軽自動車と新幹線

 最近、私の注意を引く2つの記事がありました。1つはインド新幹線に関する次の記事です。

インド新幹線、9月にも事業化調査JICA理事長が意向
(日本経済新聞 朝刊 2013年6月19日)

 この記事は、インドの高速鉄道計画に関して候補が日本の新幹線に事実上絞られており、この事業化調査で新幹線のインド導入が現実味を増していることを伝えています。

 もう一つは軽自動車に関する次の記事です。

都会人 軽に走る 安い維持費、高いデザイン性 若い男性も支持
(日本経済新聞 朝刊 2013年6月19日)

 このところ軽自動車の人気が高く、軽自動車の保有シェアが37%に達しており、各社とも軽自動車に力を入れていることはよく報道されています。この記事では、地方を中心に生活の足として用いられてきた軽自動車が、「超ハイト型」やデザイン性の高いタイプ、またオプションで「アクセルの踏み間違い防止システム」を用意したものなどが次々と投入され多様化し、都市部の消費者の維持費の安さや運転のしやすさというニーズに合わせてシェアを伸ばしていることを伝えています。

この2つの記事で取り上げられている「新幹線」と「軽自動車」は、両方ともに日本で生まれ、日本国内のニーズや規格に合わせて独自に、そして高度に発展してきた優れたシステムであり製品です。「新幹線」と「軽自動車」の共通項は、正に「日本独自性」です。

 私はこの2つの報道を見たときに、主に通信方式の違いから世界市場でのビジネスで成功せず、日本で独自の進化を遂げてたことからガラパゴスと揶揄された日本のケータイとの類似性が気になりました。特に軽自動車に関しては、その独自国内規格に合わせて作られたが故に、ガラパゴス化の危険性を指摘する報道も多く見受けられます。

 ところが、同じく日本で生まれて国内で発展してきた新幹線に関しては、ほとんどガラパゴス化を指摘されていません。実際のところ、今回のインドへの新幹線売り込み以前にも、700系ベースの車輛を採用した台湾新幹線が既に開業していますし、中国への新幹線技術の売り込みも行われました。中国は日本から供与された新幹線技術を「独自技術」として国際特許を出願し、物議を醸したのはまだまだ記憶に新しいできごとです。

良いガラパゴス、悪いガラパゴス

 軽自動車と新幹線は両方ともに、日本で生まれ、独自に進化したものです。もちろんどちらも海外市場を狙ったものではありませんでした。

 戦後の東海道線輸送力増強の必要性から生まれた新幹線は、今までにない高速鉄道を作るということから、必要な技術は独自に生み出す必要性がありました。しかし鉄道という世界共通のインフラ規格にある程度準拠していたからこそ、いざ世界へ市場を広げるにあたり、特許戦略というグローバルな視点が抜けていたことは否めませんが、比較的簡単に対応できたのだと思います。

 それだけではありません。

 日本人の細やかな気遣いや海外から見ると過剰ともいえる安全設計思想などが盛り込まれたシステムは、世界のライバルに対して競争力を高める結果に繋がっているのではないかと考えています。新幹線システムは、日本で生まれ、独自に進化しましたが、グローバルで競争力を持つ良いガラパゴス化という進化を遂げたと言えるでしょう。

 それに対して軽自動車は、鉄道と違ってまったく日本独自の規格に沿って作られています。狭い国土や石油を輸入に頼る日本独自の都合により、車体の大きさや排気量が制限された中で生まれた軽自動車は、税金などの各種の優遇制度に支えられて今日まで発展してきました。

 ある程度規格が統一されている鉄道とは違い、日本仕様の軽自動車は優遇制度のない海外では充分な競争力を持ちません。過去には一部の軽自動車で、エンジンを排気量の大きいものに乗せ替えて海外で売られた実績はありますが、すべての軽自動車で同じことが可能だとは思えません。

 もちろん軽自動車開発で得られた小型化の技術や商品開発の発想法や各種のノウハウなどは形を変えて世界市場でも充分に応用できるでしょうし、これからはその技術の強みを活かして世界市場を見据えた新しいカテゴリーの商品開発を進める必要があると思います。もしそれができなければ、ケータイと同じく悪いガラパゴス化になってしまうでしょう。

 ある意味新幹線はラッキーでした。国内向けに開発した技術が気がつけばそのまま海外に転用することができたのですから。では、ケータイのようにガラパゴス化してしまわないで製品やサービスがグローバルで商品力を持つためにはどのように考えていけばよいのでしょうか。また、ガラパゴス化のリスクを避けるには、何を注意すればよいのでしょうか。

盆栽、折詰め弁当、枯山水

 今回のコラムを思い立ったときに頭に浮かんだ一冊の書籍があります。少々古い本ですが、発売当時話題になった李御寧氏の著作『「縮み」志向の日本人』がそれです。この著作の中で著者は、盆栽や折詰め弁当、枯山水などの日本独特の文化、それも小さいものを好む文化について深く考察しています。

 日本人が限られたスペースにものをうまく詰め込み、独自の美意識にまで高めてしまう行動様式、そして現在の製品開発手法にまで繋がる日本文化の本質が述べられているのではないかと勝手に想像しています。

 日本は島国であり、限られた資源と国土の中で昔からそれなりに肩を寄せ合って生きてきました。日本の文化は、エジプトや中国、また西洋のような荘厳な大きなもの、パワーのあるものを創り上げ、それにより統治してきた文化とは一線を画すものがあります。ある意味お金持ちの荘厳な文化とは違った「足るを知る」、「もったいない」を基調とした「縮む文化」ではないかと思っています。

 このような文化に育まれて日本で作られたものが、正に日本独特の「盆栽」であり、「折詰め弁当」、「枯山水」なのでしょう。いずれも限られたスペースと限られた材料によりできています。

 折詰弁当は限られた折詰めの中に、あらゆる具財が美しく配置されています。食料や飲みものを適当に放り込んだピクニックのバスケットとは対極です。持っていく食材の量が増えれば、バスケットなら大きなものに変えるという発想が簡単に出てきますが、折詰弁当を巨大化するという発想は出てきません。美しく重ねるというお重の発想は、これまた日本人の特有のものだと思うのです。

 枯山水は砂利と石というどこにでもある粗末な材料を用いて狭いスペースに作られています。実際の木を植えたり池を掘ったりするよりも安上がりですし、維持費もかかりません。そのような庭を、日本人は豊かな精神性で小宇宙までも表現し得る独自の美に変えてしまいました。

この記事は会員登録(無料)で続きをご覧いただけます
残り4210文字 / 全文文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

  • 専門記者によるオリジナルコンテンツが読み放題
  • 著名経営者や有識者による動画、ウェビナーが見放題
  • 日経ビジネス最新号13年分のバックナンバーが読み放題