2011年春以来、毎年3月11日前後になると、ドイツの街角に必ずといってよいほど、「FUKUSHIMA」のアルファベットが、目につくようになる。当時、ドイツのメルケル政権は、即座に原子力発電からの全面撤退を発表した。その後は東日本大震災がおきた日本よりも、徹底的に脱原発路線を推進している。現在のところ、2022年までに、原子力発電所稼動を完全に停止する計画だ。
森林、石炭、石油そして原子力。エネルギー源の利用にはリスクがつきものであるが、原子力ほど、激しい賛否議論の余地を引きずる技術は他にない。そして、その弊害をしっかりと見極めずに、軍事、経済に応用されているのが、実態である。
痛ましい被爆犠牲者をだした長崎・広島への原子爆弾投下。米ソが核兵器で脅威しあった東西冷戦。チェルノブイリ、福島第一原発の爆発…。原発は、確かに他のエネルギー源と比べて、低炭素化の効果はあるが、その一方で、いったん放射能漏れを起こしてしまった際の人体および自然環境におよぶ影響は、計り知れない。
コントロールしきれないリスクのある原発を停止する。ドイツの決断は確かに論理的である。放射能汚染を避けるために、原発をストップするという行為に、疑問を差し挟む余地はないだろう。
しかし、現実にはすんなりと「脱原発・再生可能エネルギー発電」へと舵を切れるわけではない。物理的に放射能廃棄物をどう処理するかといった問題を始め、複雑に絡み合う経済の都合により、ドイツは、移行の苦しみの最中にいる。本稿では、その動向を紹介していきたい。
脱原発で吹き出す巨額の損害賠償金
2011年の脱原発路線発表直後、ドイツの全原子力発電所は、安全性ストレステストをおこなうために、約3カ月間稼働停止となり、エネルギーコンツェルンは、多大な営業上のロスをだしている。原発の廃炉・放射線廃棄物処理をどのように進めるか、原発に代替する発電への切り替えにかかるコスト、その支払い分担が巨額になるだろうという見通しのみで、公式の金額詳細が、不明のままになっている。
このような状況下、エネルギーコンツェルン、RWE、E-on、ヴァッテンファルは、ドイツ政府に対し、損害賠償を請求し始めている。その一社であるRWEは、同稼動停止期間の営業損失の責任はドイツ連邦にあるとして、今年3月にドイツ連邦の法廷に損害賠償金、235百万ユーロ(約295億円)を求める訴訟を起こした。
RWEは、最盛期には石炭褐炭ガスによる火力発電と原子力発電で、1日当たりで100万ユーロ(約1.26億円)の利益を上げることさえあり、毎年約500億ユーロ(約6.4兆円)の売上を計上していたが、突然の政府方針転換により、原発の収益が途絶えることになった。火力発電と原発事業が好調だったことから、風力・太陽光発電等の再生可能エネルギー発電事業への進出が遅れ、今回の原発抑制により業績は、大幅急減少している。3月8日付けのドイツのニュースでは、RWEは、2015年度114百万ユーロ(約145億円)の営業赤字を計上、2400人にのぼる人員削除をしなければならない究極に陥っている。
ドイツ政府側が敗訴した場合、損害賠償額の全額、弁護士料などの訴訟作業諸手続きにかかる費用をドイツ政府は、負担しなければならない。たとえ和解が成立したとしても、和解金額および訴訟作業にかかる費用は、国民の税金から拠出されることとなる。政策転換によって、経営危機に陥った企業の損害賠償請求を、ドイツ国民が負担する。そんな見えない税金負担を国民は強いられている。
「脱原発を国の政策として決定したのだから、国民もコストを負担するのは当然」という見方は、確かにある。しかし、問題は、この種の国民への負担が増え始めていることだ。
同じくエネルギー会社で、ドイツで事業展開するスウェーデンのヴァッテンファルは、ハンブルグの国際業務に関する弁護士事務所ルッターと組み、ドイツ政府に対し、35億ユーロ(約4420億円)にのぼる損害賠償を請求している。国際調停のため、中立地米国ワシントンで調停が行われ、ヴァッテンファル側、ドイツ政府側、双方にさらに米国の弁護士が参加している。
余談だが、米国の弁護士の報酬は、1時間700ドル(約7万8000円)。訴訟相手がドイツ政府なので、莫大な金額を公庫から引き出せるとのコンツェルン側と米国の弁護士たちのもくろみもある。政府を相手取った訴訟は、ここ数年、米国やカナダでも増えている。
再生可能エネルギー発電移行で上昇する電気料金
国民の負担はこれだけではない。再生可能エネルギー発電への移行に伴い、一般電力料金の値上がりにも、直面している。
例えば、再生可能エネルギーの代表格である風力太陽光発電は、余剰電力を売電できることから電力料金を抑えられるといわれてきた。ところが、ドイツで現実に起きているのは、その正反対の現象だ。平均電気料金は、値上がり傾向にある。電気料金は、原発降板を発表した後の2012~2013年には、急上昇している(下のグラフ参照)。ドイツ連邦内の電気料金の加重平均をとると28.81Cent/Kwh(約36.2円/Kwh)と、EU加盟国内では、非常に高いことがわかる。
なぜこのようなことになるのか。それには、ドイツ国内の人口分布と経済集中分散状況が、深く関係している。再生可能エネルギー発電による売電は可能になったが、それができるのは、大都市以外の過疎地域だけ。一方、大部分の人口は、都市部に集中している。街のど真ん中に風車、太陽光パネルパークを設置することは、非常に難しいので、都市部では、依然として、火力発電・原発に依存する構造が続いている。
さらに、メルケル政権は、工場など大量の電力を消費する企業に対しては、電力料金を割り引く優遇措置をとり、そのしわ寄せを一般家庭の電力料金に上乗せして、バランスする構図を展開している。
確かに、ドイツの風力や太陽光発電量は、技術革新によって順調に伸びてはいる。現在、ドイツの総発電量の25%は、風力をはじめとする再生利用可能エネルギー発電となってきている。
一方で、これらの電力を効率的に配給する送電線網が確立していないため、せっかくのクリーン・エネルギーをドイツ国内の需要に充てることができずにいる。ドイツ国内の送電線にのせきれない余剰電力は、ドイツ側が手数料6セント/Kwh、(約7.5円)払い、ノルウェー、オーストリアに引き取ってもらっている。
両国は、この電力で、水をダムまでポンプで吸い上げ、水力発電に活用している。そして、現状は、当のドイツ国民は、いまだに、エネルギーコンツェルンの火力発電と原発に頼らざるをえないでいる。
しかも、RWEのような電力会社はこの状況を利用。電力料金を下げずに、「従来の石炭褐炭発電と原発のバックアップがないと、風力・太陽光発電だけにたより起こりうるBlack-Out(停電)は避けられない」というスタンスをとり続けている。
連邦エネルギー・水力発電協会の資料(下の円グラフ)によると、28.81Cent/Kwhの内訳は、発電コスト25%、メータ読み取り等の消費量管理費23%、2011年に設けられた再生可能エネルギーEEG法で導入された諸税金52%である。今後、コンツェルンによる訴訟プロセスが長引き、費用がかさむと課税金額が増え、電気料金は、上昇し続けることになる。
さらに、誰が原発の廃炉、放射線汚染物質処理に関わるコストを負担するかという問題がある。RWEを始め、ドイツのエネルギー会社の原発の廃炉にかかる費用は巨額だ。
深刻化する人材不足
現在稼動の原発が、2022年までに停止した際にでると概算される約1万立法メートル以上にのぼる放射線汚染物を処理し収納保管する場所も、決まっていない。原子力発電の専門家は、この設備だけで23億ユーロ~35億ユーロ(約2900億~約4420億円)が必要だと試算している。
2014年時点で、中立の立場から原子力発電の専門家たちは、メンテナンス技術を高めてさらに38年原発の稼働を延期し2060年まで稼働した場合のシミュレーションを実施した。
その結果、総放射汚染物質は、約1万8000立法メートル。今後技術進歩により安全信頼度をさらに向上させた処理設備追加も可能になってくると仮定すると、現在の原発稼動を延長継続した方が、汚染リスク率は、縮小するという見方さえも出てきている。
深刻なのは、脱原発を発表したことにより、原子力について学ぼうとする若手が急減してきている。既に、ドイツの大学の物理学部原子力エネルギー専門課程の講義、研究費などの予算は削られ、カリキュラムも軒並み消えていっている。
現在は、アーヘン工科大学とドレスデン工科大学の物理学部に小規模の後進指導育成コースのみが残る。現在稼動している原発の安全な廃炉と、すでに集積している放射能汚染物質を安全に処理、収納管理できる人材は、今後も不可欠だが、先行きは暗い。
ある原子力物理エンジニアを目指す学生いわく:ドイツで、核物理を専攻しているというと、原発推進派と誤解され、周りからすぐにいやな顔をされるが、留学した米国では、全く雰囲気が違い、「原発の詳細技術を知らなければ、賛成も反対もできない。原子力についての勉強は、がんばって!」と、この分野を学ぼうとする人には、エールがおくられると言う。
原発反対が故に、安全な原発終息技術を学ぼうとするこの学生自身、原子力を正しく理解する学びの場が閉ざされつつあると感じている。
このような複雑なエネルギー問題について、ドイツ政府はどう対応しようとしているのか。メルケル政権は、直接的なコメントは避け続けている。いや、できないでいる。
理由は、2011年、福島第一原発爆発事故当時、メルケル首相は関係閣僚や原発の専門家にほとんど相談せず、独断でドイツの脱原発を発表したためだ。原発降板の賛否、経費等について、内閣で熟慮する時間が与えられず、状況を正確に把握できなかった。
結局は他国の原発に依存せざるを得ない?
連邦制をとるドイツでは、政策決定施行に際しては、必ず関連専門機関のアドバイスを求めてきた。メルケル政権以前から、原子力関係は連邦放射能保護庁(BfS)が、科学データにもとづき連邦政権と関連各州へのガイドラインを示している。放射線医療、原発等の使用後の放射能汚染物質の処理、収納保管場所については、現在の地質状況を考慮し、ニーダー・ザクセン州のアッセ(Asse)、コンラッド(Konrad)、ゴアレーベン(Gorleben)を候補地として推薦している。しかし、放射能汚染物質誘致反対の住民と廃棄物処理産業を誘致して失業対策にしたいという人々の激論の間で、現在も結論は出ていない。
アッセは、既に医療用に使用された放射線廃棄物の一時保管場所として使われているが、緑の党(BÜNDNIS 90/DIE GRÜNEN)が、腐食したドラム缶に入った同廃棄物が、岩塩層に非常にずさんに放置されている状況を発見。早急な収納管理改善を強く要求しているが、30億ユーロ(3800億円)もの追加運営負担費が計上されている。現在のところ、連邦、州、地方自治体を通して、国民がどのように負担するか、不明確のままだ。
増え続ける電力消費、課税や原発の諸問題について、ドイツの公的経済研究機関、欧州経済情報研究所のハンス・ヴェルナー・シン教授は、「マクロ経済学上からみると、フランス、チェコのドイツ近隣諸国の原発による電力を購入するしかない」と言う。
しかし、現実には難しい。今年3月、アルザス・フェッセンハイムにある、フランスで一番古い原発で、電気回路のショートにより汚染された3000リットルの冷却水の流れを正常に処理できなかったという2年前の事実が、隣接するドイツ側のバーデン・ヴュルテムベルグ州政府に初めて知らされた。チェコのドイツとの国境に近いテメリンにある原発でも、微量の放射線漏れが、頻繁に報道されている。
仮にドイツが国外から原発の電力を調達するにしても、近隣諸国の原発の安全性には、大きな疑問符がつく。継続的に放射線汚染をコントロールできることを完全に保証できないならば、安易に原子力発電に依存し続けるべきではない。
チェルノブイリ、福島第一原発の事故以来、ドイツを除く世界各国では、相変わらず原発を新規建設し続けている。特に、中国の原発拡大状況は、著しい。ドイツは、2022年の脱原発にターゲットを絞ってはいるものの、それで一段落するのではない。むしろ、その後の廃炉処理や管理のほうが、重要であり、非常に難しい課題である。
変化するドイツの原子力への認識
放射能汚染物質の処理は、ドラム缶に詰め込み、地殻変動の少ない安定した地下の奥深くに保管しておけば安心、というわけにはいかない。最低数十万年は、放射能廃棄物が、空気、地下水をはじめとする自然環境を汚染しないように継続保管管理することは、並大抵の心構えでは出来ないが、人類の将来に向けて、これ以上の地球上の放射能汚染はどんなことをしても、避けなければならない。
医療用能斜線物質、核燃料が準備された時点から、使用状態、使用後の処理、保管場所への移動、収納保管後の定期チェック詳細を時系列に記録した透明性あるデータ管理は必須である。
歴史に登場したときから「機密」という言葉が付きまとっている原子力であるが、1990年前後から、ドイツ連邦、各州の公の放送機関ARDやZDF、公のラジオ放送のドイチェランドフンク、独仏共同運営の公共放送Arteなどが、放射汚染に関する大小のトピックスを取り上げ、継続的に報道している。
欧州の原発内の冷却水処理過程等の支障に始まり、2010年4月8日のイランのプルトニウム精錬プラントへの米国によるソフトプログラム攻撃、今年3月22日のブリュッセルでのテロ事件の際に原発がターゲットに入っていた事実など、一般市民が原子力利用の現状を多角的に察知できる情報を提供している。
一度始まれば、原子力の核分裂の連鎖反応を止めることはできない。その効力を私たちが、直接、間接的に日常生活に利用していることは、否定できない事実である。原発を含む原子力利用を賛成反対という近視眼的見方で片付けることは、もはやできない。
チェルノブイリの事故から30年、そして福島第一原発爆発事故から5年。時が経ては、何とかなるという生易しい考えは、一切通じない。前者の場合は、プルトニウムが崩壊し、人体の呼吸循環器官に非常に有毒なアメリシウムが、事故現場および周辺関連地域に増えていることが、最近新たに確認されている。ちなみにドイツは、チェルノブイリの事故現場を覆う新規ドームの建設資金の一部として100百万ユーロ(約126億円)を提供している。
原子力利用の問題点、その改善のための技術革新を各国で協力し、情報を公表していこうとする意識は確かに高まっている。しかし、ドイツの原発降板、その代替としての再生可能エネルギー発電への移行の道のりは、果てしなく長い。
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