いつ贋作か――贋作の記号学メモ 5

namdoog2009-01-29

修復と「贋作」(2)
 
 ベルリンの壁がまだ東西ドイツを分断していた冷戦時代の話である。

 1951年の西ドイツ国家記念物管理教会は、ようやく修復がなった聖マリア教会内陣画の維持保存のために15万マルクの予算を計上した。実際に修復の仕事にあたったのは、ディートリヒ・ファイ(北方ドイツ美術に詳しい古画修復エクスパート)とその助手ロータール・マルスカートである。

 開基記念祭には当時のアデナウアー首相がファイをねぎらった。ファイの修復家としての名声は西ドイツ全国に鳴り渡ったという。

 ところが記念祭から10ヶ月後の1952年5月9日、ファイの助手にすぎない無名の画家マルスカートが驚天動地の声明を出した。彼のいうには、聖マリア教会の聖堂内陣画は「修復された」のではなく、自分マルスカートが新しく描いたものでありまったくの「贋作」だという。

 ジャーナリズムが騒ぎ立てた。早速に調査委員会が開かれ、修復時の職人や左官たちが証人喚問された。だがマルスカートの言い分を裏付けるにはいたらなかった。

 そもそも自分が偽作者であるという告白の動機がいかにも不可解である。彼にとって自己告発が利益をもたらすとは思えないからだ。

 自分の言い分を補強するため、マルスカートは物証を出した。修復以前の壁画の写真である。そこには何も描かれていない壁だけが認められた。とするとマルスカートはこのさらの壁面上に新たに絵を描いたのだ。これは「修復」ではなく事実上「新作」である。

 それでもまだ世間は半信半疑だった。そこで、同年10月7日、マルスカートは捨て身の法廷闘争に訴えることになる。すなわち、彼は彼自身とファイとを偽造のかどで告発したのだ。

 警察が動きファイとマルスカートの自宅の家宅捜索がおこなわれた。驚いたことに、シャガール、ユトリロ、ピカソをはじめ油絵や素描を模倣したレプリカがたくさん発見されたのだ。マルスカートにこれらの絵を描かせたのはファイでありこれまでに多数の贋作がすでに画商などに売却されていたのである。

 この事例には近代的意味における<贋作>の構成要因がそろって見出せる。画工がレプリカを制作し、鑑定家(ファイ)が本物だという評価をそえて市場に送り出したというわけだ。しかしわれわれの問題はこの事例にはない。問題は、聖マリア教会の修復された壁画の真贋である。

 新たに調査委員会が結成され1952年10月20日に鑑定結果が公表された。それによると、問題の祭壇の21の画像はマルスカートが描いたものに間違えない。有力な根拠として「祭壇上方の壁の彩画された羽目の上部と下部との現状が異なること、そして上部では、修復はどの箇所も中世のモルタル層まで届いていないこと」が指摘された。すなわち、修復家ファイが古画と称する彩色は、中世の地ではなくそれ以後の地の上に描かれているのだ。この事実は、「修復された」古画がオリジナルとは違うことを意味する。

 その後の調べで、彼らの「修復」はナチスの第三帝国政権下の1937年に大々的に始まったことが判明した。なかでも最大の仕事はシュレスヴィヒ大聖堂の壁画である。過去に修復の手が加えられた壁画の洗滌修復がエルンスト・ファイ教授――ディートリヒ・ファイの父――に依頼された。彼はこの注文を息子と助手のマルスカートの協力の下に成し遂げた。

 「修復と贋作」というわれわれの問題にとって、シュレスヴィヒ大聖堂の壁画の贋造は見過ごせない論点を含んでいる。それは、彼らがはじめから贋作を計画していたのではないという点だ。

 彼らはまず過去に修復作業として施された彩色を洗い落とすことをした。だが洗滌のあとに現れたモルタルの地肌にはオリジナルな図柄がほとんど何もなかったのだ。つまり近代の彩色が地色を補強してきた期間に、ゴシックのフレスコ画は消えてしまったのである!(だが後述のように「オリジナルの消失」は近代の彩色が原因だとは必ずしも言えないのだが。)

 ファイ父子とマルスカートは途方に暮れた。このままではナチス政権が彼らを許さないだろう。強制収容所送りもありうる。そこで窮余の策がとられた。古い地肌に新たにモルタルの層を塗り重ね、その上にマルスカートが種々の素材を遣ってそれらしい画像を描いたのである。

 例えば聖母は、当時の人気女優のブロマイドを模して描かれたし、騎士や聖者は友人や身近な者の顔にヒントを得たものだった! こうして「ドイツ文化の精髄」が捏造されたのである。

 問題を整理してみよう。修復と贋作の関係についていうと、修復にはいつでも贋作に移行する可能性が伴う。なぜなら<正しい修復>の概念的規定が曖昧だからである。いや、正確にいうなら、この概念はなるほど規定可能なもの(determibable)ではあるが、だがつねに変更可能性(open-ended-ness)を伴うからだ。

 しかし人は言うかもしれない、<オリジナルの完璧な復元>をおこなう修復だけが妥当で正しい、と。

 この命題は間違えではないが、しかし空疎である。というのも、所与の修復に関して、<オリジナルの完璧な復元>がなされたかどうかを決定する手続きが不明だからである。

 <決定手続き>がつねに不確定のままであることを、シュレスヴィヒ大聖堂の壁画の事例が端的に証明している。オリジナルの完璧な復元とはいうが、その<オリジナル>が消失してしまった以上、誰にも――死者に語らせることができない以上――何がオリジナルかを知ることはできない。

 しかし<決定手続きの不確定性>はほとんどすべての修復につきまとう問題ではないのか。「オリジナルな画像」が残っている(と見なされる)古画の場合にも同様に不確定性がつきまとうことを知らなくてはならない。

 いま直面する問題を別の角度から照らし出すことができる。つまり時代を経た絵画について、その<オリジナルな状態>を決める手続きは原理的にない、と。なぜだろうか。

 端的に言えば、絵画は質料の面に形相(<オリジナル性>はここに含まれる)が加わることで成立するが、(伝統的形而上学には反して)質料と形相は浸潤しあうのであり、形相は無時間的な存在要因ではなく、生成するものだからである。

 絵画はマテリアルな事物として時間の経過とともに変化し続ける。今日描いたばかりの絵であってもこの制約をまぬかれない。それに応じて「完成した絵画」のあり方が変容する。この原理を経験にひきつけて言うなら、例えば作家が自作の作品が完成したと納得してそこへ署名を施したとき、その絵画はオリジナルなものとして成就する。こうしてオリジナル性が生成したのだ。(厳密に言うと、オリジナル性が生成する時間は世俗的時間とは必ずしも一致しない。例えば絵具が乾くのに時間がかかること一つ考えてみても、この差異は明らかだろう。)

 現在、絵画のデジタルベース化の試みがなされている。この試みの主要な目的が<決定手続きの不確定性>を回避することであるのは明らかだろう。重要で意義ある試みであるのは言うを俟たない。だがこの<目的>をこの方法で実現できるかどうか吟味すべき問題が残っている。

 修復はいつでもすでに新たな創作でしかない。修復が贋作に転化するリスクはつねに現前している。  (つづく)