マンキューの罠に落ちたクルーグマン?

昨日クルーグマンのマンキュー論説批判を取り上げたが、クルーグマンより前にEconospeakでピーター・ドーマンが同論説を痛烈に批判している。
以下はドーマンによるマンキュー論説のまとめ。

“Debunking” Piketty, Mankiw says that rich people save because they are altruistic toward their unfortunate kids, who, because of regression to the mean, won’t be as financially successful as they are. But the unintended consequence of all this saving is that the capital-labor ratio changes, and the principle of diminishing marginal productivity means that the rate of profit will fall and wages will rise. Hence Piketty’s patrimonial capitalism is good for the workers!
(拙訳)
ピケティの「誤りを暴く」に当たってマンキューは、富裕層が貯蓄するのは、平均への回帰のせいで金銭的に自分たちほど成功できないであろう不運な子供たちに対し利他的になるためだ、と言う。この貯蓄がもたらす意図せざる結果は、資本貯蓄比率が変化し、限界生産性逓減則によって利益率が下がり賃金が上昇する、というものだ。よってピケティの世襲資本主義は労働者にとって良いことなのだ!

その上でドーマンは、マンキューの主張が成立するためには、本人が言及していない以下の8項目が前提になる、と指摘している。

  1. すべての資源は完全に活用されており、経済が生産可能性フロンティア上にある。
  2. 貯蓄の決定は、資本コストを下げることにより投資量を増やす。
  3. 金融資本と実物資本が同一であり、前者へのリターンは後者へのリターンとなる。
  4. 貯蓄と投資が同一経済で発生する。富裕層はどこか他所での投資から所得を得たりしない。
  5. すべての価格は真の社会的費用と便益を表している。共同体の純資産を増やすこと以外に利益を得る手段は無い。例えば移転や補償されない外部性は、利益に対し何ら影響しない。
  6. 富を創造するイノベーションと結び付いた自己消滅的な一時的な独占を除き、独占的利益は存在しない。
  7. 6項と部分的に矛盾するが、労働と資本の限界生産性を変えるような技術変化は一切存在しない。
  8. 生産集合はどこにおいても凸である。収穫逓増、ならびに、非凸性や複数均衡をもたらすような資源ないし活動間の相互作用は存在しない。

また、そもそもマンキューの議論が成立するためには、資本所得比率が高まるに連れ、ピケティがrという記号で表した利益率が低下しなくてはならない。然るに、資本が蓄積したり減少したりする間も、rは一貫して4-5%の安定した値を保ってきた、というのがピケティ本の中心的な議論だったではないか。マンキューの論説には、ピケティのこの発見に挑戦するデータはまるで提示されていない。従ってマンキューの大胆な結論はきちんと正当化されていない、とドーマンは指摘する。


その上でドーマンは、こうしたことはマンキューはすべて分かっているはずのことであり、中には彼の教科書に書かれていることもある、と指摘する。彼は自分の論説がきちんとした経済学的知見を反映していないことを重々承知しているはずである。となれば、この論説をマンキューが書いた目的は別にあることになる。それはリベラル派を困惑させることにあるのではないか、というのがドーマンの見立てである。もしそうならば、マジレスすることはピント外れの対応ということになる、とドーマンは言う。エントリの後半でドーマンは、マンキューのようにミクロ経済学をそういった目的に用いる経済学者が連綿と経済学の教室から生み出されることについて憂慮の念を表明している。


ちなみに、ドーマンは言及していないが、以前紹介したように、マンキュー自身、「自分にとって左派陣営のブロゴスフィアを炎上させるような論説を書くのは、『所得を生み出す仕事』というより『楽しむ仕事』である」と述べたことがある。