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ご相談
ショーンKさんの経歴詐称問題、驚きました。しかし、あれだけ詐称を重ねてバレると思わなかったんでしょうか。バレたらどうなるか考えなかったんでしょうか。不思議です。一方で、これほど騒ぐことなのだろうか、とも思います。そもそもラジオのDJだった人が、いつの間に「文化人」「経済人」になったのか。これも不思議です。遙さんは今回の騒動、どう見ますか?(40代女性)
遙から
近頃、ベッキーさんから清原和博氏、ショーンK氏に至るまで、芸能界近辺の騒動が続いている。芸能界の末端でタレントを生業としている私としても少々食傷気味だが、今回は「ショーンK騒動」について考えてみたい。
そもそも、そういうところじゃないか
騒動に関しては、いくつかの「説」が挙げられている。
「細々と仕事していればバレなかったものを、主流に躍り出たから問題になった」主流要因説。
「ホラッチョと呼ばれた学生時代から、自分を大きく見せる傾向にあった。整形疑惑もある?」ほら吹き説。
「ラジオの詫び方も自己陶酔気味で、この期に及んでこの詫びすら自己演出じゃないかと思えてくる」自己陶酔説。
…まあ、出てくる出てくる。つまりは田舎モンがホラ吹いて自分を大きく見せて掴んだ金星は、ホラが原因で地に落ちたが懲りていない、というストーリーだ。
「でも、そもそも芸能界がそういうところじゃない?」とある番組で発言してみた。
すると芸人さんから「知的タレント」まで全員から総スカンを食らった。
「学歴詐称はダメだ」と。そして「報道ではダメだ」と。同席していた元政治家は「専門分野の著書を一冊も出していない専門家などあり得ない」と。
…そうだろうか。
あまりに総スカンを食らったので、収録で反論してもどうせ全部カットされるだろうから、続きをここで書かせてもらう。
そもそも、とことん奥の奥まで清廉潔白な人って存在するのだろうか。
多少やましい部分があっても、それを払しょくし自らを飾り立てて"夢"を提供する商売。それが芸能界ではないのか。
私だって"元気"を売るために、入院中でも点滴を抜いていつもより元気に振る舞って職場に行く。
夢、オーラ、キャラクターとは
まず前提として、タレントというのは「ウソつきのプロ集団」だ。ウソとは「夢」とか「オーラ」とか「キャラクター」などと同義語である。その証拠に私がオフの時に最も言われる言葉。
「テレビとまったく違う」
あたりまえだ。私は「演者」なのだから。
ベッキーさんは不倫し、清原氏は薬に手を出し、ショーンK氏は自分を大きく見せるためにウソをついた。いずれも決して褒められたものではないが、彼らはそもそも「完璧」な存在ではない。誰もが、何かをきっかけに落ちる可能性がある「あちら側」に、何かをきっかけに落ちた。アイドルもタレントもアスリートもDJも文化人もジャーナリストも、一皮むけば「フツーの人」だ。それをひん剥いて暴いて叩いて消して…。
人は夢を見たいのか、夢を消したいのか、いったいどちらなのか。
カメラの前で輝く人たちも、ありのままの姿は、たいてい夢のないものだ。カメラを意識しない油断した表情で、カメラの前では隠している疲れやら病気やらケガやらも隠さずに、楽で地味な格好で…。
しかし、ひとたびカメラの前に立てば、思いっきり派手に煌びやかに照明を浴びて、たとえ離婚し心痛中でも華麗なダンスを踊ってみせるのが芸能人だ。
ショーンK氏は、思いっきり夢を売った。カッコいい男の顔と声と経歴を手に入れ、そこそこバレないで済む経済トークも身に付けた。見ていて、聞いていて、気持ちがいいと判断したプロ集団の人たちが「これで勝負」と判断した。かなり騙せた。いや、言葉が悪い。かなり夢を売った。
好き嫌いは別にして、私はこういう完璧すぎるタイプには胡散臭さを感じる。だが、そういう「胡散臭い系」は少なくない。芸能界のみならず、例えば、名刺の裏側肩書だらけ、というのがある。仔細に見れば、何これ?と首を傾げるような資格らしきものが並んでいるのだが、その壮観な肩書列記を真に受けて「ハハ―ッ」となる人もいるし、「ふーん、自分をそんなに大きく見せたいわけだ」と引く人もいる。
今回の件は、「ハハ―ッ」と受け入れられ、「話が違うじゃないか」と責められた。私が彼ならこう言うだろう。
「事実を粉飾しなきゃ出世できないと思った。夢を売ろうとダンディに自分を作り上げた。プロたちの期待に必死に応えて喜んでもらった。もちろん非は自分にあるが、ここまで総叩きに遭うと、もう知ったこっちゃあるか、という気持ちにもなる」
彼はここまで厚顔ではなく、泣いて謝るほうをとった。
泣くな隠れるな
すぐバレるウソをつくこと事体が、芸能界の怖さを知らない。
芸能界にいる権化のような輩はもっと巧妙だし、この世の権力者はもっともっと巧妙だ。
泣いて謝って姿を消す、ということが、そもそも芸能界には向いていない。人が良過ぎる。
芸能界とは「ゲスの極み乙女」のように、ピンチを利用して這い上がっていくタイプが生き残れる場所だ。彼らはだから、叩かれ続けながらどんどん売れる曲を発表していけばいいと思う。裏切られた妻のケアは別にするとして。
学歴詐称のようなウソ初級編ではない、私にはウソつきヤロウとしか見えないタイプが番組のメインを張っている光景など、改めて書くが、フツーだ。
それに比べれば、ショーン氏のなんと弱く、バレた後の素直なことか。仕事すべてを降りるか、これを好機と全国ツアーを決行するかは「報道」と「芸能」の差か。
しかし、時代に切り込む報道をした人は、切り込み過ぎて降ろされることになったりもする。
すると、絶妙に権力に媚びを売りながら、切り込むスタイルだけはとり続けて視聴者を騙す"ウソつき"が、「報道」にちらほらと混じる。あくまで私見だ。が、私には学歴詐称なんて稚拙さより、こちらのほうが尻尾を掴めないぶん余程、悪質に思う。
少なくとも彼はファンに夢を売り続けてきた。ウソというなら芸能人のほとんどがウソつきだ。私もまた。そして本当のウソつきはすぐバレる初級編のウソはつかない。もっと巧妙にウソをつく。これが芸能界に30年以上いる私の見解だ。
「きみ、もぐりやんな」と、私に言う「知的タレント」がいた。
無礼だと感じた。私が後に著書にまとめた、東大で学んだ時のことを指したものだ。
「もぐり」呼ばわり、無視無視
「そうそう、もぐり」と同意し、相手にするのをやめた。その男性がコンプレックスでその発言をしているのが理解できたからだ。
その発言をする段階で、私の著書を読んでいないことも分かる。その発言からはどうしても私をやっつけたいネガティブな感情が見えた。こういうタイプを相手に喧嘩する値打ちはないというのを私は女性学で学んだ。
コンプレックスに裏打ちされた女性差別、俺のほうが絶対正しい、と固執するタイプと関わると労力を無駄に消費し放送に堪えない見苦しい展開になるのは何度も経験している。つまりカットになるのが分かってかっているから論争をする気はない。
こういう未来図を予期してつけたタイトルが『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』だった。私が東大で学んだ体験について、将来必ずケチをつける輩が登場する。そのために、最も手堅い出版社を選び、どういう経緯で東大に行くことになったかを詳細に記し、タイトルも内容が一目瞭然になるものにし、薫陶を受けた教授自身のコメントまで記した。将来ウソつき呼ばわりされて叩かれないために、私は本を一冊書くにも4重の保険をかけた。
同じゼミの仲間に聞いてもらってもいい。今は著名大学の教授などになっている彼らは、私が3年間ゼミを受けたことを証明してくれるだろう。少なくとも私を「ホラッチョ」とは言わないはずだ。私は今もまだ同じゼミ仲間と時折学会に出席しているし、教授の講演にもいく。勉強は今でも続いている。
だが、そういう事を知らないまま、私をやっつけたい「知的タレント」は私を「もぐり」という。
何が本物で何が偽物か。真贋を見分けるよりも、自分の都合や好き嫌いで、「こいつは偽物だ!」と騒ぎ立てる輩もいる。それを面白がって周りが騒ぎ立て、やがて本物にさえ偽物のレッテルが張られることだって少なくない。
私は末端だが、芸能界の側から言わせてもらう。
いったい、どーしたいんだ。
夢を見たいのか。夢にウソはつきものだ。じゃあ等身大を見たいのか。夢もへったくれもないぞ。学歴詐称? 芸能界にはもっとすごいウソつきが混ざっていて堂々と生きている。
ショーンK騒動。ただただ格好よさに憧れたのだろうが、ウソが初級編だったのが悔やまれる。
自分を信じられなかった
つまりは「素人」だったということだ。
もともとの芸能人なんかいない。ウソついてウソついて…いや、言葉を選ぼう。本気で成りきって自らをも騙してその道に成熟していく。
ウソもホラも努力も全部込みで夢を売り、成り上がるチャンスのある芸能界にあっては、時に謝ったほうがバカを見る。謝れば魔法は解ける。謝るならそれを新たな魔法としなければ。ただし、踊る場はあくまで芸能界の内側と心得て。
天性の美声を持ち、相当な努力で身につけた英語力を持ち、軽妙な会話でファンに魔法をかける。そのごまかしの利かないところはクリアしているのに。そのレベルをクリアできないタレントが山ほどいるのに。その自分の力を、ほかならぬ自分が信じられなかったことが惜しまれる。
『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』
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