個人経営が常識だった大衆中華店でチェーン展開を実現し、毎年40店の出店を続ける。高コストの駅前一等地にこだわりながらも、安定した収益を上げるモデルを確立した。創業者の40年にわたる試行錯誤と、粘りの精神で大衆マーケットを深掘りする。(本記事は「日経ビジネス」2015年11月30日号からの転載です。記事中の内容は掲載時点のものです)
東京・西新宿の交差点にある大衆中華料理店「熱烈中華食堂日高屋」。夕食には早い午後4時にもかかわらず、白い看板とオレンジの提灯に吸い寄せられるように、1人また1人と入っていく。
スーツ姿のビジネスマン、学生、買い物袋を提げた高齢者、仕事の休憩中と思われる女性販売員──。来店客は性別・世代も様々。ほとんどが1人客で、座席の8割は埋まっていた。
所変わって、東京・JR赤羽駅東口前の日高屋。やはり常に人通りの多い商圏の一等地だ。終電間近の店内をのぞくと、2~3人のグループが3組ほど、「中華そば」や「野菜たっぷりタンメン」をすすり、ビールを片手に談笑していた。同僚の2人と来ていた40代の男性は「居酒屋よりも入りやすくて、安いし、酒も飲める。駅の近くで便利なので、週1回は帰りに寄る」と笑顔で話す。
首都圏の駅前に着々と店を増やす日高屋。経営するのは、さいたま市に本社を持つハイデイ日高だ。主力業態の日高屋を中心に、370店舗以上を展開し、年間30~40店舗をコンスタントに出店している。
消えた屋台の代替目指す
店舗の拡大に合わせて、業績も順調に伸びている。2015年2月期の売上高は344億2400万円、営業利益は40億5300万円と12期連続で増収増益だ。2016年2月期も、売上高369億円、営業利益43億円を見込む。
今期の既存店の客数も天候不順が続いた9月を除いて、前年超えが続いている。
個人経営を中心に日本中、どこの街にもある大衆中華店という業態。だがハイデイ日高のように、外食チェーンとしての事業モデルを確立した企業は数少ない。ROE(自己資本利益率)は14%と、企業として効率よく利益をたたき出している。
ハイデイ日高の原点は1973年、神田正会長が32歳で埼玉県のJR大宮駅近くに開業した、中華料理「来々軒」に遡る。
中学卒業後に、15もの職を転々とし、埼玉県岩槻市(現さいたま市)のラーメン屋に雇われてから、現金商売の面白さに目覚めた。ためたお金でスナック経営にも手を出したが失敗し、任されていたラーメン店も閉鎖。心を入れ替えて始めたのが、来々軒だった。
「駅前の屋台のラーメン屋は少なくなったけど、ニーズは必ずある」。店舗数を増やし始めたとき、神田会長の胸にあったのはこんな信念だ。日本では高度成長につれて、街場で屋台を目にすることは減った。それでも仕事帰りや深夜に気軽に立ち寄って、日々のストレスを解消できる場所が求められているはずだとの思いがあった。
屋台以外の大衆中華店は残っていても、高い家賃を避けて裏通りなどに立地する例が一般的だったという。
80年代にかけては、チェーン展開に乗り出す外食企業も多数生まれたが、主流はファミリーレストランのすかいらーくに代表されるように、クルマ社会に対応した幹線道路沿いの郊外型店舗だった。駅前で大衆中華店をチェーン展開するという事業モデルに対する懸念から「金融機関に融資をしぶられたことは何度もあった」と神田会長は振り返る。
93年にはラーメン店を東京・JR赤羽駅近くに出店。これが都内進出1号店で、当時の店舗数は約20店だった。しかし100店規模のチェーンに育てるには、さらに都心にある繁華街でも戦える強い業態が必要だ。
ここから2002年に「日高屋」にたどり着くまでの約10年間、様々な店舗の形態にチャレンジして試行錯誤が続く。神田会長は「駅前で採算を上げるには苦労したが、マーケットはあると信じて粘り続けた」と話す。
例えば1990年代半ばに新宿の一等地などで挑戦したのが、北海道から九州まで様々な地域のラーメンを1店で提供する「ラーメン館」。一定の集客はあったが、ラーメン専門店のため来来軒のような中華料理店と比べてアルコールの注文が少ない。客単価が低くなり、収益性に問題があった。台湾の家庭料理を小皿で提供する「台南市場」なども展開したが、続かなかった。
同社の戦略上、重要だったのは価格政策をどうするかだ。90年代後半は金融機関の破綻で景気悪化が深刻になり、消費者の低価格志向は強まった。駅前にひしめく「マクドナルド」や「吉野家」などと互角に戦うため、中華そばの単価を480円(税込み、以下同)から値下げして390円で提供する低価格の大衆中華で勝負することを決断した。
それが2002年に誕生した日高屋だった。安定成長の事業モデルについに行き着いた。「総合中華とラーメン専門店の中間。それが日高屋だ」と神田会長は話す。低価格のラーメン専業では利益を出しにくい。そこで酒のつまみにもなる、炒め物などをメニューに加えた業態だ。ただし個人経営の大衆中華のような豊富なメニューにすると、チェーン展開するうえでは、作業が増えすぎるので、品目数は限定した。駅前でのチェーン展開を目指して試行錯誤を続けてきた、神田会長のノウハウの「結晶」が日高屋という業態だ。
同社には今でこそ駅前の物件が空くと不動産関係者から情報が舞い込むようになったが、それもここ数年の話だ。企業規模が小さく知名度もなかったころ「『油や火を使うから』とか、『他の外食が入るから』などと言われて、契約直前で断られて悔しい思いを数えきれないほどした」と神田会長は振り返る。
日高屋は今、閉店が多いマクドナルドや牛丼チェーンなどの駅前の撤退後の物件に入居するケースが増えている。そうした大手が店を構えていた場所ならば「確実に客数は見込める」(神田会長)と、自信を示す。
400店近くまで増えた同社の事業モデルを細かく見ると、駅前という高コストな立地でも利益を出すために、独自の経営のルールがある。
店舗の形態は1フロア30坪で席数は約40という規模を基本とし、午前11時から明朝4時までなどと営業時間を長く設定して売り上げを稼いでいる。1つの座席が1日平均で12~13回転するので、11~12%の売上高営業利益率を安定的に得られるのだ。
出店の際には土地は保有せず、物件の賃借契約期間を3年程度と短くしている。売り上げがよくなかった場合でもすぐ撤退し、次の場所を探す。近所で、よりいい立地があれば迷わず移る。「出店費用も数千万円と安く抑えているので、屋台のような身軽さだ」(神田会長)という。
味は「普通」の方ががいい
●「日高屋」の好調を支える3つの特徴
徹底したドミナント(地域集中)出店も特徴だ。本社のある埼玉の大宮からその沿線に沿って拡大していくのだ。外食業界では新宿や渋谷、銀座などの大商圏を優先して出店を進める企業も少なくない。東京の繁華街の次は大阪や名古屋、福岡といった全国の主要都市へと進出していくケースも多い。
これに対して、日高屋は1駅ずつ店を増やしている。駅の東口と西口など、商圏が異なれば、同じ駅でもそれぞれ出店する。例えば赤羽駅周辺では、日高屋3軒のほかに、来来軒もあり、計4軒が連日にぎわいを見せている。
約370店の店舗のほとんどが東京、埼玉、千葉、神奈川の一都三県に集中する。残りは栃木や茨城県に数店舗があるだけだ。「首都圏にはまだ出店の余地があり、500~600店はいける。ここを埋めるまではよそにはいかない」と神田会長は話す。
駅前モデルは多数の来店が大前提のため、来る顧客を選ばない大衆性を維持することが大切だ。だから「味」は追求しすぎない方がいいという姿勢だ。「頻繁に通って食べてもらうには、ちょっと“抜けた”ような普通の味がいい」(神田会長)と考える。同業他社にない味を提供しようとこだわりすぎると、開発にも労力や時間がかかる。とがった味は顧客離れにつながるリスクもある。
ただ基準以上の品質を保つための仕組みづくりには余念がない。スープや麺、ギョーザなどを加工工場で大量生産して原価を下げる一方で、スープのだしは煮干しなどを煮込み、化学調味料もほとんど入れていない。麺やギョーザ、カット野菜、たれの製造拠点である埼玉県行田市の工場の敷地を、2013年に3200坪から6650坪に広げた。「首都圏600店」を達成すべく、物流の体制も今後強化していく。
焼き鳥など中華の次を模索
ここ数年の「ちょい飲み」ブームは、先行してアルコール需要を取り込んできた同社には追い風だ。現在の日高屋の売り上げに占めるアルコール比率は15%と、競合する大手定食チェーンなどに比べて高い。それを支えているのは、「冷奴」(200円)や「中華風味付けメンマ」(110円)など、注文しやすいサイズと価格でそろえたメニューだ。
●「日高屋」のつまみの例
日高屋の次に多い、焼き鳥店「焼鳥日高」は、首都圏に19店舗ある。実は最初から焼き鳥業態を作ろうと狙っていたわけではない。駅前の優良物件の話が舞い込んできたが、日高屋だけを出店するには広すぎるため、スペースを日高屋と折半して作った業態だ。19店のなかには、立ち飲みスタイルの店もあるなど、まだ標準の形は定まらず、試行錯誤の状態だという。
2015年4月にはさいたま市に、とんかつ店「とんかつ かつ元」も出店した。ランチの「ロースかつ定食」は790円、「ヒレかつ定食」は990円と、1000円以内で本格的なとんかつが食べられる店だ。こちらのとんかつ店もちょい飲み需要を取り込むため、「へしこ(北陸名物)」(350円)、「イカ柚子塩辛」(240円)などを提供している。
こうした店舗で「実験を繰り返して新業態を作り上げていく」(経営企画部の小林俊雄課長代理)という。駅前大衆中華のモデルを確立するため40年にわたり粘り続けた神田会長のDNAが社内に受け継がれている。
神田正会長に聞く
「駅前マーケット」信じて粘り勝ち
日高屋が成長を続けていられるのは、決して無理せず、一気に出店しなかったからです。調子に乗って50店、100店と出すと、増収減益に陥る大きな落とし穴がある。外食業界ではこの穴に落ちた企業はいくつもありますから、我々は身の丈に合った30~40店舗しか出してきませんでした。
ラーメン業界は、一般に個人経営が多く、利益率が低いため家賃の安い所に出店してきた歴史があります。そうした常識に反して駅前に出て行ったのは、時代とともに消えた駅前の屋台のニーズは確実にあると思ったし、ハンバーガーや牛丼の店が出ているのに、なぜ国民食であるラーメンがないのかという疑問からでした。駅前で採算を上げるのは苦労しましたが、マーケットがあると信じて粘ったことが今の成長につながりました。
2011年の東日本大震災の際、日高屋は客数が大きく減らなかった。それは日常食でインフラになったからだろうと思います。それは目に見えない財産で、現場の強さの証しです。
現場の従業員、特に「フレンド社員」と呼ばれるアルバイトやパートの待遇には力を入れています。2014年からは、年2回のボーナスを支給し始めました。年に数回ホテルなどで行う慰労会「感謝の集い」には、今年はあわせて1000人のフレンド社員を招待しています。この費用は数千万円かかりますが、お客様からお金を頂くという一番大切な仕事をしている人たちを大事にしなければ、この会社はいずれダメになると思っているからです。
日高屋では、中国の方など2500人もの外国人のフレンド社員が働いています。彼らなくして成長はない。ですから予算を組んで、研修も充実させて底上げしていけたらと思っています。
会社の時価総額が600億円を超えた今、社員の福利厚生も充実させています。時代遅れかもしれませんが社員旅行を準備しているんですよ。「焼鳥日高」は、日高屋よりも働く上で体の負担が少ないので、シニア社員の活躍の場になればという思いで作りました。
働いている人がハッピーでないと、お客様もハッピーにならない。会社のために従業員の人生を犠牲にする必要はありません。人生を謳歌して働いてほしいと思っています。(談)
(日経ビジネス2015年11月30日号より転載)
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