慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)が次世代の経営の担い手を育成すべく、エグゼクティブ向けに開設する「Executive MBA」。10月の経営者討論科目の授業には、大幸薬品の柴田高代表取締役社長CEOが登壇し、「外科医療から生まれたEvidence Based Marketing」をテーマに講義した。

 上場を目指す大幸薬品は、「正露丸」に続く新規事業の創出が不可欠だった。幾つか候補がある中で、柴田社長CEOが最終的に取り組んだのが二酸化塩素を利用した空間除菌製品「クレベリン」事業。「常に感染の危機にさらされる医療現場の課題を解決したい」という柴田社長CEOの思いから生まれた事業は、今や正露丸を上回る売り上げを獲得するまでに拡大した。

(取材・構成:小林佳代)

<span class="fontBold">柴田高(しばた・たかし)</span><br />1981年川崎医科大学卒業。医師免許取得後、大阪大学医学部第2外科に入局。大阪府立千里救命救急センター、市立吹田市民病院外科、84年大阪大学医学部第2外科酵素化学研究室に勤務し、87年大阪大学医学博士号を取得。大阪府立成人病センター外科医員、市立豊中病院外科部長を経て、2004年大幸薬品副社長、2010年代表取締役社長に就任。(写真:陶山勉、以下同)
柴田高(しばた・たかし)
1981年川崎医科大学卒業。医師免許取得後、大阪大学医学部第2外科に入局。大阪府立千里救命救急センター、市立吹田市民病院外科、84年大阪大学医学部第2外科酵素化学研究室に勤務し、87年大阪大学医学博士号を取得。大阪府立成人病センター外科医員、市立豊中病院外科部長を経て、2004年大幸薬品副社長、2010年代表取締役社長に就任。(写真:陶山勉、以下同)

 上場を目指す大幸薬品は、成長戦略を構築することが必要でした。既存事業の「正露丸」をテコ入れすると同時に、新規事業を創出することが求められます。私は医者時代から、新規事業として3つぐらいのシーズを考えていましたが、最終的に取り組んだのは二酸化塩素を利用した空間除菌製品「クレベリン」事業です。ここでもエビデンスをしっかりとってビジネスを進めていきました。

 二酸化塩素が消臭、除菌などの効果を持つことは以前からよく知られ、水道水の消毒やパルプの漂白などに使われてきました。その二酸化塩素を空間除菌に活用したのは、医療現場の課題を解決したいという思いがあったからです。

 医療現場で、医療従事者は常に感染の危険にさらされています。医師や看護師が新型インフルエンザ、MERS(中東呼吸器症候群)、エボラ出血熱など重大な感染症から身を守ろうと思ったら、マスクや防護服を身につけて物理的に守るしか方法がありません。私は個人的にこの状況をなんとかしたいと感じていました。

 私が豊中病院を辞める半年ほど前のことです。救急で呼吸不全の方が入院し、3日後に多臓器不全で亡くなるということがありました。解剖させていただいたら粟粒結核という結核の敗血症だったことが分かりました。

 半年後、その患者さんとかかわっていた研修医と技師が結核にかかってしまいました。解剖室は十分に消毒ができていることを確認できるような状況ではなく、ちょうど大幸薬品で扱っている商品を試してみたいと頼んで、二酸化塩素のゲルを8個置いてテストを行いました。

 ゲルを置く前、解剖室は独特の匂いがしていましたが、1週間後に行ってみると、その匂いは消えていました。空間中の浮遊菌数を測ったところ、半分まで減っています。さらに1カ月後、浮遊菌はほとんどなくなっていました。

 私は「浮遊菌を除去できるのなら、空気感染、飛沫感染する風邪などを予防することができるのではないか。空間除菌という新たな市場を創造できるのではないか」と考えました。そこでまた大幸薬品の顧問をしてもらっていた緒方規男先生に頼み、米国のベイラー医科大学に委託して飛沫感染実験を行いました。マウスで実験を行った結果、二酸化塩素ガスがインフルエンザウイルスの感染を抑える効果があることを確認。論文を発表しました。

 その後、インフルエンザが流行する時期にクレベリンゲルを設置した棟、クレベリンゲルを設置していない棟とでインフルエンザ発症率を調べる実験も行いました。その結果、「設置あり」の棟での発症率は2.3%。「設置なし」の棟では7.2%と、統計的に有意差をもって、ヒトでの有効性のエビデンスをとることができました。

 人様に販売するのなら、我々の会社も取り入れるべきと2008年、本社の空調に二酸化塩素ガス発生機を導入しました。2009年新型インフルエンザ流行の時期には全国で急激に患者数が増えたのに対し、大幸薬品社員の感染者は極めて少なく済みました。

 東日本大震災が発生した後には、宮城県にクレベリンゲルを2万個、スプレーを10万本送りました。震災2週間後から、沿岸地の被災地を訪ね、トイレにゲルを置き、マット代わりに敷いている段ボールにスプレーをかけて回りました。

 自然災害が起きると、不特定多数の人が体育館などの避難場所に押し込められるため、インフルエンザが流行しがちです。東日本大震災の国立感染研究所が調べた東北6県のインフルエンザ定点当たり報告数では、宮城県の患者数が他県に比べ明らかに少ない結果となりました。このデータは今度、アジア太平洋災害医学会で発表する予定です。

エビデンスで空間除菌市場を再構築中

 こうしてクレベリンはエビデンスによって空間除菌という新しいマーケットを開拓しました。イノベーションを実現するためには「魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」という難所を越えなくてはならないと言われます。クレベリンは魔の川を越え、製品が普及していきました。しかしその後、危機に直面します。

 空間除菌市場には何の規制もなく、参入も容易でした。中には粗悪品を売るメーカーもあり、ユーザーがやけどを負う事故が起きてしまったケースがありました。二酸化塩素を利用した空間除菌をうたう製品を販売していた17社は消費者庁から「根拠不十分」と指摘され、広告表示を改める行政指導を受けました。我々も真摯に受け止め、環境によって効果が違うことを書き加えるなど、誤解のない表記に改めました。

2011年には二酸化塩素製品の正しい普及と品質向上のために大幸薬品などが発起人となって日本二酸化塩素工業会を設立し、私が初代会長に就任しました。厚生労働省の化学物質安全課、そして消費者庁や国民生活センターと意見交換しながら、安全性の規格を作成しました。人が一生吸い続けても健康への影響がない濃度として、室内濃度指針値を0.01ppmに設定。この0.01ppmで実験すると、細菌やウイルスは2~3時間で99%除去できることが分かりました。

 実空間でのデータも必要と考え、マンションでの実験も行いました。クレベリンゲル60gを6畳、150gを12畳のスペースに置いて測定すると、空間中のウイルス・菌がほとんど消えました。クレベリンを置くことでいわゆる簡易無菌室をつくることができるわけです。

 このように、大幸薬品はクレベリンに関してもエビデンスを取ることに力を注ぎつつ、市場の再構築に努めてきました。今やクレベリンは正露丸を上回る売り上げを獲得しています。

空間感染を予防し人類に貢献したい

 これまでお話ししてきたように、我々はEvidence Based Marketingを実践するために、たくさんの論文を発表してきました。正露丸でもクレベリンでも安全性や有効性を実証しました。今では世界で二酸化塩素製品と言えば、大幸薬品が断然トップの存在となっています。しかし、残念ながらこれまではそれをお客様に伝えきれていませんでした。

 そこで私は、外資系企業で最高マーケティング責任者(CMO)を務めていた長田賢俊さんをヘッドハンティングし、大幸薬品のCMOに就任してもらいました。世界的デザイナーの佐藤オオキ氏率いるnendoをはじめ、広告代理店、クリエイティブハウスなどと複数年の包括的パートナー契約を結び、これからマーケティング・ブランディング戦略を刷新していきます。

 パッケージを全面的に変更します。今日、皆さんにお話ししたストーリーを5秒、10秒で消費者にもエモーショナルに訴えていきます。左脳と右脳に響く統合施策を展開していきます。例えば、正露丸に関しては、主成分の木クレオソートがヒトの腸内細菌に対して作用しないことを臨床実験で実証したことから「全下痢対応」といったシンプルなキャッチコピーを展開していきます。

 2017年、出張ついでに私が米FDA(食品医薬品局)に対して、サプリメントとして木クレオソートに「運動時および発汗時に体内の水分吸収を促進し、脱水を防止する」機能があることを届け出たところ、受理されました。そこで早速、ホノルルマラソンの参加ランナーに向けて、サンプリングを行いました。来年以降、全米で正露丸をスポーツサプリメントとして大々的に売り出そうと戦略を考えているところです。

 大阪大学大学院医学系研究科とは共同研究開発に取り組みます。「空間環境感染制御学共同研究講座」を設置。クレベリン除菌システムを利用してiPS細胞を培養することでコストを大幅に低減する実験を開始します。

 経営者として重要なのは先を読むことであり、アクションを起こすことだと思います。昔、ミネラルウォーターを飲む人は誰もいませんでした。しかし、今では誰もが普通に飲むようになっています。空気も同じです。安全を担保された空気を吸う時代が必ず来ると確信しています。そういう未来をゴールに、今いろいろとデータを取っています。

 1860年代、イギリスの外科医ジョセフ・リスターは、石炭酸で物体を消毒する防腐法を発見し医療を飛躍的に進歩させ、人類に貢献しました。二酸化塩素を利用して空間感染を予防する方法を確立することができたならば、これもまた人類への大いなる貢献となるでしょう。外科医から経営者への転身が本当に悔いないものとなるよう、私自身もまだまだチャレンジし続けなくてはならないという気持ちです。

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