カーネーション:再放送 (第71,72回・2018/6/26) 感想
NHK総合・連続テレビ小説『カーネーション』(公式)
第12週『薄れゆく希望』の
『第71,72回』感想。
※ 私は本作を初見なので、ネタバレ等のコメントは無視します。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
【第71回】
パーマ機を供出した安岡髪結い店は閉店し、八重子(田丸麻紀)がオハラ洋装店で働くようになった。ある日、糸子(尾野真千子)は突然、奈津(栗山千明)から呼び出され、吉田屋の購入を持ちかけられる。相変わらずの奈津は決して頭を下げようとしないが、糸子はその借金の額に驚がくする。夫に逃げられ病身の母を抱えた奈津の苦境を八重子から聞き、糸子は助けようと奔走する。せめて奈津を雇おうとする糸子だが、すでに遅かった。
【第72回】
昭和19年9月。引き手がおらず、だんじりは中止になる。糸子(尾野真千子)の長女・優子(花田優里音)は相変わらずの軍国少女ぶり。次女・直子(心花)は、来年は自分がだんじりを引くと、幼いながら強く決意する。有事に備え名札を縫いつけた服に抵抗を感じる糸子。ある日、久しぶりに勘助(尾上寛之)が姿を現す。だが勘助は、糸子に別れを告げぬまま再び出征していく。間に合わないと知りつつ、勘助を追って糸子は走りだす。
---上記のあらすじは[NHK番組表]より引用---
【第71回】ついに昭和19年…
第12週の金曜日。劇中は、ついに昭和19年(1944)4月で、前回から7か月後である。「ついに」と敢えて書いたのは、“未来” を知る私にとって終戦が近くなって来たから。決してドラマとして戦時中の描写が暗くて辛くて苦しいから、早く戦後になってくれとは思うのでない。
戦時中でも、しっかり主人公の糸子を中心に「小原家の日常」が丁寧に描かれているし、暗くて辛い話ばかりでなく、ユーモアを含めた描写で楽しめているのも間違いなのだ。ただ、やはりもっと “糸子のだんじり” のその後を見たいと言う強い欲求には勝てない。だから “ついに昭和19年” となった。
太郎の「海軍」の話題から、奈津へ繋げる展開が良い
さて、本編。また葬式行列だ。しかし、今回は対日本婦人会の支部長・澤田の次男のものだった。いつもの目を吊り上げた表情とは打って変わった母の顔を、糸子は正視出来ずにいるようだった。
そして案の定、安岡髪結い店はパーマ機を供出させられ閉店せざるを得なくなり、八重子が春からオハラ洋裁店で働いている。そして、八重子が泰蔵との間に生まれた長男・太郎の「海軍」の話題から、“だんじりの大工方” → “泰蔵兄ちゃん” → “奈津” と話が展開していく。
確かに、八重子の現状を描いて、奈津の現状を描かないのは宜しくない。そこで物語は、久し振りに糸子と奈津が会うと言う流れへ…
一途で健気で人情味のある糸子
そして、糸子は、奈津が店の借金を1万円も背負っていることを知る。当時の1万円は、前回の換算表でいけば 850~1,000万円に相当する金額だ。もっと借金が少額の時に自分に相談してくれればと奈津を悔やむ糸子だが、糸子の神戸の祖母・松坂貞子に奈津の料亭「吉田屋」の買わないかと相談するが断られてしまう。
それでも自分が奈津のために何かできないかを模索し続ける糸子。そんな “一途で健気で人情味のある糸子” を象徴するようなモノローグがあった。
糸子(M)「あのアホだけは見捨てる訳にはいかんねん」
これまでの糸子と奈津の紆余曲折を知っていれば「アホ」と表現するがピッタリだと分かる。そして、せめて自分が出来ることとして、奈津を縫子として雇うことを思い付き、縫子の昌子の制止も聞かず、嬉しそうに店を飛び出して行ったのが、如何にも糸子らしい。
鬼気迫る尾野真千子さんの演技で実にリアルに
しかし、その後の展開は、土地が軍の工場に買い取られたこと、奈津が奈津の母・志津と雲隠れしてしまったことを知る糸子。
借金を踏み倒された男2人と糸子のやり取りが、鬼気迫る尾野真千子さんの演技で実にリアルだ。糸子は大声で叫びながら、行き場のない怒りをぶつけるように扉を叩き続ける。それを慌てて止めさせる男2人。
糸子「こんボケが! アホか! どアホが!」
男A「もう ここは軍のものなんやで!
壊したら えらいこっちゃで!」
糸子「ボケ! 逃げて どないすんや! どないすんや!」
と、その場に泣き崩れた糸子。糸子が、久し振りに自分や自分の身内以外の者のことで、感情を爆発させた姿を見たが、やはり善作の死後から糸子の怒る姿が、何となく善作に似て来ているなと。
それにしても、感情を露わにした糸子を演じた尾野真千子さんを見て、やはり朝ドラの主人公を演じるならこの位の演技力が欲しい。と、毎朝見る某作と比べてしまうのである…
【第72回】直子が "母親似" になった印象的なシーン
時は、昭和19年(1944)9月で、前回から5か月後である。岸和田の9月と言えば「だんじり祭り」の季節であり、今回は電器店の木之元栄作のこんな台詞から始まった。
栄作「善ちゃん 今年のだんじりは 中止になってもうた。
ほんま 堪忍や!」
栄作たちが、線香をあげながら遺影の中の笑顔の善作に頭を下げた。だんじりが中止になったことに腹を立て苛立つ糸子。そして、男たちは次々と戦地で死んでいき、子供たちは学校で人の殺し方と自分の死に方ばかりを教えられると嘆く糸子。
そんな中で描かれた、またしても “世間” っちゅうやつに苦しめられ悔しがる糸子と、まるで “世間” なんてなんぼのもんじゃと言わんばかりの直子の会話が楽しかった。
直子「お母ちゃん。何で だんじり 無くなったん?」
糸子「来てみ。男の人らが 皆 戦地 行ってしもてるやろ」
直子「うん」
糸子「せやさかい 曳く者が いてへんねん」
直子「ほんなら 女が曳いたら ええやんか」
糸子「そら…。だんじりちゅんうんはな
女は曳いたらあかんもんやさかい」
直子「誰が あかんって言うの?」
糸子「さあ…。まあ… 神様?」
直子「直ちゃんが 神様やったら
だ~れも だんじり曳いてくれん方が 嫌や」
糸子「ふん」
直子「来年は 直ちゃんが曳くで!」
糸子「はあ…」
直子「男が いてへんでも 直ちゃんが 曳いちゃら。
絶対 絶対 曳いちゃる」
子どもなりに力強いポーズをとった直子を、糸子がギュッと抱きしめる。前回では、まだまだ幼く、敬礼をしたり竹槍を突っついたりしていた直子が、この5か月間で、また少し “母親似”、“糸子似” になったのが印象的なシーンだ。
どんな時でも笑顔の糸子が八重子と太郎にもたらしたもの
その日の夕方だろうか。八重子が仕事をしていると、店の入り口に息子の太郎の姿を見つける。八重子は「お母ちゃん 毎日 荷物ある訳ちゃうんやし 迎えになんか 来んでええよ」と言って帰そうと素っ気ない態度をとるが、太郎はちょっぴり寂しそうな顔で「帰り道やさかい」とだけ答えて、立ったまま帰ろうとしない。
この母と息子の会話だけでも十分に八重子と太郎と、そして八重子の姑である玉枝の現状は察することが出来るが、この映像に掛る糸子のモノローグを聞いたら、心の隅っこの方がざわざわした。
糸子(M)「太郎は ええ子に育ってました。
多分 あれから 勘助も おばちゃんも
そないええ事にはなってへんやろと思います。
八重子さんは うちらに見せへんだけで
さぞかし しんどい思いを抱えているんやと思います」
心の中では、こうやって↑八重子たちを心配する糸子が、口に出して言う言葉はこう↓なる。
糸 子「太郎 あんたも 来年は だんじり 曳いてや」
太 郎「はあ…」
糸 子「なあ。あんたみたいな子は戦地やら行かんと
岸和田 残って だんじり 曳いてくれない
おばちゃんら ほんま かなんねやで?」
八重子「よう言うちゃって 糸ちゃん ほんまに」
そう言われた太郎だが、糸子に敬礼をして八重子と帰って行く。でも、どんな時でも、笑顔を絶やさない。そんな糸子に、仲良く並んで帰って行く八重子と太郎の背中を見ると、束の間の “やすらぎ” を分けて貰ったのかも知れないと思ってしまった…
様子がおかしい八重子から、予想外の怒涛の展開が始まる
場面は、数日後の小原家の居間。ここから全く予想外の怒涛の展開が始まる。
朝から様子がおかしい八重子。そんな八重子を糸子の母・千代は気にして糸子に相談するが、糸子は八重子に気遣うことをせず、むしろ「今はな うちかて 誰かて 相手の荷物 持つ余裕なんか どこにも残ってへんねん。自分の荷物は 自分で どないかしてもらうしかないんや!」と素っ気ない態度。
そして夕方、帰宅途中の糸子の末妹の光子が、店の外に立つ安岡勘助を見つける。勘助は、遠くから威勢の良いいつもの糸子をじっと見る。そんな光子と勘助のここのやり取りが切なすぎる…
勘助「糸やん も元気そうやな。
光っちゃん。糸やんを よう助けちゃってな」
光子「糸子姉ちゃんに…」
勘助「うん?」
光子「会わんと 行くん?」
勘助「会いたいけどな。俺にはな… 資格がないんや もう。
せやけど それも やっと しまいや」
まるで遺言にも似た「やっと しまいや」に込められた勘助の気持ちを思うと、切なくて苦しくて悲しくて…
勘助の最後の言葉は、「さいなら」だったのだろうか
がっくりと肩を落として店に帰って来る光子が、突然に泣き出す。わんわん泣きの光子を見る八重子の表情が次第に変わっていく。そして、糸子は八重子から、今日が勘助の二度目の出征の日であったことを聞かされる。驚く糸子は、店を飛び出して勘助を追う。しかし、そのとき既に勘助は電車に乗り、岸和田を離れようとしていた。
勘助は、車窓から見えた懐かしい風景を、どんな気持ちで見ていたのだろう。音にも字幕にもなっていなかった勘助の最後の言葉は、「さいなら」だったのだろうか。尾上寛之さんの演技にも、福岡利武氏の演出にもグッと来た。そんな切なくも悲しいシーンに、残酷なモノローグが重なる…
糸子(M)「結局 最後に会う事も しゃべる事もでけへんまんま…
勘助の葬式行列が出たんは その僅か ひとつき後の事でした」
葬式行列の先頭は、怒りの表情で長男・勘助の遺影を持つ玉枝、次に放心状態の八重子、そして無表情の太郎だ。勘助の葬式行列が近づいて来るのを見る糸子も、心ここに非ずのよう。勘助の遺影が糸子の目の前を通過する時…
糸子(M)「勘助… 勘助… 勘助…」
糸子の弱弱しい声でモノローグが被る。そして、一筋の涙が糸子の頬を伝う…
あとがき
いやぁ、スゴイ週末でした。2日間で奈津が逃亡して、勘助が二度目の出征をして戦死してしまいました。それと、優子はまだ竹の棒で槍をやってましたね。映画で懲りなかったんですね。と言うか、戦中の軍事教練って、それ程に子供たちへ影響を与えていたってことなんでしょうか。
それにしても、展開がこんなに速くても、脚本の人間描写がしっかりしている点と、尺を割くべきシーンは丁寧過ぎる程に演出をし、無駄は一切排除する演出が、素晴らしいドラマを魅せてくれました。来週も大変な事になりそうですが、目を背けず見よう…そう、思います。
最後に。前回の感想に 129回ものWeb拍手と数々のコメントを頂き、ありがとうございます。第12週の週末の2日間が怒涛の展開でした。ここまで人間ドラマをきっちりと魅せてくれると、満足度は高いです。
★本家の記事のURL → http://director.blog.shinobi.jp/Entry/11529/
【これまでの感想】
第1週『あこがれ』
1,2 3,4 5,6
第2週『運命を開く』
7,8 9,10 11,12
第3週『熱い思い』
13,14 15,16> 17,18
第4週『誇り』
19,20 21,22 23,24
第5週『私を見て』
25,26 27,28 29,30
第6週『乙女の真心』
31,32 33,34 35,36
第7週『移りゆく日々』
37,38 39,40 41 42
第8週『果報者』
43 44,45 46,47 48
第9週『いつも想う』
49 50,51 52,53 54
第10週『秘密』
55 56,57 58,59 60
第11週『切なる願い』
61 62,63 64,65 66
第12週『薄れゆく希望』
67 68,69 70
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