いただきます

⇒通過儀礼としての - Living, Loving, Thinking

我が家では「いただきます」は全くやらない。いろんなところに住んできたけど周囲でも見たことがない。小学校の給食では言ってたと思う。ただし合掌はしない。特に意味があるわけではなくて、給食の準備が出来てみんなで同時に食べ始めるための合図でしょう。なぜ全員同時に食べ始めなきゃならんのだ、全体主義かという大げさなものじゃなくて、そうしなければ腹の空いたガキどもが順番争いをすることになるのは必至なわけで合理的なことだと思う。なぜ「いただきます」なのかというのは、なぜ「おはようございます」なのか、なぜ「さようなら」なのかというのと同じで、そういうことになっているからであって意味などいちいち気にしない。


例外としては他の家で食事をするときや店で奢ってもらうときには「いただきます」と言う。当然、相手に対して言うのであって超自然的なものに対するものではない。「ゴチになります」という意味だ。


合掌しての「いただきます」をしている人を見たことがない(気にしてないので気付かないだけかもしれない)が、見たとしても全く気にならない。それはその人の宗教かもしれないし、その人の家ではそういう躾があったのかもしれない、そんなことは俺とは何の関係もないからだ。

同僚や合コンなど集まりの時など、それをしないと

変な目で見たり、なぜいただきますの挨拶をきちんとしないのかと

まるで私が常識がないとばかりに言ってくる人がたまにいるのですが、

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2012/0117/476034.htm
という引用があるのだが、一体どこのことだろう?浄土真宗ではやるらしいので石川県か富山県あたりだろうか?いやその記事を見ると他の地域でもやってるとあるのでそうでもないらしい。しかしみんながやっているとはちょっと信じがたい。自分がやっている=みんながやっているという話になっている可能性大いにあり。「関西の習慣」とか書いてる人いるけれど俺の知ってる関西人は誰1人そんなことしてなかった。幼稚園でしてたって話は質問の趣旨を理解してない(それに幼稚園って寺や教会がやってるの多いし)。またトピ主の自意識過剰の可能性もあり。


本当にそんな地域があるのか知らないが、あるのだとしたらどうしよう?別に「いただきます」をしないことに信念があるわけではないのでやるかもしれない。信念のある人は不利益を蒙るかもしれないけれど嫌なら断固としてやらなければよいと思う。


なお「ごちそうさま」についても、店で言う奴って何なの?みたいな話がある。こっちも上に同じ。ただし俺は牛丼の松屋などの前払いのところでは「ごちそうさま」と言う。それは普通はレジで会計を済まして店を出るのに、それがないと何もせずに店を出ることになって落ち着かないからだと自分では思ってる。「ごちそうさま」に特に意味があるわけではなくて、たとえば喫茶店で「水をお注ぎしましょうか?」というのが「そろそろ出て行ってくれないかな」という意味であるようなもので、「これから店を出るよ」という合図のようなものである。