2024-12

2007・3・7(水)ワーグナー「さまよえるオランダ人」

      新国立劇場  7時

 幽霊船の舳先に屹立したゼンタが、船とともに沈んでいく。陸に残されたのは、オランダ人の方である。彼が茫然と地に伏すとき、オーケストラには「救済の動機」(久しぶりに聴く版だ)が響く。彼は救済されたのか、長い妄想か悪夢から覚めただけなのか? 

 マティアス・フォン・シュテークマン演出によるこの幕切れ場面は印象的だったが、その大詰に向かうための伏線らしきものは、特に見当らない。全体的にストレートな演出だ。
 幕切れ場面に「救済の動機」が出現していたわりには、序曲では「救済の動機」のない初期版の終結が使用されているという、不思議なアンバランス。したがって、最初にドラマの結末が暗示されていたわけでもなかったのだ。

 主人公たちにエクセントリックな性格が付与されていたわけでもない。
 が、第2幕最後でオランダ人(ユハ・ウーシタロ)に人懐っこい笑顔を示し、第3幕ではエリック(エンドリック・ヴォトリッヒ)の口説きに屈伏しかけるほど「ふつうの女性」だったゼンタ(アニヤ・カンペ)が、最後に突然、超自然的な存在へ変貌し、それとは対照的にオランダ人の方は、日常的で平凡な男に戻る。
 この反転には、一種の読み替え的な要素もあって面白いが、オペラの重要なテーマである超自然性と日常性との対比を全篇にわたり描く手法が採られていれば、大詰場面はさらに衝撃的になったかもしれない。

 3人の主役たちはいずれも高い水準の歌唱を聴かせた。ダーラント役の松位浩も声が豊かで、演技に経験を積めばすばらしいオペラ歌手になるだろう。
 他に、高橋淳(舵手)、竹本節子(マリー)らが出演。新国立劇場合唱団は、特に男声に充実感があった。
 しかしその一方、堀尾幸男の舞台美術は、屋根に飾りをつけた牧場小屋のようにしか見えない幽霊船をも含め、いつものセンスに不足した。

 何より、ミヒャエル・ボーダーの指揮と東京交響楽団の、密度が低く粗い演奏は、上演の出来に対し最大の責任を負うべきだろう。管弦楽パートは、「総譜のすべての頁から吹きつける」と昔から評されている潮風をも、あるいは宿命の嵐に嘲弄される人間の苦悩をも感じさせなかったのである。

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