村上文体をめぐる雑感

今朝も「車猫」に挨拶をした。

『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み始めて三日目。牛の散歩のような、鈍重なペースの読書を心安らかに楽しんでいる。それでも、最初の二章にそれぞれ一日ずつをかけ、錘を落とすようにして読んだが、昨日はすっとペースが上がり、すでに九章のうち六章を読み終えてしまった。今日は読書の時間がとれないだろうが、おそらく明日には最終ページまでたどり着くだろう。少しもったいない気がする。

ひさしぶりに村上春樹をゆっくりよんで「なんて文章がうまいんだろう」とほれぼれしてしまった。村上さんの文章は、ドレミファソラシドの音階を素直に用いてできた分かりやすいメロディに似ている。一つ一つの文章は素朴といってよいほどやさしい言葉づかいで書かれている。『A Wild Haruki Chase 世界は村上春樹をどう読むか』に登場する海外の村上翻訳者の口からも、村上さんの日本語を理解して母国語に直すのはとりあえずそんなに難しくないというコメントがあった。そうだろうなと思う。しかし、その分かりやすい文は次に出てくる文章、その次に出てくる文章、さらにその次の段落の文章と呼応し、絡み合い、大きなまとまりとしては複雑な心象風景を表現する。単純な部品で複雑な印象を残すという点では、モーツァルトのメロディが単純で人の心にすっとおさまるようでいながら、メロディとメロディのもつれ合う対位法的な処理や主題の転換の妙にはっとさせたり、滋味を感じさせることができるのと似ているかもしれない。

三十代前半あるいはそれよりも若い人たちには想像するのが難しいことかもしれないとふと思いながら記すのだが、村上春樹が出てきた当時、なんて変わった文章なんだろうと正直思った。多くの人が見慣れないものを見たような感慨をいだいたはずだ。文豪と言われる人々はさておくとしても、それは当時信じられ流布していた文学的な文体とまるで異なる代物だったから。あまり見たことのない、比喩を多用する文体はとてもポップに感じられ、不思議な心地よさを放散していた。変わったものであることは間違いなかった。

それがある時期から、若手小説家の書く文体にあからさまな村上さんの影響が見て取れるようになる。いつの間にか村上春樹は流行作家としての最先端を走っていたのだ。池澤夏樹が芥川賞を取った『スティル・ライフ』の冒頭、バーに座った主人公が「チェレンコフ光」についておしゃべりをする場面など、文体としても、また状況設定や二人の登場人物のかけあいの調子にしても、ハルキさんそっくりで「またかよ」と思ったのを覚えている。池澤さんについては、そういう文章を書く人ではないのは、その後すぐ理解することになったが、彼だって村上春樹の影響がなければ、あの書き出しはなかったのではないか。『スティル・ライフ』は昭和62年。第一次ハルキブームとでも言いたくなる雰囲気に満ちていた時代の話だ。

お話の文体はこういうものだという僕の持っていた既成概念を壊したのは村上春樹と高橋源一郎だったと思う。これから日本の小説は全部こんな調子になっていくのかなと思ったら、そうでもなかった。二十年もすれば時代は誰にも明らかなめぐりかたをするらしい。もっとも、あの頃から二十年経った西暦二千年の際に平野啓一郎のような文章が戻ってくるとは、それこそ誰も想像できなかっただろうけれど。

村上春樹の新作の文章に接し「なんてうまいんだろう」と思うようになるほどに僕自身もその文体に慣れてしまったわけが、実際に村上さんの技量も上がっていることも賞賛のため息を誘う大きな理由だろう。本書の中には村上さんが1983年当時に書いた文章が引用されている。それを読んだときにそう感じた。トレードマークの突飛な比喩に変化はないし、文体の基調はそのままなのだが、余裕と間合いの取り方が変わっている。ポリフォニー的文章構造の洗練のされ方はあからさまだ。

村上春樹が、あの文体で、芥川賞ではなく、ノーベル文学賞を取ろうかという時代に僕らは生きている。昨晩、帰りがけに『ウェブ時代をゆく』を買った。次の読み物はこれだ。