世界的な大企業であり、マーケティングの教科書にも多く取り上げられる米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)。人材輩出企業としても知られる同社の第一線で活躍したマーケティングのプロフェッショナルたちが、日本の大手企業でもこの分野の中核として存在感を発揮している。今回、そうしたP&G出身のプロフェッショナル3人がマーケティング論をテーマに鼎談した。

 登場したのは、ニュース配信アプリを手掛けるスマートニュース(東京・渋谷)の西口一希執行役員、資生堂ジャパンの音部大輔執行役員、UCC上島珈琲の石谷桂子常務だ。P&G流のマーケティングの真髄とはどのようなものか。そして、今の日本企業の課題はどのようなところにあるのか。3人に様々な角度から語り合ってもらった。

マーケティングのプロフェッショナルとして知られるお三方ですが、簡単に自己紹介をお願いします。

西口一希氏(以下、西口):それではまず私から。1990年にP&Gに入社し、在籍したのは17年間。石谷さんとは同期入社ですね。P&Gを離れてからはロート製薬でマーケティングの責任者を務め、その後ロクシタンジャポンの代表もさせていただきました。そして現在のスマートニュースです。

 私の経歴で特徴があるとすると、外資系、日本の大手企業、デジタルと相当バラエティーに富んだキャリアを選んできていることですね。デジタルマーケティングは、それまでの仕事ではある意味付属的なものだったのですが、今のスマニューではまさにど真ん中を経験させてもらっていることになります。

<span class="fontBold">にしぐち・かずき</span> 1990年プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン入社。P&Gでは「パンパース」「パンテーン」などのブランドを担当。2006年ロート製薬に入社、執行役員マーケティング本部長として「肌ラボ」など60以上のブランドを統括。15年ロクシタンジャポン社長。17年からスマートニュース執行役員(写真:陶山勉、以下同)
にしぐち・かずき 1990年プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン入社。P&Gでは「パンパース」「パンテーン」などのブランドを担当。2006年ロート製薬に入社、執行役員マーケティング本部長として「肌ラボ」など60以上のブランドを統括。15年ロクシタンジャポン社長。17年からスマートニュース執行役員(写真:陶山勉、以下同)

音部大輔氏(以下、音部):私は西口さん、石谷さんの2年後にP&Gに入社しました。在籍したのは17年弱ですね。その後、ダノン、ユニリーバ、日産自動車、資生堂を経験してきました。

 P&Gでは、除菌をキーワードにし始めた頃の「アリエール」や、「ファブリーズ」などを担当していました。今でこそ除菌というのは洗剤で珍しいベネフィットではありませんが、当時の消費者はその時点では特に必要だとは思っていなかった。でも、消費者のインサイトをきちんと理解することで、欲しい状況や環境を生むことができ、いい洗剤の定義を変えることができる。

 マーケティングが市場創造できるようになれば、それが世の中のためになる価値を作ることができる。それがP&Gで得た信念ですね。その後の経歴の中でも、組織を構築しブランドを育てていく上では、その信念は変わりません。

<span class="fontBold">おとべ・だいすけ</span> 1992年プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン入社。P&Gでは「アリエール」「ファブリーズ」などのブランドを担当。2009年ダノンジャパンのマーケティング本部長。12年にユニリーバ・ジャパン副社長。14年に日産自動車グローバル・プロダクト・マーケティング本部長。16年から資生堂ジャパン執行役員(17年12月31日付で退任予定)。
おとべ・だいすけ 1992年プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン入社。P&Gでは「アリエール」「ファブリーズ」などのブランドを担当。2009年ダノンジャパンのマーケティング本部長。12年にユニリーバ・ジャパン副社長。14年に日産自動車グローバル・プロダクト・マーケティング本部長。16年から資生堂ジャパン執行役員(17年12月31日付で退任予定)。

石谷桂子氏(以下、石谷):1990年にP&Gに入社したというのは西口さんと同じですが、私の場合は結局26年間いましたね。P&Gでは川上から川下まで色々な形のマーケティングに関わってきましたが、買収先の会社に出向する機会もあれば、米国の本社でグローバル戦略を担当する機会も持ちました。

 P&Gで学んだことは、マーケティングはビジネスを考える根幹ということでしょうか。マーケティングは多くの企業で、販売促進のためのツールや製品を作るといった一部だけで捉えられることが多いと思います。だけど、マーケティングというのはビジネスの目的はどこにあって、そのために顧客のどのようなニーズを掴まなければならないかという経営の本質に関わってくるものだと思います。その基礎は、P&Gで学ばせてもらいましたね。

<span class="fontBold">いしたに・けいこ</span> 1990年プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン入社。「ファブリーズ」の日本導入などを担当し、2001年にマーケティングディレクター就任。06年から米国本社に勤務、ペットケア部門のブランド・製品戦略を担当。13年からP&Gジャパンでマーケティング担当執行役員。16年からUCC上島珈琲常務取締役。
いしたに・けいこ 1990年プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン入社。「ファブリーズ」の日本導入などを担当し、2001年にマーケティングディレクター就任。06年から米国本社に勤務、ペットケア部門のブランド・製品戦略を担当。13年からP&Gジャパンでマーケティング担当執行役員。16年からUCC上島珈琲常務取締役。

西口:今石谷さんが話したことはすごく重要で、マーケティングというのは経営の軸なんですよね。日本企業におけるマーケティングの役割は残念ながらまだ小さくて、すごく機能分化されてしまっていると感じています。販売促進や広告、デジタルもバラバラで、商品開発はマーケティングの役割ではなかったりする。

 マーケティングとは、お客様から全部スタートして、新しいベネフィットを創造する。それをどのような製品やサービスが作れるのかという思考方法で、全部を組み立てるのだと思います。まだ何も分からない20代の時にそれを基礎から叩き込まれたという意味では、P&Gでの経験は本当に大きかったですね。

ブランドマネージャーは輸送コストにまで関わる

音部さんはいかがですか。

音部:お二人が話されたことに加えて、「利益責任」でしょうか。いわゆる、P&Gの「ブランドマネジメント制」でいうと、単に昨日まで課長だった人を「今日からお前はブランドマネージャーだ」で済ませるのではなく、ヒト・モノ・カネの大きな資源を、実際にブランドマネージャーの下に集約させるんです。だから、ブランドごとのPL(損益計算書)があるし、マーケティング予算、輸送コストまで、全部「お前に利益の責任がある」と言われるわけです。

 例えば輸送コストなんかは、本来的に管轄かといわれればどうか。でもそこにもブランドマネージャーが関わろうと思えば、入っていくことができる。それは、「このブランドは私の責任です」という覚悟と免罪符でもあるわけです。売り上げなり利益に、そうした責任と覚悟を持たせてもらえる環境だったということは、非常にいい経験だったと思います。

石谷:形だけブランドマネジメント制を取り入れる会社は結構多いのですが、組織がそうなっていないのに、若い社員にいきなりやらせても、それはなかなか難しい。本来のブランドマネジメント制は、周りの組織もサポートシステムも、最終的にブランドマネジャーが音頭をとる役割だという大前提で、きちんと出来上がっているものです。

 私自身もP&Gで若手だった頃に、ある工場長から「あなたが(担当するブランドに関して)一番消費者のことを知っているから、あなたのいうことを聞くし、僕たちもちゃんと動きます」と言われたことがあります。それが言えるということは、組織やサポート体制が、きちんと整っているということだと思います。

 また、その分、自分のブランドに対して質問された時、問題が起きた時、「知らない」「分からない」「自分の仕事ではない」という言葉は、決して言ってはならないとも教えられました。

西口:それは本当にそう。P&Gから外に出ると最初は結構苦労してしまうわけです。そもそも新人の頃からずっとそうなので、P&Gとは異なる環境を知らない。あとは、PLに対して責任を感じてしまうので、他の部署や他の担当者のやることに口を出したくなってしまう。うるさい存在になってしまう(笑)。

西口さんはP&Gからロート製薬に転じましたが、その辺りはいかがでしたか。

西口:ロート製薬のマーケティングは全部ユーザー1人の声からスタートして、その悩みを解決するために何ができるかということを徹底的に考える。製品も差別化ではなくて独自化を突き詰める。だから、当たるときはものすごく当たるんです。

 私自身は、P&G流が通用しないし、最初はかなり苦労しました。ある意味ではキャリアのやり直しだった。でも、そうした体験は、日本のものづくりの基本も含めてすごく勉強になりました。P&G流のやり方はもちろんすごいのですが、その手法だけ持ってきて導入しても多分うまくいかないと思うんですよね。

石谷:私も同感です。それぞれの会社によってビジネスモデルは違うわけで、それを理解していないのにP&Gのモデルを入れてしまってもダメだと思います。

音部:P&G的というのも、何をもってという根源的な問題もありますよね。日本企業においてはものづくりの考え方が強いですが、ブランドというのは本来的には物に名前を付けてその名前を売るのではなく、名前にベネフィットを付けて売るべきであると思います。そのベネフィットを提供する媒体として物がある、あるいはコミュニケーションがある。

 これが、先ほどお話ししたブランドマネジメントの考え方です。すると、新しい、いいものが出てきたときに同じベネフィットに基づいて内容を進化させていける。そのベネフィットの意味をしっかり考えなければならないですよね。

オーナー企業はトップがブランドに責任を持つ

P&Gの考え方と比べた時に、日本企業の経営やマーケティングのあり方についてはどう捉えておられますか。

西口:日本企業という一括りでは言えないところですが、色々な日本企業の経営者の方とお会いした中でも、大雑把にいうとオーナーが経営責任を全て背負っている企業と、そうでない企業の違いは大きいですよね。オーナー系はものすごいリスクの取り方ができるし、新しいブレークスルーを生み出す製品やサービスを作り出す可能性は大きいと思っています。

 その点は、例えば欧米系企業の場合は、強い株主の期待に対してインセンティブが設定されて、責任範囲も明確なので、ちまちまビジネスをやっていても評価されない。だからリスクを取って勝負に出る。その部分と共通しているところもあるのだと感じています。オーナー系企業の場合、オーナーはそもそも会社の存在にコミットしているから、ちまちまやっていると潰れてしまうかもしれない。その恐怖心と責任感があるから、積極的に攻めに出ることができる。

石谷:私も同感です。ブランド戦略という点でも、オーナー企業ではオーナーがブランドマネージャーのようにブランドに対しての責任とコミットメント、こだわりを持っている。意思決定が早く指揮系統も明確です。UCCもトップはブランドの重要性をすごく意識していますし、情熱がある。私がUCCを選んだ大きな理由でもあります。一般的に、私たちが最初にP&Gに入社した二十数年前よりも、ブランドの価値を高めるという考え方は、日本でもより広がってきていると思います。

マーケティングの観点で、優れていると思う日本企業の事例はありますか。

石谷:私は前職での競合企業ですが、花王さんは本当に尊敬できると思います。どちらかというとR&D(研究開発)が強い企業だという気はしますが、消費者のインサイトとニーズを、非常によく理解されていて、時間をかけて正統派なマーケティングをされていると感じますね。

音部:私がそれを質問される時によく答えているのは、最近は圧倒的に味の素さんですね。コンシューマーに執着して、ある意味隙間のニーズであっても、きちんと消費者向けのベネフィットを提供されています。

 例えば、「cook Do(クックドゥ)」もそうです。コンビニエンスストアにあるサラダチキンを手で割いて、クックドゥを加えてレンジでチンすれば、すぐにサムゲタンが作れる。レトルトと何が違うかと思われるかもしれないですが、クックドゥの場合は、きちんと「料理」になっているんですね。きちんと料理を作って、あったかいご飯と一緒に食べることができる。これは、日本の消費者のインサイトをすごく研究されていると思います。

皆さんはマーケティングの第一線で活躍されてきましたが、若い世代のマーケッターを育てるという点では、どのようなことを大事にされていますか。

西口:私自身は特に人材を育成しているつもりはないのですが、課題は感じています。今の立場上、若い方々と一緒に仕事をすることは多いですが、大事なのはやはり顧客視点だと思います。共通言語は「お客さんが、それで嬉しいのか?」ということなんですね。すると、上司と部下で向かい合って議論するということではなく、一緒にお客さんの方を向いて考える。そういった感覚を大事にしています。

音部:人材の育成や成長を考えた時、今年できなかったことが来年できるようになるのは、その間にあるのは知識なんです。広い意味で経験を一般化して知識にできた人間が、課題を解決できるようになる。若い人たちが効率よく経験を積む、知識を獲得し、流通させられるようになる。これをどのように仕組み化するかということはCMO(最高マーケティング責任者)といった立場の人間の役割ですし、それが実現できる組織は成長できるのではないでしょうか。

デジタル化の波が「パラレルワールド」を生む

西口さんのおられるネット業界ではもちろんですが、既存の大手メーカーなどでも、デジタルマーケティングの理解や活用が重視されるようになりました。経営やマーケティングはどのように変わっていくのでしょうか。

西口:デジタル化の波というのは、マーケティングの領域を超えて、経営の観点ではもはや避けられないし、日々加速しています。恐ろしく世の中が変わってきて、1年後の世界は現在と劇的に異なっている可能性が高い。一方、デジタルの現場から遠い経営者の立場からすれば、こうしたことは想像しにくいと思う。

 例えばIoT(モノのインターネット)という言葉は知っていても、実際にそれで生活がどう変わるかといったことについて想像が追いつかない。だからどのようにIoTに対応するかということを、デジタル部門なり外部のコンサルティング会社に丸投げしてしまう。そうすると、経営者が本質的に理解できていないまま、戦略の土台が固定されてしまう。

 私は「パラレルワールド」という言葉を使うのですが、10代、20代のデジタルネイティブの世代は、我々とは全く違う生き物と言ってもいい。スマートフォンの中に全てがあって、見える世界も実はスマホがリアルだったりする。渋谷に高校生の男子と40代の男性会社員がいたら、見えている世界は全く違うんですね。

音部:同じ場所にいても、お互いの姿は見えない。

西口:そういうこと。しかも、デジタルの世界の技術の発展は、リアルの世界にどんどん影響を与えている。米国のUber(ウーバー)、Airbnb(エアビーアンドビー)はその典型です。課題は、その変化を経営者はどれぐらいきちんと理解して、把握できているかということです。

石谷:私も、新しいデジタルのトレンドは娘から教わることが多いです(笑)。ワントゥワンでのコミュニケーション、テレビを見ながらiPhoneとiPadを手に持って、マルチ画面で触って……。こうしたことを今の若い人たちは簡単にできますよね。我々は常に感度を高くして、そうしたことから何かを学んでいかないと、置いていかれると思います。

音部:もう一つ大事なことは、デジタルの技術を何のために活用するのかという視点ではないでしょうか。流行のアプリを活用するにしても、大量のデータを収集するにしても、それは何の役に立つのか、マーケティング上どのような点が重要なのか、意思決定の指揮官たちがよく理解していなければならない。それが非常に重要だと思います。

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