誰がために壁は倒れた? 資本主義への移行の収支決算

というエントリをベルリンの壁崩壊25周年を機にブランコ・ミラノヴィッチが書いている(原題は「For Whom the Wall Fell? A balance-sheet of transition to capitalism」;H/T Mostly Economics)。
そのエントリで彼は、一人当たり実質GDPの購買力平価による比較もしくはその成長率に基づき、資本主義への移行国を以下の4つのグループに区分けしている。

明確な失敗国 2013年<1990年 タジキスタン、モルドバ、ウクライナ、キルギス、グルジア、ボスニア、セルビア
相対的な失敗国 成長率<1.7% マケドニア、クロアチア、ロシア、ハンガリー
追随国 1.7%<成長率<2% チェコ、スロベニア、トルクメニスタン、リトアニア、ルーマニア
成功国 2%<成長率 ウズベキスタン、ラトビア、ブルガリア、スロバキア、カザフスタン、アゼルバイジャン、エストニア、モンゴル、アルメニア、ベラルーシ、ポーランド、アルバニア


明確な失敗国は、2013年時点の一人当たり実質GDPが1990年時点のそれを回復していない国である。それは全移行国の人口の20%である8000万人に上り、ウクライナを除き2013年までに内戦や国際紛争に巻き込まれている(表の並びは失敗の度合いが大きい順)。いずれも1990年時点の所得を近々に回復する見込みは乏しく、現在の成長率ではそれまでに50〜60年掛かる。それは共産主義時代より長い時間であり、3〜4世代が失われた世代となる。


相対的な失敗国は、成長率が富裕なOECD諸国の平均である1.7%弱に届かなかった国である。それらの国では、富裕国の所得水準への収斂が起きなかったことになる。そこに属する4ヶ国は、ロシアが含まれていることもあり、全移行国の人口の40%である1億6000万人を擁する最大グループとなっている。各国の成長率は1%もしくはそれ以下であった。


3番目のグループは、成長率が1.7%と2%の間で、取りあえず富裕国に追随した国である。その人口は4000万人で、全移行国の10%。成長率は1.7〜1.9%であった。


成功国は25年間に少なくとも平均2%成長を遂げた国であるが、2%成長では所得が倍になるのにほぼ2世代、35年掛かる。従ってそれほど悪くもなければ特別に良くもない成長率である。そこに含まれる12ヶ国の全人口は1億2000万人で、全体のおよそ3分の1であった。各国の成長率は、ウズベキスタンとラトビアが2%、ブルガリアが2.2%、スロバキアとカザフスタンが2.4%、アゼルバイジャン、エストニア、モンゴル、アルメニアが3%前後、ベラルーシが3.5%、ポーランドが3.7%、アルバニアが3.9%であった。うちアゼルバイジャン、カザフスタン、ウズベキスタンは資源国であり、その成功は資源採掘ですべて説明できる。資源の力を借りずに本当に資本主義的な成功を遂げ、富裕国のおよそ倍の3%以上の成長を達成したのは、アルメニア、ベラルーシ、ポーランド、アルバニアの5ヶ国に過ぎない。アルメニアについてはアゼルバイジャンとの戦争があったことを考えると、驚くべき結果と言える。


所得格差に目を向けると、ロシア、バルト三国、グルジアではジニ係数が10ポイント上昇したが、それは米国の1980年代半ばから今日に掛けての上昇幅の倍に相当する(なお、ロシアでは全般的な低成長により貧困は非常に緩やかに減少した)。一方、中欧諸国のジニ係数の上昇は小幅で、他のOECD諸国と概ね同等の、低い、もしくは中程度の格差水準となっている。中央アジア諸国のデータは信頼性に欠けるが、格差は顕著に拡大した可能性が高い。


なお、自由主義資本主義経済ということで民主主義を考慮に入れると、成功国のうちベラルーシとアルメニアは外れることになる(-10〜10の民主主義政治スコアでベラルーシは-7、アルメニアは+5)。アルバニアの政治スコアはエストニアと同じ+9だが、民主主義への完全な移行が行われたかどうかは怪しい。また、アルバニアの移行前の格差の数字は無いので、格差がどれだけ拡大したかも分からない。


結局、1989年11月9日に人々が資本主義への移行によってもたらされると予想した、経済の他の欧州諸国への収斂、格差の緩やかな拡大、完全な民主主義は、ポーランド1ヶ国においてのみ実現した。範囲を広げてもせいぜい他の2つの小国において実現したと言えるに過ぎない。その人口合計は4200万人で、旧共産国全体の約1割である。即ち、自由民主主義と自由市場の勝利を高らかに宣言したイデオローグの約束した資本主義に移行したのは、移行国に住む人の10人に1人だけ、ということになる。


ミラノヴィッチは、以上の経済的問題に加えて、以下のような問題もある、と指摘している:

  • 予想より悪い展開を見せた政治
  • 控え目に見積もっても25万人がこれまで犠牲になった打ち続く戦争
  • ロシアとウクライナの平均寿命の大幅な低下
  • 欧州の旧社会主義国の人口の低成長、ないしマイナス成長
  • 汚職、政治の私物化


さらにミラノヴィッチは、ロシアが四半世紀の間に芸術、文学、哲学、科学の分野において国際的に何の業績も残さなかったのは1800年代初頭以来初めてである、と指摘している。1900年代初頭の「銀の時代」や、アフマートヴァ、パステルナーク、グロスマン、ショーロホフ、ソルジェニーツィン、ジノビエフといった20世紀最高の文学を生み出した(その多くが反体制的であった)作家たちがいた時代と対照的である。また、軍事方面に偏っていたとは言えソ連時代には科学の発展があったが、過去25年間にそれに類する動きは見られなかった。25年という歳月は、資本主義はロシアの芸術や科学には優しくなかったと結論するには十分に長い期間である、とミラノヴィッチは言う。
そしてその点では、ポーランド、ハンガリー、ユーゴスラビア、チェコスロバキアも同様であり、例外は旧ユーゴスラビアのエミール・クストリッツァ(映画)、ゴラン・ブレゴヴィッチ(音楽)、スラヴォイ・ジジェク(政治哲学)、およびブルガリアの政治学者イワン・クラステフとのことである(ただしこの点については主観的なバイアスがあることを認めている*1)。
また、重要な政治的指導者という点でも欠落が見られる、とミラノヴィッチは言う。プーチンは確かに重要な指導者だが、プラスの影響をもたらしたのは最初の5-6年であり、その後はどんどんマイナスの影響をもたらすようになった、というのがミラノヴィッチの評価である。プーチンを除けば、移行国の人々の9割が他の移行国の指導者の名前を挙げられないだろう、と彼は言う。また、小国は知的にも小さい指導者を生み出し、彼らは厳格な支配(カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ、ウズベキスタンのイスラム・カリモフ)、王朝の創設(アゼルバイジャンのアリエフ家)、30年に渡る在職(中央アジア各国、およびモンテネグロのミロ・ジュカノビッチ)、もしくはブリュッセルかワシントンからのマントラをひたすら繰り返す、のいずれかの形で統治を行っている、と手厳しい評価を下している。


結局、フランシス・フクヤマ、ティモシー・ガートン・アッシュ、バーツラフ・ハヴェル、ベルナール=アンリ・レヴィといった世界の調和を訴えた哲学者や、ボリス・エリツィンへの数多くの国際的「経済顧問」が皆夢想した民主主義と繁栄は、東欧と旧ソ連の多くには訪れなかった、壁は一部の人のためにしか倒れなかったのだ、と述べてミラノヴィッチはこのブログ記事を締め括っている。

*1:Wikipediaによるとミラノヴィッチはセルビア出身。