みなさん、はじめまして。関西学院大学ビジネススクールの副研究科長をしております玉田俊平太(たまだ・しゅんぺいた)と申します。「変な名前だな」と思われたあなた、その通りです。おかげで小さい頃は一方的にからかわれ、強い子になることができました。

 「ずいぶん古風な名前だな」とお感じになった方、確かに時代劇の主人公、月形半平太とは一文字違いです。「イノベーション論の泰斗であるシュムペーターと同じ名前なんて、きっとペンネームに違いない」と思ったあなた、違います。本名です。父が一橋大学で経済学を学び、長男が生まれたときに勢い余って付けてしまった名前です。

 お陰で海外の学者に自己紹介すると「祖先はオーストリア人か?」、「タマダとシュムペーター、どっちが名字だぃ?」と話が10分は転がり、名前を覚えてもらえるので、今では父に感謝しています。

バイオブームに乗っかって後悔

 ただ、米ハーバード大学に留学していた頃、そこで教授をしていた本当のシュムペーターを敬愛してやまない、国際シュムペーター学会初代会長のフレデリック・M・シェーラー先生からは、「あなたを敬称なしでシュムペーターと呼ぶのははばかられるので、Mr.タマダと呼ばせてもらう」と言われてしまいましたし、ビジネススクールのマイケル・ポーター先生は私がネームカードに"Schumpeter"と大書しているのを見て苦笑しておられました。

 偉大な経済学者の名字を名前にもらった不幸な子供、その後はグレて理科系に進学してしまいます。それはそうでしょう、大経済学者の名前を付けられた子供が、どんな顔をして経済学部に進学すればいいのでしょう…? 私が通った東京大学は、入試のときには進路が細かく分かれておらず、2年生のときに「進学振り分け」というものでどの学部に属するのか決まります。

 私はミーハーだったので、バイオブームに乗っかって農学部農芸化学科(現:生命化学・工学専修)の酵素学研究室に所属し、卒論を仕上げました。研究室に所属して分かったことは、世間で華々しく取り上げられているバイオの研究というのは、実は地味で単調な反復作業の連続だということです。私は悩みました。このまま一生、白衣を着て試験管や計測器やマウスと一緒に一生を過ごすのかと・・・。

 そんなときに思い出したのが、高校時代に読んだ城山三郎の『官僚たちの夏』でした。国を良くしようと志を燃やす青年官僚達が、意見の対立はあるものの切磋琢磨しながら政策を競い、あるものは志半ばで病に倒れ、戸板に乗って運ばれていく…。

「そうだ、官僚になろう! そして僕も、国家プロジェクト立案の一翼を担うんだ!」

 そう決心した私は、完成していた卒業論文を撤回して留年し、国家公務員試験Ⅰ種試験に無事合格、念願の通商産業省(当時)に入省を果たし、機械情報産業局航空機武器課(現:航空機武器宇宙産業課)の技術係長として国家プロジェクトの立案や運営に携わることができるまでになりました。

 しかし、そんな幸福も長くは続きませんでした。私は徐々に悩みはじめます。産業政策というのは一種の「えこひいき」です。どのようなときにそれが経済学的に正当化されうるのか、そもそも技術の卓越性と企業の競争力とはどのような関係にあるのか、土日も無しで朝から翌朝まで働き続ける激務の中で、目についた書物を片手間に拡げる程度では、こうした判断の基礎となるような理論を学び、理解することはおよそ不可能でした。

 そんな時、秘書課(人事課に相当)の先輩が、留学のための選抜試験を受けてみないかと声をかけてくれました。何度か受験にチャレンジしてようやく合格し、留学という乗車券を手にすることができました。

ポーター教授、クリステンセン教授との出会い

 次に必要なのは、どの大学院に行くかという「指定席券」です。米国の大学院を中心にいくつかの大学に願書を送り、幸いなことにスタンフォード大学、コロンビア大学、ハーバード大学から合格の通知をもらい、悩んだ末にハーバード大学大学院に進学を決めます。

 そこで初めて、食わず嫌いだった経済学や、国際関係論、科学技術政策論などを学ぶとともに、ビジネススクールでマイケル・ポーター先生のゼミや、当時無名だったクレイトン・クリステンセン先生の「マネージング・イノベーション」という科目を受講しました。

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