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鶴の恩返し、量子力学、そして「マイナス1の存在確率」、あるいはぬこの運命 パート2
ひいこら、ひいこら。
やっと、「マイナス1の存在確率」のパート2に手をつけたのである。
そもそも、な~んもわかってない私がこれを書くことは許されるのであろうか、量子力学のおもろそうなところだけつまみ食いしてえらそーに書き連ねてみたところで、「んなことみんな知ってるよ~、バカぁ」とか言われるだけなんじゃないかなどという葛藤もあったのだが、んまぁ、こういうのを(つまみ食いにせよ)趣味にしてるおやぢたちってやはり少数なんじゃないかということと、理系じゃない高校生、大学生の甥っ子姪っ子(中国系アメリカ人だけど)、はやはり興味がないとこういうお話はさっぱり知らないみたいなので、とりあえず、そういうおやぢたちと自分の甥や姪に「けっこうおもろいんだよ」と紹介するスタンスで続けてみよう。
日経サイエンスの「マイナス1の存在確率」の話だったっけ。
注:実はこの「日経サイエンス10月号」、近所のマクドナルドでチキンナゲットをモシャモシャ食いながら読んでいて、一冊目はこのマックにおいてきたらしくて紛失。
で、この記事を書くために泣く泣く買いなおしたのである。
一冊日本円で1,400円。現在L.A.の日系書店では換算率が100円=1.85ドル。
即ち、この日経サイエンス一冊が$25.90(消費税抜き)もするのである。
二冊で$51.80、消費税後は$56.60 なのであるよ。
日本円で約5,200円。
東海林さだお風に言うと「5,200エーン!エーン!」なのである。
量子力学が教えるところによる、「シュレディンガーのぬこ」のような極微の世界での物質の奇妙なふるまいを、観測対象に影響を与えることなく(重ね合わせ状態を壊すことなく)観測することは原理的に不可能であり(観測方法の不備であるとか、未熟な観測技術によるものではない)、「不可能」である以上、そこがどうなっているのかを問うことは「無意味である」というのがニールス・ボーア=コペンハーゲン解釈の主張であった。
「シュレディンガーのぬこ3様」
なごなぐ画伯お作 09年9月
Kanaka画伯お作 09年9月
akira画伯お作 09年9月
それに対して、「不可能ではない」と主張したのがヤキール・アハラノフである。
アハラノフは「測定対象をごく弱く測定すれば、量子的な多重状態(重ね合わせ状態)を壊さずに観測できる」と主張し、その具体的な方法を提案した。
それが「弱い測定」である。
観測によって「多重状態」が壊れる程度は、得られる情報の大きさによってきまる。
即ち、多くを得ようとすると「観測対象」に大きな影響を与えてしまい、「多重状態」が壊れてしまう。
アハラノフの言う「弱い測定」は観測に寄って得られる情報量を極限まで減らせば、壊れ度は急速にゼロに近づくから、得られる情報量を極限まで減らすことによって、重ね合わせを壊さずに観測することが可能になる、というものである。(数学的には観測による壊れの程度は、観測によって得られる情報量の2乗に比例するから)
言わば、アベック(死語)を覗こうとする出歯亀が、「よりばっちり見よう」としてアベックに光をあてちゃったりすると、アベックに気づかれちゃうから、結果として、なんも面白いモン(重ね合わせ状態・・・・かな?)は見られないことになっちゃうようなものですな。
しかし、一回の測定で得られる情報量は極めて少ないので、それだけではなんのこっちゃわからない。
そこで何度となく測定を繰り返し、結果を平均すれば重ね合わせの輪郭が見えてくる、ということらしい。
しかし、本来量子状態はまったく同じ条件で観測しても、結果がそのたびに異なるのである。
古典力学のように、初期状態さえわかっていれば、いつも同じ結果がでるわけではない。
野球のボールのような巨大なもの(量子、粒子などというものに比べれば、とんでもなく巨大である)ならば、古典力学はほぼあやまたずボールの未来の運動状態と位置を記述できる。(これも、厳密には、「できるように見える」なのかな、たぶん)
しかし、極微の世界(重ね合わせ状態)を観測した結果は、どれか一つの状態がランダムに選ばれて実現するので、初期状態が全く同じ(のように見えても)でも結果が同じとは限らない。
だとすると、アハラノフの言うような観測にどのような意味があるのか?
測定をなんども繰り返すには、同じ状態の観測が何度もできることが前提になるのではないか?
「弱い測定」は従って、「測定対象が実験の最初から最後までまったく同じになった場合」だけを選んでデータを重ねることになる。
すなわち、「同じにならなかった場合」のデータは全て捨ててしまう。
最終状態(未来)と初期状態(過去)をセットにして同じ状態になるものだけを観測して、その途中を「対象に影響を与えないほど弱く測定」してやり、幾度となく同じ実験を重ねてやりデータを蓄積してやることによって「重ね合わせ状態」が見えてくるというのである。
ここで、「現在」に対する「未来」と「過去」というセットが遂に登場する。
この二つがあって、「現在」が見える、というのがアハラノフの考えなのである。
で、アハラノフは量子状態が測定後同じになるという前提で時間対称性を持つ量子測定の理論を構築したわけです。
でもって、「弱い測定値」というのは未来の方向に時間発展するシュレディンガー方程式(量子力学を学ぶ多くの学生が、量子力学とはシュレディンガー方程式を解くことだ、と考えちゃうそうです)と、過去の方向に時間発展するシュレディンガー方程式のペアによって定義されているそうなのである、ってこのあたり自分で何を書いてるかなんのこっちゃわかりませんが、物理の数式には時間に対して対称(言わば過去の状態がわかれば未来の事が記述でき、未来の状態がわかれば過去のことが記述できること)なもの、そして熱力学の数式のように過去から未来に向かうものしかなく時間的な対称性がないものがあるわけです。
熱力学の第二法則(エントロピー増大の原理でんな)は未来一方にだけ向かい、例えば現在の状態がわかっていても、過去のことは記述できません。(水の中に拡散したインクが過去どういう状態にあったかを記述することはできません)
で、アハラノフの理論によると、「弱い測定」を行うことによって、様々な奇妙な現象が観測されることが予測されるという。
例えば、粒子の基本的な性質であるスピンが通常の数百倍になったり、鏡が光子を反射する時に光子に吸い寄せられるような力を受けたり(これが前回書いた「裏返しの光子」の一端)さらには、アハラノフの理論により英国の物理学者ハーディ(Lucien Hardy)が提唱した特殊な干渉計の中に電子と陽電子を入れて中を覗くと粒子の存在確率が「マイナス1」になる、という「ハーディのパラドックス」。
大阪大学チームが行ったのはこの「ハーディのパラドックス」の実証であった。
しかし、アハラノフは「マイナスの確率』という言葉を使わず、阪大の実験結果を、
「光子の数がマイナスなのではなく、物理的な特性がすべて逆になった光子が正の数だけ存在する」と見るべきだ、というのである。
そして、このような「物理的な特性がすべて逆になった」ような粒子は、「反粒子」とは違う全く新しい概念だという。
すなわち、「反粒子」は電荷やスピンは「粒子」と逆になっているだけだが、アハラノフが言うのは、「負の質量を持つ、つまりは相対論により負のエネルギーを持つ」などという「江本勝」や「チタンのファイテン」やそして「船井幸雄大先生」のような「波動大好き」な人たちが聞いたら涙を流して喜ぶようなことを言い出すのであった。
以下、次回につじゅきます。
(疲れた)
注:江本先生やら船井先生やらは「悪い波動がマイナスのエネルギーを与える」みたいなのが大好きであっちこっちで吹聴してますから、上に書いたようなことは、「全然別の文脈で」既にネットに氾濫していると言っていいでしょう。
勿論とんでもなく間違っているデタラメなのですが。
ファイテンは記憶が曖昧なんですけど、「人体のエネルギーは負のエネルギーで」みたいなことをチタングッヅの説明に書いていたように覚えています。
違ってたらごめん。
やっと、「マイナス1の存在確率」のパート2に手をつけたのである。
そもそも、な~んもわかってない私がこれを書くことは許されるのであろうか、量子力学のおもろそうなところだけつまみ食いしてえらそーに書き連ねてみたところで、「んなことみんな知ってるよ~、バカぁ」とか言われるだけなんじゃないかなどという葛藤もあったのだが、んまぁ、こういうのを(つまみ食いにせよ)趣味にしてるおやぢたちってやはり少数なんじゃないかということと、理系じゃない高校生、大学生の甥っ子姪っ子(中国系アメリカ人だけど)、はやはり興味がないとこういうお話はさっぱり知らないみたいなので、とりあえず、そういうおやぢたちと自分の甥や姪に「けっこうおもろいんだよ」と紹介するスタンスで続けてみよう。
日経サイエンスの「マイナス1の存在確率」の話だったっけ。
注:実はこの「日経サイエンス10月号」、近所のマクドナルドでチキンナゲットをモシャモシャ食いながら読んでいて、一冊目はこのマックにおいてきたらしくて紛失。
で、この記事を書くために泣く泣く買いなおしたのである。
一冊日本円で1,400円。現在L.A.の日系書店では換算率が100円=1.85ドル。
即ち、この日経サイエンス一冊が$25.90(消費税抜き)もするのである。
二冊で$51.80、消費税後は$56.60 なのであるよ。
日本円で約5,200円。
東海林さだお風に言うと「5,200エーン!エーン!」なのである。
量子力学が教えるところによる、「シュレディンガーのぬこ」のような極微の世界での物質の奇妙なふるまいを、観測対象に影響を与えることなく(重ね合わせ状態を壊すことなく)観測することは原理的に不可能であり(観測方法の不備であるとか、未熟な観測技術によるものではない)、「不可能」である以上、そこがどうなっているのかを問うことは「無意味である」というのがニールス・ボーア=コペンハーゲン解釈の主張であった。
「シュレディンガーのぬこ3様」
なごなぐ画伯お作 09年9月
Kanaka画伯お作 09年9月
akira画伯お作 09年9月
それに対して、「不可能ではない」と主張したのがヤキール・アハラノフである。
アハラノフは「測定対象をごく弱く測定すれば、量子的な多重状態(重ね合わせ状態)を壊さずに観測できる」と主張し、その具体的な方法を提案した。
それが「弱い測定」である。
観測によって「多重状態」が壊れる程度は、得られる情報の大きさによってきまる。
即ち、多くを得ようとすると「観測対象」に大きな影響を与えてしまい、「多重状態」が壊れてしまう。
アハラノフの言う「弱い測定」は観測に寄って得られる情報量を極限まで減らせば、壊れ度は急速にゼロに近づくから、得られる情報量を極限まで減らすことによって、重ね合わせを壊さずに観測することが可能になる、というものである。(数学的には観測による壊れの程度は、観測によって得られる情報量の2乗に比例するから)
言わば、アベック(死語)を覗こうとする出歯亀が、「よりばっちり見よう」としてアベックに光をあてちゃったりすると、アベックに気づかれちゃうから、結果として、なんも面白いモン(重ね合わせ状態・・・・かな?)は見られないことになっちゃうようなものですな。
しかし、一回の測定で得られる情報量は極めて少ないので、それだけではなんのこっちゃわからない。
そこで何度となく測定を繰り返し、結果を平均すれば重ね合わせの輪郭が見えてくる、ということらしい。
しかし、本来量子状態はまったく同じ条件で観測しても、結果がそのたびに異なるのである。
古典力学のように、初期状態さえわかっていれば、いつも同じ結果がでるわけではない。
野球のボールのような巨大なもの(量子、粒子などというものに比べれば、とんでもなく巨大である)ならば、古典力学はほぼあやまたずボールの未来の運動状態と位置を記述できる。(これも、厳密には、「できるように見える」なのかな、たぶん)
しかし、極微の世界(重ね合わせ状態)を観測した結果は、どれか一つの状態がランダムに選ばれて実現するので、初期状態が全く同じ(のように見えても)でも結果が同じとは限らない。
だとすると、アハラノフの言うような観測にどのような意味があるのか?
測定をなんども繰り返すには、同じ状態の観測が何度もできることが前提になるのではないか?
「弱い測定」は従って、「測定対象が実験の最初から最後までまったく同じになった場合」だけを選んでデータを重ねることになる。
すなわち、「同じにならなかった場合」のデータは全て捨ててしまう。
最終状態(未来)と初期状態(過去)をセットにして同じ状態になるものだけを観測して、その途中を「対象に影響を与えないほど弱く測定」してやり、幾度となく同じ実験を重ねてやりデータを蓄積してやることによって「重ね合わせ状態」が見えてくるというのである。
ここで、「現在」に対する「未来」と「過去」というセットが遂に登場する。
この二つがあって、「現在」が見える、というのがアハラノフの考えなのである。
で、アハラノフは量子状態が測定後同じになるという前提で時間対称性を持つ量子測定の理論を構築したわけです。
でもって、「弱い測定値」というのは未来の方向に時間発展するシュレディンガー方程式(量子力学を学ぶ多くの学生が、量子力学とはシュレディンガー方程式を解くことだ、と考えちゃうそうです)と、過去の方向に時間発展するシュレディンガー方程式のペアによって定義されているそうなのである、ってこのあたり自分で何を書いてるかなんのこっちゃわかりませんが、物理の数式には時間に対して対称(言わば過去の状態がわかれば未来の事が記述でき、未来の状態がわかれば過去のことが記述できること)なもの、そして熱力学の数式のように過去から未来に向かうものしかなく時間的な対称性がないものがあるわけです。
熱力学の第二法則(エントロピー増大の原理でんな)は未来一方にだけ向かい、例えば現在の状態がわかっていても、過去のことは記述できません。(水の中に拡散したインクが過去どういう状態にあったかを記述することはできません)
で、アハラノフの理論によると、「弱い測定」を行うことによって、様々な奇妙な現象が観測されることが予測されるという。
例えば、粒子の基本的な性質であるスピンが通常の数百倍になったり、鏡が光子を反射する時に光子に吸い寄せられるような力を受けたり(これが前回書いた「裏返しの光子」の一端)さらには、アハラノフの理論により英国の物理学者ハーディ(Lucien Hardy)が提唱した特殊な干渉計の中に電子と陽電子を入れて中を覗くと粒子の存在確率が「マイナス1」になる、という「ハーディのパラドックス」。
大阪大学チームが行ったのはこの「ハーディのパラドックス」の実証であった。
しかし、アハラノフは「マイナスの確率』という言葉を使わず、阪大の実験結果を、
「光子の数がマイナスなのではなく、物理的な特性がすべて逆になった光子が正の数だけ存在する」と見るべきだ、というのである。
そして、このような「物理的な特性がすべて逆になった」ような粒子は、「反粒子」とは違う全く新しい概念だという。
すなわち、「反粒子」は電荷やスピンは「粒子」と逆になっているだけだが、アハラノフが言うのは、「負の質量を持つ、つまりは相対論により負のエネルギーを持つ」などという「江本勝」や「チタンのファイテン」やそして「船井幸雄大先生」のような「波動大好き」な人たちが聞いたら涙を流して喜ぶようなことを言い出すのであった。
以下、次回につじゅきます。
(疲れた)
注:江本先生やら船井先生やらは「悪い波動がマイナスのエネルギーを与える」みたいなのが大好きであっちこっちで吹聴してますから、上に書いたようなことは、「全然別の文脈で」既にネットに氾濫していると言っていいでしょう。
勿論とんでもなく間違っているデタラメなのですが。
ファイテンは記憶が曖昧なんですけど、「人体のエネルギーは負のエネルギーで」みたいなことをチタングッヅの説明に書いていたように覚えています。
違ってたらごめん。
<<鶴の恩返し、量子力学、そして「マイナス1の存在確率」、あるいはぬこの運命パート3 | ホーム | 「本当にサルから進化したの?」 追記アリ>>
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自分は一冊も買えません。
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など上げてみました。
私も記事を入手しましたが、読めば読むほどよく分からないww。
でも、分からないなりに分かったことと分からないことを整理しえたいと思います。
私も記事を入手しましたが、読めば読むほどよく分からないww。
でも、分からないなりに分かったことと分からないことを整理しえたいと思います。
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「つじゅき」も期待しております。