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修復と「贋作」(2) ベルリンの壁がまだ東西ドイツを分断していた冷戦時代の話である。 1951年の西ドイツ... 修復と「贋作」(2) ベルリンの壁がまだ東西ドイツを分断していた冷戦時代の話である。 1951年の西ドイツ国家記念物管理教会は、ようやく修復がなった聖マリア教会内陣画の維持保存のために15万マルクの予算を計上した。実際に修復の仕事にあたったのは、ディートリヒ・ファイ(北方ドイツ美術に詳しい古画修復エクスパート)とその助手ロータール・マルスカートである。 開基記念祭には当時のアデナウアー首相がファイをねぎらった。ファイの修復家としての名声は西ドイツ全国に鳴り渡ったという。 ところが記念祭から10ヶ月後の1952年5月9日、ファイの助手にすぎない無名の画家マルスカートが驚天動地の声明を出した。彼のいうには、聖マリア教会の聖堂内陣画は「修復された」のではなく、自分マルスカートが新しく描いたものでありまったくの「贋作」だという。 ジャーナリズムが騒ぎ立てた。早速に調査委員会が開かれ、修復時の職人や
2009/02/01 リンク