「クォリティー・ペーパー」はもう信用しない
今年も残りあと1カ月を切るところまで来たわけだが、2016年という年はこれまでの常識が覆される年になったと痛感している。マーケットに身を置くエコノミストとして26年以上も働き続けてきた筆者にとり、英国民投票でのEU離脱派勝利や米大統領選挙でのトランプ候補当選は、実に衝撃的だった。
事前の予想が外れてしまったことよりもはるかにショックだったのは、世論調査の結果があてにならなかったこと、そして、今の米国では国民のかなり多くが、「ワシントンポスト」や「ニューヨークタイムズ」といった質が高いとされてきた新聞(クォリティー・ペーパー)を含め、既存の大手メディアによる報道を信用していないという事実が露呈したことである。
本当の考えを把握するのが難しくなった
世論調査による実態に即した人々の意見の吸い上げが、スマートフォン・携帯電話の普及により、技術的に困難になっている面がある。さらに、「隠れトランプ支持派」は「人前でトランプ支持だと言うのが恥ずかしい」といった理由から、世論調査では本当の自分の意見を言わなかったのだという。
既存メディアを信用していない人々の中には、そうしたメディアが実施する世論調査への回答を拒否したケースもあっただろう。そうなると当然、世論調査の結果にはバイアスが生じる(なお、例外的に「ロサンゼルスタイムズ」と南カリフォルニア大学の合同調査だけは、それらの難点を克服してトランプ候補の優位を予測し続けたという)。
トランプ氏は上記のような状況変化を適切に読み取って、自らに批判的な既存メディアの報道内容・報道姿勢を攻撃し続けた。そして、そうしたメディアが実施した世論調査で自分に不利な数字が出続けても、いっこうに意に介さなかった。
これに対し、敗れたクリントン氏は、州ごとの選挙人獲得予想数を含む情勢調査で自らが有利であることをそのまま信用して行動した。選挙戦終盤で民主党上院議員の応援にも力を注ぐなど、陣営の戦略にも緩みが出てしまった。
SNSで共有されたデマ情報
若年層を中心に情報源として依存するのはSNS経由のニュース配信だが、それらの中には排外主義・保護主義的なムードを煽るものが混じっていたほか、「ローマ法王がトランプ候補支持を表明した」といった類の偽情報もあったことが明らかになっている。
経済・マーケットに大きく影響する重要な政治イベントの結果を予想する際に手掛かりにしてきた世論調査の数字が以前のようには信用できなくなってしまったという現実に直面して、筆者は大いに困惑している。来年はヨーロッパでフランスの大統領選挙やドイツの連邦議会選挙など、重要イベントが数多い。結果がどう転ぶかわからないという不安心理を従来よりも大きな度合いで抱えつつ、それらのイベントと向き合わざるを得ない。
トランプ氏勝利「良かった」、10~20代日本人男性で約4割
最近の流行り言葉で言えば「不確実性が高くなった」ということである。来年5月7日に決選投票が実施されるフランスの大統領選挙では、極右・国民戦線(FN)のルペン氏が勝利する可能性も排除できないと、筆者は警戒的にみている。
日本では今のところ、全国紙やテレビネットワークといった既存メディアの信用度は、ほとんど落ちていないようである。だが、将来はどうなるかわからない。少なくとも、筆者は自信を持てなくなりつつある。
産経新聞・FNNが11月12~13日に実施した世論調査によると、米大統領選でのトランプ氏勝利が良かったと思うという回答が、10・20代男性で38.9%、30代男性で29.3%に達した。
日本でも若者のマスコミ不信が強まるか
日本の有権者の年齢構成が中高年層に傾斜していく中で、政治の「シルバーポリティクス」化を嫌う人々(自分たちは損をすると考えている若い世代など)から、一種の破局シナリオを望む声が聞かれることもある。すなわち、このまま漫然と赤字財政を続け、社会保障の延命措置を講じても、人口減・少子高齢化が着実に進む中では、遅かれ早かれ行き詰まるのは目に見えている。それなら、日本の財政は破綻に至るのが避けられないと率直に認めた上で、公的部門の大幅カットなどを一気に進めるべきだとする主張である。戦後日本が「焼け野原」から急速な復興を遂げたことも、そこではイメージされているのかもしれない。
米国の場合、グローバル化で不利な立場に置かれた人々の不満の蓄積が、状況変化の原動力になった。日本の場合、世代間対立を起点に、既存マスコミへの不信感が若年層を中心に強まる可能性がある。そうしたことも、今のうちからしっかり考えておくべきだろう。
「若者・バカ者・よそ者」というキーワード
話は変わるが、「これまでの常識を覆す」というコンセプトはむろん、日本経済の将来像を明るくする方向の前向きな文脈でも当てはめて考えることができる。
筆者が最近読んだある本から知り、いつも頭の中で意識するようになったのは、「若者・バカ者・よそ者」というコンセプトである。
厳寒・積雪のため冬に練習しにくいハンディキャップがある上、夏の猛暑にも選手が慣れておらず、夏の甲子園で優勝経験がなかった、北海道の高校野球。ところが、香田誉士史監督(当時)に率いられた駒大苫小牧高校は、2004年・2005年に夏の大会連覇を達成し、次の年も早稲田実業との延長15回引き分け再試合という激闘の末に敗れたものの、準優勝。夏3連覇にあと一歩まで迫った。このエピソードをテーマにした中村計氏のノンフィクション「勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇」を筆者が読んだ際、次の文章に目が止まった。
「新しい血」が必要だ
「町おこしに必要なのは、若者と、バカ者と、よそ者の三者だとよく言われる。体力に自信があり、動ける若者。ともすれば非常識にも映るが、誰も思いつかないような発想をするバカ者。そして、まだその土地の価値観に染まっていない、客観的な目を持ったよそ者。香田は、その三役を一人でこなしていたのだと言える」
町おこしには「若者・バカ者・よそ者」の3つが必要というのは、実に説得力のあるコンセプトであり、個別企業の活性化や、日本経済全体の先行きを明るくする方法にも直結するのではないかと、すぐに筆者は考えた。
企業トップが活性化を志向する際に、「若者・バカ者・よそ者」の3要素はポジティブだろう。若い新入社員が入ってこなければ、会社組織内の雰囲気はどうしても沈滞しがちである。「新しい血」が入らないまま何年も経過していくと、社員の年齢構成のバランスが崩れて、将来的には業務運営上のさまざまな差し障りも出てきかねない。
「バカ者」の存在を許容できるかどうか
「バカ者」の存在を許容するかどうかは、企業風土とも関係してくるため常にイエスではないだろうが、常識的でおとなしい人材だけを集めているようだと、斬新な発想は出てきにくい。そして、「よそ者」を取り込む(外部の人材を登用する)ことは、すでに述べた組織活性化の面でも、斬新な発想に基づく新たな展開を模索する上でも、有益な場合が少なくないだろう。
また、人口減・少子高齢化による長期縮小の道筋をたどっている日本経済全体にとっても、この3要素に注目して必要な政策を展開することが、非常に重要だと考えられる。
おカネとインフラ整備の両面において少子化対策を格段に強化して「若者」を増やすことは、将来の潜在成長力の引き上げに寄与するとともに、社会保障制度を含む財政バランスの改善に着実につながってくる。
既存の枠組みにあまりとらわれずに新たな発想をすることのできる「バカ者」を増やすには、知識詰め込み優先の画一的な教育制度や「お受験」社会を見直し、個人の考える力や特性をできるだけ伸ばそうとする教育を行うことにより、行政がその前提となる条件を整備する必要があるだろう。
日本経済の「地盤沈下」を食い止めるために
「人口が減っても日本経済は大丈夫」という立論をする人の多くは「生産性の向上」という、具体性に欠けた、漠然としたコンセプトに期待を寄せているようである。政策サイドがそうした考え方をすることの適否はともかく、「バカ者」の発想を必要に応じて取り入れた方が生産性は伸びやすいという点には、異論はおそらく出てこないだろう。
そして、「よそ者」、すなわち観光客や技能労働実習のような一時的な滞在者だけでなく、長期滞在者(要するに移民)を含む海外からの人材の積極的な受け入れが、日本経済の「地盤沈下」を食い止めるためにどうしても必要不可欠だというのが、筆者の持論である。
「反グローバル化のうねり」の行方
2017年は、米国のトランプ次期大統領の政策運営が実際にはどのようなものになるか、そしてトランプ氏当選が象徴する「反グローバル化のうねり」が欧州の一連の政治イベントにどこまで影響を及ぼすのかが、大きな注目点になる。
そして日本では、人口減・少子高齢化というクライマックスのない慢性的な危機の進行に対し、政府あるいは個々の企業が、「若者・バカ者・よそ者」の活用も試みながらどのような対策あるいは生き残り策を展開していくのかが、隠れてはいるが重要な焦点になる。
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