この1カ月半、日本のポップカルチャーやコンテンツ産業のことに頭が支配されていた。日経ビジネス7月14日号の特集「コンテンツ強国へ この“熱狂”を売れ!」を担当していたからだ。雑誌は無事に納本されたが、まだ頭が切り替わっていない。
7月14日からは、日経ビジネスオンラインで特集連動連載が始まっており、今も特集に関連した原稿を書き続けている。だからここでは、この特集や連動連載を通じて悩み続けたことを書こうと考えた。悩みとは、「クールジャパン」という言葉の扱い方についてである。
クールジャパンとは、使う人、受け取る人によって定義や捉え方が異なる実に曖昧模糊とした言葉だ。曖昧にふわりと使える「マジックワード」となりつつある。だからこそ、記事で使うことを避けるべきだと思う半面、何の記事なのか一発で伝えることができる便利な言葉であることも確かであり、どうすべきか逡巡していたのだ。
起点となった米ジャーナリストの論文
まずは言葉の歴史を辿った。発端は米国のジャーナリスト、ダグラス・マッグレイ氏が2002年に米外交専門誌に発表した論文「Japan’s Gross National Cool」だった。
3カ月の取材成果をまとめた彼は、欧州で評価された宮崎駿監督や北野武監督、アジアで人気のある安室奈美恵やハローキティ、米国に食い込んだビデオゲームやポケモン、アニメ、マンガなどを引き合いに出し、「日本のグローバルな文化的勢力は力強さを増し、経済大国から文化大国に進化した」と指摘した。
さらに、GNP(国民総生産)をもじって「Gross National Cool(国民総文化力/クール力/かっこ良さ)」という新たな指標を提唱。「日本には可能性に満ちたソフトパワーが大量に蓄えられている」「日本は、また新たな超大国として再生しつつある」と大いに評価した。
論文はしばらく埋もれていたが、翌2003年に中央公論5月号が「ナショナル・クールという新たな国力 世界を闊歩する日本のカッコよさ」と題した翻訳記事を掲載したことで、国内にもその存在が広まっていく。
ただし、この論文や翻訳記事に「Cool Japan/クールジャパン」という言葉は一切出てこない。
どこが初出か断定できないが、新聞などのメディアが論文を引用する際に「クールジャパン」という言葉を使い出し、定着していった。論文に出てくる「ナショナルクール」や「ジャパニーズクール」という言葉は、日本語の記事にそぐわなかったのだろう。英ブレア政権の「クール・ブリタニカ」を意識したのかもしれない。
2003年11月、日米協会などの招きで来日したマッグレイ氏は「クール・ジャパン 新しい日本の文化力」と題されたシンポジウムに参加。「日本は国外にある日本文化をもっと注目すべき」「ジャパニーズクールは単なる流行ではない」と日本にエールを贈った。
それから10年以上。氏の予見は概ね当たった。「Otaku(オタク)」や「Kawaii(カワイイ)」は日本のポップカルチャーを示す英語として海外にも普及。それらへの外国人の熱狂ぶりは年を追うごとに高まっている。日本のポップカルチャーが世界で示す文化力。これが、本来のクールジャパンの文脈である。
ところが2010年、民主党政権下の経済産業省が「クール・ジャパン室」を設置し、クールジャパンという言葉が国家戦略や政策に使われるようになって以降、その言葉の意味は変質していった。
現象が政策に、概念も拡大
「我が国のコンテンツは海外からも高い人気を集めているが、その輸出比率は5%に過ぎず、海外での高い人気を経済的利益に転換できていない」 「今後の持続的な成長のためには、日本のコンテンツの価値を活かし、海外からの収益を獲得していくことが重要」
そう政策立案の資料などで結論づけた経産省は、海外へ拡販する民間事業に補助金を充てるための予算を確保した。ここで海外での人気を示す「現象」を指す言葉が、海外に売り込む「政策」を指す言葉へと変質。次に売り込む文化や商材が拡大し、伴って予算も肥大化していった。
2012年に経産省が採択したクールジャパン戦略推進事業は全15件。うち、コンテンツ産業関連の事業は7件で、ほかは日本食や日本酒、自動車などコンテンツ以外の海外拡販に関する事業となっている。
この路線は安倍政権にも引き継がれる。2013年の成長戦略には「クールジャパンの推進」を盛り込み、異例のスピードで300億円の税金を投入したファンド、通称「クールジャパン機構」も立ち上げた。
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