2016・9・11(日)愛知祝祭管弦楽団「ラインの黄金」
愛知県芸術劇場コンサートホール 4時
1週間前にオーケストラのリハーサルを聴き、本番までには何とかなるだろうと思ったものだが、ここまでになるとは予想していなかった。
火事場の何とかヂカラ、というけれども、本番になると物凄い力を出すという例は、アマオケにはよくあること。この愛知祝祭管弦楽団も同様で、三澤洋史の指揮のもと、まさに入魂の演奏を聴かせてくれた。
最大の難所である冒頭の「生成の動機」を吹くホルンが、少し粗かったとはいえ、音を外さずに決まって行ったのが成功の端緒。こうなれば、あとはラインの流れに乗って(?)進むことができるというものだ。
私の席からは確認できなかったが、弦はもしかして14型基本だったか。しかしコントラバス10本、ハープ6台を揃える本格的な大編成オケを乗せた舞台は、すこぶる壮観である。
弦(コンサートマスターは高橋広)はあまりガリガリ弾かず、むしろたっぷりと拡がりを感じさせる柔らかい音を豊麗に響かせたのが好ましい。管・打楽器もその均衡の中にあり、ホールを豊かに鳴り響かせるという、スケールの大きな演奏となった。
三澤洋史の指揮は、坦々としたイン・テンポに徹した感があって、その点ではやや単調に聞こえるところが無くもなかったが、もともと非常に「言葉」の多いこの作品の場合、このようにストレートに、滔々と進む演奏に仕上げた方が聴きやすいかもしれない。「二―ベルハイムへの下降」の場面の音楽など、量感とエネルギー充分なものがあったし、幕切れの「ヴァルハル入城」も、総力を挙げての豪壮な大頂点となっていた。
それにしても、このアマオケは、なかなか優秀である。
2005年に「愛知万博祝祭管弦楽団」として発足しマーラーの「5番」を演奏、その後レパートリーによって「マーラープロジェクト名古屋管弦楽団」「ワーグナープロジェクト名古屋管弦楽団」などの名称を使い、2014年に「愛知祝祭管弦楽団」と改称した由。ただし昨年ウィーンのムジークフェラインで演奏会(マーラーの「復活」)をやった際には、「マーラー・フェスティバル・オーケストラ・ジャパン」という名称にしたそうである。
このうち、「ワーグナープロジェクト」と名乗った2013年に演奏会形式で上演したのが「パルジファル」(私は聴けなかった)で、それがきっかけで「指環」4部作上演の企画が持ち上がり、かくて今回の第1作「ラインの黄金」上演が実現した━━という。
素晴らしい意欲だ。
この企画の中心人物は、佐藤悦雄さん。愛知祝祭管弦楽団の団長であり、スタジオ・フォンテーヌ主宰者であり、日本ワーグナー協会員でもある。長身で堂々たる体躯、にこやかで温かい表情、いい低音の声を持っているので、歌い手さん系かと思っていたら、楽器はテューバで、生業は、愛知県警の警部補殿とのこと。何となく感動。そういえば、眼は鋭かった。
今回の歌手陣は次の通り━━青山貴(ヴォータン)、相可佐代子(フリッカ)、金原聡子(フライア)、滝沢博(ドンナ―)、大久保亮(フロー)、三輪陽子(エルダ)、升島唯博(ローゲ)、長谷川顯(ファーゾルト)、松下雅人(ファーフナー)、大森いちえい(アルベリヒ)、神田豊壽(ミーメ)、大須賀園枝(ヴォークリンデ)、船越亜弥(ヴェルグンデ)、加藤愛(フロスヒルデ)。
この中では、何といっても青山貴が傑出していた。彼のヴォータンは以前にもびわ湖ホールの「ヴァルキューレ」を堪能させてもらったことがあるが、今回も歌唱の風格と声量は群を抜いた存在だった。
2人の巨人(長谷川、松下)も貫録を示した。ローゲの升島も、少し線は細かったけれども、演技も含めて、策士たる半神の性格をよく表現していた。
ただ、女声歌手の中には、現代では流行らないような恐ろしく大きなヴィブラートを使い、物々しく歌う人がいて、その役柄だけが演奏全体の均衡を破る結果になっていたのは惜しまれる。
演出構成は佐藤美晴。セミ・ステージ形式なので、特に奇抜な手法は使われなかったが、照明(杉浦清数)も含めて基本的に明るく華麗な、「光の子」ヴォータンに相応しい場が創られていた。もちろん、地下の国の場面は光も翳っている。
オーケストラの後方には、一段高くした舞台が設置され、ソファと譜面台が置かれる。この譜面台は━━私は最近眼鏡が合わないのでよく判らなかったのだが━━古代エッダの宇宙樹をイメージしたデザインだったのか?
当然オルガン下の席もステージとして使われ、巨人たちはそこに出没。その両側にはかなり大人数の黒服のグループが終始座っており、彼らはニーベルング族として、ドラマの中で計2回、大きな悲鳴を上げる役割を持つ。
ラストシーンにおいて巨大なオルガンがヴァルハル城のイメージになることは予想通りだが、ここはもう少しあからさまに照明演出を加えた方が良かったのでは? 美晴さんの言う「宇宙樹ユグドラシル」なり、あるいは「ヴァルハル城」なり「とねりこ」なりのイメージを背景の巨大なオルガンに投影するとか、何かひとつ、ドラマの「核」になるような視覚効果が舞台上に━━オーケストラの他に、である━━欲しかった気もするのだが。
また、「ヴァルハル入城」の音楽が轟々と鳴り響いているさなかに、ローゲが譜面台を片づけるという動きは、ドラマの意味としては充分理解はできるものの、視覚的にはこの壮大な終結音楽が生み出す興奮を薄めさせるものではなかったろうか。
ともあれ、アマオケが挑んだ巨作「指環」の第1弾は、華麗な光の中で、大成功を収めた。その意欲と健闘を絶賛したい。来年6月11日には「ヴァルキューレ」を予定しているとのこと。
「4部作」を始めた以上、4年間これで突進するしかない、というわけで、他の団員さんも「どうなることかと思いますが、こうなった以上は、最後までやるしかありません」と笑っていた。
大丈夫、やれるでしょう。開演ファンファーレとして今日は「呪いの動機」が吹かれたが(このあたりがいかにもアマオケらしい愉快なシャレである)これが狙い通りのシャレのままでありますように。
6時40分頃終演。7時49分の「のぞみ」で帰京。往路の新幹線の中で寝冷え(?)したのか、名古屋に着いてからは著しく体調が悪かったが、演奏を聴いているうちに全快してしまった。
☞別稿 モーストリー・クラシック12月号
1週間前にオーケストラのリハーサルを聴き、本番までには何とかなるだろうと思ったものだが、ここまでになるとは予想していなかった。
火事場の何とかヂカラ、というけれども、本番になると物凄い力を出すという例は、アマオケにはよくあること。この愛知祝祭管弦楽団も同様で、三澤洋史の指揮のもと、まさに入魂の演奏を聴かせてくれた。
最大の難所である冒頭の「生成の動機」を吹くホルンが、少し粗かったとはいえ、音を外さずに決まって行ったのが成功の端緒。こうなれば、あとはラインの流れに乗って(?)進むことができるというものだ。
私の席からは確認できなかったが、弦はもしかして14型基本だったか。しかしコントラバス10本、ハープ6台を揃える本格的な大編成オケを乗せた舞台は、すこぶる壮観である。
弦(コンサートマスターは高橋広)はあまりガリガリ弾かず、むしろたっぷりと拡がりを感じさせる柔らかい音を豊麗に響かせたのが好ましい。管・打楽器もその均衡の中にあり、ホールを豊かに鳴り響かせるという、スケールの大きな演奏となった。
三澤洋史の指揮は、坦々としたイン・テンポに徹した感があって、その点ではやや単調に聞こえるところが無くもなかったが、もともと非常に「言葉」の多いこの作品の場合、このようにストレートに、滔々と進む演奏に仕上げた方が聴きやすいかもしれない。「二―ベルハイムへの下降」の場面の音楽など、量感とエネルギー充分なものがあったし、幕切れの「ヴァルハル入城」も、総力を挙げての豪壮な大頂点となっていた。
それにしても、このアマオケは、なかなか優秀である。
2005年に「愛知万博祝祭管弦楽団」として発足しマーラーの「5番」を演奏、その後レパートリーによって「マーラープロジェクト名古屋管弦楽団」「ワーグナープロジェクト名古屋管弦楽団」などの名称を使い、2014年に「愛知祝祭管弦楽団」と改称した由。ただし昨年ウィーンのムジークフェラインで演奏会(マーラーの「復活」)をやった際には、「マーラー・フェスティバル・オーケストラ・ジャパン」という名称にしたそうである。
このうち、「ワーグナープロジェクト」と名乗った2013年に演奏会形式で上演したのが「パルジファル」(私は聴けなかった)で、それがきっかけで「指環」4部作上演の企画が持ち上がり、かくて今回の第1作「ラインの黄金」上演が実現した━━という。
素晴らしい意欲だ。
この企画の中心人物は、佐藤悦雄さん。愛知祝祭管弦楽団の団長であり、スタジオ・フォンテーヌ主宰者であり、日本ワーグナー協会員でもある。長身で堂々たる体躯、にこやかで温かい表情、いい低音の声を持っているので、歌い手さん系かと思っていたら、楽器はテューバで、生業は、愛知県警の警部補殿とのこと。何となく感動。そういえば、眼は鋭かった。
今回の歌手陣は次の通り━━青山貴(ヴォータン)、相可佐代子(フリッカ)、金原聡子(フライア)、滝沢博(ドンナ―)、大久保亮(フロー)、三輪陽子(エルダ)、升島唯博(ローゲ)、長谷川顯(ファーゾルト)、松下雅人(ファーフナー)、大森いちえい(アルベリヒ)、神田豊壽(ミーメ)、大須賀園枝(ヴォークリンデ)、船越亜弥(ヴェルグンデ)、加藤愛(フロスヒルデ)。
この中では、何といっても青山貴が傑出していた。彼のヴォータンは以前にもびわ湖ホールの「ヴァルキューレ」を堪能させてもらったことがあるが、今回も歌唱の風格と声量は群を抜いた存在だった。
2人の巨人(長谷川、松下)も貫録を示した。ローゲの升島も、少し線は細かったけれども、演技も含めて、策士たる半神の性格をよく表現していた。
ただ、女声歌手の中には、現代では流行らないような恐ろしく大きなヴィブラートを使い、物々しく歌う人がいて、その役柄だけが演奏全体の均衡を破る結果になっていたのは惜しまれる。
演出構成は佐藤美晴。セミ・ステージ形式なので、特に奇抜な手法は使われなかったが、照明(杉浦清数)も含めて基本的に明るく華麗な、「光の子」ヴォータンに相応しい場が創られていた。もちろん、地下の国の場面は光も翳っている。
オーケストラの後方には、一段高くした舞台が設置され、ソファと譜面台が置かれる。この譜面台は━━私は最近眼鏡が合わないのでよく判らなかったのだが━━古代エッダの宇宙樹をイメージしたデザインだったのか?
当然オルガン下の席もステージとして使われ、巨人たちはそこに出没。その両側にはかなり大人数の黒服のグループが終始座っており、彼らはニーベルング族として、ドラマの中で計2回、大きな悲鳴を上げる役割を持つ。
ラストシーンにおいて巨大なオルガンがヴァルハル城のイメージになることは予想通りだが、ここはもう少しあからさまに照明演出を加えた方が良かったのでは? 美晴さんの言う「宇宙樹ユグドラシル」なり、あるいは「ヴァルハル城」なり「とねりこ」なりのイメージを背景の巨大なオルガンに投影するとか、何かひとつ、ドラマの「核」になるような視覚効果が舞台上に━━オーケストラの他に、である━━欲しかった気もするのだが。
また、「ヴァルハル入城」の音楽が轟々と鳴り響いているさなかに、ローゲが譜面台を片づけるという動きは、ドラマの意味としては充分理解はできるものの、視覚的にはこの壮大な終結音楽が生み出す興奮を薄めさせるものではなかったろうか。
ともあれ、アマオケが挑んだ巨作「指環」の第1弾は、華麗な光の中で、大成功を収めた。その意欲と健闘を絶賛したい。来年6月11日には「ヴァルキューレ」を予定しているとのこと。
「4部作」を始めた以上、4年間これで突進するしかない、というわけで、他の団員さんも「どうなることかと思いますが、こうなった以上は、最後までやるしかありません」と笑っていた。
大丈夫、やれるでしょう。開演ファンファーレとして今日は「呪いの動機」が吹かれたが(このあたりがいかにもアマオケらしい愉快なシャレである)これが狙い通りのシャレのままでありますように。
6時40分頃終演。7時49分の「のぞみ」で帰京。往路の新幹線の中で寝冷え(?)したのか、名古屋に着いてからは著しく体調が悪かったが、演奏を聴いているうちに全快してしまった。
☞別稿 モーストリー・クラシック12月号
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