写真は本編の筆者クリコさんが、夫アキオさんのために作った鶏カツ(介護食バージョン)です。噛む力を失ったアキオさんでもおいしく食べられます
写真は本編の筆者クリコさんが、夫アキオさんのために作った鶏カツ(介護食バージョン)です。噛む力を失ったアキオさんでもおいしく食べられます

 ガチャ(鍵の音)。

 あ、アキオ(夫)が帰ってきた!
 テレビを消し、リビングから寝室へと急ぐ。静かに静かに、忍び足。

 「あれ、クリコ居ないの?」

 アキオが私を探している。キッチンをのぞき、そしてトイレのドアをノックする。

 「入ってる?」

 もちろん、答えなし。そこには居ないよ!

 アキオが寝室に近づいてきた。寝室のカーテンが不自然に膨らんでいることにすぐ気づくはず。バレバレなのはわかっている。

 私がそーっとカーテンから顔を出すと、アキオと目が合った。
 アキオが笑う。  私も笑う。「見つかっちゃった!」

編集Y:なんですか、いいオトナの夫婦が家でかくれんぼですか!?

クリコ:だって、仕事から疲れて帰ってくるのに、毎日同じ「おかえり」じゃ、つまらないでしょう。あれ居ないぞ? と探して見つけたら楽しいかなと思って。

編集Y:もしかして、いつもやってるんですか?

クリコ:いつもは、玄関に飛んで行って「おかえりー」と言って、アキオの首にぶらさがるだけですよ。

編集Y:………。

 結婚21年。フツーの夫婦なら、新婚当初の二人だけのラブラブな甘い気分なんて記憶のはるか彼方、いっそ「互いの存在は気にしない方が気楽」となるところ。どうやらこの夫婦は違うようだ――。

 アキオさん、クリコさんご夫婦とお知り合いになってもう何年でしょうか。あまりのバカップルぶりに「もうお腹いっぱいです。どうかお幸せに」と思っていました。

 ところが大変残念なことに、アキオさんはガンで早世されました。

 クリコさんからは「過去の思い出話としては書きたくないんです」という意向があり、とはいえ、そこをぼかして書くと、読者としてはアキオさんのガンがどうなったのかが常に心配になるだろうと思いました。そこを、興味を引っ張る材料にはしたくない。

 ですので、この連載、時制は現在形ですが、お話は過去のものです。ご了承いただければ幸いです。

 本稿でも徐々に明らかになりますが、介護はご本人と周囲の状態、環境によって千差万別の事情があり、クリコさんの語るお話もそのひとつです。これが正しい、こうあるべき、というケースの紹介ではなく、ひとつの(ちょっと変わった)例として、そして、アキオさんと過ごす介護の日々の中で、クリコさんが考えたことが、もしかしたらどなたかの会社員生活や介護の日々になにかヒントになることを祈って、お送りさせていただきます。

 仕事と、夫婦と、食事への愛情を綴る、バカップル・ノンフィクション。超甘口は仕様です。よろしくお願い申し上げます。

(編集Y、助っ人編集者F)

“依存症夫婦”の素敵な毎日

 雨が降ると私はいつも「ねえ、外は雨だよ。今日は会社休めば?」とアキオに勧める。

 駅まで行く間にスーツが雨で濡れたら、電車の中で気持ち悪いだろうし、かわいそうだなあと思って。アキオにそんな思いをさせたくない。それに、アキオが会社を休めば、雨に閉じ込められて、暖かい家で一日中、二人で一緒にいられる。

 アキオはいつも「僕は仕事に行くんだよ?学校をサボるのとはわけが違うんだよ?」と言って、私に取り合わずに出かけて行き、私はベランダからアキオの背中が見えなくなるまで見送るのだけれど、雨に抗って歩くアキオの姿がかわいそうで切ない。

 病気になれば代わってあげたいと思うし、アキオが不快な思いをすると私もつらくなる。だから、雨や雪が降る日は必ず、もちろん風が強い日も「ねえ、今日、会社休めば?」と勧めるのだ。

 アキオだって負けてはいない。「僕の趣味は妻」と公言し、私を喜ばせることに、まるで趣味に没頭するかのように、できる限りの時間を費やす。同窓会など、どこに行くにも私を連れて行く。私がやりたいということは叶えてくれる。毎日「世界一、愛してる」と言い、私が何かやるといつも、コレをこうできたのがすごいね、と具体的にほめる。「二人でいると幸せ」とアキオが言うと、私も幸せを感じる。

 ある時、「僕らは依存夫婦だね。どちらかが欠けたら生きていけない。大好きだよ」と言ってくれたけれど、いつも甘えてばかりの私がアキオに頼りにされていると知って本当にうれしかった。

 どちらかと言えばマイナス思考になりがちな私は、いつもアキオのこういう言葉や行動に救われ、励まされ、認められ、アキオの前向きな生き方に引っ張られてきた。思えば、私はずっとアキオという揺りかごの中で子供のように安心しきって暮らしているようなもの。私も、アキオをそんな風に安心させてあげられているだろうか。時に互いが互いの父母であり子供であり、兄弟であり姉妹であり、そんな風に一緒に生きている。「僕の方が君を愛している」「いや、私の方があなたを愛している」という言い合いはいつもくすぐったいけれど、楽しい。

仕事の喜び、おいしいねと一緒に笑う幸せ

 アキオは自分の仕事が大好きだった。時にはかなり忙しくて帰宅が深夜になることもあるが、アキオの口から仕事の愚痴を聞いたことはただの一度もない。帰ってくると、好きなお酒を飲みながら、職場での面白い出来事などを楽しそうに私に話す。その日に出会った人のこと、その人がどんなに魅力あふれる人だったか、同僚や部下たちがどんなことを言い、その仕事ぶりについてのエピソードを、まるで子供が母親に、その日にあったことを興奮して話すように目をキラキラさせて話す。

 担当する分野や業界が変わると、その度にたくさんの関連書籍を買って、その業界の状況を熱心に研究していた。時にはフィールドワークと称して街に出る。ノベルティなどを扱う業界の担当になった時は、休みの度に雑貨屋さん巡りに出かけた。そしてなぜかいつも私を巻き込む。「一緒に行かない?」と。これがまた楽しかった。

 家でのアキオは完全にオフモードでいる(つまりダラダラしている)ので、「この人、これでちゃんと会社で仕事しているのかな」と思うこともあったが、自宅で受けた電話で、テキパキと仕事の指示を出しているのを聞いてほっとした。

「天職に就いた。ずっと現場に居たい」

 いつだったか、「この仕事に就いて僕は本当に幸せ。天職だと思う。ずっと現場で働き続けたい」と言っていた。朝、出かけるアキオの背中を見ればわかる。一歩家を出たら頭の中は仕事でいっぱいなのだ。私はそんなに仕事が大好きなアキオを困らせたくなって、「私と仕事とどっちが大事なの!?」とわざと尋ね、しつこく迫って「クリコ」と言わせていた。

 アキオは友達が多い。ビックリしたのは結婚が決まるとすぐに小学校時代からの友人たちに紹介されたことだ。

 そのうちの一人が中学生の時にお母さんを亡くし、アキオたちが「さみしいだろうから、あいつの誕生日をみんなで祝ってやろうぜ」と誕生日会を開いたのがキッカケとなり、それ以来、その誕生日会は今に至るまで毎年欠かさず続いている。幼なじみから小・中・高・大学時代まで紹介された友達は多いが、数が多いだけではなく、その関係が親密に長く続いている。そして、そうした同窓会や友人たちの集まりには決まって「君も一緒に行かない?」と誘われ、今ではその人たちは私にとってもかけがえのない友人たちになっている。

 そんなアキオは家に友人や会社の同僚達を招くのが好きで、結婚後は毎週のようにホームパーティーを開いた。どんな料理でもてなすか、メニューを二人で相談して、和食だけでなく中華やイタリアン、フレンチにインド料理も作った。アキオは試食にも喜んで応じてくれ、当日、招いた友人達に渡す「本日のメニュー」は毎回、アキオの手作り。料理はいつも好評で、レシピや作り方を教えてほしいと言われることも多かった。

 そしてパーティーが終わると、いつも「クリコ、ありがとう。おいしかったよ」と、私をねぎらう。この楽しい経験が、私が料理研究家になる道につながった。まさに「食べることはヨロコビ、そして人生」。

 釜でご飯を炊き、アゴと鰹でとった出し汁で、うどんのつゆを作る。たっぷりの出し汁を効かせた出汁巻き卵、味の染みた里芋の煮っ転がし、肉や魚の自家製西京漬、コトコト煮た豆、おから煮、紫が鮮やかな茄子の揚げ煮、豆腐のみそ汁、つけ合わせのシャキシャキ千切りキャベツ……。

 ごく普通の料理を、時間をかけて、ていねいに作る。米が炊ける香りや音、澄んだ出し汁の色、野菜を切る音、豆が煮える甘い香り。そうしたものに包まれている時間は、ゆったりと贅沢だ。おいしいと言って食べてくれる人がいるから、この時間を幸せと感じられる。

料理研究家への道もいっしょに

 私は子供の頃から料理を作ることは好きだったが、料理研究家になろうと思ったことは一度もなかった。キッカケは自宅で毎週のようにホームパーティーで料理を作っているうちに、「レシピを教えてほしい」「料理教室を開いたら?」と言ってくれる人が現れたこと。

 当時、結婚して専業主婦になったものの、夫は帰りが遅く、家で食事をとらないことも多かったため、とたんに時間を持て余すようになり、退職したことを後悔し始めていた私は、お世辞とわかっていながら「料理教室?あ、それいいかも」と飛びついたのだ。

 アキオに「料理教室をやってみたいんだけど」と話すと、アキオは「ああ、いいんじゃない、クリコが楽しいと思うことをやればいいよ」と即答。ちょうどイタリア料理がブームになっていた頃で、私は「料理教室を開くならイタリア料理の教室を!」と決めた。

 それから、アキオとの二人三脚が始まった。アキオが調べてくれたイタリア料理専門店主催の料理教室に通ってイタリア料理を学び、「料理がうまくなるには、おいしいものを食べないとダメ」と言うアキオに連れられて何軒もの評判のいいレストランで食事をした。家に帰るとそのレストランの料理を作って再現してアキオに食べてもらう。おいしく作れればアキオが喜ぶ。アキオに喜んでもらいたくてホメてもらいたくて、一生懸命作った。

 料理に合わせるイタリアワインを学びたいと言えば「いいよ」と言い、イタリア語の教室に通いたいと言えば「いいよ」とアキオは答えた。5、6年が経ち、私のイタリア料理を食べ続けたアキオが「もうそろそろ教室を開いてもいいんじゃないか」と言ってくれた。

仕事、料理、二人の幸せ

 いざとなると意気地のない私にアキオは「四の五の言わずにやってごらん」と、背中を押した。

 アキオは料理教室の案内チラシ100枚を作り、雨の中、二人で近所の家々のポストに入れて回った。生徒数が増え、週5日、料理教室が続いた頃はアキオとの時間が減ったけれど、アキオは「僕のことは気にしなくていい、君に料理教室をやってもらいたいから、好きにやればいいよ」と言ってくれた。

 アキオが背中を押してくれて、アキオが応援してくれたから、私は料理教室を開くことができて、料理研究家になった。アキオと結婚していなければ、料理研究家になんて200%なっていない。ちょっと料理ができるくらいで、ここまでかかわって応援してくれる人はいないと今でも思う。

 年末は、毎年28日頃から買い出しを始め、おせち料理の準備を始める。小さい頃から母が作っていたので、結婚してからも家で作るのが当たり前だった。それに、アキオと二人で祝うお正月のおせち料理を作るのはとても楽しい。

 25~26品を作るので手間と時間はかかるが、おせち料理には日本料理の基本が詰まっている。買い出しはもちろん一緒に行く。

 ずしりと重い三段重とお雑煮、ばら寿司、茶碗蒸し、そしてお酒。毎年、楽しいお正月だった。食卓に料理の皿を並べ、同じものを一緒に食べる。「お、うまいね、これ」「うん、おいしくできた」と自然に笑顔がこぼれる毎日。料理を作って、おいしいねと一緒に笑う幸せが、当たり前にそこにあった。

 それが…

口腔底がんでものを噛む機能に障害が

 「どうして食べられないの?わがままだよ」

 半分近く残された病院食を前に、思わず責めてしまった。アキオは無言のまま、力のない表情で見返してくる。

 ある日、アキオは肺がんを患い、その手術から1年半後に今度は、口腔底がんが新たに見つかった。

 口の中を大きく切除する手術は成功したが、下あごの麻痺、ものを噛む機能に障がいが残った。手術後27日間におよぶ栄養点滴だけの日々で体重は激減している。ちゃんと食べて早く体力を回復させてほしい。だから、つい口調がきつくなる。

 その日、出された病院食は、おかず二品と汁もの、そして20倍粥だった。20倍粥は米1に対して水20の割合で作った薄いお粥のこと。普通のお粥が5倍粥だから、20倍はほとんどスープに近い。

 手術後、アキオが使える下の歯は奥歯1本だけになった。状態が落ち着いたら義歯を入れるつもりだ(と言っても状態が落ち着くまでには2年くらいかかると医師から言われている)が、それまでは、ものを食べる時は「噛む」というより、舌と上あごを上手に使ってつぶすしかない。

 下あごが麻痺しているため、アキオは手鏡で確認しながらスプーンを口の中に入れ、食べ物を上唇で押さえてスプーンを引き抜いて食べ物を口に運ぶ。鏡を見ないと、うまくいかずに口の端からこぼれてしまうのだ。そして口の中に意識を集中して、舌と上あごで食べ物をつぶし、ゆっくり飲み込む。そうやってアキオは病院食を1時間半かけて食べ続け、途中で疲れ果てて放棄してしまったのだった。

「早く会社に行きてえ!」

 手術は舌の一部を含み、口の中を大きく切除するもので、下あごが麻痺し、移植による再建手術によって構音(話すこと)にも障がいが残った。

 「話せるようにならなければ仕事に復帰できない」という焦りがあったのだろう。それまでのんびりしていることが多かったアキオが、毎日、朝昼晩と欠かさずに口腔リハビリに励むようになった。

 口腔リハビリとは、「かむ」「飲み込む」「話す」といった口の機能を回復させるために、早口言葉や体操などで舌や口の周りの筋肉を動かして鍛える練習をいう。

 大きく口を動かしながらの発声や、舌を動かし、頬を膨らませる動き、早口言葉を言う練習を1回に30分~40分かけて行う。「パパパパ」「タタタタ」「カカカカ」「ララララ」と発生する「パタカラ体操」は、唇と舌の動きの練習だ。発音してみるとそれぞれ唇や舌の動きが違うことがわかる。口の周りの筋肉を動かす体操にも取り組んでいた。

 この地味なリハビリをアキオは来る日も来る日も続けた。今日やったからと言って明日効果が出るというものではない。どれくらい続けたら良くなるのかもわからない中で、文句ひとつ言わず、カンシャクを起こすこともなく投げ出すこともなく、黙々とリハビリを続ける姿に、「早く仕事に戻りたい」というアキオの並々ならぬ強い気持ちがヒシヒシと伝わってくる。

 「早く会社行きて~」
 アキオの声が耳に残った。

 仕事と職場の仲間の元に戻りたいと願うこの人を絶対、元気にしてみせる。そのためには食事をしっかり摂らせないと。

「わたしがアキオを復帰させる!」と誓った、が

 実は手術前に、アキオが味覚を失う可能性を医師から告げられていたが、手術後、初めてみそ汁を飲んだアキオは「おいしい」と一言。幸いにも味覚が残っていることが判明した。嬉しかった。

 食べることが大好きなアキオから、食べる喜びは奪われなかった。たとえ麻痺があっても、噛めなくても、アキオが食べられる食事を準備できさえすれば、それを味わうことができる。食べる喜びを通して、彼の回復を支えることができるかもしれない。良かった。心底嬉しかった。

 しかし、アキオの「食べる能力」は大きく損なわれている。
 20倍のお粥すら食べられない彼がおいしく食べられる料理って、どう作ればいいんだろう…。

 料理はある程度知っていても、介護食となると五里霧中。私は、専門家の知恵を借りようとした。そこで、日本の介護食の実情を知ることになる。

(つづく)

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