁になるともいえる。ロシアが極東でプレゼンスを拡大するのを中国が歓迎するはずがない。
結果的にロシアのエネルギーは中東欧に出口を求めるほかなく、今般のロシア・ウクライナ戦争はそのあらわれと言えよう。
そもそも20世紀における中東欧の不安定化はハプスブルク帝国という地域のバランスをとる大国の消滅が大きな要因である。結果的にヨーロッパ、なかんずくドイツはロシアの脅威の矢面に立つことになった。この構図が21世紀に入ってむしろ強まっている。
トランプが再選したが、グローバリゼーションによって最も割を食ったのはアメリカの中間層であって、彼らの不満がトランプの背後にあるのだろう。彼らにとってはグローバリゼーションの不利益を受けながら、それを維持するコストを負担させられるわけだから、不満は当然のものである。彼らの利害から言えば、大陸欧州は見捨てて、イギリスと日本を防波堤にしてユーラシアの権威主義国家と冷戦に持ち込む方が利益が大きいだろう。
トッドいうところの西洋のリベラル寡頭制の強みはエリート層同士は利害を共有して協調できるところである。しかし内部では深刻な階層対立を抱えることになる。日本は結局西洋のエリート層のインナーサークルに入ることはできないだろう。一方で国内の階層の分断はそこまで深刻にはならない。さりとてアジア諸帝国の権威主義は日本の伝統的政治構造と相性が悪いだろう。日本の立ち位置は難しい。
投稿: 通りすがり2号 | 2025年1月 9日 (木) 23時33分